結菜はいつもの指定席である窓際の深い一人掛けソファに身体を沈めて、ほう、と安堵のため息をついた。張り詰めていたものが、ゆっくりと溶けていく。 ここでは店の本を読んでもいいし、持ち込んだ本を読んでもいい。コーヒー1杯で何時間も粘れる、結菜にとっての安らぎの場所だった。(ここだけが、私の世界……) バッグから、一冊の古い本を大切そうに取り出す。少し色褪せた表紙の、亡き父の形見である翻訳小説。 もう何度も読み返してページの端が擦り切れているが、大事なお守りだった。 ページをめくり物語の世界に没頭しようとした、その時。 ふと、視線を感じて顔を上げた。 少し離れた席に座る男性と、目が合ったのだ。 艶のある黒髪。高級そうなスーツを、しかし少しだけ着崩している。ただそこにいるだけで、周囲の空気を支配するような強い存在感があった。(きれいな人) 顔立ちはとても美しい。普段は撫でつけているであろう髪を下ろして、リラックスしている様子が見て取れる。 高い鼻梁と秀でた額は日本人離れしていて、西洋の血が混じっているのではないかと結菜は思った。 何よりも結菜の目を奪ったのは、彼の瞳の色だった。アンティークランプの灯りを映してきらめく、不思議な銀灰色。その美しい色の奥に、自分と同じ種類の深い孤独の影が揺らめいているように見えた。 彼の美しさと近寄りがたい雰囲気に、結菜は一瞬息を呑む。心臓がとくん、と跳ねた。(あまり、じろじろ見ては失礼だわ) 自分だけの静かな聖域に、予期せぬ侵入者が現れたような緊張が全身を走る。 戸惑いから慌てて視線を本へと戻したが、指先は微かに冷たくなっていた。◇ どれくらい時間が経っただろうか。静かに彼が席を立つ気配がして、結菜は無意識に身を固くした。足音が、自分のテーブルの前で止まる。「失礼。その本は、エリアス・バークの初版本ではありませんか?」 穏やかだが、芯のある声だった。 結菜は驚きに目を見開いて顔を上げた。エリアス・バーク。彼女が父から譲り受けた本の作家である。あまりにマイナーで、今まで誰一人としてその名を知る者はいなかった。 少し古い時代の作家なので、著作は全て絶版になっている。父の形見のこの本も、もう手に入らないのだ。「……ご存知、なのですか?」 それだけ尋ねるのが精一杯だった。「ええ。ずっと探していました
Terakhir Diperbarui : 2025-09-29 Baca selengkapnya