Semua Bab Memorable　～思い出と嘘の間で始まる愛～: Bab 11 - Bab 20

それが必要なことだと突きつけられてしまえば、私はもう何も言い返せなくなってしまった。もしも何か一つでも失敗すれば、父が黙っているはずがない。――私は秋久に雇われている、そう改めて胸に刻み込み、自分を納得させるしかなかった。その夜、なんだかんだと理由をつけて片づけを長引かせ、できる限り時間を稼いでいた。食事のあと、秋久は「仕事をする」と言い残して寝室へ向かったが、どうやらそこで作業をしているらしい。もし本当に彼が一緒に寝るつもりだとしたら――そう考えるだけで心臓が跳ね上がり、私は落ち着きを失ってしまう。秋久が一度口にしたことは必ず実行する人間だと、誰よりも知っているのは私自身だ。この大きなソファで眠ってしまえばいいのではないか、そんな考えが頭をよぎる。いきなり帰ってきて、しかもあんなキスまでしてきた秋久と同じベッドで眠るなど、想像するだけで無理だ。これはあくまで秋久の希望であって、私の意見が考慮されているわけではない。それならば、せめてここで眠るくらいは許されるはずだ。すでに秋久はシャワーを浴び終えているのだし、私も風呂に入って、このソファで目を閉じてしまおう――そう心の中で決めた。私は考えをまとめると、足音を立てないようそっと自分の部屋へ戻り、クローゼットの扉を開いた。さっきはきちんと確かめる余裕もなかったが、改めて目を凝らせば、そこにはシルクだろうか――今まで一度も身につけたことのないような繊細なレースをあしらった大人びた下着がずらりと並んでいて、思わず眩暈を覚える。その中から一番可愛らしく見えた淡いピンクのものを手に取り、私は逃げるように浴室へと向かった。大きな窓ガラスに囲まれた広々とした浴槽に身を沈め、ようやく肩の力が抜けていく。今日一日があまりにも目まぐるしく、心も体も疲れ切っていたことに気づいた瞬間、大きな息が自然と漏れた。「あったかい……」小さく呟いたところまでははっきり覚えている。「大丈夫か！」はっと目を覚ませば、どうやらそのまま湯船で眠ってしまっていたらしい。ドア一枚隔てた外から秋久の声が響き、私は慌てて現実に引き戻された。「ごめんなさい、大丈夫だから」見られているわけではないのに羞恥心が込み上げ、顔が熱を帯びていくのを感じながら、慌てて声を上げる。「ならいいけど」低く返されたその声が、妙に近くに感じられて胸の鼓動がさ

不安に押し潰されそうになると、私は机に向かい、語学やマナーの勉強をして気を紛らわせていた。今日も夢中になっているうちに、気づけば時計の針は十八時を回ろうとしており、慌ててキッチンへと足を運んだ。数十階建ての大友グループ本社ビルは、このマンションからも程近い。秋久が「帰る」と連絡を寄越せば、その時点からが私の本当の仕事の始まりだった。海外暮らしが長かった彼は、むしろ和食を好む。今夜の献立は、朝から煮含めておいたぶり大根、なめたけのみぞれ和え、ほうれん草と卵のホットサラダ、そしてせせりの柚子胡椒焼き。ぶり大根は温め直せばよく、なめたけはさっと湯通しして大根おろしを添えるだけ。せせりは塩と柚子胡椒で香ばしく焼き上げる。小鉢に少しずつ盛り付ければ、酒の肴にもなる品々が並んでいく。帰宅後に晩酌を楽しむ秋久は、こうした小皿料理を殊のほか喜んでくれるのだ。ひととおり準備が整い、胸を撫で下ろしたそのとき、タイミングを計ったかのようにスマホが短く震えた。『今から帰る』――秋久からのメッセージ。数分後、玄関の扉が開く音がして、私は菜箸を置き、自然と足を向けた。「おかえりなさい」ふわりと柔らかな笑みを浮かべた秋久からビジネスバッグを受け取り、靴を脱ぎ終えるのを待つ。使用人として慣れた所作のはずなのに、今は意味が違う。「ただいま、古都」低く落ち着いた声とともに、秋久の指が私の髪を耳にかけ、頬に軽く口づけが落ちた。最初は驚きしかなかったのに、これも役割の一部だと思ううち、今では習慣となり――気づけば、その瞬間を待っている自分さえいた。「すぐにご飯にする？　それともシャワー？」並んで歩きながら尋ねると、少し考えて「先に食事にする」と答えた。秋久が着替えに向かう間に、私はダイニングテーブルに料理を並べ、ビールグラスを用意する。やがて、ラフなグレーのスウェットに着替えた秋久が戻ってきた。初めてこの姿を見たときは衝撃だった。常に完璧なスーツ姿しか知らなかった私には、あまりにも違って見えたからだ。「……何？」「その恰好にも、少しは慣れてきたかなって思って」素直にそう答えると、秋久はゆっくりとキッチンに歩み寄ってきた。「当たり前だろ？　ここは俺たちの家だ」――俺たち。自分ひとりではなく、私をも含めたその響きに、嬉しさと同時に、いつか終わりが来るという不安が入り混じ

