All Chapters of あなたからのリクエストはもういらない: Chapter 121 - Chapter 130

173 Chapters

121.計略Ⅳ

静まり返る別荘の内部に、コソコソと5人の男たちが入って来た。「ヒュ〜、マジで金持ちってスゲーなっ」その興奮した声に、隼斗を裏切った男が厳しくシッ!と注意した。だが確かにドアを潜った瞬間から、彼らにとってそこは別世界だった。広々としたキッチン、大きなダイニングテーブル、そこを過ぎて入ったリビングは、自分の住む部屋よりも広かった。壁に掛かる絵もどこかで見たことがあるような物で、きっと想像もつかないほど高いんだろう。インテリアは言うに及ばず、置いてある物、目に入る物全てが高級品に見えた。チッ!男は呆然とした後、凄まじい嫉妬心に駆られて思わず舌打ちをした。その時、「見物は済んだか?」「!!」カチッー暗闇に小さな火が灯り、ジジ…と紅点がついてふぅ~っと息を吐き出すと同時に、煙草の匂いが漂い出した。「誰だ!?」男が鋭く問うと、その影になっていた人物が可笑しそうに嗤った。「他人の家にコソコソと入り込んだネズミのくせに」「ー!」言葉が発されると同時に、パッと明かりが点いた。そして男たちは驚愕した。いつの間にか、数人の黒服の男たちに囲まれていたのだ。「……」さっきまで遊び感覚で興奮していたチンピラたちが顔を青褪めさせ、途端に狼狽え始めた。「お、おいっ、どうすんだよっ」「なんだよ、これ!」「話が違うじゃねぇか!」「……」男は、目の前でソファに座って優雅に足を組み、煙草をふかしている人物を見つめた。「最初から分かってたのか?」その問いに怜士が「そうだ」と答えると、男はまたチッ!と舌打ちした。「女か?……いや、隼斗だな!?隼斗…あの野郎…!裏切りやがったな…っ」「……」怜士は男がぶつぶつと文句を言っているのを聞いて、その図々しさに呆れていた。一方希純は、怜士の斜め前に座って事の成り行きを見ていたのだが、この男たちの様子に苦笑せずにはいられなかった。自分はなんでこんな小物を、あんなにも恐れていたんだろう…。美月のことを思うあまりこんなにも卑小な輩に好き勝手されそうになっていたなんて、彼の自尊心がひどく傷つけられたような気がした。「真田さん、この者たちをどうするんですか?」尋ねると、怜士は煙草を咥えたままちらりと視線を寄越した。「君はどうしたいんだ?」「私は……」希純はくっと唇を噛み締めた。そして怜士を見つめる
last updateLast Updated : 2025-10-13
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122.雪解け

静まり返ったリビンクで希純がドサリ…とソファに座り、目を閉じて深いため息をついた時、なぜか怜士といてずっと心の中に溜まっていた蟠りがすっかり無くなっている事に気がついた。そこへー「おはよう」「!?」不意にかけられた声に、驚いて勢いよく振り仰いだ。階段を上がった所にあったその姿は美月のもので、その眼差しはとても落ち着いたものだった。目が覚めたばかりだとは思えない綺麗に整えた身なりとスッキリとした顔つきに、希純は彼女がずいぶん前には起きていたことを悟った。「見てたのか?」気まずげに問うと、彼女は小さく微笑った。「ううん。なんだか怖かったから、部屋の中で聞いてた」「そうか…」その言い方が少し可愛くて、希純も微笑った。実際のところ、美月は家政婦の持ってきたホットミルクを飲んですぐに深く眠ってしまい、夜中の騒ぎには全く気がついていなかった。そうして夜明け前、自然に目が覚めて欠伸を一つした時に、階下からした複数の男たちの喚き声に眉をひそめたのだった。ベッドから降りて様子をみてみようとドアを開ける寸前、耳に飛び込んできた「話が違う」という言葉に彼女の手がピタリと止まった。今下にいるのは、例の藤原架純が依頼したという者たちなのでは…?そう思い、美月は開けようとしたドアに逆にそっと鍵をかけた。怖かった。前世で彼女にひどいことをしたのは奈月だった。でも今世では……。仕掛けているのは架純でも、実際に動いているのは男たち。捕まったら何をされるかわからない…。その恐怖に、美月は身体を震わせた。だがー「…?」しばらくその場に蹲っていたのだが何も起こる気配もなく、それどころか男たちの喚き声がだんだんと遠ざかって行くのに気がついた。そして今度は外から聞こえてきた罵声に美月がそっと窓から覗くと、思った以上に沢山の黒服の男たちが、拘束された者たちを引きずるようにして別荘の外に向かって歩いて行っているのを見た。終わったの…?美月は訳がわからなかった。いくら怜士や希純が備えているといっても、それなりに悶着があるだろうと思っていたのだ。それなのに、悶着どころかなんの騒ぎもなかった。いや、もしかしたら階下ではあったのかもしれない。けれど、少なくとも暴れまわったりとかして、誰かが深刻な怪我をしたといったようなことはなかったみたいだった。美月はほっと
last updateLast Updated : 2025-10-18
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123.マネージャー

