All Chapters of 鷹野社長、あなたの植物状態だった奥様は子連れで再婚しました: Chapter 511 - Chapter 520

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第511話

今回の連行には、須藤も同行していた。だが彼は突入の直前、一本の電話を受けて足をとめていた。受話器の向こうからの報告に、須藤の眉間にしわが寄る。「……死んだだと?わかった、とりあえず遺体を収容しろ」通話を終えた須藤がふと視線を上げると、一台の高級車が滑り込んでくるのが見えた。車内から降り立った男女に目をやり、須藤は動きを止めた。男の方は見覚えがある。鷹野深雲だ。なぜ奴がここに……?疑問が浮かんだ次の瞬間、同乗していた女が親しげに深雲の腕に絡みついた。その光景を見て、須藤の脳裏に先日景凪が口にした「離婚」という言葉が蘇る。なるほど、そういうことか。離婚してまだ日も浅いというのに、この親密さだ。別れる前から関係があったと見て間違いないだろう。須藤の目に、冷ややかな色が宿った。深雲もまた、須藤の顔を見て足を止めた。かつて自分を襲った大規模な拉致事件。その際、入院先まで事情聴取に訪れ、熱心に捜査に当たっていたのがこの須藤だった。「須藤さん、なぜこんなところに?」深雲は怪訝そうに尋ねた。須藤が答えるより早く、部下たちが克書を両脇から抱えるようにして連れ出してきた。その手首には、無機質な銀色の手錠が光っている。その光景に、姿月は血相を変えて飛び出した。「お父さん!」彼女は刑事たちに食ってかかる。「何するのよ!お父さんが何をしたっていうの!?」克書が口を開く前に、須藤が事務的に、だが冷徹に告げた。「小林克書には殺人教唆の容疑がかかっている。証拠はすべて揃った。逮捕状も出ている。不服があるなら、弁護士を通して正式に申し立てることだな」殺人教唆……その単語を聞いた瞬間、姿月の瞳の奥に明らかな動揺が走った。百戦錬磨の刑事である須藤が、その変化を見逃すはずもない。彼の眼光が鋭さを増し、意味深に姿月を見据える。「須藤さん、何かの間違いじゃありませんか?」事態が飲み込めない深雲が、割って入るように進み出る。「小林おじさんが……そんな。署長とは懇意にしてますが、一度確認を……」須藤は鼻で笑った。「結構だ。署への道すがら、好きなだけ連絡を取るといい」「……え?」深雲の表情が強張る。「俺も、署に行かねばならないのですか?」「先ほど、焼死体が発見された。損傷が激しいが……逃亡中の金山九蔵と思われる。あんたならよく知っている
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第512話

差し出された紙コップを受け取り、深雲は口をゆすぐと、掠れた声で礼を言った。「……すまない」「金山の遺品から、彼が潜伏していた簡易宿所を割り出した。そこにあった鞄の中から、これが見つかった」須藤は数枚の写真を深雲に手渡した。深雲はパラパラと写真をめくり、数枚見ただけで目を背けた。写っているのはすべて景凪だった。そしてそのどれもが、執拗なまでに刃物で切り刻まれ、特に目の部分が無惨にえぐり取られていた。「つまり……金山九蔵は、景凪に復讐するために戻ってきたということですか?」「そうだ」須藤は短く答えた。「つい先日、穂坂さんから被害届が出ている。路上で何者かに襲撃され、命を落としかけたとな」「……」深雲は言葉を失い、手の中の写真を強く握りしめた。「そんなこと……彼女は一言も俺に言わなかった」須藤は冷ややかな嘲笑を浮かべた。「言ったところで、あなたが気にかけるとは思えなかったんだろうよ。何しろ新しい恋人の実家に尽くすので手一杯だ。元妻の命になど構っている暇はない、とな」深雲の顔色が土気色に変わっていくのを見て取りながら、須藤はさらに追い打ちをかけるように付け加えた。「ああ、そういえば。彼女が襲われたその日は、まだ『元』妻ではなかったはずだがね」「……」反論の言葉もなく、深雲はただ写真を握りしめて立ち尽くすしかなかった。その時、廊下の向こうを女性警察官に連れられた人影が通り過ぎるのが見えた。深雲はハッとして目を凝らす。「景凪……?」彼女がなぜここに?やはり金山の一件だろうか。確かめようと歩き出すが、立ちはだかった須藤に行く手を阻まれた。「今、景凪が通ったように見えたが……」深雲の声には不安が滲んでいた。「当たり前だ。彼女は小林克書の事件における被害者家族だ。起訴されれば、彼女が原告となる」須藤は警告するように鋭い視線を向けた。「ここは警察署内だ。被害者家族への接触や嫌がらせは慎んでもらおうか」深雲は呆気にとられた。「被害者家族……?どういうことだ」須藤は、まるで理解の悪い子供を見るような目つきで言い放った。「小林克書は、療養所の看護師・長瀬佐代子を唆し、穂坂景凪さんの祖父・穂坂益雄氏を毒殺しようとしたんだよ。長瀬は犯行に及んだその場で現行犯逮捕されている。証拠も証言もすべて揃っているんだ」ドクン
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第513話

