All Chapters of トップモデルの幼なじみと、ひみつの関係: Chapter 31 - Chapter 40

56 Chapters

第31話

沙羅さんが去ったあとも、私の心は波立ったままだった。彼女の冷たい言葉が頭の中でリフレインし、何度も胸を刺す。『律くんは、あなたのことなんて遊びよ』そんなはずはない。律は、私を大切にしてくれている。でも、沙羅さんの確信に満ちた表情が、私の心に小さな疑念の種を植え付けていく。「一条さん、大丈夫?顔色が悪いよ」先輩スタッフの声で、ハッと我に返った。「あ、すみません。ちょっと暑くて……」「もうすぐ休憩時間だから、少し外の風に当たっておいで」優しい言葉をかけられて、ようやく現実に戻ることができた。***それから数日が過ぎた8月下旬のある日。夏休みも終わりに近づき、久しぶりに大学に書類を取りに行くことになった。蒸し暑い午後、図書館での調べ物を終えて大学構内を歩いていると……。「寧々?」聞き覚えのある声に振り返ると、そこには拓哉がいた。一瞬、時が止まったように感じる。拓哉の顔を見るのは、あの日以来だった。拓哉と同棲していたアパートに出向き、自ら彼に婚約破棄を告げたあのとき以来。拓哉は、少し痩せたような気もするけれど、相変わらずの人懐っこい笑顔を浮かべている。「拓哉……」私の声は思ったより冷静だった。以前なら、拓哉を見ただけで動揺して、言葉すら出なくなっていたかもしれない。でも、今の私は違う。「寧々……お前、何か変わったな」拓哉が一瞬言葉を失ったように、じっと私を見つめている。「そう?」「なんていうか……前より、きれいになった?雰囲気も違うし……」彼の戸惑ったような表情に、不思議と満足感を覚えた。律と過ごす日々の中で、私は確かに変わったのかもしれない。自分でも、鏡を見るたび以前より生き生きとした顔をしていることに気づいていた。
last updateLast Updated : 2025-10-02
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第32話

︎︎︎︎︎︎それから数日後。私のスマートフォンにメッセージが届いた。差出人は——拓哉だった。『最近どうしてる?元気か?』最初のメッセージは、さりげない挨拶だった。でも、私は返事をしなかった。翌日には、また別のメッセージ。『大学の課題、手伝おうか?また昔みたいに、一緒に勉強しない?』「は?」昔みたいにって、何を今更。拓哉は、山下さんを選んだくせに。私を裏切って、傷つけておいて、今になって何を言っているのだろう。胸の奥で、嫌悪感がむくむくと湧き上がった。「どうした?寧々。難しい顔して」リビングのソファでスマホを見つめていた私に、律が心配そうに声をかけてきた。「あ、えっと……なんでもないよ」律に心配をかけたくなくて、曖昧に微笑む。でも、律は私の表情を読み取るのが上手い。「何かあったら、遠慮しないで話してくれよ。俺にできることなら、何でもするから」その優しい言葉に胸が温かくなった。拓哉とはこんなふうに、お互いを思いやったことがあっただろうか。***翌日。カフェでのバイト中、私は集中することができずにいた。お客様の注文を聞き間違えたり、コーヒーカップを落としそうになったり。「一条さん、大丈夫?今日はミスが多いけど」先輩のバイト仲間が、心配そうに声をかけてくれる。「すみません……少し疲れているだけです」でも本当は、拓哉からの連絡が頭から離れなかったのだ。あれから、拓哉からのメッセージは日を追うごとに増えていた。『今度の土曜日、昔よく行ったカフェに行かない?寧々の好きだったケーキ、まだあるよ』『この前大学で会ったとき、なんだか素っ気なかったけど……俺、何かした?』『寧々、返事くらいしてくれよ。心配になる』どのメッセージも、まるで私たちがただの友達であるかのような、あるいはまだ恋人であるかのような口調だった。私の中で、怒りがじわじわと湧き上がってくる。
last updateLast Updated : 2025-10-03
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第33話

