All Chapters of プライド崩壊の夜~元妻、二人目の妊娠~: Chapter 51 - Chapter 60

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第51話

明里は直接二階のホールへと案内された。スタイリストと聞いて最初は女性だと思っていたが、二階で目に入ったのは長い髪の男性だった。年齢は二十四、五歳くらいだろうか。その顔立ちは中性的で美しく、どこか憂いを帯びた瞳をしていた。以前、どこかのトレンディードラマで見た主人公のようだった。彼は口数が少なく、明里と二言三言交わした後、ドレスと靴を選び始めた。最後にはヘアメイクに取り掛かった。その間、聡は明里の顔を覗き込むように見て、言った。「村田さん、お肌がとても綺麗ですね」そう言うと、彼はそばにいたメイクアップアーティストにいくつか注意事項を伝えた。明里はてっきり聡がメイクをしてくれるものだと思っていたが、どうやら違うらしい。聡は彼女の疑問の眼差しに気づき、説明した。「すみません、少し先約がありまして。でも、あなたのメイクは私が責任を持って監修しますのでご安心ください。それに、アシスタントの腕も確かですから」明里はそのことを特に気にする様子もなく、礼を言って目を閉じると、顔に筆が走るのを感じた。そして、二十分ほど経った頃だろうか。聞き覚えのある笑い声が耳に入ってきた。目を開けると、そこにいたのは陽菜だった。しかも一人ではない。彼女の隣には、勳から急用で来られないと聞いていた潤が立っていたのだ。そして陽菜は、彼の腕にしっかりと絡みついていた。高貴で端正な顔立ちの男と、可憐で華奢な女。二人はまるでお似合いのカップルのようだった。「二宮社長、清水さん、お待ちしておりました」聡が出迎える。「お疲れでしょう。何かお飲み物でもいかがですか?それとも、すぐ始めますか?」聡が彼らに見せる態度と、先ほどの自分に対する淡々とした態度とのあまりの差に、明里は言葉を失った。さらに、聡の親しげな様子からして、潤と陽菜がここを訪れるのは初めてではないことは明らかだった。ちょうどその時、潤の視線が明里を淡々と捉えた。陽菜も彼女を一瞥すると、聡に微笑みかけた。「すぐに始めましょうか。でも、その前に潤さんにお飲み物をいただけますか?彼、忙しかったらきっとお疲れのはずよ」そして、陽菜もすぐに案内され、明里の隣の席に腰を下ろした。聡は、陽菜に熱心に今日のドレスを紹介していた。陽菜は隣をちらりと見て、にこやかに言った。「明里さ
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第52話

ここまでくると、傍らにいた潤も顔を上げた。明里は、急に何もかもがつまらなく感じた。彼女が立ち上がろうとしたその時、潤が口を開いた。「陽菜に」彼は少しも躊躇することなく、即決した。明里はすぐに立ち上がると、着替えに行った。潤は彼女の後ろ姿を見つめながら、その目線は一瞬沈んだ。明里はすぐに別のドレスを選び出した。それはオフショルダーのデザインで、これなら何とか許容範囲だった。彼女が出てくると、聡は思わず心の中で賞賛の声を上げた。ごく普通のドレスのはずが、明里のスタイルの良さの前ではそうは見えない。華奢で美しい両肩が露わになり、その肌は光を放つほど白かった。そして、くっきりと浮かび上がった美しい鎖骨、しなやかに伸びる白鳥のような首筋……その頃、陽菜が潤に話しかけていた。「潤さん、やっぱり私だけに特別に優しいのね!」潤の視線が明里に注がれたが、すぐに逸らされた。「陽菜、気に入ったならそれでいい」聡が口を開いた。「二宮社長は本当に素晴らしい方ですね。事業で成功されているだけでなく、こうして清水さんのスタイリングに何時間もお付き合いになられても、一度も嫌な顔を見せたことがないですね。まさに世の男性の鑑です」陽菜は甘い声でくすくすと笑った。「潤さんは、いつも私にはとても優しいんです」彼女はウエスト部分がカットアウトされたドレスに着替え、潤の前でくるりと一回転してみせた。「潤さん、どう?」潤は笑みを浮かべて言った。「すごく似合ってる」明里は無表情のまま、傍らの椅子に腰を下ろした。ヘアメイクが終わった後も、明里はスマホに視線を落としたままで、潤を一瞥だにしなかった。ほどなくして、陽菜の準備も終わったので、彼女は再び潤の腕に絡みついた。「潤さん、行こう」潤はそのまま陽菜を連れて出て行った。スマホをスクロールしていた明里の手が、ぴたりと止まった。すると、すぐに勳が歩み寄ってきて、腰をかがめて言った。「奥様、参りましょう」明里は立ち上がると、聡とヘアメイクの担当者にお礼を言ってから、その場を後にした。パーティー会場に到着し車を降りると、隼人が潤の腕から陽菜をエスコートしているのが見えた。そして、その瞬間、潤の表情は……ひどく険しいものになった。明里が数秒間静かに立ち尽くしていると、ようやく潤
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第53話

