All Chapters of もう遅い、クズ夫よ。奥さんは超一流ボスと再婚して妊娠中!: Chapter 21 - Chapter 30

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第21話

恵の顔に一瞬、不自然な表情が浮かんだが、素直に答えた。「いえ、ご主人様はこの数日、一度も帰ってきていません」そう言いながらも、一真をかばうように付け加えた。「いつもお忙しい方ですから、奥さん、あまり考えすぎないでくださいね」「うん、大丈夫。気にしてないよ」梨花は微笑みながらそう答えたが、心の中は空っぽだった。元夫の動向に思いを巡らせる余裕もない。ここ数日、まともに眠れていなかった。ようやくシャワーを浴びて、慣れ親しんだベッドに横たわったというのに、なぜか眠れそうになかった。この場所が、もう彼女にとっては安心できる場所じゃなくなっていたのかもしれない。部屋も、ベッドも、何も変わっていないはずなのに、すべてが変わってしまったように感じる。梨花は手を伸ばし、ベッドサイドのスマホを取ると、気だるげにSNSのタイムラインをスクロールし始めた。綾香の投稿:【宇宙一最高な親友を見送って、家で私を迎えるのは書類地獄】梨花は思わず口元を緩め、いいねを押した。そのまま画面をスクロールしていると、ふと指が止まった。桃子の投稿:【あなたは本当に約束を守ってくれたね。私を守ってくれて、いつもそばにいてくれてありがとう】添えられた写真には、病院のベッドに横たわる桃子と、果物を食べさせてくれている手が映っていた。映っているのはその手だけ。だが、長くて美しい指、くっきりとした関節、そして手首にある小さな赤いほくろ。梨花は一瞬でその手が誰のものかを見抜いた。一真だった。迷わずその投稿をスクリーンショットし、そのまま一真に送った。【まだ病院にいるの?ちょっと用があるから、明日病院に行ってもいいかな?】彼が家に帰ってこないなら、こちらから出向くまでだ。もう離婚したのだから、気を遣うこともない。潮見市空港。飛行機が到着し、一真は車に乗り込むと、シートにもたれかかり、疲れた様子で眉間を揉んでいた。夜は車も少なく、黒いマイバッハは滑るように走っていた。街灯の薄暗い明かりが、時折彼の端整な横顔に落ちる。一真はもともと品のある静かな顔立ちだったが、今はどこか冷たく、近寄りがたい印象をまとっていた。助手が静かに尋ねた。「社長、本社に戻りますか?それとも桜丘町に行かれますか?」「まずは本社に
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第22話

「じゃあ、いつ彼女と離婚するつもりなの?」桃子の追及に、一真の眉間が再び深く寄った。離婚。この数週間、一真が何度も耳にした言葉だった。まるで周りの人たちが、みんな「離婚こそが彼のするべきこと」だと思い込んでいるようだった。だが、一真にだけは分かっていた。この二文字を耳にするたびに、胸の奥に何かが引っかかり、息が詰まるような感覚に襲われていた。理由ははっきりしない。離婚すれば鈴木グループの株価が下がるからか、それとも桃子の評判が地に落ちるからか。どちらにせよ、彼の答えはただひとつ。「いつだって無理だ」一真は即座に、強く、はっきりとそう言い切った。翌朝。梨花はぼんやりと目を覚まし、スマホを手に取って時間を確認した。そのとき、昨晩届いていた一真からの返信に気づいた。【何の用?明日帰ってからにして】桃子の前で揉め事を起こされたくないのだろう。彼が怖れているのは、きっと自分がまた桃子の額にか花瓶でも叩きつけるのではないかということ。でも、梨花にとっては、それだけで十分だった。明日彼が帰ってきて、すべてを話してくれたら、彼女はこの家を出る決心がつくのだから。彼女は顔を洗って、満足げに服を選び、階下へ向かう準備を整えた。部屋の出口で、ふと足を止めて振り返った。鈴木家の次男の妻として、梨花は特別に愛されてきたわけではないが、パートナーとして求められる場には必ず同伴していた。そのため、クローゼットの半分以上を占めるのは高級ブランドのドレスやジュエリー、バッグなどのものだった。金に困らぬ鈴木家。だが、離婚すればこれらはゴミ捨て場行きだ。だったら、梨花はボランティア団体に連絡を取り、全部寄付することにした。服は団体に委ね、お金は貧困地域の少女たちの教育支援に充てられることとなった。荷物をまとめ、恵に発送を頼んだあと、ようやく梨花は気持ちを落ち着けて朝食を取りに階下に降りる。リビングを通りかかると、そこに座っていたのは、完璧にメイクを施し、シャネルのスーツを着こなす一人の女性、鈴木家の奥さまだった。梨花は思わず声を漏らしてしまった。「お母さん......いらっしゃってたんですか?」「こっちへ来なさい」鈴木奥さまは手招きし、リビングのテーブルに置かれた、蝶結びのほどけたプレ
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第23話

