All Chapters of 娘が死んだ後、クズ社長と元カノが結ばれた: Chapter 511 - Chapter 520

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第511話

男の子?蒼空の胸が一瞬きゅっと縮み、遥樹と目が合う。騒がしい人だかりに目を向け、慎重にもう一度尋ねた。「あの子、どんな色の服着てたの?」ボディーガードは女の子の様子を見るので手一杯で、いい加減に返す。「わからない」蒼空は黙り込み、女の子の髪に引っかかった葉っぱを払った。人の声が混ざり合い、雑然とした空気が広がる。視界も、耳も、はっきりしない。女の子は振り返り、むくれた顔で言った。「まだパンダ見てないのに。なんだよもう。ねえ、あなたは見たの?」蒼空は首を振る。女の子が唇を尖らせる。「そっか。じゃあ、もうちょっと待とうかな」そして彼女の袖をつまみ、揺らしながら言った。「一緒に待ってくれる?」蒼空は唇を結び、頷こうとしたその時、人ごみの奥からどっと騒ぎが起きた。「押すなって!子どもが落ちる!」「落ちた!落ちたぞ!早く呼んでこい!」「嘘、ほんとに落ちた!」蒼空の眉間が寄る。女の子がぼそっと言った。「落ちたなら落ちたでしょ。あそこパンダだよ?人食べないじゃん」蒼空の指がぴくりと動く。パンダは確かに愛嬌がある。でも、どんなに可愛くてもパンダはパンダだ。子どもどころか、大人だって敵わない。「見に行こう」遥樹が言った。蒼空は振り返る。遥樹は蒼空の頭を軽く撫でた。うなずいて立ち上がり、早足で人の中へ入っていく。人混みをかき分け、ようやく展望台の端につく。背後で遥樹が腕を広げ、彼女をさりげなく人から守るように囲う。欄杆を握り、人々の視線を追う。展望台の縁に、一人の男の子がぶら下がっていた。手に掴んでいるのは蔓。体重に引っ張られ、蔓は下へ垂れ、ちょうど中腹あたりで彼を支えている。大人たちが手を伸ばすが、男の子にも蔓にも届かない。空中で足をばたつかせ、その真下には成獣のパンダが頭を出して見上げている。あれは、紛れもなく佑人だった。遠目でも分かる。真っ青になった顔。丸い目が恐怖でいっぱいになり、口を開けて泣き叫び、涙をぽたぽた落としている。蒼空の表情は複雑だった。蔓は今は持ちこたえているが、長くはもたない。落ちれば無傷では済まない。パンダに傷つけられる可能性もあるし、そもそも高さが危険だ。周囲の人間は散
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第512話

その次の瞬間、蒼空は勢いよく振り返り、植木鉢の下からロープを掴み出すと、佑人の真上に集まっている大人たちへ迷いなく放り投げた。「これ、使って!」蒼空が声を張る。「ロープだ!」受け取った人たちの目が一瞬明るくなり、すぐに蒼空の存在など忘れたように手早く端に固結びを作り、ロープを下へ投げ下ろした。「君、これを掴んで!上に引き上げるから!」ロープを投げ終えると、蒼空は踵を返してその場を離れた。彼女にできることはここまでだ。あとは関わらない。無表情のまま木陰に戻り、黙って腰を下ろす。遥樹も後に続いた。さっきまで蒼空が何を迷っていたのか分からなかったが、ロープを見つけた瞬間に理解した。蒼空は、佑人を助けるかどうか迷っていたのだと。もし他の誰かがこの事実を知れば、きっと責め立て、正義面して言うだろう――「なぜ助けなかったのか」と。だが遥樹はそんなことを言わない。聞きたいことは多い。けれど、それは蒼空自身の問題だ。昨夜、松木家の連中が彼女に向けた悪意をこの目で見た。彼女はあの家で数年過ごしたという。誰もその苦しさを完全に理解できない。彼女の心に積もった痛みは、他人には触れられないほど深い。蒼空がどれほど優しい人間か、遥樹は知っている。それでも迷った。それだけの過去がある。他人の苦しみを知らぬ者が、軽々しく善を押し付けるものじゃない。迷いの末にそれでも手を差し伸べた――それだけで十分だ。遥樹は何も言わず、蒼空の隣に静かに座った。だが女の子はそうはいかず、身を乗り出して尋ねた。「ねえ、なんか元気ないよ?どうしたの?」蒼空は薄く微笑み、低く言う。「大丈夫です。気にしないでください」「嘘。なんか悲しそう。何かあった?」「......パンダがまだ見られてないから、かな」「やっぱり!私も大好きだからわかるよ、パンダ!」女の子はリュックをゴソゴソと探り、パンダのキーホルダーを差し出した。「ほら、同じ好き仲間だし。あげる!元気出して。あとで見られるよ」蒼空は少しだけ目を見開き、そっと受け取る。「ありがとうございます」女の子はにっこり笑った。パンダのキーホルダーを手に握りしめたまま、蒼空はこらえきれず口を開く。「昔、あなたと同じくらいの
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第513話