潤の結婚は公にされておらず、彼の妻を知る者は少なかった。また、明里がパーティーのような場に姿を現すことも、ほとんどなかったからだ。そのため、この会場で彼女の正体を知る者は、ごくわずかだったのである。周囲の女性たちは潤を見てから明里に視線を移し、その眼差しには羨望や嫉妬の色が少なからず浮かんでいた。世の成功者が皆、背が高くルックスが整えられているイケメンというわけではない。むしろ、背が低く太っていて、頭は禿げ上がり、腹の出た脂ぎった中年男性の方が多いのだ。そんな外見ではたとえ高級なオーダーメイドスーツを身にまとっていても、どこか様にならない。そして稀に、容姿端麗でスマートな男性がいたとしても、潤がもつ圧倒的な実力と気品には及ばないのだ。それに、このパーティーに参加する女性たちは、誰もが玉の輿か、あるいは政略結婚のために、ふさわしい男性を探しに来ているのだ。そうでなければ、わざわざこんな場所には来ないだろう。だから、彼女たちが明里に向ける視線は、決して友好的なものではなかった。潤は明里を連れて会場の奥へと進み、主催者に紹介すると言った。明里はふと、もうすぐ潤と離婚する身でこのような場にいるのは不適切ではないか、と考えた。ホールで誰とも接触しないのならまだしも、潤に連れられて人に紹介されるとなると、後々面倒なことになる。明里は立ち止まった。「お腹が空いたの。先に何か食べたい」潤はすぐに眉をひそめ、不満を露わにした。潤は自分の命令に逆らわれることを何よりも嫌う。明里はそれをよく知っていた。彼がひとたび命令を下せば、誰であろうと従わなければならない。それは当然、彼女も例外ではなかった。会社でも家庭でも、潤は絶対的な決定権を握っていた。そして、自分の権威が疑われたり、反論されたりすることは、決して許さないのだ。明里は慌てて小声で説明した。「もうすぐ離婚するのに、私を誰かに紹介して、そのあとまた別の人を紹介するなんて、都合が悪いんじゃない?」潤は意味深な眼差しで彼女を見つめたが、次の瞬間、繋いでいた手を離すと、一言も発さずに長い脚で去って行った。すると、明里はようやく安堵の息を漏らした。辺りを見回しても知り合いはいなかったので、彼女は人の少ない隅を見つけ、デザートをいくつか取ってきて腰
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第54話

