All Chapters of 愛された代償は傷跡だけ: Chapter 11 - Chapter 20

北都は頬を打たれ、顔が横に向いたまま、しかし目は揺らがずに言った。「紅那は、どんなものよりも大切な存在だ」長浜母は胸を押さえながら心臓発作のような仕草をして叫んだ。「あんた、私を殺す気なの！？」長浜歩果（ながはま ほのか）は慌てて母親を支えながら、真剣な口調で言った。「北都、H国は広い。もし紅那が本気であんたから逃げようとしてるなら、見つけるのは一日や二日では無理だ。会社を立て直してから探しに行っても遅くはない」「父さんが築き上げた会社が他人に食い荒らされるのを黙って見てる気？母さんが心臓発作で倒れても構わないの？」北都は、飛び立つ飛行機をただ黙って見送るしかなかった。会社に戻ったあと、北都はネット上の炎上騒動を止めるどころか、あえて放置し、さらに拡大させた。これまで「愛妻家」としてのイメージで売っていた彼の評判は、完全に崩れ去った。怒ったネットユーザーたちは会社前に葬儀用の花輪を並べ、スプレーで壁を汚し、女子たちは自発的に抗議グループを作り、「北都＝クズ男」と罵声を浴びせた。株価は暴落寸前まで落ち込み、多くの株主たちが損を恐れて、次々と株を安値で売却。その結果、北都は紅那が売却した株を買い戻し、さらには市場に流れた株も大量に買い集め、再び筆頭株主となった。その後、彼は金を使って2人の人気アイドルのスキャンダルを作り、ネットにばら撒いた。世間の関心はそちらに向かい、彼の不倫騒動は徐々に風化されていった。さらに、会社が新商品を大幅な割引価格で発売したことで業績も回復し、企業は再び息を吹き返した。すべての後処理を終えた北都は、すぐさまH国へ飛び、紅那の行方を追った。H国で1ヶ月滞在したが、まったく手がかりは得られなかった。その後はW国とH国を何度も往復し、まるでコマのように働き続けた。休むことが怖かった。少しでも手が空けば、彼の頭の中は紅那のことでいっぱいになるからだ。過去の自分を憎み、できることならその時の自分を殺してしまいたかった。だが、時を戻すことはできない。後悔したところで、どうにもならない。今の彼にできるのは、ただ探し続けることだけ。いつかきっと、紅那を見つけ出す。その想いだけが、彼の心を支えていた。......一年後。病院で、紅那の顔に巻かれて

北都は酒瓶を手に取り、そのまま仰向けにグイッと飲み干した。今の彼は、アルコールで自分を麻痺させる術を覚えていた。酔っているときだけ、彼は会いたい人の姿を見ることができた。再び目を開けると、自分が病院のベッドに横たわっていることに気づいた。だが、どうやってここに運ばれたのかまったく思い出せない。布団をめくってベッドから降りようとしたそのとき、足元がふらつき、転びそうになった。ちょうどその瞬間、扉を開けて入ってきた母親がそれを目にし、慌てて駆け寄って息子を支えた。「母さん......どうしてここに？それに、なんで俺が病院に......？」母は怒ったように言った。「家の掃除に来てたパートの人が、あんたが家で倒れてるのを見つけて、私に電話してきたのよ！」北都は母の手を振り払った。「もう大丈夫だ。仕事に戻らないと......H国に行って紅那を探さなきゃ......」母は一束の検査報告書を彼の目の前に叩きつけ、苦しげに言った。「北都......！いったいどこまで自分の身体を酷使すれば気が済むの？」「お酒でアルコール中毒になって、もう少しで死ぬところだったのよ？本当に分かってる！？」北都は無表情で言った。「でも死んでない。医者ってのは大げさに言うのが好きなんだよ、母さんも知ってるだろ」母は泣きながら息子を抱きしめた。「北都、お願いだから......少しは自分の身体を大切にして。お父さんだって、胃がんで亡くなったのよ」「息子を見送るなんて、そんなことはもう......！」母の涙を見て、北都の胸にも痛みが走った。彼は喉を詰まらせながら言った。「でも......母さん......俺、本当に苦しいんだ......」「もう658日、紅那に会っていないんだよ。この658日は、まるで地獄のような日々だった」「もし仕事に打ち込んだり、酒に逃げたりしなかったら、俺......本当に潰れてた......」母は息子がここまで紅那を想っているとは夢にも思わなかった。あの時、自分の息子が浮気して紅那が家を出たと知った時、心の中ではむしろ喜んでいた。あんなに優秀な息子に、顔が崩れた女が嫁になるなんて、周りからどんな目で見られるか。紅那が出て行ってくれて、むしろ都合がよかったとさえ思っていた。し