蒼空の瞳が一瞬、どこか遠くを彷徨った。「......聞こえてたの?」遥樹は小さく「うん」と答える。蒼空の胸に複雑な感情が渦巻き、喉がひどく乾く。「......亡くなったの」遥樹は唇をわずかに開き、眉を寄せ、かすれた声で言った。「......ごめん」蒼空は口元を引き上げた。「遥樹のせいじゃないよ。自分で言ったんだもの」それから、遥樹は黙り込んだ。人気のパンダなので、人が多い。動物園はバランスを取るため、ひと組五分しか観覧できない。蒼空たちも長くは見られず、展望台を後にする。彼らは一旦、東屋で休憩した。女の子は上機嫌で、ボディガードが撮った写真をめくっている。「あとでもう一回見たい!超かわいかった!」遥樹はミネラルウォーターの蓋を開け、蒼空に差し出した。「はら、水。唇、すごく乾いてる」蒼空は瓶を受け取り、少しだけ口に含む。「パパ!」女の子が嬉しそうに声を上げ、ぱたぱたと駆けていき、外国人の男性の胸に飛び込んだ。リオだ。蒼空はペットボトルを置いて立ち上がる。リオは目を細めて笑い、娘を抱き上げた。女の子は馬みたいにぴょんぴょん揺れながら、リオの頬に何度もキスをする。リオは大きく笑い、娘を抱えたまま蒼空の方へ歩いてくる。「リオさん、こんにちは」蒼空が静かに言う。リオは一瞥し、娘を地面に下ろした。リオが口を開く前に、女の子が彼の手を引いて蒼空の前に連れてきた。「パパ!この人、新しいお友達!紹介してあげる!」「お名前は、えっと......」女の子は唇を尖らせた。「わかんない。教えてくれなかった」リオは笑って彼女の髪を撫でる。「知ってるよ。この人は関水さん」女の子はすぐに大声で言った。「関水さん!」リオは笑った。「ああ、いい子だ」蒼空は親子のやり取りを静かに見守り、口を挟まなかった。二分ほどして、リオが彼女を見た。「関水さん、来る前にボディガードから聞いてる。あなたの写真も送られてきた。気を悪くしないでくれ。娘のことになると、周りにいる人間には特に気を配る」蒼空は微笑む。「ええ。気持ちはわかります」リオはうなずき、再び娘を抱き上げる。「あなたのさっきの行動、見てた」蒼空は一瞬きょとんとし、ロープを投げ
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第514話