︎︎︎︎︎︎9月に入り、秋の気配が感じられるようになった。大学では後期の授業が始まり、私はゼミのレポート課題に追われる日々を送っていた。沙羅さんの脅迫と拓哉からのしつこい連絡に怯えながらも、私は必死に日常を保とうとしていた。でも、どんなに平静を装っても、律には私の変化が分かってしまうようだった。今日も私がリビングのテーブルで資料を広げ、パソコンに向かっていると、律がそっと隣に座った。「レポート、順調?」「うん、まあ何とか……」私が答える間も、指は止まることなくキーボードを叩き続けていた。文学部のゼミで課された「現代日本文学における女性像の変遷」というテーマは興味深いものの、参考文献を読み込むのに時間がかかっていた。律は私の様子をしばらく見つめたあと、静かに立ち上がった。そして本棚から一冊の本を取り出し、私の向かい側に座る。ページをめくる音だけが、静寂な空間に響く。律がそばにいてくれるだけで、なぜかとても心が落ち着いた。「寧々。コーヒー、淹れてこようか?」律がふと顔を上げて言った。「ありがとう。でも、自分で——」「遠慮するな」律は、既に立ち上がっていた。「寧々は、集中してて」数分後、律は私の好きなハニーカフェラテを持ってきてくれた。「はい、お疲れ様」甘い香りが、疲れた頭をリフレッシュしてくれる。「ありがとう」私が微笑むと、律も優しく笑い返してくれた。一口飲むと、ほっと息がつけた。外は台風の影響で雨が降り始めていて、窓を叩く雨音が心地よく響いている。それからも律は、私がレポートに集中できるようにと、音を立てないようにそっと本を読んでいてくれた。時々私のほうを見て、心配そうな表情を浮かべている。1時間ほど経った頃、私は肩の凝りを感じて首を回した。すると律が私の後ろに回って、そっと肩に手を置いた。「凝ってるな」律の大きな手が、私の肩を優しくマッサージしてくれる。優しく揉みほぐしてくれる指先に、思わず目を閉じる。「ん……気持ちいい」律の手のひらが、肩から首筋にかけてゆっくりと動く。プロのモデルだけあって、手入れの行き届いた綺麗な指。その指先が私の肌に触れるたび、胸の奥がきゅんと締め付けられる。「無理するなよ」律が私の頭をそっと撫でてくれる。「体を壊しちゃ意味がない」律の温かい手が頭を撫でてくれると、まるで子供の頃
last updateLast Updated : 2025-10-04
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第34話

夕食後、私たちはベランダに出て夜空を見上げていた。雨は上がり、雲の隙間から星がちらほらと顔を覗かせている。「久しぶりに星が見えるな」律が手すりに肘をついて、空を見上げる。横顔が街灯に照らされて、彫刻のように美しい。「律って、星を見るのが好きなの?」「昔から好きだった。子どもの頃は、よく寧々と一緒に見てたろ?」「あ……そうだったね」幼い頃の記憶が蘇る。夏の夜、縁側で並んで座って星座を探したこと。律はいつも、私よりも星座に詳しくて、いろんなことを教えてくれた。「あの頃から、寧々は星を見るとき、こんな顔をしてたよ」「こんな顔って?」「すごく真剣で、でもどこか夢見るような……」律が私の方を向いて、優しく微笑む。その笑顔に、胸がドキドキと高鳴った。「今でも変わらないな」「そう……かな」頬が熱くなるのを感じながら、私はまた空を見上げた。でも、律の視線が私から離れないのがわかって、落ち着かない。「寧々」「ん?」「今度の休みに、プラネタリウムでも見に行こうか」「本当に?」「ああ。寧々が喜んでくれるなら」律との約束。それだけで、心が躍るように軽やかになった。***リビングに戻ると、律が今夜観る映画を選んでいた。「今日は、寧々の番だったな。何か観たいものはある?」私たちは、交代で映画を選ぶことにしている。律はアクションやSF映画を選ぶことが多くて、私は文芸作品やロマンス映画を好む。趣味は違うけれど、お互いの選択を尊重し合っている。「何がいい?」「そうだなあ……」私は、DVDラックを眺めながら考えた。「これなんてどう?」私が選んだのは、フランスの恋愛映画だった。恋人同士の心の機微を描いた、静かで美しい作品。「いいね。寧々の選ぶ映画は、いつも心に残るものが多い」律の言葉に、嬉しさがこみ上げる。映画が始まると、私たちはソファに並んで座った。途中で律が「寧々、こっちおいで」と言って、私を自分の隣に引き寄せる。気づくと、私は律の肩に頭を預けていた。彼の体温が心地よくて、だんだんと眠気が襲ってくる。「寧々、眠いか?」「ちょっとだけ……」「俺の膝、枕にする?」律に促されて、私は彼の膝に頭を乗せた。律の手が、私の髪を優しく梳いてくれる。指先が頭皮に触れるたび、幸せな気持ちになる。「気持ちいい……」「そうか?良かった」律
last updateLast Updated : 2025-10-05
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第35話

