All Chapters of 私のおさげをほどかないで!: Chapter 81 - Chapter 90

92 Chapters

20.お引っ越し①

1月も終わりに差し掛かった頃。 コンビニからアパートまでの通り道にある古い一軒家の前に、引っ越しトラックがとまっていた。 道に面した間口が狭い割に奥行きの広いその土地は、門扉から見ると、建物がかなり奥まった所に建っているように見える。 いつから空き家だったのかは分からないけれど、少なくとも私がここからそんなに遠くないアパートに住み始めてからはずっと住む人に恵まれない家だったはずだ。 そこに、誰かが移り住んでいらしたんだな、とぼんやり思って、こんな古い家を直すのは大変だろうなぁとついでのように思う。 そういえばこの家、売り家と貸し家の両方の札が立っていた。新しい住人は、ここを買ったのかしら。それとも……。 庭には草が我が物顔で伸びて立ち枯れていて、庭木も剪定されないままに伸び放題。 きっと建物の手入れと同時進行で、こっちも何とかしないといけないに違いない。 草とか木とかあまり伸びるに任せていたら、家の中が暗くなって何だか怖そうだし。 悪い癖で、自分には関わりのないことなのにふとそんなことを思ってしまう。 通りすがり様、見るとはなしに家全体の外観を眺めていたら、その敷地から寒風が吹き抜けて来て、私は寒さに上着の前をギュッと合わせた。 大学やコンビニからの行き帰り、この空き家の辺りだけちょうど民家も途切れ途切れで薄暗さが怖かったけれど、誰かが移り住んできてくれたなら明るくなっていいかもしれない。 ふと見上げた空はまるで太陽を覆い隠すかのような波々の波状雲。 雲は陽光を受けているのか、うすらぼんやり光って見えるけれど、地上はお日様の恩恵を受けられなくて寒い。 「早く暖かくならないかなぁ」 思わずつぶやいたら余計に寒さがいや増した気がして、私は頭をフルフルと振って気持ちを切り替える。 私の誕生日の4月頃になれば、まだ寒さは残ってはいるものの、今よりは大分日差しが|温《ぬる》んできているはずだ。 4月には私も2年生に進級して……ついでに待ちに待った|二十歳《はたち》になる。 成人したら私、|奏芽《かなめ》さんと一緒にお酒を|嗜《たしな》むこともできるようになるんだよね? それから――。 ふとその先を考えて、私は恥ずかしさに真っ赤になった。 は、|二十歳《はたち》になったら……私……|奏芽《かな
last updateLast Updated : 2025-09-11
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20.お引っ越し②

「あれからどうなの?」 最近、|四季《しき》ちゃんは他のお友達と離れて私のそばにいてくれることが多くなっている。 それを申し訳ないと思ってしまう反面、常に誰かと一緒にいられるという心地よさに、私は甘えてしまっていて、「実は……嘘みたいに何も感じないの」 ――もしかしたら私の気のせいだったのかも知れない。 そう付け加えたら、「そういう油断、よくないよ?」って眉根を寄せられてしまった。「あ、でも今でもちゃんとバイトの時なんかは送り迎えしてもらってて」 |奏芽《かなめ》さんが仕事で無理な時には|霧島《きりしま》さんご家族が来てくださるというのも、結構常態化している。 とある私立小学校で|教鞭《きょうべん》を取っておられるというお2人に、私は自分も将来小学校の先生になりたいんです、と話せるまでになっていた。 のぶちゃんにも以前同じ様に夢を語って色々相談に乗ってもらったけれど、会う頻度が圧倒的に高いからかな。 気が付けば私、霧島さんご夫妻から学校の先生になるためのコツや、実際の現場の様子なんかをたくさん教わっていた。 でも、お2人のお話を伺えば伺うほど。また、|奏芽《かなめ》さんと一緒に過ごせば過ごすほど――私の中にもうひとつ違った思いが込み上げるようになってきたのも事実で。「ねぇ|四季《しき》ちゃん。た、例えば……なんだけどね。大学の勉強をしながら通信講座を受けるのとかって……どう思う?」 何の気なしにそう言ったら、四季ちゃんに目をまん丸にされてしまった。「|凜子《りんこ》ちゃん! 今でも大学の勉強無茶苦茶頑張ってるよね? バイトも毎日のようにしてるし……この上さらに通信講座までって……寝る時間あるの!?」 確かにそれは四季ちゃんの言う通りで。 私、元々そんなに要領がいいわけじゃない。 成績がそこそこの位置をキープしているのだって、努力をした結果だからに他ならないわけで、恐らくやらなくなったらそれなりの成果しか出せないの。 何もしなくても何でも卒なくこなせてしまう、いわゆる天才気質の
last updateLast Updated : 2025-09-11
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20.お引っ越し③