「じゃあ、さっさと食べてよ!」明里はくすりと笑った。ほんの少し言葉を交わしただけで、目の前の少女が、家で甘やかされて育った子であることが明里には分かった。子猫のように威嚇したとこで、威勢を張っているようにしか見えないから。全く脅威を感じられないのだ。そこで、明里は食事を続けた。彼女の食べ方は丁寧で、作法も美しく、非の打ち所がなかった。明里が食べる様子を見ていると、優香はごくりと唾を飲み込み、不意に自分も少しお腹が空いていることに気づいた。明里は再び小さなケーキを彼女の方へそっと押しやった。「食べてみて。美味しいわよ、レモン味で、中にクリームチーズのフィリングが入ってる」「レモン味?」優香は思わず一口食べると、満足そうに目を細めた。「ほんとだ!」「美味しいでしょ」明里は隣の皿も彼女の方へ滑らせた。「こっちはマスカット。これも美味しいわよ」ケーキは五、六個取ってきたのだから、この子に二つくらい分けてあげてもどうということはない。「マスカットも好き!」優香は途端に機嫌を直した。まだ十代の少女の関心は、いとも簡単に他へ移るものだ。彼女は二口ほど食べると、明里を見て言った。「口の横にクリームついてるよ。まぬけね!」そう言われて、明里は落ち着いた様子でナプキンを取り、クリームを拭った。優香はケーキを食べながら明里をじろじろと見つめた。「あなたって……みんなが言ってるのと、なんか違う」明里はその言葉には答えず、代わりに尋ねた。「まだ食べる?私がもう少し取って来ようか」「マンゴーとイチゴのも欲しい」優香はそう言うと、少し声を潜めた。「早く戻ってきてね」明里は立ち上がった。「ええ」彼女は再びケーキをいくつか取ってくると、マンゴーとイチゴのものを優香の方へ押しやった。すると、優香は話すのも忘れ、夢中でケーキを平らげた。その食べ方がハムスターのようで、明里にはとても愛らしく見えた。食べながらも、きょろきょろと周りを見回す姿は、ますます可愛らしい小動物のようだ。食べ終わると、優香は皿をすべて明里の方に押しやり、それからこう言った。「私が誰か知ってる?」「知らない」明里は微笑んで言った。「でも、きっとあだ名があるんじゃないかしら」優香は不思議そうに訊ねた。「なに?」「食いしん坊とか」
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第55話

「それだけじゃないわよ」明里は微笑みながら言った。「あなたは頭も悪いのね」「なんだって?よくも……」優香は怒りで顔を真っ赤にした。「もう一回言って!」「頭が悪いのねって言ったの。あなたのその性格に付け込んで誰かが適当に言ったことにまんまと利用されているんだからね」そう言いながら明里は続けた。「もし私が本当に何かを言いたいなら、きっとあなたと面と向かって言っていた。陰でこそこそ言うなんて意味ないじゃない」優香はただ年が若いだけで、馬鹿ではなかった。そもそも、本物の良家の子女が、そこまで単純でお人よしなわけがないのだ。彼女は数秒きょとんとした後、言った。「あなたの言いたいことって、誰かがわざとあなたを狙ってて、私をダシに使ったってこと?」それを聞いて、明里は眉を上げた。「さっきの言葉は撤回するね。そこまで頭悪くないじゃない」優香は数秒間明里を見つめてから言った。「あなたは、結構面白い人ね」明里はただ微笑むだけで、何も言わなかった。優香は片手で頬杖をつきながら彼女を見た。「私に吹き込んだ人が誰か、知りたくないの?」「どうでもいいことよ」と明里は言った。「どうして?」「あなたをダシに使ったということは、その人自身が私をどうすることもできないということよ」明里は言った。「そんな負け犬に興味はないから」「あなたって本当に面白い」優香は笑った。「あなたと友達になりたい」「ええ、喜んで」優香は手を差し伸べた。「じゃあ、改めて自己紹介させて。私は河野優香よ」明里も手を差し出した。「私は村田明里。こちらこそよろしくね。それて、あなたって本当に可愛いね」優香はこれまで多くの人に褒められてきたが、明里の屈託のないまっすぐな眼差しに見つめられると、なぜか少し恥ずかしくなった。「あ、あなたも……すごく可愛い」優香は少し恥ずかしそうに言った。しかし、すぐに彼女は向かいの席から明里の隣へと移った。「明里さん、もし誰かに聞かれても、私がこんなにたくさんケーキを食べたなんて言わないでね。それと、どうしてお肌そんなに綺麗なの?首にもファンデ塗ってないのに!すごい綺麗!」明里は言った。「仕方ない、こういうのは生まれつきだから。あなたも色白じゃない、私と同じくらい」「私は日焼けしちゃダメなの」優香は唇を尖らせた。「前に学校の
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第56話