「寧々、どうした?」律の鋭い視線が、私のスマートフォンに注がれる。黒のテーラードジャケットに白いシャツに身を包んだ彼の眉間には、小さな皺が寄っていた。「ううん、何でもないの。変な番号からで……すぐに切れたから大丈夫」私は、できるだけ自然に微笑んでみせた。律を心配させるわけにはいかない。彼には、大事な仕事があるのだから。律はしばらく私を見つめていたが、やがて諦めたように肩の力を抜いた。「もし何かあったら、すぐに連絡して」「うん、わかった」玄関のドアが閉まる音が聞こえ、私は一人になった。スマートフォンを握り締めながら、心臓の音が煩いほどに響く。また拓哉が現れるのだろうか。せっかく、平穏な日々を送れていたのに。***それから3日後、私が大学の図書館でレポートの資料を調べていると、友人の彩乃が息を切らして駆け寄ってきた。「寧々、見た!?律くんのニュース!」「え?」彩乃が興奮した様子で、スマートフォンの画面を私に向ける。そこには、見覚えのある美しい顔が映っていた。『神崎律、パリコレデビューへ。海外ブランド「ALEXANDRE MARTIN」専属モデルに抜擢』記事を読み進めると、律が世界的に有名なフランスのファッションブランドの専属モデルに選ばれ、来月パリで開催されるファッションウィークに出演することが決まったとあった。「すごいじゃない!日本人男性モデルが、ALEXANDRE MARTINの専属になるなんて、快挙よ!」彩乃の声が図書館に響く。周りの学生たちも振り返って、私たちを見ていた。「本当に……すごいね」私は記事の写真を見つめた。そこには、黒のスーツに身を包んだ律が、いつものクールな表情で写っている。でも、その瞳には強い意志と情熱が宿っていた。誇らしい。心から、そう思った。でも同時に、胸の奥に小さな棘のような感情が刺さる。律は、どんどん遠い存在になって
last updateLast Updated : 2025-10-06
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第36話

拓哉は以前より痩せて、髪も伸びっぱなしになっている。服装も、昔の彼なら絶対に着なかったような、しわくちゃのTシャツとジーンズだった。「寧々」私に気づいた拓哉が、私の名前を呼ぶ。その声は、昔のような自信に満ちた響きはなく、どこか弱々しかった。「どうして……ここがわかったの」私は立ち止まったまま、彼との距離を保った。「高校の同級生から聞いたんだ。お前が神崎律と連絡を取ってるって。神崎とは、高校が一緒だったから……。それで神崎のSNSを調べて、投稿された写真の背景とか、インタビューで話してた生活環境とかから、この辺りに住んでることがわかった。でも、まさかこんな場所にいるとはな……」「……っ」拓哉の説明に、背筋が寒くなる。そこまでして、私を探していたの?「俺、どうしても寧々に会いたかったんだ。話したいことがあって」拓哉が一歩近づいてくる。私は、反射的に後ずさりした。「あなたに話すことなんて、何もない」「そんなこと言わないで。俺、莉緒と別れたんだ」拓哉の言葉に、私は眉をひそめた。「それが私と何の関係があるの?」「やっぱり俺には、寧々が必要なんだ。あのときは、俺が悪かった。あいつは……莉緒は、俺が思っていたような子じゃなかった」拓哉の言葉は、まるで機関銃のように次々と飛び出してくる。「お前への悪口ばかり聞かされるのにうんざりしたし、俺の行動もいちいち制限しようとしてきて……。やっぱり俺には、寧々しかいない。もう一度、俺とやり直してくれないか?お前がいないと、俺はダメなんだ。お前がいないと、俺はまともに生きていけないんだ」拓哉の声は、だんだんと哀願するような調子になっていく。でも、その言葉は私の心にはもう何も響かなかった。むしろ、怒りすら覚える。「ふざけないでよ」私は拓哉を見据えて、きっぱりと言
last updateLast Updated : 2025-10-07
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第37話