リオは、瑠々から聞いたという話を簡潔に蒼空へ伝えた。蒼空は静かに聞いていたが、遥樹は聞けば聞くほど顔が険しくなる。シーサイド・ピアノコンクールの件は、ネット上からほぼ跡形もなく消え、かつて大きく話題になっていた投稿も次々と削除され、痕跡すら残っていない。瑠々はいつものように、当時の全ての責任を蒼空に押し付けた。そして「盗作した側」が、当然のように蒼空へすり替わる。瑠々は瑛司の奥さんであり、世界的に名の知れたピアニストでもある。リオが彼女の言葉をある程度信じたのも無理はない。真相を調べようと思えば時間も労力もいる。リオはそこまでするつもりはなかった。「あなたのピアノ曲は本当に気に入っているんだよ」リオは言った。「でもわかるでしょう、私は創作者。盗作には敏感だ。だから、著作権は売れない。それを理解してほしい。今日あなたがここに来た理由もわかってる。でに、もう終わりにしよう。あなたの努力は無駄だ。こうして話しているのは、あなたがさっきあの可哀想な少年にロープを投げて助けたから。それだけだ。こんなに綺麗な子なのだから、ちゃんとしてほしい。もう二度と盗作なんてしないことだよ」リオが言い終えると、東屋の空気は一気に重くなる。蒼空はゆっくり口を開いた。「気持ちはわかります。ですがリオさん、おかしいと思いませんか?」リオの眉が動く。「どこが?」蒼空は彼を見つめた。「あなたです」リオの表情が変わり、声が低くなる。「どういう意味。私に何が?」蒼空は指先で卓をとん、と叩いた。澄んだ音が弾む。「リオさん、落ち着いて聞いてください」リオが自分を怒っていると思っていると、蒼空にはわかった。リオの表情はよくないが、言葉を遮りはしなかった。蒼空は問う。「久米川さんがリオさんに話した時、証拠を見せましたか?」「それは......ない」リオが答える。「証拠もなしに、どうして松木奥様の言葉を信じたんですか?」蒼空が続ける。「彼女が私を盗作と言えば信じる。質問も、確認も、調査もせずに?」リオは言葉を失った。「そ、それは......久米川さんがあなたは彼女の妹だと......だから......」「もし久米川さんが、私が人を殺したと言ったら?暴力をふるったと言ったら?
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第515話

一言一句が、リオの表情をどんどん重くしていく。怒りではない。羞恥と、気まずさのにじんだ顔だった。蒼空は「飴と鞭」というやり口をよく理解していた。「私はリオさんを信じています。誰かの言葉だけで判断を揺らすような方ではないと」リオは強く頷いた。「言いたいことはわかったよ」蒼空はかすかに笑む。「私がここにいることで、リオさんと娘さんの時間を邪魔してしまったなら申し訳ありません。調査が終わったら、もうお邪魔しません」そう言って、横のポケットから名刺を取り出して差し出した。「ここが私の連絡先です。結果がわかったら、ご一報いただければ」リオは名刺を受け取り、頷く。「わかった」蒼空は微笑みながら頷き、立ち上がろうとした。その時──「リオさん、蒼空、あなたたちもここに?」顔を上げると、瑛司が佑人を抱き、瑠々はその隣を歩いてこちらへ向かっていた。瑠々の目元は泣いた跡があり、赤く潤んでいて、ひどく哀れを誘う。リオは振り返り、三人に気づいた。先ほどまで瑠々の話題をしていたせいで、どこか落ち着かず、ぎこちなく言う。「松木社長、久米川さん......奇遇ですね」蒼空は唇を結び、リオに向かって言った。「それでは、失礼します」リオは少し驚いたが、すぐ頷いた。「ああ」だが、蒼空を逃がさない存在が一人いた。瑛司の首もとに顔をうずめていた佑人が、ぱっと顔を上げた。泣き腫れた赤い目で蒼空をじっと睨み、唇を震わせ、また泣き出しそうになる。「パパ、なんであの意地悪なおばさんもいるの。この人嫌い!帰ろうよ、家に帰りたい......」瑛司は眉をわずかに寄せ、険しい目で子どもを見下ろしながら、背を軽く叩いて宥めつつ低く言った。「そんな言い方はやめなさい」瑠々は涙をぬぐいながら言う。「蒼空、ごめんね。佑人はさっき色々あって......今情緒が不安定なの。責めないであげて」蒼空は淡々と答えた。「わかってます」瑛司の視線が、ゆっくりと蒼空へ向く。瑠々が気づき、少し驚いた様子で言った。「あ、そういえば、あなたもさっきそこにいたのよね?見てた?」蒼空が答える前に、佑人が大声で泣き始めた。「パパ、ママ、帰ろうよ!この意地悪おばさんと話さないで!」遥樹が小さく舌打ちした
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第516話