北都が過去のことを何度も口にするので、紅那もはっきりと自分の気持ちを伝えることにした。「美しいものを好むのは誰でもそう。男の人が綺麗な女性に惹かれるのも理解できるわ」「でも、もし私が醜くて嫌なら、ちゃんと言ってくれればよかった。離婚だってできたし、整形して顔を直すこともできた」「でも、あなたが選んだのは、私を一番傷つけるやり方だった。私に対して愛情があるふりをしながら、裏では浮気してた。そんなやり方、心の底から気持ち悪いわ」「それで今さら『愛してる』だの『チャンスをくれ』だのって、よくそんなことが言えるわね」北都の目から、ぽろりと涙がこぼれた。「紅那、あのとき君は重傷で、手術室で一昼夜も生死を彷徨っていた。俺はその間ずっと手術室の前で神にも仏にもすがって、どうか君を連れて行かないでくれって祈り続けた」「やっと命の危機を脱したとき、君の顔はひどく損傷していた。俺も皮膚移植を勧めようと思ってた」「でも、医者が感染のリスクが高いって言って......俺は怖くなった。君がまた手術中に何かあったらって、あの絶望をもう一度味わうのが怖くて......」「葉月が俺を誘惑してきたのは、そのあとだった。酔ってたし、君はもう寝てた。だから俺は客間に行った。そしたら、彼女が勝手に入ってきたんだ......」紅那は冷ややかに鼻で笑った。「それで当然のように浮気したって言いたいの？」北都の目は後悔で満ちていた。「どれだけ言い訳しても浮気の事実は消えない。だけど、今の俺の願いは、もう一度だけ君のそばにいられる機会をもらうことだけなんだ」「俺の持ってる株も、財産も、全部君に渡す。もしまた君を裏切るようなことをしたら、一文無しで出ていくって誓う」H国にいたこの一年、紅那も北都の動向を少なからず知っていた。あの浮気騒動で彼の会社は一時的に大きな打撃を受けたが、彼はすぐに株を買い戻し、会社を立て直した。さらにインターネット業界への先見的な投資も功を奏し、今や彼の資産は千億円を超えている。千億と引き換えに「再び彼の隣に立つ機会」を手に入れる、それは確かに魅力的な提案だった。だが、紅那にはそんな野心はなかった。今の彼女には、一生不自由なく生きていけるだけの財産がある。それ以上に、彼と関わらず静かに暮らすことの方が大事だった