もし本当に母が不義を働き、彼に汚名を着せたのであれば、プライドの高いこの男が今日まで黙っているはずがない。被害者面をして声高に叫ばない唯一の理由――それは、この結婚が双方合意の上の契約であり、その契約を破り裏切ったのが、他ならぬ克書自身だからだ。「穂坂家の援助を受けていた苦学生が、名門大学合格の報告に訪れた際、恩人の令嬢と恋に落ちて結ばれる。このロマンチックな物語、昔あなたから何度も聞かされたわ。私を洗脳するため、そして何より、あなた自身を騙すための作り話をね」景凪は、克書の歪んだ心根を暴き立てていく。「祖父を殺そうとしたのは、意識が戻って真実を語られるのが怖かったから。そうでしょう?」克書の顔がひきつるのを冷ややかに見据え、さらに言葉を重ねた。「あなたは母さんを憎んでなんかない。愛してもらえなかったことが悔しいだけよ。……まるでドブネズミね。惨めで、哀れだわ」「黙りやがれ!」図星を突かれた克書が絶叫した。理性のタガが外れ、獣のような咆哮を上げる。「ふざけるな!あんな売女を愛していただと!?お前もあの女も、生きていていい人間じゃない!産まれた瞬間に首をへし折ってやればよかったんだ!」鎖を引きちぎらんばかりの勢いで景凪に飛びかかろうとするが、手枷と足枷がそれを許さない。無様に足掻くその姿を、景凪は眉一つ動かさずに見つめていた。「残念だったわね、殺せなくて」景凪は静かに、けれど明確な殺気を孕んだ笑みを浮かべて言い放つ。「小林克書、これは終わりじゃない。始まりよ。あなたたちが穂坂家から奪ったもの、そのすべてを一つ残らず吐き出させてあげる」克書は狂ったように喚き散らす。「あれは私のものだ!小林家の財産だ!指一本触れさせるものか!お前もあの早死にした母親共々、さっさとくたばればよかったんだ!あの時、情けをかけずに殺しておくべきだった!」ふいに、克書は不気味な笑い声を漏らした。景凪を見つめるその目は、ヘドロのような嫌悪感に満ちている。「いいか、教えてやるよ。あの頃、お前に『お父さん』と呼ばれるたび……私がどれほど反吐が出る思いをしていたか!」「……」景凪は無表情のまま、その呪いの言葉を受け止めた。ただ、膝の上で組まれた指先だけが、白くなるほど強く握りしめられていた。別室で取調べの様子を監視していた須藤が飛び込んできて、
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第514話