蒼空は何も言わなかった。中年の男はさらに眉をひそめる。「どうした、親なのに自分の子どもがさっき何に巻き込まれたのかも知らないのか?そんなに無責任で?」瑠々は内心苛立ちが募っていたが、それでも丁寧な声で答えた。「さっきこの子が急に走り出して、私たち追いつけなくて......それで何があったのかわからないんです」中年の男は舌打ちするように言った。「なら余計に、このお嬢さんに感謝すべきだな。ずっと見てたが、あんたらの子、もう少しで落っこちるところだったんだ。彼女がロープを見つけてくれたおかげで、俺たちは助けられた。もし彼女がいなかったら......今頃病院で泣いてたのは、この子だけじゃなくて、あんたら夫婦だ」瑠々は目を見開いた。「そうなの......?蒼空が、佑人を助けてくれたの?」佑人は、涙声のままその話を聞いて泣き止み、黙って涙をぬぐう。瑛司は蒼空を見た。蒼空はわかっていたが、視線を返す気はなかった。「蒼空。本当に佑人を助けたのか?」蒼空は静かに言った。「松木社長は信じてないんですか?」中年の男が手を叩いた。「このお嬢さんだよ。間違いない。俺、この目でロープ投げたの見たからな。それにこんな綺麗な人、見間違えるわけない」そこへリオも歩いてきた。「私もそばにいました。関水さんです、間違いはありません」周囲には、先ほど騒動を見ていた人々が集まっており、口々に言う。「そうそう、この人だ」「このお嬢さんが助けたんだよ」佑人は黙り込み、しがみつくように瑛司の首に顔を埋め、大人しくなる。瑛司はじっと蒼空を見つめ、低く言った。「ありがとう」蒼空は薄く笑った。瑠々は状況を察し、すぐに柔らかく歩み寄り、蒼空の手を取った。「ありがとう、蒼空。さっきは知らなくて......瑛司と私の佑人を助けてくれて、本当に感謝してるわ。佑人、泣きっぱなしで......周りのみんなが協力してくれて助かったの。本当に、ありがとう」蒼空は、瑠々が面白い人だと改めて思った。こんな場でも、「瑛司と私」という言葉を強調することを忘れない。わざと、瑛司との関係を示しつけてくる。蒼空はそっと手を引いて離し、笑った。「礼は結構です」瑠々の笑顔が一瞬だけ固まる。しかしすぐに取り繕う。「で
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第517話

瑠々の笑みは完全に消えた。「ただ聞きたいだけなんですが......私が盗作した証拠を出せますか?もし出せないなら、松木奥様が私を陥れて中傷したってことでいいですよね?」この言葉が落ちた瞬間、東屋の空気がぴしりと固まった。蒼空はリオを見て、流暢なM語で言う。「リオさん、先に久米川さんに『私が盗作した証拠』をお願いしておきました。気にしませんよね?」リオは頷いた。「構わないよ。むしろ私も証拠があるのか知りたい」「そうですよね、私も知りたいです」蒼空は静かに瑠々を見つめる。瑠々の唇がかすかに震えた。「わ、私は......」蒼空は瑛司を見やった。「松木社長、さっきの話、当然聞こえてましたよね。私はこれから用事があって長くいられないので......代わりに、松木奥様から『私が盗作した証拠』を確認してもらえませんか?」瑛司の眉がわずかに下がり、瑠々を見た。「瑠々?」瑠々は唇を結ぶ。「違うの、これは誤解よ」「誤解かどうかはもう分かってます。今からは、あなた自身が証明する番です」蒼空はそう言い捨て、リオに軽く会釈して歩き出した。瑠々は俯き、何を考えているのか分からない。瑛司の眼差しは暗く、深く沈んでいた。――帰り道で、遥樹が言う。「これで終わり?他に手を打たないの?」蒼空はくすっと笑った。「無理でしょ。瑠々は狡猾で、考えも深い。証拠探せって言えば、本当にひねり出してくる可能性がある。そしたら不利なのは私よ。動かなきゃ、ただの待ちぼうけになる」遥樹は低く笑う。「で、どう動くの?」蒼空は眉を上げる。「最近、国際ピアノコンクールのエントリー始まったの知ってる?」遥樹はハッとした。「出るの?」「うん」瑠々はもうエントリー済みだ。なにせ名声を積み上げたのは、蒼空ではない。――「世界的なピアニスト」瑠々だ。なら、その「高さ」で競り合ってやる。車窓を流れる景色に、瑠々の広告が映った。洗練されて、綺麗で、完成されている。――五年放っておいた。高く登らせるためだ。落ちる時、より痛くなるように。昔、シーサイド・ピアノコンクールで未熟さを晒し、隙を与えた。もう同じ過ちは繰り返さない。五年。成長したのは蒼空だけじゃない。揃えた「
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第518話

