บททั้งหมดของ 婚約破棄された聖女は最強魔王に拾われて異世界無双します: บทที่ 11 - บทที่ 19

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名のない風、歩き出す声

朝の窓が、ひとりでに開いたみたいに軽かった。冷たい風が部屋の角を回って、まだ名前のない音を持ち込む。髪が頬に触れて、くすぐったい。指で押さえながら、ただ聴く。どこにも結ばれない声が、薄い布みたいに揺れていた。背に、布の擦れる気配。振り向かなくても、わかる。「……旅支度を」ノクスの声は、夜より浅く、昼より手前で止まっていた。返事の代わりに窓枠へ指を伸ばすと、小さな花がひとつ、風に押されて落ちる。つかもうとして、少し遅れて、見送るしかなくなる。「掴めなくて」「……そんなものだ」短い息がふたつ。窓の外で、雲が光りを飲み込んでから返した。城下の道は、いつもより広く見えた。売り声の代わりに挨拶が浮かんで、石畳の上で軽く跳ねる。「おはよう」「またあとで」――声が祈りに似ていると、今さら気づく。肩越しに小さな手が振られた。「せいじょさま」呼ばれた名が、胸でやわらかく溶ける。曲がり角で、あの老婆に会う。皺は深くなったのに、目は澄んでいた。「神さまに、名前を。ありがとねえ」笑うでも泣くでもない声音。私は首を振る。「その名は……もう、みんなの、だから」老婆はうなずき、手の中で包んでいた硬い実を見せる。かつて石だったそれは、色を少しだけ取り戻していた。言葉はそこで止まり、指先の温度だけが続いた。塔に戻ると、空は新しい青をしていた。窓際の机に、黒い手袋が置いてある。誰も触れていないのに、布がまだ体温を覚えている。「アシュルの」「……置いていった」手袋の縁に指を置く。冷たさの下で、乾いた熱がわずかに息をしている。「まだ、あったかい」ノクスはそれをしばらく見つめ、それから視線を窓の外へ逃がした。「理性も……祈りの形をしていたのかもしれんな」言い切らない声。私は笑おうとして、やめる。「人の祈りって、たぶん……“届く”より、“残る”のかも」「残ったものを抱えて、生きる。……それが、王の仕事だ」沈黙が、ふたりの間に椅子を引いたみたいに座った。風が入ってきて、机の紙の端を一度だけめくる。外の輪は、もう見えなかった。第三の環が消えた空は、少し軽くて、すこし寂しい。「もう、名前も……ないね」「空白にも、意味はある」ノクスが目を細め、空の奥を撫でる。「名のない風。……悪くない」「じゃあ、それが今日の、名前」「風、か」「うう
last updateปรับปรุงล่าสุด : 2025-10-20
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まだ名前を持たぬ土へ

草の匂いがひざ下を流れていった。誰の旗もない地平。風が行きたい方へだけ道をつくり、そこに私たちの足跡が重なる。空は薄く曇って、光は布の裏側みたいにやわらかい。「……音、近いね」自分の胸の奥で鳴っているのか、地面の下で鳴っているのか、判別がつかない。低い鼓動が、土の骨を叩く。「風が、世界の骨を鳴らしてる」ノクスの声は短く、風に紛れていった。言葉は少なくていい。靴底が乾いた草を踏む音と、呼吸の出入りだけで、十分進める。丘をひとつ越えると、村があった。人の手で組まれた屋根、崩れきってはいない壁。なのに、目印がどこにもない。看板は外され、道の名も通りの名も、剥がし跡だけを残して消えている。洗い桶、干された布、火の灰。気配はある。けれど、呼び名がない。門の柱の影から、小さな顔がのぞいた。角はほとんど目立たない年頃の子だ。裸足。土の色と同じ瞳。「……お名前、ありますか?」問いは真っ直ぐで、少し揺れていた。私は一瞬だけノクスを見る。