「その……資格、沢山持ってた方が将来有利かなって思っただけ、なの」 それでどこか歯切れの悪い感じでしどろもどろに言ったら、四季ちゃんはそれ以上突っ込んで聞かないでいてくれた。 基本的にガンガン言いたいことを言うように見える四季ちゃんだけど、相手の感情の機微は繊細にキャッチしてくれるところがある。 こちらが言いにくいことは、話せるようになるまで待ってくれるのもそんな四季ちゃんならではの心遣いで。 そういうところも含めてやはり奏芽さんと似ている気がするの。「ごめんね」 思わず謝ったら「バカね。友達だからって何でもかんでも話さなくていいの。言いたくなったら話してくれるんで構わないからね?」とにっこり笑ってくれる。「でも――」 そこで私の手をギュッと握ると、「無理だけはしないで?」って真剣な顔を向けてくるの。 私は|四季《しき》ちゃんの言葉に思わず鼻の奥がツンとして、慌ててまばたきの回数を減らした。「四季ちゃん、いつもありがとう」 私は人付き合いが上手い方じゃない。ましてや同年代のお友達なんてほとんどできたことがないから、四季ちゃんと話していると目から鱗なことが沢山ある。 四季ちゃんみたいな人ばかりではないと分かっているから余計に、四季ちゃんがお友達になってくれて良かったと心の底から思った。*** 2月になり、例のお家も新しい住人が大分家の整備を済ませたみたい。 生い茂ったまま立ち枯れていた草も刈り取られ、庭木も綺麗に剪定されていた。 家の中にも業者さんが出入りしたりしていたので、パッと見――外観は変わらないけれど内装はかなりいじったのかもしれない。 ただ、どうも住人のかたとは生活時間帯がズレているのか、数週間が経過した今も、1度もお会いしたことがなくて、男性が越してきたのか女性が越してきたのかすら分からないままだった。 だからといって、同じアパートの住人というわけでもないし、うちのアパートから優に数百
last updateLast Updated : 2025-09-12
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20.お引っ越し④

 キョトンとしてそんな奏芽さんの横顔を見つめたら、「凜子がまだ1度も住人に出会わないってのを考えると……単身者の可能性が高い気もするな」とか。  住んでいる人間の人数が多ければ、それだけ遭遇率は上がるはずだから、って……やっぱり奏芽さんは頭がいいなって思ってしまった。 「奏芽さん、名探偵になれそうです!」  思ったままを言葉にしたら、フッと小さく笑われてしまった。 「俺、今の仕事気に入ってっからな。いくら凜子に勧められても転職は無理だぜ?」  って。 「す、勧めてなんかっ」  慌てて言ったら「分かってて揶揄ってんのに相変わらず真面目だな、凜子は」と、ますます笑われてしまった。 *** 「ところで凜子。誕生日、4月15日で合ってる?」  気持ちを切り替えるみたいに話を変えられたのは、ちょうど大学とアパートとの中間辺りにある信号に引っ掛かったとき。  私の今年の誕生日は土曜日で、奏芽さんの勤め先の小児科は、午前中のみの診療になっている日だ。  もちろん、私も土日は大学がお休みで。 「はい」  合ってます、と付け加えてから、何だか誕生日になったら二十歳だよな?って確認されている気分になって、そんなこと一言も言われていないのに顔が火照るのを感じてしまう。  あーん、私! 何考えてんのよ、恥ずかしい。 「ちょうどその日は俺も午後から休みだし――」  スマホでカレンダーをちらりと確認するなりそこまで言って、私の赤面に気付いたらしい奏芽さんがニヤリとする。 「凜子、なに考えてんの?」 「――っ!! なっ、何もっ」  慌てて頬を覆い隠すようにしてそう告げたけれど、勘のいい奏芽さんのことだもの。分かってて言ってるに違いないの。 「残念。考えてねぇんだ。俺は色々思い描いて楽しみで堪んねぇのに」  奏芽さんの言葉に、私はますます照れてしまう。  ――い、色々って何ですか?  聞いてみたいけれどそんなはしたないこと、こちらから問えるはずない。  そもそも……普通に誕生日を一緒に過ごせるのが楽しみだと思ってくださっている可能性もゼロではないわけで。  そう思い至って、変なことを言わなくて良かった!って心の底から安堵したの。 「…
last updateLast Updated : 2025-09-13
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21.ようこそ我が家へ①*

