All Chapters of 夫と子を捨てた妻が、世界を魅了するデザイナーになった: Chapter 201 - Chapter 210

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第201話

「ええ、旦那様に頼まれて物を取りに参りました。奥様もいらっしゃいますか?」「はい、二階にいらっしゃいます」階下の声を聞き、小夜は慌てて書斎の中を覗き込んだ。隅に置かれた黒いスーツケースが目に飛び込んでくる。彼女のスーツケースだ!書類は、きっとあの中にある!しかし、階段を上ってくる足音が近づいてくる。顔を曇らせた樹が、彼女に向かって歩いてくる。書斎には自分の荷物と書類が!どうしよう?……彰が階段の踊り場まで来たところで、小夜が樹の手を引いて下りてくるのが見え、思わず足を止めた。「奥様」小夜は頷くだけで何も答えず、そのまま階下へと向かう。彰は一瞬ためらった後、尋ねた。「奥様、これは……?」小夜の口調は淡々としていた。「樹を本家に連れて行きます」「お送りします……」言い終わらないうちに、小夜はすでに樹の手を引き、振り返りもせずに階下へと去っていった。彼に視線を落とすことは、終始一度もなかった。彰はしばらく階段に立ち尽くしていたが、やがて身を翻して二階の書斎へと向かった。手慣れた様子で書斎のロックを解除し、デスクの上で圭介から頼まれた資料をまとめ、部屋を出る際に、隅に置かれたスーツケースを何気なく一瞥した。彼が階下へ下りた時には、小夜を送る車はすでに出発していた。彼は特に気にも留めず、車に乗り込むと圭介に電話をかけた。「旦那様、資料は見つかりました。それから、奥様名義の物件はすべて調査しましたが、例の赤い帽子のロボットは見つかりませんでした」電話の向こうは、しばらく沈黙していた。「探せ。探し続けろ。小夜名義の家にないなら、周りの親しい人間を調べろ。他人名義で持っている物件があるかもしれん。特に、あの瀬戸芽衣だ。小夜が捨てるはずがない。あのロボットは、絶対に失くすわけにはいかないんだ!」彰は一言返事をすると、電話を切った。……病院の病室。圭介は電話を切ると、病室へ入り、ベッドのそばに腰を下ろした。若葉は、申し訳なさそうな顔をしていた。「圭介、ごめんなさい。私が怪我をしたせいで、『雲山』チームとの面会も延期になってしまって」圭介は微笑み、優しく若葉を慰めた。「気にするな。もともとお前が仲介してくれたおかげで取れた約束だ。数日くらいどうってことない。
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第202話

翌日。朝食の後、小夜は樹を連れて佳乃と庭を散歩していると、芽衣から電話がかかってきた。小夜は少し離れた場所へと移動した。「芽衣」「小夜、朗報よ!」芽衣はとても興奮した様子で、小夜が尋ねるより先に、堰を切ったように話し始めた。数言聞いて、小夜はすぐに状況を理解した。芽衣と宗介の協力関係は今のところ順調で、天野家は依然として嵐の中にあるものの、経営基盤はかなり安定してきたという。「小夜、彼に確認したわ。数日後には、彼が正式に表舞台に出て、失踪や事故の噂を否定するって。そうなれば、状況はほぼ落ち着くはず。その後に『雲山』との提携を発表して、うちの海瑞商事も続けば、もうあなたを縛るものは何もなくなるわ!」小夜も喜んだ。何かを言おうとした、その時。突然、電話の向こうから短い悲鳴と、バイクが轟音を立てて走り去る音が聞こえてきた。小夜の心臓が止まりそうになり、思わず声を張り上げた。「芽衣!」返事がない。小夜が焦って何度も呼びかけると、ようやく芽衣の、少し震えた声が聞こえてきた。「大丈夫、大丈夫よ。ただ、バイクが不注意で、危うくぶつかりそうになっただけ。びっくりしたわ」「本当に大丈夫?」「うんうん。あと数日もすればまた会えるんだから。嬉しいでしょ!」芽衣の声はいつもの快活さを取り戻していた。小夜はまだ少し心配だったが、それでも笑顔で答えた。「ええ、すごく嬉しいわ」……一方、電話を切った芽衣は、まだ少し足元がふらついていた。先ほどのバイクは、不注意などではなかった。明らかに自分を狙って突っ込んできたのだ。白昼堂々、人を轢こうとするなんて。宗介を狙う連中は狂っているのだろうか。「瀬戸さん、立てますか?」耳元で、穏やかで笑みを含んだ男の声がした。芽衣はそこでようやく我に返り、自分を抱きとめてくれた黒ずくめの男の腕を支えに、ゆっくりと体を起こした。「今のは、ありがとう」この男の反応が早くなければ、本当に轢かれていただろう。死なずとも、大怪我は免れなかった。「いえ、瀬戸さんを守るのは私の責任だから」黒い服の男は、黒い野球帽に黒いマスクという、まるでボディーガードのような出で立ちだ。唯一露出したその瞳には、笑みが満ちている。それは、宗介だった。芽衣は礼を言いつつも、腹の虫
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第203話