陽菜はとある少女を見つめて言った。「あなたは、本当に彼女に言ったの?」「ええ、言ったよ。彼女、それを聞いてすごく怒って、はっきりさせ来るって言ってたよ!」とその少女は答えた。陽菜は黙り込んだ。どうやら明里の力量を少々見くびっていたようだ。まさか彼女がいとも簡単に優香を丸め込んでしまうとは。優香はセレブの間では、誰もがちやほやする令嬢のような存在である。自分がいくら取り入ろうとしても、相手にさえされないというのに。それなのに、明里が自分にはできないことをいとも簡単にやってのけたことに、陽菜は苛立ちを隠せなかった。陽菜の目には、嫉妬の炎がより一層燃え盛っていた。彼女は少女に言った。「とりあえず隠れて、見つからないようにね。もし河野さんにあなたが彼女を騙したってことがバレたら、タダじゃ済まないわよ」それを聞いて、少女は青ざめた顔でその場を立ち去った。食事を終え、明里の胃はだいぶ落ち着いていた。彼女はもう一杯飲み物を手に取ると、一人隅に座って、華やかなドレスをまとった女性たちが優雅に行き交う様を眺めていた。それもまた一つの楽しみだった。「村田さん」突然また別の声が聞こえ、明里は思わず眉をひそめた。ただ一人で静かに、少し休みたいだけなのに、どうしてこんなに難しいのだろうか。彼女が顔を上げると、そこにいたのは大輔だった。大輔という男は、派手好きで型にはまらない性格だが、正真正銘の金持ちでもあった。K市では、彼と潤は共にピラミッドの頂点に立つ存在であり、多くの場合、二人のトップが並び立つことはなく、互いに距離を置くことで均衡を保っていた。今日は潤が来ているというのに、なぜ大輔までここにいるのか。「二宮はどこだ?あなたを一人ここに置き去りにして、まさか女でも引っ掛けに行ったか?」そう言うと、大輔は明里の隣にどっかりと腰を下ろした。これまで何度か会ったとき、彼はいつもシルクのシャツやジャージといったラフな格好で、どこか気だるげで自由な雰囲気を漂わせていたのだ。しかし今日は、ビシッとスーツを着こなし、格好だけは一丁前だった。上質な生地のスーツは、仕立ても洗練されており、その派手で洗練な顔立ちと相まって、頭のてっぺんから爪先まで金持ちの近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。大輔と潤の関係がどう
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第57話

だが幸い、もうすぐ離婚するのだ。だから、潤も多分こんなことを気にかけたりはしないだろう。しかし、潤はまっすぐ明里の方へ歩いてくると、その隣に立ち止まった。そして、何も言わずに手を伸ばして彼女の腰を抱き、ぐっと自分の胸元に引き寄せた。すると途端に明里の体は彼の胸にぴったりと密着する形になった。このパーティーに集まっているのは、いずれも名の知れた人物ばかりだ。女性が男性の腕を組むか、男性が女性の腰に軽く手を添えるのがせいぜいである。クラブやバーならともかく、これほどきつく抱きしめあうのは場違いだ。そう思って、明里は少しでも潤から距離を取ろうとしたが、彼の腕は鋼のように固く、彼女は身動き一つできなかった。片や、大輔の視線が明里の腰から外れ、潤の顔に向けられた。「二宮社長、お久しぶりだな」「遠藤社長こそ」潤は氷のように冷たい声で言った。「珍しいじゃないか」大輔は相変わらずふてぶてしく座ったままだったが、そのチャラチャラした見た目とは裏腹に、彼から放たれるオーラは強烈だった。大輔は笑みを浮かべた。「世の中は全て利益のために動く。俺はビジネスマンだから、利益第一主義なんだ。丁重に誘われれば、断るわけにもいかないだろう」「それじゃ、遠藤社長の事業が今後ますます繁栄されることを心から願っているよ」二人の会話は一見すると何の問題もないように見えたが、明里はその裏に目に見えない火花が散り、一触即発の空気が流れているのを感じ取っていた。すると、案の定大輔は話の矛先を変えた。「二宮社長が奥さんを連れて外出されるなんて珍しいね。普段はいつも一人だから知らない人が見たら、二宮社長はまだ独身かと思うだろう」潤は明里を抱きしめたまま、彼を見下ろした。「羨む必要はないよ、遠藤社長は人としてどうかと思うが、金の力があれば、奥さんになりたいという女はいくれでもいるだろう」それを聞いて、明里は思わず潤を一瞥した。まさか、彼がこれほどの毒舌だったとは知らなかったのだ。だが、大輔も一歩も引かなかった。「なるほど、その経験からすると、奥さんも金目当てで二宮社長と結婚したってことかな」それを言われ、潤の表情が険しくなった。そこで、見かねた明里は彼を見上げて言った。「もう行こう」潤は冷たく「ああ」と頷き、彼女を抱き寄せたたまま踵を返
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第58話

