雨音はもう止んでいた。窓ガラスの向こうに映る街灯の灯りが、湿気を含んだ空気の中でぼんやりと滲んでいる。輪郭を失った光は、夜の終わりを曖昧に溶かしていった。小阪はもう何も言わなかった。彼の目線は机の上に落ちたまま、再び伏せられたまま動かない。まるで自分が放った言葉さえも忘れてしまったかのように、ただそこに座り続けている。河内は椅子を静かに引き、ゆっくりと立ち上がった。かすかな音に、小阪の肩がほんのわずか揺れたが、それ以上の反応はなかった。河内はその様子を見なかったことにした。正面を向いて、視線を落として、そのままドアに向かう。ドアノブを握りしめると、冷たい金属の感触が指に伝わった。身体の奥のほうから、何かを押し返そうとするような強い力が湧きあがるのを感じて、河内は一瞬、背中越しに振り返りそうになった。何かひとこと、謝るべきなのかもしれない。けれど、謝る言葉さえも見つからず、呼吸が詰まったままの胸の内で感情が滞るだけだった。指先がドアノブを離しかけたが、その手を止めた。背中に視線が突き刺さっているような気がしていたが、実際には、小阪は視線を送ってはいないのだろう。ただ静かに座っているだけなのだと、河内はよくわかっていた。もう振り返らない…と、心のなかで呟いた。背を向けたまま、ゆっくりとドアを開け、廊下に出る。作業ルームを後にするそのわずかな間でさえ、空気が重く、歩みが鈍かった。その後ろ姿を見送った後、小阪はまだ目を伏せたままだった。部屋のなかに残った彼は、しばらくの間、動くこともなかった。机の上には、河内が置いた缶コーヒーが静かに佇んでいた。アルミの表面には、微かな結露が浮かんでいる。視界の端に映ったそれに、小阪の手がゆっくりと伸びる。指先が缶の冷たさに触れた瞬間、小阪の眉間がわずかに寄った。まるで何かを拒むように、あるいは掴みかけたものを手放すように。けれど、缶は開けられることなく、そのまま静かに机の上に置かれ続けた。ふたりが共有したはずの空間には、もはや何の繋がりも残っていなかった。ただ、互いの存在を認識していたという事実だけが、虚しく横たわっている。気がつけば、その距離は埋めようもなく広がってしまったの
Last Updated : 2025-07-17 Read more