「ありがとうございます、須藤さん」その時、廊下の向こうから大股で近づいてくる長身の影があった。「須藤刑事ですね。彼女の代理人を務めます、弁護士の桐谷然です」桐谷然――その名は司法界で知らぬ者はいない。警察にとって、弁護士とは腐れ縁の相手だ。「これはこれは、桐谷先生」須藤は慇懃に握手を交わした。そこへ若い警官が慌ただしく駆け込んでくる。「ボス、小林克書の弁護団が到着しました!」然は涼しい顔で襟元を正し、余裕たっぷりに微笑んだ。「心配無用です。私が同席しましょう」相手が大弁護団だろうが関係ない。彼にとって、多勢を相手に立ち回るのは日常茶飯事だ。彼の手腕を知る景凪は、安堵の眼差しを向けた。「またご面倒をおかけします、桐谷先生。報酬の件は、後ほどまとめて清算させていただきます」「お気になさらず。金銭の問題ではありませんよ」桐谷は鼻に乗せた眼鏡を指で押し上げた。「私の趣味は、正義の執行ですから」桐谷が去った後、景凪は気持ちを切り替えて須藤に向き直った。「須藤さん、ここへ来る途中で聞いたのですが……金山九蔵の遺体が見つかったとか。私が確認する必要がありますか?」金山のことは忘れようにも忘れられない。何しろ、自分の手でその片目をえぐり取った相手なのだから。「いや、結構だ。元旦那に確認させたし、以前捕まえた金山の手下たちにも見せた。まず間違いないだろう。これで穂坂さんも、怯えて暮らす必要はなくなる」「元旦那って……」景凪は眉を寄せる。「深雲が来ているの?」「ああ」須藤は不愉快そうに吐き捨てた。「小林の家に踏み込んだ時、奴が小林姿月と腕を組んで帰ってきてな、鉢合わせだよ。しかもあいつ、金山の名前を聞いてもピンときてなかったぞ。まったく、恩知らずな白状者を命がけで助けたもんだ」思い出しても腹が立つのか、須藤の声には怒気が滲んでいた。対照的に、景凪は静かだった。「助けに行ったのは自分の意思よ。恩を売るためじゃないわ。それに……もう終わったことだから」かつて彼を愛していたことは事実だ。否定するつもりはない。愛していたからこそ、命を投げ出す覚悟があった。そして愛が尽きた今、未練も執着もきれいに手放した。それだけのことだ。ここまでの一連の騒動で、景凪の心身は限界に近づいていた。「須藤さん、今日はこれで失礼します
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第515話

向かう車中で、景凪は桃子に電話をかけた。子供たちの着替えや日用品をまとめておいてほしいと頼むためだ。桃子は、二つ返事で快諾した。「はい、喜んで!」景凪は受話器越しにふっと笑みをこぼした。「ねえ、桃子さん。よかったらなんだけど……あなたも一緒に来ない?お給料は今の額にプラス十万円でどうかしら。私が仕事に出ている間、子供たちの面倒を見てほしいの。あの子たちもあなたに懐いているし。……典子様への断りは、私が入れおくから」桃子が唯一懸念していたのは、典子のことだ。だが、景凪が話をつけてくれるというなら、断る理由などあろうはずがない。「ええ、もちろんですとも!是非行かせてください」景凪は続けた。「ただ、ここ数日は少し窮屈な思いをさせるかもしれないわ。今の私の住まいは手狭だから。……でも、すぐに穂坂家の旧邸を買い戻すつもりよ。リフォームが済み次第、来月にはみんなでそっちへ移りましょう」「承知いたしました。奥様のご手配の通りに」電話を切った桃子は、弾むような足取りですぐさま荷造りにかかった。その顔は晴れやかで、胸がすくような思いだった。「あーあ、せいせいするわ!これでようやく、あの薄汚い泥棒猫の顔を見なくて済むんだから!」桃子にお願いをした後、景凪はすぐに典子に連絡を入れた。桃子さんを正式に雇い入れたいという旨を伝えると、典子は二つ返事で承諾した。「元々、桃子はあの子たちの世話役だもの。子供たちが行くところに付いていくのが筋というものでしょう」「ありがとうございます、典子様」「景凪」と、典子は声を和らげた。「たまには子供たちを連れて、この婆の顔を見せに帰っておいで。家の者が何か言おうものなら、私が黙っちゃいないからね」景凪は即答しなかった。一瞬の沈黙の後、静かにこう返した。「……典子様が私に会いたいとおっしゃるなら、外でお供いたします。お散歩でもいかがですか」鷹野の本邸。あそこにはもう、何があっても二度と足を踏み入れるつもりはない。典子は受話器の向こうで小さく溜息をついた。それ以上、無理強いはしなかった。結局のところ、身から出た錆。鷹野家は自らの愚かさゆえに、かけがえのない宝を手放してしまったのだ……一方、ヴィラの子供部屋では。ママが迎えに来ると知った辰希は、大張り切りで自分の小さなスーツケースを引っ張り
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第516話