彼は視線を返さず、村の中央を見ている。「さあ、どうだろ」笑おうとして、うまく形にならない。肩で息をひとつ。「名前より、歩いた跡を見てくれ」ノクスの言い方は固くない。子はこくりと頷いて、足元の土に指で丸を描いた。ぎこちなく、でも迷いはない丸。「ここ、まるって呼んでる」「丸、か」「うん。まっすぐだと、どっか行っちゃうから」子の指が土を撫でる。線の端が風に乾いて、すぐに土に戻った。村の奥へ進む。家々の戸は開いたまま、空気の往復に任せて軋む。焼いた土の匂い。灰になりきれていない木の芯。人の声は聞こえないが、使われた食器が重なっている。無言の食卓。椅子には体温の影がうすく残っていた。中央に古い井戸がある。縁の石は手の形にすり減り、縄のあとが深く刻まれている。覗き込むと、水面が遠い。暗いが、凍ってはいない。風が底から上がってきた。声ではない。音の手前の、空気の震え。——名前を、返して。聞こえたのではなく、触れた気がした。胸の前のペンダントが静かに応える。熱はほとんどないのに、脈ははっきりした。「呼ばれたか」ノクスが井戸の向こう側に立った。影が水に揺れて、私の輪郭と重なる。「……わからない。ただ、誰かが、まだ残ってる」自分の声が頼りなげで、でも逃げてはいないのがわかった。手のひらを井戸の縁に置き、石の冷たさを受け取
last updateปรับปรุงล่าสุด : 2025-10-21
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風の灯、忘れた名の橋

川が浅く広がっていた。水は膝より低く、風が通るたびに平仮名みたいな波を置いていく。夕焼けはまだ薄く、空の端にだけ色が寄っていた。向こう岸に、名乗らない渡し守がいた。背の丸い影。手には空の提灯――灯袋がいくつもぶら下がっている。中は何も入っていないのに、風が通ると、ほんの少し明るくなる。「向こう、行くのかい」声は水面と同じ高さで、静かだった。「……向こう、があれば」私が言うと、渡し守は目を細めて笑うでもなく笑って、灯袋をひとつ指先で弾いた。「橋はね、呼ばれた名のぶんだけ、出たり消えたり」ノクスが川面を見渡す。足元の砂をひとすくい、握って落とす。「橋は?」「いまは、出てない」渡し守は肩をすくめ、灯袋の緒を軽く引いた。光が薄く揺れて、風の形を覚える。「息を一つ、置いていくと楽だよ」ノクスが短く息を落とす。水が脈打って、足場の石がひとつだけ顔を出した。私は胸に手を当て、ひとつ。灯袋がもう少し明るくなって、次の石が出る。「……なるほど」ノクスの口の端が、風に紛れて少しだけ上がった。渡し守が顎で向こうを示す。「渡りたいぶんだけ、息を」私たちは交互に息を置き、石を拾いながら進む。途中、灯袋がひとつ強く揺れて、川の声が低く変わった。「いまの、呼ばれた?」「まだ。呼ばれてない光が、いちばんよく揺れる」渡し守の言い方はゆっくりで、答えにもならないけれど、分かった気がした。岸に上がると、少し高い場所に集落が見えた。屋根はある。壁も、崩れ切ってはいない。なのに、どこにも名前が貼られていない。看板は外され、柱の跡だけが白く残っている。空白が、風に乾いて光っていた。路地の入口に、土の色をした瞳の子が立っていた。裸足で、指先は泥のまま。「……お名前、ありますか?」問いは真っ直ぐで、少し揺れていた。私はノクスを見る。ノクスは視線を返さず、集落の奥へ目をやっている。「さあ、どうだろ」笑おうとして、口がうまく動かず、息が先に出た。「名前より、歩いた跡を見てくれ」ノクスの声は硬くなく、短かった。子はこくんと頷くと、土にしゃがんで指で丸を描く。ぎこちないけれど、迷いはない丸。「ここ、まる」「まる、か。……迷わないね」言うと、子は照れくさそうに、丸の縁をもう一度なぞった。風が触れて、線の粉がふわりと浮き、また地面に戻る。「三本線、は路地。点、は