潤の視線が、再び明里の顔に戻った。数秒の沈黙の後、彼は依然として何も言わなかった。明里はもう潤を気にするのをやめ、手近な場所に腰を下ろすと、痛むふくらはぎを揉んだ。久しぶりにハイヒールを履いたせいで、どうにも足が慣れなかったのだ。「どこか痛むのか?」明里が顔を上げると、驚いて目を見開いた。潤が目の前で片膝をつき、その大きな手で彼女の足を持ち上げたからだ。「大したことないから!」明里は慌てて周囲を見回した。「何してるのよ?誰かに見られたらどうするの?」潤は彼女の言葉を無視してハイヒールを脱がせると、再び尋ねた。「足が痛むのか?」明里は一瞬きょとんとしたが、すぐに足を引っ込めようと力を入れた。ここはパーティー会場なのに、潤はなぜ人の靴を脱がすような真似をするのだろう。一体、どういうつもりなのか。「動くな」潤は指の腹で明里の足に触れた。「赤くなってるぞ。お前は馬鹿か?痛いならそう言え」「平気よ!」罵倒され、明里はカッとなった。「あなたには関係ないでしょ。どうせ私たちは離婚するんだから!」その言葉に、潤の動きが止まった。その隙に、明里はさっと足を引っ込めて、急いで靴を履き直した。潤は氷のように冷たい視線で彼女を見つめた。明里もまた、黙り込んだ。「潤さん!」突然、静寂は破られ、陽菜の声が聞こえてきた。明里はすぐに横にずれて距離を取った。潤は立ち上がり、彼女を一瞥した。その視線は、先ほどよりもさらに冷たかった。陽菜は潤の前に立つと、潤んだ瞳で顔を上げながら言った。「潤さん、隼人が仕事の話をしているみたいで……私、少し足が痛いんだけど、先に送ってもらえないかな?」潤が口を開いた。「ひどいのか?病院に連れて行こうか?歩けるか?」明里は目を伏せ、胸に込み上げてくる切ない気持ちを必死に押し殺した。先ほど潤が自分の足を見てくれた時、心を動かされなかったと言えば嘘になる。しかし、陽菜に対する彼の口調は、明らかに自分に対するものより心配の色が濃かった。あまりにも鮮やかな対比であった。やはり、潤の心の中で一番大切なのは陽菜なのだ。そして自分は、彼にとって退屈しのぎのお遊びに過ぎないのだろう。「送っていく」潤は数歩歩き出してから、明里を振り返って言った。「お前も、もう帰れ」
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第59話

