朝の窓が、ひとりでに開いたみたいに軽かった。冷たい風が部屋の角を回って、まだ名前のない音を持ち込む。髪が頬に触れて、くすぐったい。指で押さえながら、ただ聴く。どこにも結ばれない声が、薄い布みたいに揺れていた。背に、布の擦れる気配。振り向かなくても、わかる。「……旅支度を」ノクスの声は、夜より浅く、昼より手前で止まっていた。返事の代わりに窓枠へ指を伸ばすと、小さな花がひとつ、風に押されて落ちる。つかもうとして、少し遅れて、見送るしかなくなる。「掴めなくて」「……そんなものだ」短い息がふたつ。窓の外で、雲が光りを飲み込んでから返した。城下の道は、いつもより広く見えた。売り声の代わりに挨拶が浮かんで、石畳の上で軽く跳ねる。「おはよう」「またあとで」――声が祈りに似ていると、今さら気づく。肩越しに小さな手が振られた。「せいじょさま」呼ばれた名が、胸でやわらかく溶ける。曲がり角で、あの老婆に会う。皺は深くなったのに、目は澄んでいた。「神さまに、名前を。ありがとねえ」笑うでも泣くでもない声音。私は首を振る。「その名は……もう、みんなの、だから」老婆はうなずき、手の中で包んでいた硬い実を見せる。かつて石だったそれは、色を少しだけ取り戻していた。言葉はそこで止まり、指先の温度だけが続いた。塔に戻ると、空は新しい青をしていた。窓際の机に、黒い手袋が置いてある。誰も触れていないのに、布がまだ体温を覚えている。「アシュルの」「……置いていった」手袋の縁に指を置く。冷たさの下で、乾いた熱がわずかに息をしている。「まだ、あったかい」ノクスはそれをしばらく見つめ、それから視線を窓の外へ逃がした。「理性も……祈りの形をしていたのかもしれんな」言い切らない声。私は笑おうとして、やめる。「人の祈りって、たぶん……“届く”より、“残る”のかも」「残ったものを抱えて、生きる。……それが、王の仕事だ」沈黙が、ふたりの間に椅子を引いたみたいに座った。風が入ってきて、机の紙の端を一度だけめくる。外の輪は、もう見えなかった。第三の環が消えた空は、少し軽くて、すこし寂しい。「もう、名前も……ないね」「空白にも、意味はある」ノクスが目を細め、空の奥を撫でる。「名のない風。……悪くない」「じゃあ、それが今日の、名前」「風、か」「うう
ปรับปรุงล่าสุด : 2025-10-20 อ่านเพิ่มเติม