体の関係って......もう既婚の女性なのに、この言葉の意味がわからない人なんていないだろう。鈴木奥さまの瞳がわずかに揺れ、信じられないという表情で尋ねた。「冗談じゃないわよね?まさか、お母さんにそんなこと言うなんて」「こんなことで冗談なんか言いませんよ」梨花はゆっくり顔を上げた。小さな顔に浮かぶのは、暗く冴えない表情だったが、声はいつも通り穏やかだった。「お母さん......私はもう、離婚するしか考えられないんです」「......」鈴木奥さまは頭に血が上りそうになったが。けれど怒りの矛先は梨花ではなかった。息子と—桃子に対してだった。片方は鈍感すぎて、もう片方は欲張りすぎる!ここまで来てしまっては、いくら母としての立場があっても、梨花に「離婚をやめろ」とはもう言えなかった。何をどう言えばいいのか、わからなかった。自分の息子がなんの責任も取らずに三年という年月を他人に費やさせたことが辛かった。相手は「既婚」の名の下に縛られながら、夫婦として当然の関係すら持っていなかったのに。鈴木奥さまは深く息を吐き、感情を落ち着けると、梨花の手の甲にそっと手を添えた。「離婚届......あなた、欲しいのは若葉小路のあの物件だけなのね?」「はい」梨花は唇を噛んで小さく頷いた。「もし無理なら......あの家はなくても問題ないです」彼女は分かっていた。今日の目的は「離婚」それだけだった。以前に渡された1億2000万円と、彼女の貯金があれば、これからの生活に困ることはないだろう。周囲からは裏切られたことだけでなく、離婚して何も持たずに家を出る哀れな女だと思われるだろう。けれど梨花は、それでいいと思っていた。むしろ、十分に「得をした」と感じていた。この三年間、少なくとも自由だった。黒川家にいたときより、遥かに。罰として正座させられたり、叩かれたりすることがなかった日々だけでも、悔いは一切なかった。「......何を言ってるの」鈴木奥さまはじっと彼女を見つめた。「そんな噂が立てば、鈴木家が嫁を虐げたって言われるに決まってるわ。だから、こうしよう」「若葉小路のあの家にはそのまま住んでもいいし、もう一軒、私の名義の物件をあなたに譲るわ。どちらも若葉小路にある物件よ。一つは将来自分で
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第24話