「希純」呼びかけると、彼は「うん?」と首を傾げた。美月はゆっくりと階段を下り、希純の前に立った。そしてニコッと笑って「ありがとう」と言った。彼はそれに僅かに眉を寄せた。目の前に差し出された美月のほっそりとした手は、彼に握手を求めていた。「……」そんな美月を見て、希純はなぜだか嫌な予感に囚われた。まるで「さようなら」と、永遠の別れを告げられているようで、その手を握ることができなかった。「希純?」不思議そうに首を傾げる彼女に、希純はコク…と唾を飲んだ。「……いや、なんでもない」そう言って、その手を無視した。「……」美月は自分に背を向けた希純を見て、それから差し出していた手をゆっくりと下ろした。そして彼女は、小さくため息を一つつきながら肩を竦めた。今の美月は、例え彼に差し出した手を拒まれようが、冷たく背を向けられようが、なんとも思わなかった。改めて胸に手を置いてみても、そこに傷ついたような痛みはなかった。希純…これでやっと、本当に終わりにできる。彼女はふっと笑うと、軽やかな足取りでキッチンへと向かった。*その日の正午前ー。美月は、彼女を迎えに来た車に乗って別荘を後にした。車は真田家が出したもので、運転手と助手席にボディーガード、そして後部座席に美月と、英明が手配した女性マネージャーが乗っていた。彼女は美月に会うと目を見開いて、感激したように両手でしっかりと握手の為の手を包み込んできた。「あなたの演奏ビデオ見ました!お会いできて光栄です!」「……」あまりのテンションの高さに、美月は苦笑した。彼女、野中すみれ(のなかすみれ)の言う演奏ビデオとは、おそらく美月の通った大学での【発表会】を録画したものだろう。あそこは希望すれば生徒の成績を開示してくれる。そして更には、その生徒が演奏しているビデオも見せてくれるのだ。もちろん申請者の身元確認はされるし、ビデオに関しては大学まで行かないと見せてくれない。これは生徒の卒業後の仕事に関わる案件でもあるので、生徒自身にその成績やビデオを見せてもいいか問われても、ほとんどの者が頷いていた。美月は卒業年度の首席であったから、問い合わせはかなりあった。だが結婚前ならまだしも、結婚後は希純が許さず、閲覧禁止になっていた。そして離婚後、美月はその禁止を解いたので、すみれはそれを見た
last updateLast Updated : 2025-10-18
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124.企ての結末Ⅰ