彼女が部屋の中にいるとわかっているだけで、北都の心は、これまでのように不安や恋しさ、後悔などの感情にかき乱されることはなく、驚くほど安らかだった。北都がどう言っても聞かない様子を見て、紅那はもう何も言わず、彼をただの空気のように扱って無視した。そのまま階下へ降り、前夜に連絡を取っておいた施工チームに電話をかけ、つばめ山へ向かい、両親の墓の改葬に向かった。北都はそれを見て慌てて止めに入った。「紅那、何を......？」紅那は冷たい目で彼を見つめ、口元に冷笑を浮かべた。「お父さんお母さんのお墓を脅しに使ったのは、あなたでしょう？忘れたの？」「違うんだ......」北都の説明は途中で止まった。彼は紅那のことを心から愛していた。彼女を傷つけるようなことをするはずがなかった。この「墓を動かす」という手段で紅那をおびき出すように仕向けたのは、実は彼の母親だった。だが今さらそんな説明をしても意味がない。母親も、すべては彼のためを思っての行動だった。北都は声を低く、懇願するように言った。「確かに俺のやり方は間違ってた。でもあれは君を探すためだったんだ。まさか本気でご両親の墓を動かすなんてこと、俺がすると思うか？」紅那は冷たく言い放った。「それが本音でも嘘でも、私はもう信じないわ」両親の墓を北都の知らない場所へ移すことで、今後彼に脅されることがないようにしたかった。北都は傷ついた表情で彼女を見つめる。「紅那は......また俺から離れるのか？」紅那の表情は淡々としていた。「あなたはもう私の『元夫』よ。私がどこへ行こうが、報告する義務なんてない」この一言で、北都がようやく少しだけ落ち着いていた心は、再び崖っぷちに戻された。彼は心に決めた、これからは、紅那がどこへ行くにも、一歩たりとも離れまいと。もう二度と、彼女を見失いたくなかった。紅那は両親の遺骨を収めた骨壷を掘り出すと、その場にひざまずき、深く三度頭を下げた。「お父さん、お母さん、不孝な娘を許してください」その後、骨壷を大切に抱え、いったんホテルへ戻ることにした。北都をどうにか撒かないといけない。そう考えていた。だが、墓地を出た直後、黒い車が彼女のほうへ猛スピードで突っ込んできた。「紅那、危ないっ！」

「木田さん、今すぐ病院まで来ていただけますか？北都が目を覚ましました。あなたに会いたがっています」「わかりました」紅那は急いでタクシーに乗り、病院に戻った。到着した頃にはすでに深夜だった。長浜母は彼女を見るなり、険しい顔で言い放った。「もう何時だと思ってるの？本当に恩知らずな女。気取ってるつもり？」休む暇もなく駆けつけてきた紅那は、すでに限界に近く、怒りを押し殺す気も失せていた。「私、長浜家に借りを作った覚えはありません。もし態度を改めるつもりがないなら、私も、ここにいる必要もないと思います」長浜母は居丈高に言い返した。「なんですって？北都はあんたを助けようとしてこんな状態になったのよ！」紅那は彼女を横目で見て、冷たく言い返す。「じゃあ聞きますけど、私を車で轢こうとしたのは誰かご存知ですか？」長浜母は憤然とした口調で言った。「そんなの誰でもいいわよ！うちの子を傷つけたやつなんて、絶対に許さない！」「私を轢こうとしたのは、一年前に北都が浮気したあの家政婦です。つまり、今回の災いの原因は全部、北都が蒔いた種なんです」紅那はまっすぐ長浜母を見据えて、はっきりと言った。「長浜さん、さっきの言葉は一度だけ言います。次があったら、すぐにここを去りますから」そう言い残し、彼女は病室のドアを開けて中へと入っていった。長浜母は怒りに顔を歪めながらも、ついには何も言えなかった。豊城の長浜家は名門中の名門、常に周囲に持ち上げられる立場の彼女にとって、こんな風に自分を脅す人間は紅那が初めてだった。それでも文句ひとつ言えないのは、息子が彼女を命懸けで愛しているから。その事実に尽きる。病室の中では、北都の胸と腹にぐるぐると包帯が巻かれ、顔には酸素マスクがついており、全身動かせない状態だった。だが、紅那の姿を見た瞬間、彼の目には一筋の光が宿った。「紅那......来てくれたんだ......」紅那は彼のベッド脇の看護椅子に腰を下ろした。「私を呼んだ理由は？」その冷淡な口調に、北都の瞳からさっきの光がまた薄れていった。「......手術室の中で、本当に死ぬんじゃないかと怖かった」「まだ君に許してもらえてないし、君とずっと一緒に生きるという夢も叶っていない。やり残したことがたくさんあるの