 夕刻や夜でなければ明るくて人目もあるから安全だというのは幻想らしい。  現に私は今、1日の始まりであるはずの朝――通学途中に――こんな危機的状況におちいっているのだから。 ***  きっかけは何でもない朝の挨拶だった。 「おはようございます」  小走りで例の一軒家の前を通過しようとしていた私は、その声にふと足を止めた。  後で思ったら、気づかないふりをして先を急ぐべきだったのだ。  でも、私は立ち止まって……あまつさえその声に振り返ってしまったの。  すると、思ったよりすぐ背後に若い男性が立っていた。 「っ……」  避ける間もなくスッと伸ばされた手に、手首を掴まれてしまった。  その瞬間、恐怖のあまり喉の奥でヒュッと声にならない悲鳴が漏れた。 「久しぶりだね、向井さん。せっかくだし、うちでお茶でもして行かない? 引っ越してきて1ヶ月近く掛かったけど……やっと色々いい感じに整ったんだ」  ニコッと微笑まれて、私は硬直してしまう。 「あ、あの……手、離し……」  かろうじて絞り出すようにその手を離して欲しいと訴えたら、まるで聞く気はないのだという風に、ギュッと力が込められる。  その握り方が思いのほか強くて、手首に鈍い痛みが走った。それに思わず眉根を寄せた私を、その人はどこか満足そうに見下ろしてくるの。  それが一層怖くて、必死に手を取り戻そうともがいたら「少しおとなしくしてくれる?」って小型のペンみたいなものを目の前にかざされる。  なに?って思うのと同時に、それが太ももに押し当てられて、バチッと言う音とともに足を無数の針で貫かれたみたいな激痛が走った。 「……っ!」  恐怖と痛みが混ざると、一瞬息が止まったようになって声も出せないのだと言うことを、私、思い知らされた。  痺れを伴った刺すような痛みは、押し当てられた右太ももだけじゃなくて、そこから足の付け根、そうして爪先に向かって広がっていく。
last updateLast Updated : 2025-09-14
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21.ようこそ我が家へ②*

 下ろして欲しいという言葉は膝裏に当たるのが例のスタンガンだと分かっているためか、喉元に引っかかって声にならない。「僕の名前はね、|金里《かねさと》|明真《あすま》。向井さんの下の名前は――“|凜子《りんこ》”、だよね?」 名前を言われた途端ゾクリと悪寒が走って身体を跳ねさせたら、「驚いた? 君のお友達がコンビニで他の店員と話してるのを聞いたんだ」ってククッと笑うの。 それから私を抱いたままリビングと思しき部屋を抜けると、その先にある部屋の扉を開けた。 部屋は真ん中にパイプベッドがポツンと1台あるきり。 壁面に一箇所だけある窓には鉄格子がはまっているみたいで、曇りガラスの向こうに縦線模様がすかし見えた。「業者にはね、認知症の祖母の徘徊を防止したいからって話して、窓は全て内側からは鍵なしには開けられないように施工してもらったんだ。だからね、そこの窓はキミには開けられないし、擦りガラスになってるから外の様子も見られない。薄っすら見えると思うけど、もし開けられたとしても鉄格子が嵌めてあるからそこから出るのも無理だからね。もちろん玄関扉も僕以外には開けられない仕様だよ」 そこで私をベッドの上に下ろしてふっと笑うと、「ごめんね。そういう諸々の手配に時間がかかっちゃって。なかなか凜子ちゃんに会いにいけなかったんだ」 言って、「淋しかった?」と耳元に唇を寄せられて、私は思わずベッドを這いずるようにして“金里”と名乗った男から距離をとった。「あ、そうそう。――用心のためにこれも付けさせてもらうね」 ベッドの上に半身起こした状態で、両足首をギュッと握られた私の身体は、その感触に恐怖をかき立てられてビクッと跳ねる。 なのにまだ痺れと恐れが残っている足は、その手を振りほどくことすら出来なかった。「あ、靴履いたままだったね」 言われて足先からスニーカーが脱がされるのを感じる。そのまま更にグイッと引き寄せられた左足首にひやりとした感触とともに何かが取り付けられて、カチャリと鍵をかけられたのが分かった。「え、あ、あの……」
last updateLast Updated : 2025-09-15
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21.ようこそ我が家へ③*