「ふんっ、いい気味ね。ザマァないわ」つい先ほど送られてきた動画を早速見て、彼女は一人嗤っていた。どうやら男たちは美月が眠っているところを狙って押し入ったらしく、目を覚ました途端に怯えたように逃げようとしたところなんか、傑作だった。ベッドから転げ落ちて立ち上がることもできず、這うように逃げようとするなんて、本当にあの生意気な女にはお似合いだ。画面の中で女のシルクだろうパジャマは汚らしく乱れ、胸元の滑らかな肌も、剥き出しになった細い肩も、アザだらけで青黒く染まっていた。そうして、やがて女は滂沱の涙を流し、男に乱暴に跪かされて頭を下げた。しかし男はその髪の毛を更に鷲掴み、女の頭をダンッと床に叩きつけた。〝なに中途半端にしてんだよ!土下座ってのは、こうすんだ、よ!!〟ダンッ!更に叩きつける。ふふふ…その場面で、架純は堪えきれずに笑いが漏れた。〝も、もう……やめふぇ…っ〟猿轡を剥ぎ取られて必死に言い募る女の言葉は不明瞭で、おそらくパンパンに腫れた頬が原因だろうと思われた。〝オラッ、詫び入れろよっ、お嬢さんによ!〟〝うぅ…〟容赦なく女の後ろ頭を足で踏みつけ、男が催促する。その後、身体を震わせながら床に額を擦り付けて謝罪する女の姿を何度か繰り返し再生して、ようやっと満足したように架純が画面を閉じた。「ふふっ、今回は容赦なかったわね。いつも甘っちょろい仕事をするからそろそろ潮時かしらって思ってたけど…」最後の仕事で、あいつも吹っ切れたのかしら。そんな風に思いながら、いつものように報酬を振り込んだ。女の顔がはっきり映ってなかったのは残念だけど…。まぁ、いいわ。架純は動画をしっかり保存して、友人との約束の為に出かける準備を始めた。そして、不意に気付いた。あら?両手を潰せって言ったのに、その動画がないわね…。彼女が携帯を取り出し確認の連絡をしようとしたところ、部屋のドアがノックされて執事が恭しく荷物を持って入って来た。「お嬢様、お荷物が届いております」「?」架純は心当たりがなかったが、その長方形の小さな箱を受け取った。箱は見た目に反して重く、益々中身が分からず困惑した。ジュエリーにしては重いし…。なんなの?架純は、箱にリボンがかかっていることからそれが誰かからの贈り物だろうと思ったが、最近ではそういった事も少なく、また新しく
last updateLast Updated : 2025-10-18
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125.企ての結末Ⅱ

途端に、耳障りな男たちのうめき声や叫び声が辺りを埋め尽くした。希純は眉をひそめ、不快感を顕にした。そこには今朝方別荘に侵入した男たちが蹲り、数人のボディーガードに殴る蹴るの暴行を加えられていた。少し離れた所では、既にボロボロになった男が屈強なボディーガードに押さえつけられ、小さな板の上に固定された両手を必死に取り戻そうとしている。「何をしているんですか?」希純は、その男たちを見渡せる位置に椅子を置いて座る怜士に近づいて、口を開いた。「見てわからんか?仕置きだ」「仕置き……」そんな軽く言えるような現場だろうか…。呆然と見渡していると、怜士がフッと嗤った。「もう後戻りはできないぞ?」「……」彼の声は、男たちの耳障りな喚き声の中にあっても深く希純の耳に届いた。「そんなつもりはありません」きっぱりと答えると、可笑しそうに「そうか」と言われた。座って足を組む怜士の横に立ち、希純が問うた。「彼らはどこの者ですか?」それにはつまらなそうに答えられた。「ただのチンピラだ」「……」ただのチンピラ…。なめられたものだ。希純はギリッと歯を食いしばった。退屈そうに男たちへの仕置きの様子を目に映していた怜士はそれをちらりと見て、試しに尋ねた。「やってみるか?」だがそれに対して希純は、思い切り眉を顰めて吐き捨てた。「結構です。あんな奴らに触るなんて汚らしいっ」「ふん…」怜士はその答えに満足も不満もないように、また視線を元に戻した。だがその心中では、ふん、所詮お坊ちゃんだということか…。と嗤っていた。「うわー!やめろ!やめてくれ!頼むっ、頼むかー」ギャーーーッ!!!両手を固定された男の焦ったような喚き声が、男自身の叫びに遮られた。「やめてくれ!お願いだ!お願いだからー!」うわ!ギャーー!!叫び声の度に、男の手にはボディーガードによって金槌が振り下ろされていた。バキッ!ドンッ!ゴキッ!と、何度も何度も振り下ろされて、金槌の先に付いた男の血が辺りに飛び散っていく。その景色にも、怜士は眉一つ動かさない。希純はさすがに青褪めていたが、それでも拳をギュッと握り締めて耐えていた。「真田さん、これって…」少し震える声で問いかけられて、怜士は平然と答えた。「ん?ああ…。奴らが浅野さんにやろうとしてた事だ」「美月に…」希純
last updateLast Updated : 2025-10-18
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126.報い