小夜は、特に何も感じていなかった。小夜はこの数日、どうすればもう一度長谷川邸へ行き、身分を証明する書類を探し出せるか、その方法を考えるのに必死だった。宗介の件は、もうすぐ片付く。海外へ発つ前に書類を手に入れなければ、面倒なことになるのだ。金曜日、芽衣から電話があり、もう大詰めだと告げられた。小夜はついに我慢の限界に達し、もう一刻も待てなくなった。その日の午後、小夜はいつものようにボディーガードに付き添われ、学校へ樹を迎えに行った。帰りの車の中で、小夜は樹に、勉強を頑張ったご褒美にプレゼントを用意した、と告げた。樹は大喜びで、運転手に長谷川邸へ向かうようせがんだ。小夜の胸は、罪悪感でいっぱいだった。実際にはプレゼントなど用意していない。今まで一度も樹に嘘をついたことなどなかったのに、今回ばかりは例外だった。その罪悪感に、胸が締め付けられるようだった。長谷川邸に着いた。小夜は樹を部屋へ連れて行き、そこで待っているように言った。部屋を出る時、やはり罪悪感がこみ上げ、小夜は思わず足を止めた。そして、しゃがみ込むと、その小さな額にキスをし、優しい声で言った。「ここでママを待っててね」後で必ず、埋め合わせのプレゼントを贈ろう。小夜は心に誓った。樹は期待で胸を膨らませ、嬉しくてたまらなかった。ママは昔、いつもこうしてくっついてきてはキスをしてくれたものだ。少し鬱陶しい時もあったけれど、最近はなんだかそっけなくて、心に寂しく思っていたのだ。やっぱり、ママは僕のことが大好きなんだ……プレゼントも用意してくれて、キスまでしてくれた。嬉しくなった樹は、その小さな顔を小夜の頬にすり寄せた。「うん、ママのこと待ってる」小夜は一瞬、言葉を失った。そして、衝動的にこう言いそうになった。もう、相沢に会いに行くのはやめてくれないかしら。ママは、あの人が好きじゃないの。しかし、その言葉を口にすることはできなかった。小夜に、樹の好き嫌いをコントロールする権利はない。それに、これまでの経験から、そんなことをすれば反発を招くだけだと分かっていた。樹は、一度だって小夜を選んでくれたことはないのだ。圭介と樹にとって、小夜はきっと、永遠に重要な存在にはなれないのだろう。小夜は微笑むと、その小さな頭を撫で、深
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第204話