last updateปรับปรุงล่าสุด : 2025-10-22
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記憶の市、風を買う手

朝の道は、点でできていた。灯袋が一つずつ吊られて、消えない薄い明かりが続いている。風が通ると、袋の布が少しふくらんで、道の先を指した。その先に、市があった。声は大きくない。押し合う気配もない。屋台が肩を寄せて、ものより息を並べていた。「風、見ていく? 軽いのも、重いのも」最初に声をかけてきたのは、名乗らない露店主だった。手は古く、目はよく休んでいるようで、よく見ている目だった。背後の棚には、小さな瓶に入った風、折り畳んだ布、紙の札、空の灯袋。「……重いのは、誰かのだよね」「預かり物さ。返せるなら、なおいい」ノクスが棚を一通り見て、袋の縁に触れた。布の厚みを確かめるみたいに、指先だけ。「壊れやすい?」「呼ばれていないうちは、軽い。息が入ると、灯る」露店主はそれ以上は言わなかった。言わない部分が、ここでは手順になっている。市は、名で呼ばれていなかった。土の上に、子どもたちが印を描いていた。丸、三本線、点。目印はそれで足りるらしい。「ここ、まる。あっちは三本線。井戸は点」一人の子が、指先に土をつけたまま案内してくれる。丸の中に入り、三本線の先で立ち止まり、点の前で小さくうなずく。「迷わないね」「うん。名前は、あと」ノクスはうなずくだけで、印の線が乾くのを見ていた。屋台の陰から、若い母親が出てきた。手の中で小銭が鳴る。握りすぎて温度が移っているような音。「少しでいいの。声の端っこだけ」頬の下の影は、寝ていない夜の色だった。小銭の上に汗が光っている。「……買うより、返すほうが」リシアの言葉は静かで、途中で息を置く。露店主が首を傾ける。「返すには、手順がいる」母親は顔を上げた。覚悟よりも、迷いのほうが濃かった。「手順、なら」遠くで、ひとつ短い音が鳴った。鈴は見当たらないのに、鳴った。空気が合図を送る。市の真ん中に立つ柱の上で、布がわずかに巻き戻る。風が詰まっている。人の息と、預かりの風が、同じ場所に折り重なっている。ノクスが柱を見た。「風が詰まる。……芯が痛い」露店主が眉を寄せる。「芯?」「縛り目だけ、抜く」言葉と一緒に、ノクスの指先に黒が集まった。広げるのではなく、細く絞った。切るためではなく、結び目をつまむための形。「待って。先に……呼ばないで、抱く」リシアが母親の前にしゃがみ、視線を合わせる。母親は息を飲ん
last updateปรับปรุงล่าสุด : 2025-10-23
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風の記録庫、線の目覚め

灯袋の帯が細くなって、風の指先みたいに峡間の口を指した。入口の足元に、土で描かれた小さな丸。誰かが「ここから」と置いていった合図だと思う。「灯、こっちを……指してる」「細いな。詰まらないうちに」ノクスは立ち止まらず、洞の中へ視線を滑らせた。中は冷えていて、音が遅れて返る。棚が縦に並び、紐で束ねられた薄紙の束が積んである。紙は乾いて、匂いは弱い。息を一つ。埃がゆっくり上がって、同じ速さで戻った。受付に、年配の管理人がいた。名は名乗らない。机の上には空白札が積まれていて、角に細い刻みの線が入っている。押し葉の薄い香りが、どこかから流れてきた。「ここは名を書かない。息の回数だけ記す」「書かないで……覚えておく、から」言うと、管理人は小さくうなずいて、木札の角を指で叩いた。刻みが一つ増える。言葉の代わりに、回数だけが残る。管理人は札の角を二度叩いてから渡す。ここでは、それが「了解」らしい。