「あ、|明、真《あす、ま》 ……さん、私、家に帰りたい……です」 ――ここには着替えも何もないですし。 窺うように彼を見つめて付け加えたら「あー、服」ってハッとした様につぶやいた。 その反応に、これで少しは現状が打開できるかもって思ったのに……。「気付かなくてごめんね? 後で僕好みの服、たくさん買ってきてあげる」 って言って私の頬を撫でるの。 その感触にゾクッと悪寒が走って、私は慌てて顔を背けた。 私が唯一その人の色に染められたいと願う|奏芽《かなめ》さんだって、私の服にいちいち口出ししたりしてこない。 そこは私の尊厳を踏みにじらないでいてくれる奏芽さんなりの優しさなんだと、私は今になって思い知らされた。 寒がりな私に、ってクリスマスにコートを買ってくれたときだって、「好きなの選べよ。俺、|凜子《りんこ》がどういうのが好きか知りてぇし、一緒に見て回りたい」ってお店に連れて行ってくれて、私の意見を聞きながら好みのものを選ばせてくれた。 今、着ているこれがそのときに奏芽さんにプレゼントしていただいたファー付きのモッズコートだと思い出した私は、少しだけそこから勇気をもらえた気がする。 奏芽さん、私、絶対あなたの元へ戻ります――。だから……無事再会出来たら、ギュッと抱きしめて? そう思って、コートの合わせ目をしっかり合わせる。***「あ、ごめん。僕の手、冷たかった? |凜《りん》は寒がりだもんね」 この人には私が彼のことを嫌がっているのだと言う感覚は微塵もないのかもしれない。 そう思ったら、ただただ気持ち悪かった。 その思いを顔に出さないようにうつむいて唇を噛み締めたら、「あー、部屋も寒いよね。気づかなくてごめんね。いま、暖房入れるから。――暖かくなったらさ、今着ている服、全部脱いでもらわないといけないし」 さらりと恐ろしいことを言われた気がして、思わず男の顔を見たら、「ん~? 何驚いてる
last updateLast Updated : 2025-09-16
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21.ようこそ我が家へ④*

 私は耳を引き千切られてしまうのではないかという思いに、身体が動かせなくなった。 それをいいことに、男が私の耳に吐息を吹き込むように声のトーンを低めてささやいてくる。「もしそれが|真実《ほんとう》ならチャンスだって思ったんだ」 言われた言葉に私は絶望しか感じなくて、「あのっ、耳、|痛《いた》ぃ……ので……、離、して……くださ……。お願……」 って小さく抗議の声を上げるので精一杯。「あー、ごめん、痛かった?」 絶対痛くしているという自覚はあると思うのに、さも気付いていなかったのだという風に笑うこの人が、心の底から怖いって思った。「けど……もし本当にセックス自体が初めてだとしたら……僕との行為、こんなの比にならないぐらい、もっともっと痛いと思うよ?」 ――僕は優しくほぐしてあげるつもりなんて微塵もないし。「その方が僕との初めての記憶を刻み込めるでしょう?」 さらりと恐ろしいことを言う男に、ギュッと縮こまるようにして身体を守る。 こんなことなら|奏芽《かなめ》さんに|二十歳《はたち》を待たずに私を奏芽さんのものにして欲しいと……強く迫っておけばよかった。 そんなことまで思ってしまうほど、この男に〝初めて〟を奪われてしまうと思うと嫌で嫌でたまらない。 お門違いだと分かっていても、|奏芽《かなめ》さんが頑なに私の成人を待ってくださったことでさえも恨めしく思えてしまう。「それにしても。なんで|凜《りん》の彼氏気取りのあの金髪男はキミを抱かなかったんだろうね? こんな風に横から|掻《か》っ|攫《さら》われちゃうとか思わなかったんだとしたら、相当なお人好しだよ。そもそも凜の魅力に惑わされないで|二十歳《はたち》の誕生日まで待つとか、僕からしたらあり得ないんだけど! だってさ、凜の誕生日、4月半ばでしょ? マジ先すぎるだろ。ね、ぶっちゃけあの男、何ヶ月待ったの?」 そこまで一気にまくしたてられて、私は奏芽さんとのことを全否定されたみたいな気持ちになる。 奏芽さんは……私を大
last updateLast Updated : 2025-09-17
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21.ようこそ我が家へ⑤*