華やかなレストランの個室。円卓には六人が着席している。圭介たち三人の他は、「雲山」チームの人間だ。圭介は見慣れない顔ぶれに視線を走らせ、わずかに眉をひそめる。約束の時間からすでに十分が過ぎているが、チームの核心人物である「雲山」は、まだ姿を現さない。この商談は、紆余曲折を経てようやく漕ぎ着けたもので、圭介の忍耐も限界に近づいていた。彰に促され、三人は顔を見合わせる。一人がスマホを手に催促のため席を立ったが、すぐに困惑した表情で戻ってきた。「小林さんが、長谷川会長にお話がある、と」小林?「雲山」の本名は小林というのか?圭介は眉をひそめ、スピーカーにするよう顎で示した。スピーカーがオンになり、電話の向こうから微かな風の音が聞こえる。しばしの沈黙の後、不意に耳に心地よい男の声が響いた。「長谷川くん、久しぶり」反応するまでもない。圭介は向こうの男が誰であるか瞬時に悟り、顔色が一瞬で険しくなったが、すぐに普段の無表情を取り戻し、返事はしなかった。個室内は、水を打ったように静まり返った。若葉は少し意外に思った。「雲山」は、圭介と知り合いだったのだろうか。若葉が尋ねようと口を開きかけた時、ふと隣に座る彰の表情が険しいことに気づき、胸がどきりとする。後から、場の空気がおかしいことに気づいたのだ。どういうこと?圭介が一言一言、区切るようにある名前を口にするまで、若葉は呆然としていた。「小・林・青・山」電話の向こうから、穏やかな笑い声が聞こえる。「七年ぶりだな。まだ僕のことを覚えていたか」忘れるはずがない。圭介の妖艶な切れ長の目が冷たく光るが、口調はあくまで平然としていた。「いつ戻ったんだ。一言教えてくれれば、歓迎会でも開いてやったのに」向こうは、くぐもった声で笑った。「長谷川くん、僕たちがいつから、食事を共にするような仲になったんだ?」この会談は、結局、後味の悪い結末を迎えた。電話の相手が誰か確信した瞬間から、圭介に提携する気など微塵もなくなっていた。そして、それは青山も同じだろうと、圭介は信じていた。今回の件は、完全に、青山の意図的なものだ。……「雲山」チームの人間は、個室を出てようやく安堵のため息をついた。あの長谷川会長は何も言わず、終始笑みを浮かべてさえい
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第205話

圭介は微笑んでいた。その表情はとても穏やかだったが、圭介がそうであればあるほど、若葉の心はかえって落ち着かず、不安に駆られた。七年前の出来事について、若葉は多くを知らない。だが、当時圭介がわずか一年の留学を終えて急遽帰国し、帝都大学で研究を続けていたこと、そしてほどなくして、同じ大学で博士課程を終えようとしていた青山と大きな衝突を起こしたことは、おおよそ知っていた。かなり大きな騒ぎになったと聞く。若葉は後で調べたが、どうやら小夜と関係があるらしく、詳しいことまでは分からなかった。圭介が電撃結婚したのはその直後で、青山が突然帝都大学を去り、海外へ渡って音信不通になったのも、その時だった。若葉は、このチームの背後にいる中心人物がまさか青山だとは、本当に思ってもみなかったのだ。さらに若葉が受け入れられなかったのは、この青山が、当時の学生たちの間で小夜と親密な関係にあると噂されていたことだ。あんな女に、そんな資格があるものか!小夜のことを思うと、若葉の心は激しい憎しみに満たされる。あのアマが!身分の低い卑しい女のくせに、どうしてそんな幸運に恵まれ、何もかも自分と張り合おうとするのか!今回の提携は、間違いなくご破算だ。考えれば考えるほど憎しみが増し、美しい顔がかすかに歪む。しかし、圭介がそばにいることに気づくと、若葉は頭を下げて数回深呼吸し、圭介の手を握った。「圭介、じゃあ、私たちは?」圭介はまだ笑みを浮かべ、若葉の手の甲を叩いて優しく慰めた。「大丈夫だ。この世でAIに精通しているのが、小林一人というわけでもあるまい」他に選択肢がないわけでもない。「ここで少し待っていてくれ。後で人をやって家まで送らせる。その後のことは、また改めて話そう」圭介はそう言うと手を離し、大股で個室の外へ歩いていった。彰がすぐその後を追い、あっという間に個室には若葉一人が残された。若葉はうつむき、空っぽの両手を開いて、呆然と見つめていたが、不意に笑った。しかし、その瞳には冷たい憎しみだけが宿っていた。若葉は口を開いた。その声は、濃い憎しみに満ちている。「高宮、高宮、高宮……ッ!」あの、クソアマが!……車に乗ると、圭介の顔はすっかり険しくなった。「本家へ」彰は一瞬戸惑い、少し躊躇った後、言った。「奥様
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第206話

