帝国の地下牢。石と血の匂いが混ざるその場所に、かつて“帝国魔導騎士”と呼ばれた男が囚われていた。カイン・ヴァルスト。名誉ある階級、誓った忠誠、信じていた仲間──すべてが裏切りの一言で地に落ちた。罪状は反逆。だがそれは捏造だった。上官の命令で動いただけの任務が、いつの間にか“国家転覆を図った魔女の手引き”と書き換えられていた。捕縛、尋問、拷問。裁判は開かれず、処刑日も決まらないまま、男は鉄枷に繋がれ放置された。それでも最初のうちは叫んだ。訴えた。抵抗もした。だが、誰も聞かなかった。食事は日に一度の腐ったパン。水は泥を混ぜたように濁っている。光も時間の感覚もない。「……俺は、本当に生きてるのか」つぶやいても、返ってくるのは水音と自分の息だけだった。意識が朦朧とする中、彼はひとつの決意にすがっていた。──死ぬまでは、忘れない。裏切った奴らの顔も、誓いを踏みにじった帝国の名も。だがその夜、牢の空気が変わった。誰かが来る──それだけでわかる、異質な気配。コツ……コツ……。鈴を転がすような軽やかな足音が、闇の奥から響いた。鉄格子の先に現れたのは、一人の女だった。ピンク色の長髪が揺れ、黒と紫の魔女衣をまとい、蠱惑的な笑みを浮かべていた。「……あら。まだ生きてたのね。可哀想な罪人さん」その指先には、紫の炎が揺れていた──契約の魔火。魂を喰らう禁忌の術。「……誰だ……?」カインの声は掠れていたが、その目には警戒と敵意が浮かんでいた。帝国の記録では、魔女は百年前に粛清され、完全に絶滅した存在。だが──目の前の女は、疑いようもなく“本物”だった。肌に纏わりつくような魔気。紫の魔火が指先でゆらりと揺れ、空気そのものを蝕んでいるような錯覚さえ起こす。そして、その瞳──すべてを見透かすような、艶やかで冷たい視線。「私はリリス。禁忌の魔女。貴方に契約を持ちかけに来たの」リリスは鉄格子を何の抵抗もなくすり抜け、ゆっくりとカインの前にしゃがみ込んだ。鎖も枷も、彼女の前では意味をなさない。ただの飾りにすぎなかった。「君の魂と、ほんの少しの快楽。それを代償に──力を与えてあげる」耳元で囁かれるその響きは、甘く、心地よく、どこか背徳の香りを含んでいた。カインの背筋がわずかに震える。本能が警鐘を鳴らしている。これは危険だ、と。だが同時に、抗いがたい何
Last Updated : 2025-07-25 Read more