怜士は離れた所に立っていた手塚を呼び寄せ、希純を頼んだ。彼は「お任せください」と頷き、未だ現実味を帯びない顔つきの希純を連れて場を後にした。怜士は彼らを見送り、そして足元に気絶している男を見て、僅かに眉根を寄せた。頭の中に先ほどの希純の姿を思い起こし、苦虫を噛み潰したような、なんとも言えない顔をした。そして口の中で「狂人め…」と呟き、顔を上げた。「片付けろ」彼のその一言で、固まっていた人々が動き出した。始めは痛みにうめき声を上げていた男たちも、希純の所業を見て以来顔を白くするほど血の気が引き、黙りこくっていた。もう気勢を張る者も、恨み言を呟く者もおらず、皆素直にボディーガードたちに連れられて去って行った。もちろん、これで終わりではない。彼らは、その手が完治することがないように病院には連れて行かず、今から数日間どこかの部屋に閉じ込められる。しかも全員一緒に…ではなく、一人一人別々の部屋で過ごさせるのだ。食事も飲み水も最低限。どんなに叫ぼうが誰も応えない。両手は不自由だが、生きる為にはどんな事をしてでもそれを使うしかない。結果、手が元通りになる可能性はなくなり、生涯不自由を抱えて生きることになる。生まれつきなら諦めることもできる。だがそれが、自分たちのバカな行いの果てのことなら、後悔してもしきれないだろう。金も入らず障害だけが残った。それが、手を出してはならない者に手を出した、彼らの報いだった。*「社長ー」手塚の呼びかけに、オフィスに戻って書類に目を通していた怜士が顔を上げた。「ご苦労さん。彼の様子はどうだ?」尋ねると、手塚は生真面目に答えた。「はい。ホテルにお連れして、シャワーと着替えをしていただきましたが、終始落ち着いていらっしゃいました」「そうか」それを聞いて、怜士は「それならいい」と言い、あとはもう関心も無さそうにまた書類に目を通し始めた。だが彼はまだ何か言いたげで、怜士も仕方なく書類を置いた。「なんだ?」「あ、いえ…佐倉希純ですが…」「うん」「彼、まさかとは思いますが…藤原架純を襲撃したりしませんよね…?」「……」怜士は、その質問には珍しく呆気に取られた顔をした。確かに。あいつはどうやら育ちがいいらしいから、女に直接手を出すような事はしないだろうと思っていた。だがそうか…。浅野美月が絡むと、それ
last updateLast Updated : 2025-10-18
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127.町長の場合

「さ、真田様!」町役場に着くと、バタバタと職員が出迎えに来た。以前は町長自ら出迎えたというのに、今日は姿さえ見せない。隠れて居留守を使うつもりか。それとも、返済の目処が立って余裕をこいているのか。ふん、浅はかな爺ぃだ。怜士は、手塚と共に職員の案内に従って町長室へと向かった。コンコン…案内人が静かにノックをすると、「どうぞ」と威厳を漂わせようとしたのか、妙に低い声で応えがあった。怜士はそれに薄っすらと嗤うと、そのまま案内人に続いて部屋に入り、にこやかに立ち上がる町長に対峙した。「ようこそ、真田様」「ようこそ?」怜士は差し出された手を無視して鼻で笑い、前回と同じようにソファに座った。だが今回は始めから煙草を取り出し、それに手塚が火を点け、深く吸って吐き出した。彼は気怠げにソファの背にもたれ、腕をかけていた。彼の長い脚は高く組まれ、首元のネクタイも鬱陶しそうに指で緩められた。「失礼ですが、本日はご機嫌があまりよろしくないようですな?」町長は目の前の怜士の態度にも臆することなく、笑みさえ浮かべて軽く窘めた。怜士はそれを黙って眺め、やがて彼の笑顔が引きつるのを見ていた。「ずいぶん余裕だな…?」「そ、……」慌てて開きかけた口を閉じた町長は、ゴホンッと空咳をして体勢を整えた。「本日は、どのようなご用件でしょうか?私も暇ではありませんので、できれば簡潔にお願いしたいのですが…?」そう言うと、いかにも忙しそうに腕時計をチラリと確認した。「この後の予定もありますのでー」「キャンセルしろ」「……」町長は言葉を遮られて不快に顔を歪めた。「真田様、それは少し横暴すぎませんか?」怜士はその言葉にも反応せず煙草を吸い続け、そして灰皿に押し付けた。「俺の用件は一つだ。忘れた訳じゃないよな?」その言葉にも、町長は余裕で微笑んだ。「ああ、その件ですか」「……」怜士の視線は相変わらず町長の上にあった。彼には分かっていた。なぜこの男がここまで余裕なのか。それはー「一つお願いがあるのですが…」そう言うと、町長は卑屈になることもなく堂々と胸を張って口を開いた。「返済の期日を、半年ほど延ばしていただけませんか?」「……」「延ばしていただけるなら、お金は一括で、しかも延滞した分の利息もつけてお支払いします」「……」町長には自信があ
last updateLast Updated : 2025-10-24
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128.藤原架純の場合Ⅰ