「いや、古都じゃなきゃダメなんだ」またその言葉。どうしてリサさんや他の令嬢たちではダメで、私ならいいというのだろう。地味で何も取り柄のない私だからこそ都合がいいのか、それとも別の理由があるのか――答えを知るのが怖くて、胸がざわめいた。「どうして？」気づけば、その問いが口から零れていた。私じゃなければならない理由。リサさんではダメな理由……どうしても聞かずにはいられなかった。「それは――」秋久が答えようとした瞬間、私は慌てて言葉を重ねた。「あっ、フランス語のこと？」まるで予防線を張るように、自分で逃げ道を作ってしまう。知りたいはずなのに、答えを聞くのが怖い。――何をやっているの、私……。自分自身が一番わからない。そんな私をよそに、秋久は内ポケットから一枚の名刺を取り出した。「今週、時間作れるか？」「もちろん。何をすればいいの？」てっきり買い物でも頼まれるのかと思い名刺に目を落とすと、それは大友家御用達の衣裳店のものだった。テレビで見たことのある、格式高い老舗の名。「ドレスを作りに行ってきてくれ」「……誰の？」思わず問い返した私に、秋久はにやりと笑みを浮かべて答えた。「もちろん、古都のだ」「やりすぎだ」そう思いながらも、約束の日、秋久が手配してくれた黒塗りの車に揺られ、大友家御用達の衣裳店へと向かっていた。あの屋敷で育ったからこそ名前や格式だけは知っていたが、いざ自分がその扉をくぐる側になると話はまるで別で、胸の奥がドキドキと落ち着かない。緊張を抱えたまま店に入ると、光沢を帯びた大理石の床に、シャンデリアが柔らかく反射して輝いていた。その中で、ひときわ上品な笑顔を浮かべる女性が私を出迎えてくれた。「奥様、お待ちしておりました」三十代後半だろうか、知性と優雅さが同居するその女性は、まるで舞台に立つ女優のような美しさを纏っていて、私は思わず息を呑んだ。「沢口円花と申します」綺麗な所作でそう挨拶され、私は慌てて背筋を伸ばし、深く頭を下げた。「緊張されてますか？」柔らかな声に少し救われた私は、正直に小さくうなずいた。「正直、私自身がこんな場所に足を踏み入れる日が来るなんて、夢にも思っていなかったので……」心からの言葉を口にすると、沢口さんはふわりと優しい笑みを浮かべ、まるで不安を包み込むように続けた。「あの秋久様の隣に立つの

