前の入居者からもらった野菜を片手に、三軒目の家賃を取りに行こうとしたその時。まさかの人物と、団地の入口で鉢合わせた。男は眉をひそめ、私の手元の野菜をじっと見つめる。まるで「俺と別れたらこんな暮らししかできないのか」とでも言いたげに。その視線に気づいて、私は思わず野菜を背中に隠した。足元の泥水に目を落とした。――よりによって、こんな古びた団地で。幼い頃から何不自由なく育ってきた、あの元カレに再会するなんて。私の仕草を見て、男の目に一瞬だけ哀れみと理解の色がよぎる。「もう懲りただろ。いいから俺のところに戻ってこい」その声に反射的に半歩下がる。「誰があんたと戻るって?」私の態度に目を細め、男の顔色は一気に曇った。「……お前、まだ桜雨に子どもを産ませたことを怒ってるのか?もう三年だぞ。そろそろ気が済んだだろ。戻ってくれば、また昔みたいにやり直せる」――三年。時が経つのは、早いものだ。家でまだ片言しかしゃべれない娘を思い出し、私は笑みを浮かべて首を振った。「……もういいわ。あんたは宍戸さんと仲良く暮らしなさい。私には、家でご飯を待ってる娘がいるの」桐生天満(きりゅう てんま)の顔が曇り、私の腕を強く掴んだ。「月咲(つき)。お前がまだ昔のことを根に持ってるのは分かってる。だが俺はこうして迎えに来たんだ。いい加減、過去は水に流せよ」彼は信じていない。私が結婚して子供までいるという話を。――そりゃそうだ。昔、私たちがどれだけ仲睦まじかったか、東雲市の誰もが知っていた。十六歳から二十六歳まで。学生時代も、社会人になってからも、婚約するまでずっと一緒で。お互いの世界には相手しかいなかった。……あの日までは。結婚式を控えた十周年の記念日。彼の幼馴染、宍戸桜雨(ししど あめ)が海外から戻ってきた。天満の視線が、彼女に釘付けになるのを私は見逃さなかった。桜雨は幼い頃から海外育ち。洗練されていて、誰にでも好かれる。胸の奥に針を刺されたような痛みが走り、私はトイレへ逃げ込んだ。だがそこで、桐生家の使用人たちのひそひそ話が耳に飛び込んでくる。「やっぱり庶民上がりは無理よね。宍戸家のお嬢様の方が格が違うわ。坊っちゃんもなんであんな女を……」「そりゃ十年も擦り寄られれ
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