玲奈はきょとんとして、娘の肩を軽く叩いた。「何を馬鹿なこと言ってるの?」明里は哲也の方を見た。「お父さん、あなたも、慎吾が商売を始めるのを応援するの?」「彼がやりたいと言っているんだ。一度くらいはチャンスをやらんとな」と哲也は言った。「チャンスって、どうやって?」明里は言った。「うちにそんな余裕があるの?まさかまた家を売るつもり?それとも借金してまで工面する気なの?」「明里!」哲也は眉をひそめた。「そのものの言いはなんだ?彼はお前の弟みたいなものだろう!」「ええ、確かに」明里は言った。「慎吾がこの家に来てから、あなたたちは彼のことばっかり。実の娘である私のことなんてもうどうでもいいってわけね?」そこまで聞いて玲奈は彼女を引き止めた。「アキ、こんなこと言わないの。慎吾は両親を亡くしているんだから……」「お母さん、もういいよ。慎吾に優しくするのは構わない。でも、何事にも限度があるでしょ。この前の家の件だってそう。うちにはそんな経済力なんてないのに、どうして現実を見ないの?」玲奈は彼女をちらりと見た。「そ、それは……あなたがいるじゃない?」「お母さん!」母親の魂胆に気づいた明里は、胸が締め付けられるようだった。「私、もう潤と離婚するって言ってるのに、まだあの人を当てにしてるの?」哲也がすぐに口を挟んだ。「また離婚の話か?離婚しないと、俺に約束しただろう?」明里は乾いた笑みを浮かべた。「お父さん、うちのせいで私が潤の前でどれだけ肩身の狭い思いをしてるか、分かってる?どれだけ苦しいか、想像もつかないでしょ?」玲奈はきょとんとしてから言った。「どうしてそんなふうに思うの?潤はあなたの夫なんだから、彼のお金は二人の共有財産でしょ。それに、うちが彼にそんな大金を使わせたわけでもないじゃない……」共有財産だと?明里は、これほどにない戯言を聞かされた気分だった。しかし、両親にこれ以上何かを言う気にもなれなかった。彼女はただこう言った。「お父さん、お母さん、その話はもうやめよう。ただ言いたいのは、慎吾を助けることに反対はしないけど、どうか身の丈に合った範囲でしてあげてほしいってこと」哲也は玲奈と顔を見合わせ、それから言った。「アキ、お前こそが俺たちの本当の娘だ。慎吾がどんなに可愛くても、甥でしかない。血は繋がっていないん
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第60話

明里は憔悴しきった様子で、スマホを玲奈に手渡した。玲奈は電話口で何事かを聞くと、途端に慌てだした。「すぐに明里を行かせるから!落ち着いて!」電話を切ると、彼女は明里に向かって言った。「慎吾がちょっと面倒なことになったみたい。早く様子を見てきてちょうだい!」明里は玲奈を一瞥し、何かを言いかけたが、結局何も言わずにスマホを受け取ると、病室を出ていった。すると、玲奈が一瞬胸騒ぎがしたので、思わず明里の後を追いかけて出てきた。「アキ!」明里はドアノブに手をかけたまま、振り返りもせず、口も開かなかった。しかし、結局は慎吾への心配が勝り、玲奈はもう躊躇するのをやめて言った。「早く行って。何かあったらまた電話して!」明里は自嘲気味に笑った。両親が自分のことを一番に考えてくれるなんて、まだ期待していた自分を皮肉だと思ったのだ。どんな時でも、彼らが一番気にかけているのは慎吾なのだ。しかし、なぜだろうか。自分こそが実の娘なのに。嫉妬深いわけでも、慎吾を受け入れられないわけでもない。だが、なぜ……実の親が、ここまであからさまに贔屓するのだろうか。彼女には理解できなかった。慎吾から教えられた住所に行ってみると、そこは会員制の高級クラブだった。潤のような人々が通う、資産何十億円もないと会員になれないような超高級クラブではなかった。それでも、一般人が気軽に足を踏み入れられるような場所ではなかった。どうして慎吾がこんな場所に?明里が中に入って個室の番号を告げると、すぐに店員が案内してくれた。その頃、個室の中では、慎吾が得意満面の顔で言っていた。「姉はすぐ来るそうです。信じてくれないなら、彼女が来ればわかることです!」彼の隣にいた男が口を開いた。「あなたが本当に二宮さんの義理の弟なら、普段は随分と地味にしてるんだな!二宮さんだぞ。K市では、彼の一声で全てが動くって言われてるくらいの大物じゃないか!」別の男が鼻で笑って言った。「本当かどうか、まだ分かったもんじゃないさ。大口を叩くだけなら誰でもできるだろ?」明里が入ってきた時、慎吾はちょうどグラス一杯の酒を飲み干したところだった。彼は明里に気づくと、すぐに立ち上がって駆け寄ってきた。「お姉さん、来てくれたんだ!」個室の中はタバコと酒の匂いが混じり合って、む
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