蒼空の予想通り、二日後、瑠々は本当に「盗作した証拠」を持ってきた。それをリオが送ってきた時、蒼空は丁寧に目を通した。もっともらしく、理屈も通っている。瑠々はまず、かつて蒼空と天満菫が親しい関係だったことを、証拠としてリオに並べて送りつけていた。そして短い二日間で、松木家は瑠々のピアノ曲「恋」の発表日を、天満菫の「渇望」より前に「書き換えていた」。蒼空が音楽プラットフォームを見に行くと、「恋」の公開日は確かに数年前まで遡っており、「渇望」がまだ作曲されていない時期へとずらされていた。こうして、盗作した側とされた側の立場は真逆になった。その結果、シーサイド・ピアノコンクールの決勝で弾いた「渇望」は、彼女の「盗作した証拠」にすり替わっていた。――これが、松木家の金の力。蒼空は画面を見て、怒りながらも思わず笑った。リオは激昂していた。「関水さんの言葉を信じていたのに。裏切ったのか。もう二度と信じないぞ」蒼空はリオにメッセージを送ってみた。案の定、ブロックされていた。舌打ちして、スマホを放り出す。ちょうどそのとき、ドアがノックされた。「どうぞ」書類にサインしながら答える。顔を上げる前に、一枚のカードが手のひらでぱしっと目の前に置かれた。「全部片付いた。ほら、参加証。落とすなよ」遥樹だった。蒼空はカードを受け取って眉を上げる。「動き早いじゃん」遥樹は鼻で笑う。「俺を誰だと思ってんの」参加証をポケットに突っ込み、ペンを回しながら言う。「瑛司、明後日来るんだよね?」動物園で別れたあと、蒼空は会社の用事で首都に戻り、摩那ヶ原には留まらなかった。「ああ」遥樹は答え、すぐ舌打ち。「昨日も聞いたよね。そんな気になるわけ?」「スケジュールを確認しただけだよ」「頭良いくせに、二回も聞く必要ある?」「じゃあ聞かなかったことにして」「なんだよその態度」蒼空は肩をすくめた。――バー・ディスティニー。小春は帰る前に、周囲の光に照らされた踊る人々を見回して眉をひそめる。「そろそろ時間だし、私は行くよ。気をつけるんだよ」「分かってる」蒼空は酒を一口。「マジでやらかすなよ。助けられないから」「心配いらないって」言いながらパフで頬を軽く
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第519話

