LOGIN玉の輿に乗ったはずが、待っていたのは地獄だった。 結婚して七年。夫の圭介は傲慢で冷酷な態度を崩さず、小夜をまるで存在しないかのように扱った。 憧れの王子様だった圭介を手に入れた小夜は、いつかこの苦しみが報われる日が来ると、ただひたすらに信じていた。 しかし雪の舞う夜、自分だけが覚えている結婚記念日に、ついに悟る。この家族の中で、自分だけが永遠によそ者なのだと。 愛する夫は、初恋の相手との未来を奪った彼女を憎悪し、実の息子でさえ「ママは若葉さんみたいにはなれないね」と無邪気に言い放つ。 夫と息子がそろって自分を裏切り、別の女と「本当の家族」のように笑い合う。その滑稽なまでに惨めな光景に、小夜は乾いた笑みを浮かべるしか無かった。 心は灰になり、彼女は静かに離婚を決意した。 彼女はすべてを捨て、華麗な転身を遂げた。 国際的に名高い和風ファッションデザイナー、天才画家として……彼女の作品は、セレブでさえ入手困難な幻の逸品となった。 だが皮肉なことに、彼女が完全に諦めたその時、彼らは手放そうとしなかった。 息子は、泣き叫びながら彼女に手を伸ばす。 「ママは僕のママでしょ!他の子を抱っこするなんて許さない!」 そして、あれほど彼女を蔑ろにしてきた夫は、執着の鬼と化し、離婚を拒否する。 「お前が先に俺を選んだんだろう。最後まで責任を取れ。離婚?絶対にさせん」
View More若葉は書斎にいて、圭介と長く話し込んだ。話は、昼まで続いた。食事には引き留めず、数日後に彼女の実家へ同行することを約束すると、圭介は自ら若葉を階下まで送り、その姿を見送った。寝室へ戻ると、千代が小夜に食事を食べさせているところだった。圭介も傍らに腰を下ろし、自分も食事を摂りながら、その様子を静かに見ていたが、次第にその眼差しが変わっていく。小夜の食べ方は上品だった。薄い唇を小さく開け、ゆっくりと咀嚼し、飲み込む。その所作は落ち着いていて、見ていて飽きないものだった。しばらくそうして食べた後、圭介が不意に口を開いた。「もういい、下がってくれ」千代は戸惑いながらも、箸を置いて部屋を出て行った。小夜は、いぶかしげに彼を見つめる。また、何なの?圭介は小夜の前に座ると、箸を取って小さく切った牛肉を挟み、その口元へ運んだ。涼やかな切れ長の目が、笑みを湛えている。小夜は顔を背けた。「もう、お腹いっぱいよ」「二、三口しか食べていないだろう。加藤さんの作ったものが、口に合わなかったか?」圭介は軽く笑った。「なら、作り直させよう」「いい加減にして!」小夜が目の前の男を睨みつけるが、圭介はただ笑って、箸をさらに近づけた。「自分で食べられる」小夜が箸を取ろうとすると、その手首を掴まれた。「まだ傷が治っていない。無茶をするな」結局、彼女は圭介に一口ずつ食べさせられる羽目になった。その手つきは丁寧で優しく、珍しく甲斐甲斐しく世話を焼いているようだった。ただ、その眼差しがどこかおかしい。見つめられるうちに、小夜は背筋が寒くなるのを感じた。そこそこに食べたところで、彼女は満腹だと偽って食事を終え、唇を拭うと、バルコニーの方へ向かおうと立ち上がった。今の小夜の活動範囲は、この主寝室の中だけだ。しかし、立ち上がった途端、腕を強く引かれ、驚く間もなく圭介の厚い胸板へと倒れ込む。唇は力ずくで奪われ、水音が漏れ、重い喘ぎ声が耳元で渦巻いた。大きく熱い手がセーターの下に滑り込み、肌を愛撫して身体に火をつけた。小夜は、触れられた場所が熱く痺れて力が抜けていくのを感じ、しばらくはなすがままにキスをされていたが、やがてはっと我に返った。この男、また発情してる!キスで頭がぼうっとする中、必死に頭をのけぞ
「小夜?小夜?」耳元で不意に響いた声が、彼女を現実に引き戻した。「うん、聞いてる」小夜は胸に渦巻く思いを無理やり抑え込み、芽衣と協力についての話をいくつか交わした後、ようやく小声で尋ねた。「私の方で、何かできることはある?」「自分の身を守ることだけ考えてて!」芽衣はそう請け負った。「私は、できるだけ早く動くから!」電話が切れ、小夜はしばらく呆然としていた。『雲山』、その名前…………数年前、大学の研究室。小夜はパソコンの前に座り、画面に映し出された、自分に何の隠し立てもなく開示された膨大な量のソースコードを、感嘆の眼差しで見つめていた。「すごい!青山、あなた、本当に天才よ!このモデルが完成したら、絶対にAI業界で有名になるわ!この分野の第一人者になれる!」小夜の隣に立つ小林青山(こばやし あおやま)は、背筋がすっと伸びていた。その言葉を聞き、彼は快活で朝日のような笑みを浮かべ、口を開いた。その声は、優しくも力強かった。「じゃあ、ささよ君はずっと、この道のりを見届けて、そばで励まし続けてくれた。だから、このモデルが完成したら、名前をつけたいんだ」青山は少し照れくさそうに、けれど真っ直ぐに小夜を見て言った。「僕の名前は『青山』だろ?だから……『雲山』というのはどうだ」「えっ、雲山……?」「ああ。高くそびえる山には、いつだって雲が寄り添っているものだ……まるで、ずっと僕を支えてくれた君みたいに。二人で、誰にも到達できない高みを目指すんだ」その時の小夜は、驚きと、胸の奥が熱くなるような恥じらいを感じながらも、勇気を出して頷いた。「うん、いいわ」その後、すべてがあまりに早く変わりすぎた。少年の心に芽生え、小夜の心にも静かに降り積もっていた密かな想いは、育つ暇もなく大波に打ち砕かれ、粉々になった。それきり、長い年月が二人を隔てた。もし、本当に彼だとしたら……小夜は、どんな顔をして彼に会えばいいのか分からず、心に臆する気持ちが芽生えるのを感じた。ソファの上で、小夜は両腕で膝を抱え、そこに顔を埋めたまま、久しく動かなかった。少しでも動けば、きりきりと痛む心が引き裂かれそうで、言葉にできない感情に苛まれる。……書斎。若葉がドアを開けて中へ入ると、何気なく部