鈴木奥さまは一切の無駄を省いた口調で、冷ややかに言った。「あなたは今でも鈴木家の一員よ。黒川家だって、少しはうちの立場を考えてくれるでしょ?」梨花はその言葉に、思わず手のひらをギュッと握りしめた。驚いたように鈴木奥さまの目を見つめる。「黒川奥さまが本当にあなたのことを大切に思っていたなら、どうして漢方病院で働ける話を潰したの?」鈴木奥さまの口調、まるで変わらなかった。「黒川家から帰ってきた時も、何回か歩き方がおかしかったことがあったでしょ」その一言に、梨花の体がピクリと震えた。視線をそっと逸らし、近くにいた恵に目を向けると、彼女は気まずそうに目をそらした。すべて、鈴木奥さまに見透かされていたのだ。あの頃の彼女の虚勢はすでに鈴木奥さまに見透かされていた。けれど、賢い人間は必要な時まで何も言わない。今がその「必要な時」なのだ。手のひらの力を抜いた梨花の顔には、ほんのりと青ざめた色が浮かぶ。反発心が芽生えるのを感じながら、彼女は問うた。「暫くって、どれくらいのことを言ってるんですか?」「できるだけ早く手配するわ」「1億円」「何ですって?」鈴木奥さまは一瞬、目を大きく見開いた。だが、梨花はまるで何事もなかったかのように、落ち着いた声で言葉を続けた。「若葉小路の二軒の家、それに加えて1億円」明らかに、相手の想定を超えた要求だった。けれど彼女は分かっていた。自分の本質は強く出られると跳ね返す性質で、もし鈴木奥さまがお祖母様の体を盾に話を進めてきたなら、二つ返事で承諾しただろう。でも、その高圧的な態度がどうしても我慢ならなかった。黒川家のやり方にそっくりだった。自分は黒川家の犬以下の扱いだったくせに、周囲の目には「恩を受けた娘」として映り、感謝して当然という空気が蔓延していた。「自分が何を言ってるかわかってるの?恩知らず!」鈴木奥さまは怒りに震え、目の前の茶器を手に取って床に投げつけた。ガシャンと鈍い音が響き、茶がカーペットに広がっていった。残ったのは、濡れた絨毯と、凍るように冷たい空気だけだった。まるで、この結婚の終わりそのものだった。玄関から音がした。庭に黒いマイバッハが停まっているのが見える。いつの間にか一真が帰ってきていた。彼は少
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第25話

「うん、ビザのことね」梨花は何気なく、軽く嘘をついた。「綾香が海外旅行に誘ってくれて。でも私、面倒で行きたくないって言ったら、お母さんがそれ聞いて、手配は任せなさいって言ってた」言い終わるか終わらないかのうちに、スマホが鳴った。1億円の入金。一真はそれ以上追及せず、昨夜のことを思い出すように話を戻した。「そういえば昨日、あなた何か用があるって言ってたよな。なんだったっけ?」梨花は一瞬言葉に詰まり、唇を引き結ぶ。「ビザのこと。手続き面倒だし、一真に頼めば楽かなって思って」「もう少し早く帰ってれば、手間かけさせずに済んだのかな?」一真は苦笑しながら、テーブルにあった空のギフトボックスをちらりと見た。「これ、僕へのプレゼントだったんだよな?」「お母さんが見つけて、気に入ったみたいで持って行っちゃった」梨花はさっと答える。「もし欲しいなら、次はお母さんにもう一つ頼んでもらって」一真は頷いた。「母さんが喜んでくれたなら、それでいい」彼はそれ以上中身を聞こうともしなかった。まるでこの三年間ずっとそうだったように。ただ、無関心だっただけ。かつて梨花はそれを「穏やかだな」と思っていたが、今なら分かる。それは、どうでもよかったということだ。彼女が何を贈ろうが、どんな気持ちでいようが、関係なかった。「うん、またわざわざプレゼント買わされるんじゃなければ、別にいいよ」「ケチだな」一真はからかうように横目で見ながら言った。「僕だって、竜也よりケチじゃないだろ?」指先で無意識に指の腹を撫でながら、梨花は少し微笑んだ。「あなたは昔から気前がいいよ」まだ幼かった頃、誕生日を祝うときは、いつも竜也の友人たちと一緒だった。その中で、一真がくれたプレゼントだけは、いつも彼女の心にぴったりだった。優しくて、礼儀正しくて、人を喜ばせることができる人だった。けれどそれは、あくまでも「友達の妹」への好意だった。それ以上でも、以下でもなかった。そんな彼の一面を思い出しながら、梨花の微笑みはどこか切なさを帯びていた。その返事が気に入ったのか、一真は口元をほころばせた。「まだ竜也と喧嘩してるのか?」「別に、喧嘩なんてしてない」梨花の声は、静かで冷たかった。彼女は
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第26話