寝室のドアが、部屋全体が震えるほどの轟音と共に蹴り開けられた。樹は圭介の姿を見ると、小夜の手を振り払って駆け寄ろうとする。小夜は咄嗟にその手を強く掴み、懇願するような低い声で言った。「樹、行かないで」樹は小夜に嘘をつかれたことに腹を立て、その手を力任せに振り払うと、泣き叫びながら駆け寄り、圭介の足にしがみついて大声で泣きじゃくった。「パパ、ママが嘘ついたんだ!」圭介は、開け放たれた窓のそばで青ざめている小夜を一瞥すると、屈み込んで樹の髪を優しく撫で、穏やかな口調で言った。「そうか。後でママに、どんな嘘をついたのか聞いてやるからな」そう言うと、圭介は切れ長の目を細め、そばに控える彰に目配せする。彰は黙って前に進み出ると、樹を抱き上げて寝室の外へと向かった。樹は圭介の反応に納得できず、行きたくないと抵抗するが、彰の力には敵わない。抱き上げられたまま外へ運ばれていく。焦りと怒りの中、樹はふと、魂を絞り出すような微かな嗚咽を耳にし、無意識に声のする方を見た。そこには、絶望に打ちひしがれ、涙を流す小夜の姿があった。樹は一瞬固まり、抵抗する力がふっと弱まった。彼は小夜が泣くのを見たことがない。こんな目も、一度も見たことがない。そこには、樹には理解できない絶望が渦巻いていた。その感情の複雑な重さを、まだ幼い心では理解しきれない。ただ、胸が締め付けられて、とても苦しくなった。「ママ……」樹は小さく呼び、そちらへ行こうとする。彰は樹をしっかりと抱きかかえ、その抵抗も構わずに部屋を出ると、静かにドアを閉めた。樹は、閉ざされるドアの隙間から、小夜の頬を涙が伝い落ちるのを呆然と見つめた。途端に目が赤くなり、震える声で呟いた。「ママ、ママが……泣いてる」彰は樹の顔を自分の胸に押し付け、その目を覆った。「見ないで、大丈夫です」……ドアの内側。小夜は窓際にへたり込み、一歩、また一歩と近づいてくる圭介を見つめ、息を呑んだ。小夜自身、なぜそうしたのか分からなかった。おそらく、何も考えていなかったのだろう。次の瞬間、小夜は窓枠に足をかけ、結んであったロープを掴むこともせず、下の庭園に向かって身を投げた。しかし、腰を熱く力強い大きな手に掴まれ、体は宙に浮き、強引に部屋の中へと引き戻された。背中
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第207話

床に散らばった書類が、すべてを物語っていた。抑えきれない激情に駆られ、圭介は小夜の首筋に食らいつくように噛みついた。しばらくして顔を離すと、そこには痛々しいほど鮮やかな赤い痕が残っていた。圭介は小夜を抱き上げると、ベッドの上へと放り投げた。ようやく呼吸ができるようになり、小夜はまだ状況を飲み込めないまま激しく咳き込むと、貪るように空気を吸い込んだ。圭介の細く長い指が、小夜の頬にかかる乱れた髪をそっと払い、もう一方の手はゆっくりとシャツのボタンを外していく。激しく呼吸を繰り返す小夜の耳元に、圭介は顔を寄せた。その声は嗄れているが、この上なく優しい。「もう一人、子供を作ろうか」この数日、小夜の気持ちを気遣って、ずっと我慢していたのが間違いだったのだ。その一言は重い鉄槌のように打ち下ろされ、小夜は一瞬で我に返った。ようやく楽になった呼吸も忘れ、もがきながら逃げようとする。しかし、女の力では、すでに理性を失いかけた男に到底敵うはずもなかった。小夜の服は、まるで紙のようにたやすく引き裂かれた。露わになった白く柔らかな肌に、男の熱い体が押し付けられる。圭介を突き放すことができず、パニックに陥った小夜の手が辺りを彷徨う。指先が何かに触れ、考える間もなくそれを掴むと、小夜は理性を失いかけている圭介の頭へと振り下ろした。ガシャン!ガラスの砕ける音が、すべての音をかき消し、動きを止めた。鮮血が、小夜の蒼白な頬に滴り落ちる。目尻にかかり、そのまま頬を伝って流れ落ちていく様は、異様なほど凄惨だった。小夜は、自分と同じように呆然としている圭介を、ただじっと見つめた。圭介の頭から、血が一滴、また一滴と小夜の頬に落ちる。まるで血の涙のようだ。圭介は自分の頭に触れ、その指についた鮮烈な赤を見た。圭介は、不意に笑った。低く笑うと、圭介は頭を下げ、小夜の血の気のない唇に強く噛みついた。額から流れる血が唇を濡らし、口づけと共に滲んでいく。口内に広がる鉄錆の味は、言葉にできない狂気を帯びていた。小夜は、抑えきれずに震えた。しばらくして、圭介は顔を上げ、小夜をじっと見つめる。血に染まった唇が、弧を描いて吊り上がった。「小夜、これでお前は、一生俺を忘れられない」言い終えると同時に、圭介は重く小夜の上に倒れ込んだ。止
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第208話