「律……」「あいつが、佐伯拓哉か」律の声は、氷のように冷たかった。拓哉も律の存在に気づき、顔を上げる。「神崎……律」「これから、彼女のことは俺が守る」律は私の前に立ち、拓哉を見下ろした。その姿は、まるで私を守る盾のように見えた。「これ以上、寧々に近づくな。彼女を、これ以上困らせるな。もう二度と、寧々の前に現れるな、佐伯」律の声に、有無を言わせない迫力があった。「さもないと、俺が黙っていない」拓哉は律の迫力に圧倒されたように、一歩後ずさりする。でも、まだ諦めていない様子だった。「待てよ、神崎。お前と寧々って、どういう関係なんだ?まさか……」拓哉の視線が、私と律を交互に見る。その眼差しには、疑念と嫉妬が混じっていた。「それは、お前には関係ない話だ」律がきっぱりと遮る。「寧々は、お前なんかに渡さない」その言葉に、私の胸が激しく高鳴った。律の、私への想いが込められた言葉。拓哉は、しばらく私たちを見つめていたが、やがて諦めたように肩を落とした。「寧々……本当に、俺じゃダメなのか?」「ダメ」私は迷いなく答えた。「私の答えは、変わらない」拓哉は、もう一度私を見つめたあと、重い足取りでその場を去っていった。その背中を見送りながら、私は深いため息をついた。これで、本当に終わりだ。拓哉との関係は、完全に過去のものになった。「大丈夫か?」律が優しく私の肩に手を置く。その温かい手のひらに、涙が込み上げてきそうになった。「ありがとう、律」「当たり前だ。寧々を守るのは、俺の役目だから」律の言葉に、胸の奥が温かくなる。でも同時に、拓哉の疑いの眼差しが頭から離れなかった。彼は、私と律の関係を不審に思っている。もしかしたら、これ
last updateLast Updated : 2025-10-08
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第38話

律のパリコレ出演が正式に発表されてから、彼の周りは慌ただしくなった。連日のように打ち合わせやフィッティング、撮影が入り、彼が家にいる時間は以前よりもずっと少なくなった。それでも律は、朝食だけは必ず私と一緒に摂るようにしてくれていた。「今日も遅くなりそうだ。夕飯は、先に食べておいて」律がネクタイを締めながら言う。黒のジャケットに身を包んだ彼の表情は、いつもより少し疲れているように見えた。「無理しないで。体調を崩したら元も子もないよ」「ありがとう。寧々がいてくれるから、頑張れる」律が振り返って微笑む。その笑顔に、いつものような余裕がないことに気づく。きっと、相当なプレッシャーを感じているのだろう。玄関で律を見送ったあと、私は一人でコーヒーを飲みながら考えていた。最近の律は、明らかに以前と違う。もちろん忙しさもあるだろうけど、何かもっと深刻な悩みを抱えているように見える。私に、何かできることはあるのだろうか。***律の帰りが遅くなってから、1週間が経った頃。私は、大学の帰りに一人でカフェにいた。レポートの資料をまとめながら、ふと律のことを考えていた。律、無理していないかな?ご飯、ちゃんと食べてるかな……。そんなとき、カフェの入り口から見覚えのある女性が入ってきた。その人は、律のマネージャーの小島さんだった。彼女は私を見つけると、迷わず私のテーブルに向かって歩いてきた。「一条寧々さんですね?」女性が私の名前を呼んだ。心臓が跳ね上がる。「はい……」私は、動揺を隠しきれずに答えた。彼女と直接会ったことはないのに、どうして私の名前を知っているのだろう。「申し遅れました。私は、小島と申します。律の担当マネージャーをしております」律のマネージャーさんが、私に何の用だろう?「少しお話があります。お時間をいただけませんか」小島さんの声には、有無を言わせない迫力があった。「あ
last updateLast Updated : 2025-10-09
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第39話