恵は段ボールを開けようとしたそのとき、一真のスマートフォンが鳴り響いた。「やめて!離してよ!」桃子の必死な叫び声が、スピーカーを通して耳に飛び込んできた。「一真!助けて!」その瞬間、一真のが急に変わった。一瞬のためらいもなく、彼はすぐに飛び出し、走り出した。「見なくていいんですか?すぐに発送しますよ......」恵が慌てて声をかけるがした。「送れ!」それだけ言い残し、一真は何もかも振り切って走り去っていた。ホテルに着いた一真は、フロントの制止を無視し、目的の部屋の前まで駆けつけた。長い脚で勢いよくドアを蹴り開けた。その部屋には男が三人いた。幸い、桃子の服はかろうじて整っていた。彼女は一真の姿を見た瞬間、膝から崩れ落ち、涙をこぼした。一真の目は赤く血走り、怒りが全身からにじみ出ていた。近くの椅子を掴むと、男たちに向かって容赦なく投げた。椅子が壊れたら、今度は拳で殴りかかった。何発でも、鈍い音が室内に響き渡った。梨花が警察からの電話を受けたとき、言葉にならない虚無感が彼女を包んだ。あんなにも冷静で品のある人が暴力沙汰だなんて。しかも一対三。相手を本気で殴り倒したらしい。彼女が警察署に駆けつけると、顔に傷のある一真が椅子に座っていた。「どういうこと?」梨花は呆然とした声で問いかけた。「梨花、怒らないで」目を赤く腫らした桃子が、近寄ってきた。「私が悪いの。つい飲みすぎちゃって......一真が助けに来てくれなかったら......」全部言い終わる前に、梨花は気づいた。これは、「絶体絶命のヒロインを助ける主人公」みたいな話か。しかも、その主役は自分の夫だった。それだけだった。一真は少し気まずそうに梨花を見つめながら言った。「悪いな、手間をかけさせて」「いえ、構いませんよ」梨花は迷うことなく警察と手続きに向かった。被害者への謝罪、治療費の支払い、罰金の処理。冷静に必要な手続きをこなす彼女の姿に、警察官も驚きを隠せなかった。「奥さんですよね?いや、元ですか?」梨花は淡々と答えた。「離婚するつもりです。ただ、まだ正式に離婚届を出してないだけです」「はぁ......それにしても、こんな冷静な元奥さんって珍しいですね.....
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第27話

冷たい視線を一真の後ろに立つ桃子に向け、梨花は淡々と告げた。「いいえ、綾香が待ってるので」「梨花」一真は何かを感じ取ったのか、彼女の手首をそっと掴んだ。「ちょっと待ってくれ」梨花はその手を振り払おうとしたが、一真は動かない。彼はそのまま桃子を見て、言った。「先に車に乗ってて」「うん、梨花とちゃんと話して来て」桃子は一応、柔らかく微笑んでみせたが、その手のひらはぎゅっと握られたまま。車に乗り込む前、梨花を睨みつけるのを忘れなかった。一真は梨花の手首の内側を親指でなぞりながら、慎重に言葉を選ぶように話し出した。「前に病院で、あなたが桃子を瓶で殴った件、彼女は警察に届け出しないって言ってくれた。もう水に流すって。僕もそれに応える形で......しばらくは引っ越しの話を保留にすると約束したんだ」あくまで「彼女が寛大に許した」という形だった。そして「一真も仕方なく妥協した」という態度。まるで二人とも、梨花の「衝動」をかばってあげているような。「もし私が通報してたら?」「え?」「あの高さの段階から突き落とされて、頭を割って血まみれになったの。それでも、私は警察に通報しちゃいけなかったの?」梨花は静かに一真を見つめた。「もし私があの日、通報していたら、あなたはどうしたの?たぶん最初に考えたのは、どうやって桃子を守るかでしょ」あの日、病院のバルコニーで耳にした後始末という言葉。今思い出しても、滑稽だった。自分があれだけ傷ついても、夫の頭にまず浮かんだのは『他人のフォロー』。一真は言葉を失い、顔がこわばった。梨花はその表情を見ながら、淡々と話を続けた。「本気であなたが望めば、彼女が通報したってどうにでもなったはずよ。あなたには、それだけの力がある。だからこそ、あなたが彼女と同居を続けると決めたのは、私のためじゃない。自分がそうしたいから。桃子と一緒にいたいから。だったら、私のせいにしないでほしい」164センチの彼女は一真の前では少し小柄だった。けれど、彼女の言葉には一切の怯みがなかった。穏やかで、静かなのに、鋭い真実を突いてくる。一真は言葉を失い、黙り込んだ。この口調、この語調、まるで別人のようだ。いや、本来の彼女が、今やっと現れたのだ。平然と、痛いところを
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第28話