ひとしきりの混乱が去り、寝室には静寂が戻っていた。小夜は服が乱れたままベッドに縮こまり、虚ろな目で宙を見つめていたが、やがてふと我に返った。小夜はゆっくりと体を起こし、ベッドから降りて数回深呼吸をすると、努めて冷静さを取り戻し、浴室に入って内側から鍵をかけた。鏡の中の小夜は、顔も体も血にまみれ、目は真っ赤に充血していた。彼女は蛇口をひねり、血に染まった手を水流に晒して、何度も力を込めて洗うが、血は一向に落ちない気がした。視線が浴室を彷徨う。小夜はシャワーの下に立つと、温度も確かめずに蛇口をひねり、頭から湯水を浴びながら、顔と体の血を必死に擦り落とした。体は抑えきれずに震え、頭の中では様々な思考が錯綜する。自分が圭介を殴った?気絶させた?あんなに血が流れて……人を、殺した?刑務所に行くことになるの?心に渦巻く憶測と恐怖は抑えようもなく、冷たい水が何度も体を洗い流していく。顔の血はとっくに落ちているはずなのに、鏡の中の自分を見ると、全身が血まみれのような気がしてならなかった。どうしても、洗い流せない。洗い流せないのだ。……その頃。圭介を乗せた車が病院に到着し、圭介はストレッチャーで救急救命室へと運ばれていった。雅臣は連絡を受けると、佳乃には何も告げず、急いで病院へ駆けつけ、まずは樹を本家へと避難させた。病院では、ひとまず彰が付き添うことになった。若葉も知らせを聞き、急いで両親と共に病院へ向かった。圭介の友人たちも、続々と駆けつけた。周囲が騒然とする中、長谷川邸に招かれざる客の一団が現れた。数台の黒塗りの車が邸宅の前に停まり、ベルト付きの白いロングジャケットを纏い、銀縁の眼鏡をかけた、物腰の柔らかな端正な顔立ちの男が車から降り立った。ボディーガードたちが道を開ける。男は一歩、また一歩と階段を上がっていく。先頭を進む部下が、二階で見張りをしていた人たちと揉み合いになる。男は銀縁の眼鏡を軽く押し上げ、穏やかな笑みを浮かべて階段に佇んでいた。千代が止めようと駆け上がろうとしたが、階下に残っていた男の部下に阻まれた。男が連れてきたボディーガードの数は多く、数十人が一斉に雪崩れ込み、あっという間に数人の彰の部下を制圧すると、寝室の鍵を破壊して道を開けた。男はそこでようやく足を進め
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第209話