小夜は、若葉がここへ来て、書斎に入ったことなど知らなかった。知ったところで、気にも留めないだろう。圭介が去ると、彼女はすぐに芽衣に電話をかけた。「小夜」電話の向こうの芽衣の声は少し眠たげで、どうやら今さっき目を覚ましたようだった。「どうだった?天野に何かされなかった?」小夜は気が気ではなかった。芽衣にあんな危険人物と関わらせたのはやむを得ないことだったとはいえ、ずっと心配でたまらなかったのだ。「別に、何かされたわけじゃないけど」かなりの衝撃を受けたものの、芽衣は銃口を向けられたことには触れず、顔を洗ってようやく少し落ち着きを取り戻していた。「小夜、私、天野と手を組もうと思うんだけど、どう思う?」「天野と、手を組む?」小夜は心底驚き、思わず声が大きくなる。「正気なの?天野家は今、トラブルだらけで、すごく危険よ。あなたが巻き込まれたら……」「でも、これが唯一で、一番手っ取り早い方法なの」芽衣は彼女の言葉を遮った。「それに、小夜も言ってたじゃない?あの日、私が彼を助けた瞬間から、もう無関係じゃいられないって。私たちはとっくに巻き込まれてるのよ。今は出国もできないし、彼と協力するのが一番安全だわ。敵は一人でも少ない方がいい」小夜は言葉に詰まった。芽衣の言うことはもっともだ。彼女にも、それは分かっていた。でも……やるせない悲しみが胸に込み上げ、彼女はソファの上で膝を抱えて座り込んだ。顎を膝頭に乗せると、艶やかな黒髪が滑り落ちて横顔の半分を覆い、覗く片方の目には、涙が滲んでいた。掠れた声で、小夜は尋ねた。「私のためなの?」電話の向こうが少し沈黙し、やがて、芽衣の力強い声が響いた。「私のためでもある。瀬戸家のためでもあるのよ!」……「どんな風に、協力するの?」小夜はもう止めることはせず、自分も共犯者であるかのように、具体的な計画を尋ねた。芽衣は、昨夜の話し合いの内容と、現在の状況を説明し始めた。宗介は、しばらく身を潜める。彼女は宗介の代理として、外部の関係者と連絡を取り、彼が表立って処理できない厄介な金銭トラブルを片付ける。宗介の地盤を固め、障害を取り除く手助けをするのだ。外の騒ぎが落ち着き、彼が表舞台に出られるようになるまで。「彼が表に出てきたら、海外から
小夜は株も、長谷川家からの慰謝料も、何もかもいらないと言ったのに。どうして、まだ解放してくれないの!……寝室は、死んだように静まり返っていた。圭介は小夜の手を掴む。伏せられた涼やかな切れ長の目は、乱れた前髪に隠れてその感情を窺い知ることはできないが、その口調はあくまでも平坦だった。「あのロボットは、俺が手ずから作ったものだ」小夜は、怒りのあまり乾いた笑いを漏らした。「だから、何だと言うの?毎日、私に屈辱を思い出させるだけの、あんなガラクタを欲しがるわけがないでしょう」毎日「愛していない」と繰り返すだけの、屈辱のロボット。過去七年間の自分が、どれほど愚かだったかを思い知らされるだけ。それこそが、圭介の本心。決して自分を愛さないという、揺るぎない意志だ!愛されているかどうかなんて、もう、とっくにどうでもよくなっていた。「圭介」小夜は、努めて平坦な声で口を開いた。「こんなふうに引き延ばして、何か意味があるの?分かっているでしょう、私を一生閉じ込めておくことなんてできない。私は、絶対に離婚するわ」誰も、その決意を覆すことはできなかった。もう、うんざりだった!圭介が顔を上げる。その涼やかな切れ長の目は、底知れぬほど昏い。「外に出してやってもいい。だが、国外へは行かないと、約束できるか?」小夜は黙り込んだ。できるはずがない。隙さえあれば、必ず国外へ逃げるつもりだ。しかし、今の状況を考え、何とか言い繕おうと口を開きかけた、その時。目の前に影が落ち、唇が塞がれた。軽いキスを残して、圭介はすぐに身を引く。その切れ長の瞳は、昏く翳っていた。「俺を、騙すな」小夜は無力感に襲われ、この男とこれ以上話す気力も失せてしまった。ソファに身を預け、疲れたように視線を逸らす。圭介がさらに何か行動を起こそうとした時、不意にドアがノックされた。「旦那様」彰が、外から声をかけた。圭介はソファに身を沈め、顔を背ける小夜をじっと見つめると、踵を返して部屋を出て行った。……部屋に鍵をかけると、圭介は廊下を数歩進み、主寝室から離れた場所でようやく彰に向き直った。「相沢様がお見えです」「書斎へ通せ」圭介は表情を変えず、書斎の方へと歩き出す。彰が階下へ若葉を迎えに行こうとした時、不意に呼
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