 気がついたら、私は怒りと嫌悪感をあらわにして「いい加減にしてっ!」と叫んで男の手を払いのけて突き飛ばしていたの。 男の、奏芽さんと私とのかけがえのない時間を否定するような物言いと、下卑た笑顔に触れるのが心底嫌で、逃げ場なんてないという現状も忘れてそのまま這うようにベッドの端っこに|膝行《しっこう》してうずくまる。***「……これからずっと一緒に暮らしていかなきゃいけないご主人様にその態度。しつけが必要だね、凜」 ややして見下ろすようにしてそう告げられて、スタンガンを見せ付けられた私は、恐怖にギュッと目をつぶった。 ひやりとした感触が、今度は首筋に当てられる――。 バチッという音がすぐにでも聞こえてくる気がして身構えたけれど、音も衝撃も一向に襲ってこなくて、私は恐る恐る目を開ける。 と、すぐ目の前に男の顔があって、「ねぇ、怖かった?」って笑いながら聞いてくるの。 私は涙目になりながらそんな男を見返すしかできなかった。「|凜《りん》、|スタンガン《これをされる》のはもう懲り懲り? ――だったら……。僕にどうしたらいいか、分かるよね?」 電撃を見舞われたくなければ謝罪を乞えと言外に告げられて、私は瞳に溜まった涙をこぼさないよう、瞬きをこらえて言葉をつむいだ。「ごめ……なさ、……」 なのに男は私の両頬を片手でギュッと強く掴むと、顔を近づけてきてささやくの。「違うよ、凜。|明真《あすま》さん、ごめんなさい、だ」 頬を|鷲掴《わしづか》みにされた衝撃で、絶対にこぼしたくなかった涙がポロリと両頬を伝って、私は悔しさに唇を噛む。 その間も手にしたスタンガンを散らつかされて、その痛みを知っている私は、どうしても恐怖に支配されてしまうの。「あ、すまさ……ごめ、んなさい」 私、悪いことなんて何もしていないのに。 どうして謝らなきゃいけないの? |奏芽《かなめ》さん、お願い。一刻も早く……助
last updateLast Updated : 2025-09-18
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22.胸騒ぎ【side:Kaname Torikai】①

 いつもなら「大学に着きました」とメッセージが入ってもいい頃になっても、凜子からの連絡がない。 朝、「行ってきます」の連絡はいつも通りの時間にあったのに、だ。 朝礼の時刻――8時45分まであと5分。  スタッフみんな第一診察室に集まっている頃だと思う。  当然、俺も行かないといけないんだが。 妙な胸騒ぎに突き動かされて、俺はスマホを握りしめる。 とりあえず、と凜子の携帯に掛けてみたけれど、電源が落とされているのか、圏外に出てしまっているのか、繋がらなかった。 たまたまか? 普段公共の交通機関を利用する凜子は、それらに乗るときは、必ず携帯をマナーモードにしている。もっと言えば、大学構内にいるときもそう。  真面目な子だから、それは絶対だ。 でも、電源を切ったりはしていなかったはずだ。 前にGPSでお互いの居場所が分かるアプリを入れたけれど、あれにしたって相手先の電源が落とされていては使い物にならない。  一応確認のためにアプリを立ち上げてみたら、凜子を現す「泣きべそウサギ」のアイコンは数分前にある地点でロストした表示になっていた。「くそッ」  思わず舌打ちが漏れて――。  俺は携帯を握りしめたまましばし逡巡する。 ***  前に病院へ掛かってきた凜子の友人――片山さんの携帯番号は、登録こそしていないが記憶している。  基本的に一度見聞きしたものはそう簡単には忘れないんだが、それを今日ほどありがたく思ったことはない。 俺は少し考えて、片山さんに電話してみることにした。 知らない携帯番号からいきなり掛かってきたら、警戒されるかもしれねぇな。 そう思った俺は、病院の電話からかけることにした。  固定電話の番号なら、市外局番が通知されて市内だと分かるだろうし、市内からの着信なら出てくれる確率が格段に上がる気がしたからだ。 数コール目で「……もしもし?」と少し怪訝そうな声が応じてくれる。
last updateLast Updated : 2025-09-18
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