言葉が言い終わる前に、男の腹に重い一撃が入った。そして低く押し殺した怒声が落ちた。「失せろ!」男は悲鳴を上げ、二、三メートルほど吹っ飛ぶ。蒼空の後ろ首は掴まれていたせいで、意識がぼやけたまま男の方へ倒れ込むかたちになった。いつの間にか、大きな手が彼女の腰を掴み、強引な力でぐいと持ち上げた。視界がぐるりと回り、蒼空はぎゅっと目を閉じる。再び開けたとき、目の前は真っ黒だった。......瑛司の黒いスーツだった。蒼空は頭を振り、ふらつきながら手を伸ばして目の前の布を掴む。「蒼空」誰かが彼女の名前を呼ぶ。蒼空はまぶたを重たそうに上げ、半分だけ目を開けて目の前の人を見る。「......あなただれ?家に連れて帰ってよ、ね?」そしてそのまま相手の胸に倒れ込み、腕をたこの触手みたいに絡ませ、頬を押し当てた。「連れてって......頭、ぐるぐるする......」瑛司の声には怒りと抑制が入り混じる。「俺が誰かわかってるのか」蒼空はイラついたように眉を寄せ、ぽんっと男の背を叩く。「うるさいわね、さっきホテル行くって言ったでしょ?」後ろでさっきの男が痛みをこらえて立ち上がった。瑛司への恐怖は消えていないが、蒼空の言葉を聞いた瞬間、目が輝く。「人違いだよ、俺だよ、後ろ!俺がホテル連れてく!」甘い声色にあからさまな下心。視線は蒼空の横顔に釘付け、喉がごくりと動く。瑛司は蒼空がそちらを見ようとする頭を押さえ、目を細めた。夜に潜む獣みたいな黒い瞳が、無言でその男を射抜く。男は数歩下がるが、意地を張ってまた近づいてくる。「なんだよお前、このお嬢さんは俺と行くんだ。無理やり連れてくなら警察呼ぶからな?さっき俺蹴ったよな、絶対警察は俺の味方するぜ!」蒼空は瑛司の腕の中から逃れようとじたばたし、瑛司は彼女の背を押さえ動きを封じる。「だれよあんた、離してよ、触んないで!」男はまた近づき、蒼空の手に触ろうとする。「ほら、こっち。俺がい――」言いきる前に、また腹に蹴りが叩き込まれた。男はうめきながら腹を抱え、睨みつける。「てめぇ......絶対に――」「お客様、他のお客様のご迷惑になりますので、大声はお控えください」黒いスーツを着た屈強な男たちが数人、無表情で告げる
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第520話

「今夜のご飲食代は全て当店が負担させていただきます。せめてものお詫びとして......いかがでしょうか?」蒼空は顔を上げようとしたが、少し持ち上げたところでまた押し戻される。低く短い返事が聞こえた。その光景に瑠々は呆然と立ち尽くした。目の前で瑛司があの男を容赦なく蹴り飛ばしたあと追いついてきて、抱きかかえている女性の顔を見た瞬間、表情が止まる。「瑛司、蒼空がなんでここに?」礼都は隣の女と何か笑い合ってから、興味無さそうに近づいてきた。「またヒーロー気取り?」言いながら瑛司の腕の中の女性を見る。そして一瞬固まり、眉を寄せる。「あんた、どういうつもりだ」瑛司は目を落とし、暗い瞳で蒼空を見つめる。「先に蒼空を送る」瑠々の笑みが一瞬引きつる。「......いいけど、でも――」礼都が鼻で笑い、女の手を振りほどく。「やめることをお勧めするよ。今ここで連れて行くなら、僕は瑠々を連れて帰る」そばの女が首を伸ばす。「礼都さん、この女誰なの?」礼都はその頭を押し戻す。「見るな、君には関係ない話だ」女は不満げに舌打ち。「なんでよ、別にいいでしょ?」仕方なく礼都はなだめるように頭を撫でる。「違うんだ、菜々。見せたくないんじゃなくて、こいつはろくでもない女なんだ。君が見る価値ない」菜々の表情が少し和らぎ、唇を尖らせる。「そんなこと言われたら余計気になるんだけど?」礼都はまた顔を押し戻し、優しく言う。「いい子にしてて」瑠々は唇を結ぶ。「蒼空は酔ってるみたいだし、送ってあげて。私たちここで待ってるから」礼都は苛立ちを隠さず眉をひそめる。「瑠々、優しくすればいいってもんじゃない。こいつが何したか忘れたのか?」彼は瑛司の前に立ち、目を射抜くように見据える。「今言っとくが。あの女を連れて行くなら、瑠々は僕が連れて帰るよ。あんたは瑠々か、それともそいつか」時が少しずつ重く過ぎる。瑠々の指先が強く握られる。瑛司は蒼空の背に手を置いたまま、微動だにしない。礼都は冷笑する。「僕はあの連中とは違う。瑠々を裏切ったら容赦しないぞ」瑛司が口を開こうとした瞬間、蒼空は彼を押しのけ、ふらつきながら壁に寄りかかった。「うるさ......頭痛い......」
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