ある日ーバンッ!!架純が部屋にある全身鏡で今日のスタイルの確認をしていたところ、父親の徳仁が、怒りに顔を染めて部屋のドアを勢いよく押し開けた。「架純!」「キャッー」突然のことに驚いて振り向くと、そこには顔を真っ赤に染めて、額に太い青筋を浮かべている父親が立っていた。「なによ、お父さん。びっくりするじゃないのっ」架純が文句を言うと、徳仁は「うるさい!」と目の前のハンガーにかかったドレスを鷲掴んで、バシッと床に投げ捨てた。「ちょっと!」それは、次に試着してみようかと出しておいたお気に入りのブランドの新作で、今度怜士も出席するあるパーティーに着て行こうと思っていたものだ。それを徳仁は投げ捨てただけでなく、なんと靴で踏みにじってしまった!「お父さん!何してんのよ!?」架純は怒りに我を忘れて、思わず父親をドンッと突き飛ばしてしまった。徳仁は特に身体を鍛えたりしているわけでもなく、普通に年相応に足腰が弱ってきていた。なので、彼は突き飛ばされた途端ドサッと床に倒れ込み、したたかに腰を打ち付けたのだった。「架純!このーっ」振り上げた拳は、襲いかかる痛みにすぐさま下ろされた。「痛たたた…」「お父さんっ」「触るな!」慌てて身体を支えようと近寄ってきた娘に彼はそう怒鳴り、執事に手を貸してもらって起き上がった。「この、親不孝者がーっ」「……」憎々しげに吐き捨てる父親の言葉に、彼女は眉をひそめた。なによ…どういうこと?部屋からヨロヨロと出て行く父親を見送って、ふと足下のぐちゃぐちゃに汚れてしまったドレスに目を遣った。自分が何をしたというのだろう?彼女は、子どもの頃から徳仁に溺愛されて育ってきた。こんな風に怒鳴られ、尊厳を踏みにじるようなことなどされたことはなかった。一時期、怜士を諦めるように説得された時でさえ、最終的には彼女の好きにしてもいいと言ったのだ。佐倉家とのお見合いが失敗に終わった時も、ただため息をつかれただけだった。それ以外で、何をそんなに怒ることがあるっていうの?架純には、どんなに考えても答えが思い浮かばなかった。「もう…。またドレス買いに行かなきゃいけないじゃない…」名残惜しそうに、まだ一度も袖を通していない新作ドレスを見てそう言った。*はぁ…。「ーっくそ!」痛めた腰を擦りながら書斎へ戻り、椅子に深く座っ
last updateLast Updated : 2025-10-24
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129.藤原架純の場合Ⅱ