マンションに帰っても、律はまだ仕事から戻っていなかった。いつもなら彼の帰りを楽しみに待っている時間が、今日は苦痛に感じられた。律の夢と私への想い——彼もきっと、同じように葛藤しているのではないだろうか。リビングの窓から見える夜景が、いつもより遠く感じられた。その夜、律が帰ってきたのは22時を過ぎていた。いつもより疲れた表情で、ネクタイも緩んでいる。「お帰りなさい」私がいつものように玄関に出ると、律は力なく微笑んだ。「ただいま。夕飯、ありがとう」律は私が用意しておいた夕食を温めて食べていたが、箸の進みが遅い。普段なら私と他愛のない話をする時間なのに、今日は沈黙が続いた。「律、疲れてる?」「少しな」律が短く答える。その表情に、私は違和感を覚えた。いつもなら、仕事の話をしてくれるのに、今日は何も話してくれない。もしかして、小島さんから何か言われたのだろうか。「律……」「ん?」「もし、私がいることで迷惑をかけているなら……」「そんなことはない」律が即座に否定した。でも、その声には以前のような力強さがない。「寧々がいてくれるから、俺は頑張れるんだ」律がそう言ってくれるのは嬉しい。でも、小島さんの言葉が頭から離れない。私がいることで、律のキャリアに悪影響が出ているのだとしたら。彼の夢を邪魔しているのだとしたら。***律が先にシャワーを浴びに行った後、私はリビングのソファで考え込んでいた。外では秋の風が窓を叩いている。この季節になると、なぜか物悲しい気持ちになる。律の夢を守りたい。でも、同時に彼のそばにいたいという気持ちもある。この矛盾した感情が、私の心を引き裂いていた。スマートフォンを手に取り、律の最新の雑誌記事を検索してみる。そこには、「世界を目指す孤高のモデル」という見出しで、律の特集が組まれていた。記事の中で律は、「今は仕事に集中したい。プライベートなことは考えていない」と
last updateLast Updated : 2025-10-10
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第40話

11月も半ばを過ぎ、マンションの窓から見える街並みは、すっかり冬支度を整えていた。朝の7時。私がいつものように朝食の準備をしていると、律がリビングに現れた。黒のカシミアセーターに、グレーのスラックス。完璧に整えられた身なりだが、その表情には疲労の色が濃く映っていた。「おはよう、律」私が振り返って挨拶すると、律は軽く頷くだけだった。いつもなら「おはよう、寧々」と優しく返してくれるのに、今朝は違う。スクランブルエッグとトーストを皿に盛りながら、律の様子を窺う。彼はスマートフォンを見つめ、忙しそうにメールをチェックしている。指が画面を滑る動きも、どこか苛立っているように見えた。「今日も撮影?」「ああ、午前中から夜まで」律が短く答える。その声には、いつもの温かみがない。私が用意した朝食を前に置くと、律はようやくスマートフォンから目を上げた。でも、私の顔を見ることなく、機械的に食事を始める。「最近、本当に忙しそうだね。体調は大丈夫?」「大丈夫だ」律の返事は素っ気なかった。私の心配を遮るように、彼は時計を見上げる。「もう行かないと」朝食を半分も食べないうちに、律は席を立った。「まだ食べてる途中でしょう?」「時間がないんだ」律がジャケットを羽織りながら言う。その背中は、なぜかとても遠く感じられた。「律……」「疲れているんだ、放っておいてくれ」律の言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。私は思わず息を呑む。律がこんなにも冷たい態度を取ることなんて、今まで一度もなかった。振り返ることもなく、そのまま彼は玄関に向かっていく。ドアが閉まる音が響いた後、私は一人でダイニングテーブルに残されていた。律の食べかけの朝食を見つめながら、胸の奥に重い石が落ちたような感覚に襲われた。***それから数日間、律との関係はどんどんぎくしゃくしていった。
last updateLast Updated : 2025-10-11
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