ドアの内側で、小夜の目から涙が溢れ出した。小夜は必死に口を覆い、声が漏れないようにする。このままでは、息が詰まって死んでしまいそうだった。ドアが僅かに開いた。青山は半歩下がり、ジャケットを差し入れた。小夜はそれを受け取ろうとしたが、純白のジャケットを見ると、咄嗟に手を引っ込めた。「汚れてしまう」小夜の体は、血まみれなのだ。ジャケットは、あんなにも白いのに。「分かっている。大丈夫だ」青山はジャケットをさらに中へと差し入れながらも、その視線は終始、中を覗こうとはしなかった。小夜は少し躊躇った後、それを受け取った。慎重にジャケットを羽織り、全身の惨状を覆い隠してから、ようやく深呼吸をしてドアを開け、外に立つ青山と正面から向き合った。二人は、しばらく言葉を交わさなかった。かつての別れがあまりに惨めで耐え難いものだっただけに、この再会はあまりに非現実的に思えた。視線が合ったのは一瞬で、小夜は無意識に目を逸らした。目の前の青山が不意に一歩前に出ると、小夜は本能的に後ずさったが、青山が自分の目の前で屈み込んだのを見て、驚きに目を見張った。「ベルトが、ちゃんと結べていない」そう言うと、青山は小夜が慌てて結んだベルトをそっと解き、丁寧に結び直した。それを終えると、青山は立ち上がって一歩下がり、腕を差し伸べて微笑みながら小夜を見つめた。その瞳には、昔と変わらない優しさと穏やかさが宿っている。まるで、一度も小夜と別れたことなどなかったかのように。「行こう」小夜は一瞬躊躇った後、その腕にそっと手を重ねた。二人は寝室を出て、人垣を抜け、階下へと向かった。すると、正面から千代が駆け寄ってきた。「奥様、行ってはいけません!」千代が小夜を掴むより先に、青山のボディーガードがその体を押さえつけた。千代は、小夜が他の男と去っていくのを、ただ見ていることしかできなかった。二人が去ると、千代は急いで彰に電話をかけた。これはもう、自分がどうこうできる問題ではない。……彰は救急救命室の前を落ち着きなく歩き回っていた。電話を受け、また呆然とした。さすがに修羅場を潜り抜けてきただけあって、取り乱すことはなかった。電話を切ると、すぐに小夜を乗せた車を追跡するよう手配した。少し考え、空港の責任者にも電話を入
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第210話

圭介の幼馴染たちが口々に小夜を罵るのを聞きながら、若葉の目は涙で潤んでいたが、心の中は晴れやかだった。若葉は涙を拭うと、顔を洗うふりをして階段の踊り場へと姿を消した。周囲に誰もいないことを確認すると、若葉の表情は一瞬で冷徹なものに変わり、無造作に涙を拭って、素早く電話をかけた。電話が繋がると、若葉は簡潔に告げた。「頼みたいことがあるの。七年前、帝都大学で、長谷川圭介と高宮小夜、そして小林青山の間に一体何があったのか。どんなトラブルがあったのか、できる限り詳しく調べてちょうだい」七年前の出来事を、若葉はこれまであまり気にしていなかった。当時は、圭介が小夜と電撃結婚したのは、自分が一緒に帰国しなかったことへの当てつけだと思っていた。しかし、今となってはそれだけではないようだ。圭介は、七年前の出来事を、明らかにひどく気に病んでいる。それが、若葉の心を酷く不安にさせた。自分が海外に留学していた七年前、あの三人の間に一体何があったのか、絶対に突き止めなければならない。圭介が小夜にどんな感情を抱いていようと、真相さえ掴めば、圭介の心からあの女の存在を少しずつ、根こそぎ消し去ってやる。家柄も、身分も、才能も、昔も今も、圭介に最も相応しいのは自分だ。男に頼ることしか能のない小夜など、何様のつもりか。そして、あの小林。何としても、彼をこちら側に取り込む方法を考えなければ。理由が何であれ、あの男のことをもっと知る必要がある。「あの小林青山についても、生まれてから今までの、関連する資料をすべて集めてちょうだい」小夜のような女に靡く男など、自分が手に入れられないはずがない。それに、もとより、自分が手に入れられない男などいないのだ。……夜が、次第に更けていく。黒塗りの車列が竹林の広がる閑静な住宅街へと入り、提灯の灯りに導かれるように、一軒の邸宅の前で停まった。小夜が車を降りると、夜風が髪を撫でた。目の前に広がる見慣れた景色に、思わず心が揺らぐ。ここに来るのは、どれくらいぶりだろうか。それほど時間は経っていないはずなのに、まるで遠い昔のことのように感じられた。しばらく呆然としていたが、自身の邸宅「徒花」へ向かおうと足を踏み出した瞬間、そっと腕を引かれた。怪訝に思って振り返ると、青山が真剣な眼差しを向
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