ノクスは棚の紐を指で確かめた。強く引かない。ただ、固さを確かめる程度に。「固い結びが多い」「最近、預けと返しが重なってね。ここでは“借り風”“返し風”を棚で分けるけど、束を古いまま持ってくる人もいる」管理人が目だけで奥の棚を示した。古い束が一つ、他よりも沈んで見えた。短い音が洞の奥で鳴った。鈴はないのに、鳴った。合図のように一打だけ。管理人が眉を寄せる。「ここ数日、ここだけ重い」ノクスは束の前でしゃがみ、結び目を覗き込む。「痛んでるのは“線”。芯は……結び目」私は束に手を置いた。紙の乾きが手のひらに移る。左目の奥で、黒い環が薄く光って、耳の内側で小さく鳴った。無理はしない。呼ばない。先に、いる。「呼ばないで、待つね」受付の脇から、記録係の少年がのぞいた。手にした空白札の角には、刻みが中途半端に入っている。爪でその刻みの溝をそっとなぞる癖がある。「返せない風、ここにつかえてて……」「わかった。ここで、待とう」私は洞の中央、床の土の上に指で丸を描いた。線を丁寧に閉じる。丸は大きくない。誰でも入れるくらい。男が一人、喉の奥で名前を呼びかけた。最初の音だけ。私は手のひらを上げる。「呼ばないで……ここに置こう。先に」音はそこで止まり、息に変わった。「名前は呼ばない。ここに息だけ置いて……待とう」管理人が最初に胸の前でひと息。少年も続く。あとから来
last updateปรับปรุงล่าสุด : 2025-10-26
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風上の峠、理性の返答

上りは細くて、灯袋が等間に揺れていた。押し葉の乾いた匂いが、風に混ざる。耳の遠くで、短い二打。少し間。もう一打。詰まりを告げて、待てという合図みたいだった。「……この匂い」「風上。峠だ」ノクスは立ち止まらない。私は歩幅を合わせる。道端に小さな土の丸がひとつ。「ここで待て」とだけ書いた印に見えた。峠の手前、道標の石に背を預けて、アシュルがいた。肩は力が抜けていて、視線だけが上がる。「まだ……呼ばずに、やってるか」「うん。待って、抱いて、返す」ノクスは顎で前を示す。「詰まり、前」短い沈黙。呼吸がそろう。三人で、一つ分だけ息が深くなった。踊り場に出ると、行商の小さな競りが立っていた。若者の手首から、細い線が一本、商人の帳面へ伸びている。線は名の端を掴むたび、きゅっと硬くなる。「名を一つ。支払いなら、すぐ」商人は穏やかな声だった。付き添いの女が小銭を握りしめ、呼びかけの形まで口が動く。私は掌を上げる。「呼ばないで……先に、息を」女は私を見て、ぎゅっと小銭を握り直した。ためらいの音が、掌の中で小さく鳴る。後ろにいた男が、焦った声で名前の最初の音だけ漏らす。線が擦れて、若者が肩をすくめた。ノクスが短く言う。「線が、擦れてる」二打。間。空気が固くなる。私は足元にしゃがみ、指で土の丸を描いた。線を丁寧に閉じて、立ち上がる。「ここで、待とう。……呼ばずに置いて」胸の前で、ひと息。私が最初に置く。女も続く。周りの何人かが、同じ高さで息を合わせた。灯袋が薄く灯る。息の明るさが、峠の風でほどけた。「“いつもの呼び方”で、ここに置くね」私は目を閉じて、家の癖だけをそっと置く。戸口での小さな咳払い。茶碗を棚に戻す音。「行ってくる」の高さ。真名じゃない。触れるだけ。ノクスは商人の帳の角へ指を伸ばした。黒が細く集まる。広げない。つまむ。締めたまま、ほどく。「芯だけ。形は残す」値札の結びが、音もなくゆるむ。紙は破れない。張っていた重さが、一つぶん抜ける。ノクスは指を握り直す。第二関節が遅れて戻った。アシュルが若者の横に立つ。肩の角度を見て、視線の通りを確認する。足先で石を軽く押し、若者と商人の位置を半歩ずらした。「ここ、半歩」二人の視線が交差しない角度になる。線の張力が
