朝が来たことを、薄いカーテン越しの光で知った。春のやわらかな日差しが部屋の隅々にまで広がり、白い壁や床を静かに染めていく。都内の小さなマンション。二人が住み始めたばかりのその空間には、まだ引越しの段ボールがいくつも積まれている。けれど、埃っぽさも段ボールの段差も、今はどこか新鮮な居場所の一部に思えた。ベッドから起き上がった塩屋は、寝癖のついた髪を手ぐしで整えながら、ぼんやりとリビングに歩いてくる。Tシャツの裾を引き下ろし、須磨の姿を探す。キッチンのほうからコーヒーの香りが漂ってくる。須磨が静かにドリップを落とし、カップを並べている。いつもの朝だ。だけど、「二人きり」というただそれだけのことが、どれほどの喪失のうえにあるか、二人ともよく知っていた。「おはよう」と塩屋が低く声をかける。須磨は肩越しに振り返り、少しだけ笑う。「よく眠れた?」と問いかけながら、マグカップを二つ用意する。その顔には、もう言い訳や迷いの影がない。シンプルな穏やかさが、薄い髭の下に微かに滲んでいた。塩屋はソファに座り、テーブルに置かれたマグカップを両手で包み込む。指の先がほんのりと温かくなる感触。須磨も隣に腰を下ろし、窓の外を見た。白木のカーテンのすき間から、春の陽射しがふたりに射し込む。影と影が自然と重なり、そこだけがほんのりと色濃い。しばらく無言でコーヒーを飲む。時折、湯気の向こうで塩屋の瞳が揺れている。長い年月を失ったわけじゃないのに、昨日までの人生が何年も昔のことのように遠く感じる。「……何もなくなったね」と塩屋がぽつりと呟く。さみしさとも、ほっとしたような感情ともつかない声だった。生活感のない空間。仕事も、交友も、しばらくリセットした。家族だった人たちも、それぞれ新しい場所で生きている。「ここには僕と、須磨さんしかいない」須磨は、言葉の端に宿る痛みと安堵の両方をゆっくり受け取るように、静かに塩屋の肩を抱いた。自分の腕が塩屋の背中に回ると、彼は少しだけ身体をすくめて、すぐにふっと力を抜く。重なった体温が確かに存在を教えてくれる。須磨は耳元でささやく。「でも、やっと本当に一緒にいられる」と。塩屋は返事をしない。ただ、マグカップを握る手がわずかに震え
Terakhir Diperbarui : 2025-07-20 Baca selengkapnya