辰希がふと違和感を覚えたその時、背後のドアがノックされ、隙間から景凪が顔をのぞかせた。「ママ!」辰希の瞳がぱっと輝く。景凪は笑顔を作り、部屋の中に入ってきた。辰希のスーツケースはあらかた片付いている。だが、その視線の先で――清音は床に落ちた匂い袋をひったくるように拾い上げると、脱兎のごとくバスルームへ駆け込み、中から扉を閉め切ってしまった。――バンッ!!叩きつけるような轟音が響く。景凪の顔に張り付いていた笑顔が、音を立てて崩れ落ちそうになった。胸が張り裂けそうだ。本当は、ドアの前ですでに聞こえていたのだ。自分を拒絶する娘の悲鳴が。それでも、何もなかったことにして明るく振る舞おうと、必死に感情を押し殺して入ってきたというのに。一緒に過ごす時間さえあれば、きっとまた心を通わせられる。そう信じていた自信が、娘の徹底的な拒絶を前にガラガラと崩れていく……「清音、いい加減にしなよ」ママの痛々しいほどの悲しみを感じ取った辰希は、慌ててバスルームのドアを叩いた。ドアノブを回してみるが、カチャカチャと虚しい音がするだけだ。中から鍵がかけられている。景凪は歩み寄り、ドアを叩いていた息子の手をそっと下ろさせた。そしてドア越しに、中にいる清音へ向かって語りかける。「清音。ママはね、あなたを無理やり連れていこうなんて思ってないのよ。ただお兄ちゃんと一緒に、少しの間だけママのおうちに来てほしかったの」努めて明るく、優しい声で。「一度だけ、ママと一緒に暮らしてみない?あなたの部屋、とっても可愛く飾り付けたのよ。一目見るだけでいいから。きっと気に入ると思うんだけどな」バスルームの冷たいタイルの上、清音は部屋の隅で膝を抱えて小さくなっていた。彼女の耳の中では、二つの声がせめぎ合っていた。ドア越しに聞こえる景凪の優しい囁きと、それにかぶさるように響く、悪夢のような姿月の声。『裏切り者には罰が下るのよ』その声が何度も何度も、呪詛のようにまとわりつく。清音は両手で耳を塞ぎ、苦悶の叫びを上げた。「聞きたくない……あっち行って!!」ドアの外にいた景凪には、それが自分に向けられた拒絶の言葉にしか聞こえなかった。心臓が凍りつくような思いで、彼女はきつく瞼を閉じた。「……わかったわ。もう何も言わない」二階へ上がってきた桃子は、部屋の入口でその様子
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第517話

実際のところ、辰希は妹と同じ、まだたったの五歳児なのだ。景凪が黙って自分を見つめているのに気づき、辰希はふっとはしゃぐのをやめた。条件反射のように、また「お行儀のいい子」の顔に戻る。「ママ、ごめん。……やっぱり、そんなのなくても大丈夫だよ」景凪の鼻の奥がつんと痛くなった。たまらず駆け寄り、小さな体をぎゅっと抱きしめる。「何言ってるの。大丈夫なわけないでしょう?それは辰希の部屋なんだから。誰のものでもない、あなただけの自由な空間なのよ。好きなものを好きなだけ置いていいの」彼女は息子の整った小さな顔を両手で包み込み、真剣な眼差しで言い聞かせた。「いい、辰希。誰かのために自分を犠牲にしちゃだめ。たとえ相手が清音でも、ママやパパであっても、あなたが我慢する必要なんてないの。わかる?」辰希は長い睫毛を伏せた。「でも、パパは僕に妹を守れって言うし……お爺ちゃんは、将来会社を継ぐんだからもっとしっかりしろって。全部一番になって、家の顔を立てなきゃいけないんだ。そうしなきゃ、みんなガッカリしちゃう」おずおずと景凪を見上げる瞳には、隠しきれない不安が滲んでいた。「僕、ガッカリされたくない……」「そんなこと気にしなくていいの!」景凪の瞳が潤み、胸が張り裂けそうになる。彼女は震える声で、けれど力強く告げた。「あなたが満足なら、それで十分なのよ。ママがあなたを産んだのは、誰かの期待に応えさせるためじゃないわ。あなたの人生は、あなただけのもの。ママはいつだって、あなたの決断を応援する最強の味方なんだから」一息ついて、言葉を継ぐ。「パパとも話はつけてあるわ。学校へは今まで通り通いなさい。でも、鷹野家の跡継ぎになるかどうかなんて、あなたが大人になってから決めればいいことよ」景凪は柔らかな声で包み込むように言った。「どんな道を選んでも、ママはずっと、あなたの選択を支持するからね」……そんなことを言ってくれる人は、今まで誰もいなかった。辰希は小さな腕をママの首に回し、耳元でそっと囁いた。「ママ。……ママが目を覚ましてくれて、本当によかった」その言葉に、景凪は雷に打たれたように震えた。粉々に砕け散っていた心の一番深い傷が、息子のたった一言で癒やされていくのを感じた。親子水入らずの時間を過ごしていると、気づけばもういい時間になっていた。翌朝は学校へ送り
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第518話