last updateปรับปรุงล่าสุด : 2025-11-01
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糸場の街、借りの帳

峠を下りきる前に、路地が細く枝分かれした。頭の上に、薄い糸の網がかかっている。灯袋は低く、肩の高さで揺れる。風が入ってくるたび、糸がかすかに震えた。耳の遠くで、短い二打。少し間。もう一打。詰まりを知らせる合図みたいに、静かに響く。足元の土に、小さな丸が描かれている。靴先でなぞっていた子どもが、顔を上げた。「ここ、丸だよ」「線、こっちから行ける」「ありがとう」私は笑って、丸を踏まないようにまたいだ。「見ていくだけにするね」ノクスが空を見上げる。「過密だ」アシュルは息を浅くしたまま、肩だけ落とす。「音が詰まってる」通りの角に、帳面師の屋台があった。古い机と、厚い帳。角はすり減り、紐に小さな結び目がいくつも残っている。削り木が一本、布の上で転がった。「名は重い」帳面師は、机の角を二度だけ指で叩いた。「値もつく。申し送りなら割引するけど、今日は混んでるからね」「重いのは……先に置いてから、でいい?」私が息を合わせる。帳面師は眉を上げる。「置くのは息。刻むのは回数。で、名は?」私は短く間を置いた。「“いつもの呼び方”で、返せるなら」彼は答えず、指で帳の角をまた二度叩いた。了解でも、保留でもある音。向かいの露店から、小さな騒ぎが移ってきた。少女が薬草の“借り”を返しに来ていて、付き添いの祖父が一緒だ。帳の利率の結びが増えて、返しきれない。「おい、ミ——」祖父の口が名の最初の音だけ上がる。私は掌を上げた。「名前は呼ばないで」「先に、ここで息を」少女は胸の前で、ひと息。指が少し震える。露店の店主が帳を開いたまま、冷たい声で言う。「利率は利率だよ」「回数が足りないなら、締まるだけ」二打。間。糸が肩先でこすれて、ひとすじだけ高い音になった。「ここで、待とう」私は足元にしゃがみ、土の丸を描いた。線を丁寧に閉じて、立ち上がる。「呼ばずに置いてね」女の人が小銭を握りしめたまま、立ち尽くす。指先の冷たさが、まだ残っている。アシュルが少女と店主の間に入る。肩の角度を見て、視線の通りを確かめる。足先で石を軽く押して、二人の位置を半歩ずらした。「ここ、半歩」「肩をこっちに」「目は、合わないで」「……こう?」少女は言われたとおりに動く。アシュルは視線を外し、呼吸だけ合わせた
last updateปรับปรุงล่าสุด : 2025-11-02
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黒の国より、影の報せ

丘の上に出た。灯袋は低くて、青い空の下で小さく揺れた。風が一度、肌を撫でていく。耳の遠くで、二打。少し間。もう一打。少し硬い。「……風、変わったね」私が言うと、ノクスが空の縁を見た。「黒のほうから。少し、焦げてる」アシュルが肩を落として、息を測る。「戻る?」私は首を横に振る。「戻らないで……渡す。ここから」耳の奥の小さな鳴りが、いったん上がって、呼吸で落ちた。土は乾いて、指で触れると冷たかった。丘の陰に回る。石の上に、作業の場所をつくる。私は土の丸を二重に描いた。外の丸は待つ場所。内の丸は渡す場所。灯袋の下に、空白札を三枚、並べた。一枚にだけ、押し葉をそっと添える。「息はここに置いて、風で送るね」ノクスが頷く。糸場で集めたほどけ紐の切れ端を、二本。札に軽く重ねた。「芯は文章にしない。手順だけ、跡で」アシュルは灯袋と札の距離を半歩ずつ動かした。視線が交差しない角度を探す。「目が合わない角度、これでいい」灯袋が弱く灯り、札の上に光が広がる。日差しがやわらいで、影が少し伸びた。