梨花が鈴木奥さまに約束したのは「一真に離婚のことを言わない」ことだけだった。同じ屋根の下で暮らし続ける、なんて一言も言っていない。桜丘町へ戻る道中。後ろの座席に座る一真、虚空を見つめながら、まるで思考の迷路に迷い込んだような表情を浮かべていた。「一真、何ぼっとしてるの?」隣の桃子が彼の腕を揺さぶりながら問いかけた。乗車してからというもの、一真は明らかに上の空だった。梨花とまた何か話したのだろうか、桃子の疑念は膨らむばかり。「何でもない」眉間を軽く押さえながら答えた一真の視線の先には、ちょうど通り過ぎたばかりの病院が見えた。梨花が診療している病院。彼の表情にはどうにもできない苛立ちと諦めが混じった色が浮かんでいた。「あそこって、確か梨花が働いてる病院?」一真の表情の変化を見逃さなかった桃子は、警戒心をあらわにしてガラス越しに病院を睨んだ。鈴木奥さまは梨花が余計な波風を立てるのを警戒していたのか、入金も早ければ、物件の名義変更もすぐに進んだ。その日の午前中だけで、梨花の手には権利証が二冊加わった。潮見市の中でも、まさに一等地と呼ばれる若葉小路。綾香は何か裏があるんじゃないかと、わざわざ仕事を休んで同行してくれたが、手続きも契約内容も、何一つ怪しいところはなかった。まるで用意周到に準備されていたかのように、すんなりと進んでいった。不動産センターから出た途端、綾香は車に乗るなり梨花の腕に飛びついた。「お金持ちのお姉さん!もう私、働きたくないの!梨花、養ってくれない?」「いいよいいよ、養っちゃうよ!」梨花は彼女の頭を撫でながら笑った。「引っ越して一緒に住まない?」「え?」綾香の目が輝き、ニヤニヤと笑った。「引っ越しはいいかな。毎日遅くまで働いてるし、生活リズム違いすぎて絶対神経すり減る。でも、ちょこっとお金持ちの生活を体験するくらいなら、いいかも!」そう言うなり、二人は昼食もそっちのけで、荷物をまとめて若葉小路の新居へと向かった。梨花が頼んでいたデリバリーもちょうど届いた頃だった。綾香はご機嫌に頬張りながら言った。「やっぱこの店の味が一番!辛さとシビレのバランスが絶妙!でも私の地元じゃデリバリーやってなくて、わざわざ店まで行かなきゃなんないのよ!もう......
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第29話