「変わったこと、ですか……」桃子は少し考え込んだ。「そういえば、寝付きが異様に良くなりましたね。夜もぐっすり眠って、悪夢にうなされることも減りました。あの女の作った安眠香だか何だか、意外と効果があるようで癪に障りますけど。……中に眠り薬でも入ってるんじゃないかしら!」最後の一言は、単なる桃子の毒舌だ。いくら姿月が悪女だとしても、自分を慕ってくれる幼い子供に薬を盛るとは考えにくい。だが、景凪の直感は警鐘を鳴らし続けていた。彼女の声色が、鋭さを帯びる。「桃子さん。小林姿月が清音に渡したそのお香、明日私のところに持ってこられる?」「えっ……まさか景凪様、本当に変な薬が入っていると?」桃子の声にも緊張が走る。「調べてみないと何とも言えないわ」「深雲様に知らせましょうか?……いや、ダメですね」景凪が口を開く前に、桃子は自分でその案を却下した。「どうせ私がお説教されるのが関の山です。あの人は、あの泥棒猫の言うことなら何でも信じ込むんですから!……わかりました。明日、隙を見て清音ちゃんの匂い袋をくすねてきます!」受話器の向こうで桃子が息巻くのが聞こえる。「もし、あんな小さい子に毒でも盛ってたら許しませんよ!すぐに典子様に言いつけて、あの女を引っ叩いてやりますから!」景凪は無言で受話器を握りしめた。もし本当に、姿月が清音に何かをしているとしたら……鷹野家の手を借りるまでもない。この手で八つ裂きにしてやる。通話を終える間際、桃子は思い出したように深雲の動向を告げた。「そういえば、深雲様から連絡がありました。戻られるのは明日の朝になるそうです。恐らく今夜は……小林の家にお泊まりでしょうね」景凪にとって、それは想定内のことだった。克書が逮捕されたのだ、最愛のフィアンセ・姿月を慰めるためにそばにいてやるのは当然だろう。二人が何をしていようと、今の彼女にはどうでもいいことだ。電話を切ると、景凪はスマホの画面をタップしてメッセージアプリを開いた。指先でリストをスクロールし、渡のアカウントを見つける。彼女の連絡先リストには、まだ彼がプライベートで使っているサブアカウント【自渡】も残されていた。景凪は短いメッセージを送った。【お酒、抜けた?】返信はすぐに来た。【ああ】景凪は画面を見つめて絶句した。「……」そっけないにも程が
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第519話