翌日ー。架純は朝早くから、専属で雇っている美容関連のスタッフを呼び寄せ、身体や肌の調子を整えていた。ドレスは結局手持ちの中から選んだのだがそれも最新のデザインで、彼女のスタイルを際立たせる効果を持っていた。そしてメイクも専門家に任せ、髪の毛もスタイリストに一任して高く結い上げて後れ毛をいくつか垂らしていた。首には小振りだが、一目で高価だとわかる宝石の付いたネックレス、耳には煌めくダイヤのイヤリングが揺れていた。彼女は年齢的に〝若い〟と称されることはなかったが、その分落ち着いた威厳と艶っぽさを装うことはできた。これなら怜士も満足するはずよね。架純はふふ…と微笑い、鏡の中の自分を見つめた。*「なぜ、ここに彼女が?」藤原家に赴き、徳仁と向き合うテーブルに当たり前のようについている架純を見て、怜士は眉をひそめた。「あの土地は彼女のものだったのですよ、元々は」そう言って、窺うような笑みを見せる徳仁に首を傾げて「だから?」と問えば、彼は途端に言いにくそうに言葉を継いだ。「なので…申し訳ありませんが、値段交渉は彼女とお願いします」「……」この男の魂胆は分かっていた。架純に怜士が要求するような金額は払えない。だから、彼女にも怜士が買い取った値段で買い戻させてもらいたい、というのだろう。怜士はフッと嗤った。「誰が金を出すかは俺の知ったことじゃない。これは慈善事業ではなく、商売だ。お前もそうやって稼いできたんだろう?俺の言いたいことは分かるか?」「……」つまり、妥協はないということか。徳仁は悔しそうに唇を噛んだ。彼にも分かっていた。これは報復なのだ、と。架純はやり過ぎたのだ。徳仁が調べたところでは、彼女が怜士の息子の教師に嫉妬をして、嫌がらせをしたのだという。だが、それだけで…?確かに彼女を排除しようとしたことは架純の過ちだ。やり方も姑息だった。その為に怜士の事業を潰してしまったことを怒っていることも理解できる。でもそれだったら、あの町長の資産を差し押さえるだけでいいじゃないか?それで土地の値が上がったら売ればいい。なのになぜ、それをうちに持ってくるんだ?そこまでしてうちに損害を与えたいのか?あの浅野美月という女は、怜士にとってそこまで価値がある女なのか?その時徳仁の頭の中では数々の疑問が湧いて出ていたが、同時に架純の頭の中も疑問
last updateLast Updated : 2025-10-24
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130.藤原架純の場合Ⅲ

怜士たちが藤原邸を後にして、彼らの乗る車が門を出て行くと、徳仁は一緒に見送っていた架純を振り返り怒鳴りつけた。「一体どういうつもりなんだ!?お前にあの金が払えるのか!?」「……」架純は目の前で肩を怒らせて自分を責める父親に、物わかりが悪い人を見るような、一種見下したような視線を据えた。「お父さん、なんでわからないの?私は後一月もしたら怜士に嫁ぐのよ?その私が、いくら真田家に借金を抱えようが、そんなの無いのと一緒じゃない?」その高慢な物言いと、父親ですら見下すような態度に、徳仁は腹立たしく吐き捨てた。「本当に、あの怜士がお前を娶るとでも思ってるのか?めでたいにも程がある!」「なによ!お父さんだってはっきり聞いたでしょ!?嫁がせてやるって!」「そう言われただけだろうが!なんの確認もせずにサインしやがって!このバカが!!」「なんですって!?」この父娘の罵り合いに周りにいた使用人たちも気不味そうに互いに目配せしあい、そそくさと各自の仕事へと戻って行った。残った執事だけが「旦那様」と声をかけ、とりあえず2人を邸の中へと促した。徳仁はもうこれ以上架純と話す気にもならず、一人こめかみを揉みながら書斎へと入って行った。架純はそんな理解の乏しい父親を軽蔑の目で見送って、フンッと鼻を鳴らしたのだった。見てなさい。私が真田夫人になったら、例え父親であろうとそんな偉そうな態度は許さないんだから!彼女は心の中でそう呟き、荒々しく自分の部屋のドアを閉めた。*「例の件はどうなった?」帰りの車中、怜士の発した不意の質問に手塚は一瞬だけ考え、答えた。「すべて整っています。いつでも大丈夫です」「分かった」怜士はそれだけ訊くと頷いて、流れる窓外の景色を見るともなしに見て、フッと笑った。「楽しみだな…」「……」手塚には、それが単に怜士の独り言だとわかっていたので、何も応えなかった。車内には一見穏やかな空気が流れていたが、決して誰の心境も穏やかではなかった。それは、密かに機嫌の悪い怜士に気を遣って、そんな空気を作り出していただけだったからだ。怜士は架純の傍若無人さに苛立っていた。何年も前から彼女が自分を追いかけ回していた事は知っていたが、正直あそこまで話が通じない女だとは思わなかった。思い込みが激しく傲慢で、家族に対する思いやりすらない。あんな女が
last updateLast Updated : 2025-10-24
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