優真は梨花の真正面にあるデスクの椅子に腰掛けていた。彼の視線を背中に感じながら処方箋を書くのは、正直なところかなりのプレッシャーだ。しかもその処方箋、一度は必ず優真の目を通さなければならない。この日、友人の紹介で来た患者は男性だった。冗談めかして笑った。「先生、そんなに慎重にされたら、逆に自分が重病なんじゃないかって不安になっちゃいますよ」潮見市のこの漢方医院では、患者たちもみんな知っている。優真は梨花と和也の先生だ。優真は優しく笑った。「安心しなさい。彼女は難病専門だ。あなたの程度なら朝飯前だよ。ただね、この子は私の前だと、いつまで経っても子供みたいなもんなんだ」彼は処方箋をざっと確認し、すぐに梨花に返した。優真の目には、梨花はここ数年で出会った中で最も漢方に才能のある人物だった。もし黒川家のおばあさんが邪魔しなければ、今頃はもっと大きな舞台で活躍していたかもしれない。薬の研究をしても、署名ひとつすらまともにできない現状が悔やまれた。「筋道もいいし、分量も完璧。飲めばすぐに効果が出るはずだ」この患者は、大腸内視鏡の検査結果で重度の腸炎と診断されていた。漢方薬も西洋薬も試したが、症状がぶり返していた。梨花は脈を取っただけで、原因が炎症ではなく「過度な不安によるストレス」にあると見抜いた。そのため、消炎ではなく逆に精神を整える処方で対応した。患者はもともと「試しに」と思って来ただけだったが、優真の言葉を聞いて一気に安心したらしく、顔をほころばせた。「先生、次来る時は絶対に感謝の横断幕持って来ますよ!」「いえいえ、次は来なくて済むように願っています」梨花は手を振って笑いながら答えた。「でも、気持ちは明るくね。体が一番大事だから」処方通りに七服の漢方薬を服用すれば、基本的には治る見込みが高いだろう。とはいえ、医者として言い切るわけにもいかない。最後の患者を見終えた頃、優真は立ち上がって声をかけた。「行こうか。綾乃がもう夕飯の準備をしている」「それじゃ、今日も和也と一緒にごちそうになります!」吉田綾乃(よしだ あやの)は優真の妻で、彼女の料理は美味しく、気配りも細やか。梨花の好みを知っていて、彼女が来るとわかれば必ず好物を用意してくれる。車の前で、和也は運転席で待って
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第30話

後ろを歩いていた梨花は一瞬だけ背筋を強張らせた。けれど、優真が心配そうに振り返った時には、すでに何事もなかったかのように平然としていた。優真は二人を先に家へ入らせ、自分は梨花を呼び止めた。「無理にとは言わないが......気まずいようなら、あの若造には帰ってもらう。食事は遠慮してもらえばいい」「大丈夫です、先生」梨花の声は穏やかだった。草嶺国で偶然彼と会ったあの日から、彼女は再会の可能性もすでに織り込んでいた。海外でばったり遭うくらいなら、また顔を合わせる日が来ても不思議じゃない。竜也は今や誰もが一目置く存在で、もともと冷淡な性格だ。優真に頭を下げさせるような価値も、彼女にはない。優真は彼女の落ち着いた表情を見て、黙って肩を軽く叩いた。「そうか。まあ、血のつながった兄妹なんだし、あいつなりに事情があったのかもしれん......」「先生」梨花は俯き加減に目を伏せ、そっと遮った。「中に入りましょう」こんな言葉、何度聞かされたか分からない。「事情があったんだろう」「仕方なかったんだろう」それが本当なら、なぜ彼は私に何も言わず、まるでゴミでも捨てるように切り捨てたのか。結局のところ、黒川家のお祖母様の言葉こそが、真実なのだ。竜也のような選ばれし者にとって、猫を飼うのも犬を飼うのも、ただの気まぐれにすぎない。飽きたら手放す。それが当然。優真もそれを分かっているからこそ、これ以上何も言わなかった。「行こう」梨花が家に入る前、室内の空気はどこか和やかだった。和也は研究所で竜也と一度会っており、綾乃の紹介もあって自然と会話が弾んでいた。「梨花、こっち」彼女が部屋に入ると、和也が手を振って呼んだ。「こちらが黒川グループの黒川社長、草嶺国で少しだけお会いした方だよ」男は姿勢正しくソファに座り、黒い瞳には相変わらず感情の色がほとんどない。窓から差し込む夕陽が彼の輪郭をやわらかく照らすが、生まれ持った気高さと冷たさまでは消せない。梨花は指先で指の腹を撫でながら、淡々と口を開いた。「黒川社長、こんにちは」「黒川社長、こちらは梨花。僕の大学時代の後輩で、優秀な漢方医師です」和也は少し誇らしげに話した。竜也に軽く見られないようにと、さらに一言付け加えた。
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