夜のリビングは、静まり返っていた。時計の針は夜十時半を指している。初夏の湿った空気が窓の隙間からゆるやかに流れ込み、カーテンの端をわずかに揺らしていた。外は曇り空で、雨上がりの湿度が部屋の中まで入り込んでくる。肌にまとわりつくその重さが、不快というよりも、ただ鈍く心を締め付けていた。間接照明だけが灯るリビングには、冷めきったコーヒーカップがテーブルの上に放置されている。その横には、開きっぱなしの雑誌と、希美のスマホが置かれていた。ソファのクッションには彼女の髪の毛が一本、細く落ちている。それを見つけた唯史は、何も考えずに指で摘み、そっと膝の上に置いた。唯史はソファに深く腰を沈め、足を投げ出していた。身体は疲れているはずなのに、まぶたは重くならない。目の奥がじんわりと熱い。何も考えたくないのに、頭の中は妙に冴えている。冷めたコーヒーを一口飲んだ。口の中に広がる苦味は、今の自分にとって唯一の確かな感覚だった。唯史は二十九歳。三年前に結婚した。中学時代から「超絶美少年」と呼ばれた過去を持ち、今もその面影を残している。黒髪、色白、切れ長の目。細身の体は昔とほとんど変わらず、時折「なんでそんな綺麗な顔してんの」とからかわれることもある。けれど、自分ではその「綺麗さ」に興味がなかった。鏡を見ても、他人事のようにしか思えない。どこか遠くから、自分を見下ろしているような感覚。それが唯史の日常だった。結婚相手の希美は、二十八歳。昔は可愛い系だったが、最近は「女としての色気」を意識するようになった。茶髪のセミロングに、整えられた眉。柔らかい声と、きれいに手入れされた指先が特徴だ。付き合い始めた頃は、素朴でナチュラルだったのに、結婚してからはメイクも服装も少しずつ派手になっていった。その変化を、唯史は遠くから眺めていた。何も言わなかった。ただ、見ていただけだった。希美は今、風呂に入っている。リビングには彼女の気配がない。そのことが、唯史には心地よかった。誰かと一緒にいることに、最近は疲れを感じることが多かった。結婚生活というものが、こんなにも重いとは思っていなかった。いや、重いというより、じわじわと身体の奥に染み込んでくるような違和感。それが日々積み重なっていった結果、今の状態がある。テレビはつけっぱなしだが、音は消してある。画面だけが淡々と映像を流している。何かのドキュメ
Terakhir Diperbarui : 2025-07-21 Baca selengkapnya