丘の表へ戻ると、風の向きが変わっていた。煤の匂いが細く混じって、すぐ薄れた。二打。間。二打。一瞬だけ危ない高さに寄った。土の丸の外で、若い行商が立ち止まる。口が勝手に、名の最初の音を拾いそうになる。「——ミっ……」私は掌を上げた。「名前は呼ばないで。先に、息を」アシュルが行商の肩の向きを半歩ずらす。「ここ、半歩。肩、こっち見ないで」ノクスは札に触れず、灯袋の紐だけをつまむ。「張り、落とす」第二関節が遅れて戻る。短く息を落とす。音は二打。間。一打。いつもの幅に戻る。行商は胸の前で、ひと息。それで、ほどけた。喉の硬さが少しやわらぐ。丘の背へ、軽い足音。ラグネスが獣道から現れた。息は乱れていない。肩が開いて、目は低い位置から全体を見る。「線は交わるほど影が濃くなる。往復が増えるほど、薄まるよ」私は小さくうなずく。「……往復、増やす」ノクスが短く答える。「壊しに戻らない。守り方だけ、返す」アシュルが白紙札を一枚、指先で示す。「白紙、ひとつ足して。視線、こちらへ向けないで」ラグネスは押し葉をもう一枚出して、空白札に“ずれて”重ねる。ぴったり合わせない。灯
last updateปรับปรุงล่าสุด : 2025-11-03
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線の海、名を置く岸

東の線の海は、近づくと平らじゃなかった。薄い粉の上に、もっと薄い線が寝ている。風は低くて、靴の縁だけを撫でていく。耳の遠くで、二打。少し間。もう一打。「ここだよ」先に立っていた案内役が、一歩だけ前に出た。年は読めない。声は小さく、よく通る。「ここは沈む。重いと、沈む」私は喉の奥で息を一度そろえた。ノクスは指を軽く握り直す。第二関節が、まだ遅い。アシュルは私とノクスの視線が交差しない位置に立って、肩の角度を確かめた。「全部は置かないで。少しだけでいい」案内役が振り返らずに言う。声が白い面で弾んで、すぐ消えた。「呼ばれないほう……そこだけ置くね」私が言うと、案内役はうなずいた気配だけ残した。「肩の分、離す。形は残す」ノクスは短く。アシュルは半歩、砂の上で位置を作る。「先に、場所。目は……合わさないで」私は衣の内側から空白札を出す。押し葉をずらして重ねた。ぴったりにはしない。角は揃えない。白い面の上に、札の影が薄く落ちた。「息、置くね」胸の前でひと息。「ただいま」の高さをほんの少し添える。家の癖だけ。耳の奥の小さな鳴りが、沈んでいく。ノクスは札の角を二度、軽く触れた。叩かない。跡だけを置く。触れた指がわずかに止まり、遅れて戻る。「……行ける」アシュルは先に足場を作った。半歩外して、視線を斜めに落とす。肩を揃えない。白い面は、音を吸う。私たちは並ばないで歩く。一人ぶんの距離を空ける。足の下で粉が薄く沈み、残った形が細い線に変わった。二打。間。もう一打。風の音は一定で、灯袋が胸の高さで小さく揺れる。「渡ってるよ。戻るから、怖がらないで」案内役の声は近くないのに、近い響き方だった。足元の下、白い層のさらに下で、呼びかけの気配がにじむ。名の最初の音だけが、喉の奥で揺れる。私は口を閉じた。呼ばない。アシュルが私の肩の角を半歩だけずらす。視線を落として、交差を避ける。ノクスは灯袋の紐を一度だけ下げた。張りを落とす。角には触れない。指は揉まない。遅れはあるけれど、落ち着いて戻る。「……軽い?」アシュルが小さく言う。「うん。今は」私の足跡は、細い線に置き換わる。沈まない。跡が薄いのに、消えない。風が通ると、線は少しだけ光の向きを変えた。白い面の中央
last updateปรับปรุงล่าสุด : 2025-11-07
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