まさか郁夫が、こんな早朝から押しかけてくるとは。景凪は居留守を決め込むつもりだった。息を潜め、モニターの向こうが諦めて去るのを待とうとした、その時だ。手の中に握りしめていたスマホが、けたたましく着信音を響かせた。タイミングが悪すぎる。薄いドア一枚隔てた廊下にいる郁夫に、この音が聞こえないはずがない。モニターの中の郁夫は、確信めいた笑みをカメラに向けた。「……」景凪は観念し、ロックを外した。「何かご用?」ドアを開けるなり、彼女は冷たく言い放つ。郁夫は悪びれもせず、手に提げたテイクアウトの袋を掲げてみせた。「買いすぎちゃってさ。辰希もいるんだろ?一緒にどうかなと思って」景凪は訝しげに眉をひそめた。「どうして辰希がここにいるって……」言いかけたところで、身支度を終えた辰希がパタパタと廊下を走ってきた。郁夫の姿を見つけるなり、礼儀正しくぺこりと頭を下げる。「おじさん、おはようございます」その様子に驚いた風はない。……なるほど。景凪は瞬時に察した。恐らく辰希が、郁夫の甥であるカイと連絡を取り合い、昨晩ここに泊まることを漏らしたのに違いない。「やあ、辰希。おはよう」郁夫は彼と同じ目線になるよう屈み込み、人懐っこい笑顔を見せた。「『天空ベーカリー』の特製クロワッサンだよ。朝から並んで焼きたてを買ってきたんだ。すっごく美味しいんだよ、食べてみない?」辰希はお腹が空いていたのだろう、興味津々な顔をしたが、すぐに景凪を見上げて許可を求めた。そんな目で見つめられては、断れるはずもない。景凪はため息交じりに半身を引き、郁夫を招き入れた。「……どうぞ、入って、郁夫くん」景凪がキッチンから皿を持ってくると、郁夫は買ってきたばかりのまだ温かいパンを並べ始めた。クロワッサンだけでなく、サンドイッチにマフィン、スープにお洒落なキッシュまで……テーブルの上はあっという間に埋め尽くされ、置き場もないほどだ。「……パン屋さんごと買ってきたの?」景凪は呆れ顔で尋ねた。郁夫は何食わぬ顔で答える。「辰希の好みがわからなかったからさ。とりあえず一通り買ってみたんだ」彼は知っていたのだ。景凪にとって一番大切なのは子供たちだということを。だから、息子のご機嫌を取ることが、彼女への最大のアピールになる。その読みは的中していた。辰希が嬉しそうに食
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第520話

ほどなくして車は校門前に到着した。景凪は車を降り、辰希を見送る準備をする。学校での辰希は、ちょっとした有名人だ。校門をくぐる前から、数人の生徒が物珍しそうに彼を取り囲んだ。「ねえ、辰希くん。そのおばさん誰?」聞かれた辰希は、小さな胸を誇らしげに張って答える。「僕のママだよ。これからは、いつでもママが送ってくれるんだ」「へえ。今まで見たことなかったけど、どうして?」「前までは病気だったんだ。でも、もう治ったから」生徒たちは納得したように景凪を見上げる。「ふーん。優しそうで、すっごくきれいなママだね」「当たり前だよ」辰希は鼻高々だ。「それに僕のママは、すごく頭もいいんだぞ」後ろでそのやり取りを聞いていた景凪の胸に、降り注ぐ陽光がそのまま染み込んでいくような温かさが広がった。人はあまりに幸せだと、かえって涙が込み上げてくるものなのだと初めて知った。辰希が振り返って手を振る。景凪はこみ上げるものを必死にこらえ、満面の笑みで手を振り返した。小さな背中が校門をくぐり、角を曲がって見えなくなるのを見届けて、景凪はようやくきびすを返した。だが、二、三歩も歩かないうちに、見覚えのあるベントレーが滑り込んでくるのが視界に入り、彼女の足が止まる。車が停まると、運転席から深雲が降りてきた。続いて後部座席のドアが開き、姿月が姿を現す。彼女は車内に手を差し伸べ、可愛らしいドレスに身を包んだ清音を抱き下ろした。清音は甘えるように姿月の頬にキスをし、何か慰めるような言葉を囁いている。それを受けた姿月は、ふわりと慈愛に満ちた笑みを浮かべ、愛おしそうに清音の頬を撫でた。傍らでその様子を静かに見守る深雲。その光景は、誰の目から見ても、絵に描いたような「幸福な三人家族」そのものだった。清音は愛想よく深雲と姿月に手を振った。「パパ、バイバイ。姿月ママもバイバイ。夜も絶対、二人で迎えに来てね」「ええ、もちろんよ」姿月が優しい声で応じる。ポニーテールを軽やかに揺らして振り返った清音の視線が、不意に少し離れた場所にいる景凪を捉えた。その瞬間、花が咲いたようだった笑顔が、すっと凍りつく。清音は景凪などそこにいないかのように視線を外し、さっさと歩き去ってしまった。「……」声をかけようと上げかけた手が、行き場を失って空中で止まる。景凪はそれをぎ
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