何も言えずにいると、沢口さんは気にする様子もなく、すっとカーテンを開けた。その瞬間、秋久と視線がぶつかり、私は思わず息を呑んだ。――こんなふうに、彼の前で自分をさらけ出すのは初めてだった。「ああ、いいな。あとはアクセサリーを選んでもらおう」秋久はいつも通りの落ち着いた声でそう言い、沢口さんも心得たようにうなずくと、上品な箱を開けた。中には、繊細な光を放つジュエリーがずらりと並び、そのひとつに指を止める。「こちらで問題はありませんか？」沢口さんが確認すると、秋久は短く「それで」と答えた。「秋久、これ！」思わず声が出る。――それは、大友家の女主人だけが代々受け継ぐというネックレスだった。私が身につけていいはずがない。それなのに、秋久は私の抗議をまるで聞いていないかのように、迷いなく手を伸ばし、私の首元にそのネックレスをかけた。冷たい金属が肌に触れた瞬間、胸の奥がざわめく。鏡に映る私は、もう自分ではないように見えた。「うん、綺麗だ」秋久は短くそう言い、穏やかに目を細めた。その声に、思わず心臓が跳ねる。蕩けそうな笑みでそう言われた瞬間、思考がふっと止まった。もはや現実とは思えず、夢の中にいるのだと自分に言い聞かせるしかなかった。「それでは、ドレスを届けておきます。そして、今すぐ着ていくドレスも用意してもらえますか？」秋久は何事もないようにさらりと言い、私の腰を軽く抱き寄せながら、いつもの柔らかな笑みを浮かべた。その仕草に沢口さんも慣れているのか、落ち着いた声で応じる。「はい、それもご用意いたします」「え？ 秋久？ 私は別に――」抗議の言葉も途中でかき消され、再び鏡の前へと連れていかれる。淡いピンクとホワイトのグラデーションが美しいドレスを着せられ、髪は緩やかなダウンスタイルに整えられた。鏡に映る自分は、さっきまで家で夕食を作っていた人間とはまるで別人のようで、何が起きているのか理解が追いつかない。仕方なくそのまま秋久のもとへ戻ると、彼は満足そうに目を細め、穏やかな声で言った。「行こうか」差し出された手。「え？ どこへ？」思わず問い返しても、秋久はただ微笑むだけだった。「秋久、仕事はどうしたの？」重ねて尋ねても、返ってくるのはいつもと違う柔らかな笑い声だけ。そのまま私の手を取り、軽い足取りで店を出ると、外には艶やかな

なんとかマナーも無事にこなせたかな――そう思って安堵した私は、グラスを置き、ふと窓の外に目を向けた。夜の街はキラキラと光を散らし、ガラス越しに映るビルの明かりが星のように瞬いている。こんな場所に自分が座っていることが、いまだに信じられなかった。しかも、向かいには秋久がいる。現実なのに、どこか夢の中のような感覚だった。ふと、自分の手に視線を落とす。白いクロスの上で、グラスの水滴がわずかに跳ね、そこへ別の温もりが重なった。驚いて顔を上げると、秋久の指がそっと私の手の甲をなぞり、優しく包み込むように握った。そのまま彼は私の左手を取り、薬指をキュッと摘む。「……秋久？」思わず名前を呼ぶと、彼は何も言わずに微笑み、数秒間、指先を静かに撫で続けた。その沈黙が永遠のように長く感じられたとき――秋久はジャケットの内ポケットから、小さな黒い箱を取り出した。黒のベルベットに包まれたその箱は、わずかに光沢を放ち、店内の照明を反射してきらめいていた。開けなくても分かる。それが何であるか、そしてこの瞬間が、何を意味するのかを。心臓がドクンと大きく跳ね、喉の奥が熱くなる。指先が震えているのに、それを止めることができなかった。もしこれが指輪だとしても、便宜上必要なものだと分かっていた。パーティーに“妻”として出席する以上、左手の薬指にそれがなければ、周囲に示しがつかない。だから、これは飾りにすぎない。――そう、理解していたはずだった。それなのに、こうしてディナーの席で、優しく手を包まれ、黒い箱を差し出されると、頭の中が真っ白になった。胸の鼓動がうるさくて、何を言えばいいのか分からない。「古都、強引な結婚かもしれない。でも……」秋久の低い声が、空気を震わせるように響いた。彼がゆっくりと蓋を開けると、そこには眩い光を放つ指輪が収められていた。細やかなパヴェダイヤがリング全体に散りばめられ、中央の一粒がまるで星のように輝いている。「こんな立派なもの、私にはもらえない……」思わず後ずさるように手を引いた。だけど、その手を秋久が強く、けれど優しく引き戻す。「頼む、はめてくれ」その言葉は、懇願でも命令でもなかった。ただ真っ直ぐで、どこか切実な響きを帯びていた。驚きと戸惑いの中で見上げた秋久の瞳は、静かな光を湛えていて冗談なんかではないように見え