Semua Bab 断絶の王国と架け橋の騎士: Bab 1 - Bab 10

12 Bab

灰の朝、井戸の底の約束

空が、赤かった。夜なのに、朝よりも明るい。王都の屋根が溶け、風は火の匂いを運ぶ。炎は大きな獣の息みたいに地面をなめ、石畳をやわらかくしていく。瓦礫の上に、ひとりの男が立っていた。オリオン。左腕には白い包帯。右手の剣は、炎の色を拒むように淡く光っている。空を覆う影がうねる。火竜だ。その咆哮に、鐘楼の鐘が震えた。誰かが逃げ、誰かが叫び、誰かが祈っている。オリオンは背を振り返らない。仲間はもう退いた。いまはただ、ここを“つなぐ”だけだ。包帯が、焦げた。白が黒へ、黒の隙間から白い光が滲む。オリオンは足をひらき、剣の切っ先を地へ。声は、驚くほど静かだった。「倒すんじゃない。――眠らせる」言葉は風になって、火に触れた。炎の尾がほどけ、竜の瞳に薄いまぶたが落ちる。地面に光の線が走った。川みたいに分かれては合わさり、やがて橋の形を描く。赤い夜が、少しだけ冷えた。竜の息がゆっくりと弱まり、街の泣き声が遠のく。オリオンは剣に体重を預け、うっすら笑う。「誰かが、もう一度渡ってくれるといい」剣からこぼれた光が夜を切り裂いた。その瞬間――鐘が鳴る。……そして、何も残らなかった。鐘の音で、朝が来た。灰色の空。屋根は薄く白く、雪の代わりに煤が積もっている。王都の片隅、古い井戸の前で、リオンは手袋をはめ直した。灰色の外套、包帯を巻いた左腕。年は若いが、背中に“英雄の影”がついている――その重みを、少し持て余している顔だ。「……よし。もう一回、引き上げてみるか」桶が石肌を擦る、ぎい、とした音が小さく響く。水面には白い埃が浮いている。底に引っかかっていたのは石くずだけ――そう思って手を伸ばした指先に、紙の感触が触れた。細い紙片。濡れて、ふやけて、それでも中心に小さな印が残っている。印は、わずかに歪んでいた。丸のはずの輪が、橋のかたちに引きのばされている。その瞬間、紙片がかすかに温かくなった。指先に、微かな熱。目に入らないほどの光が、紙の繊維を通って脈を打つ。リオンは顔を上げ、空を見た。灰が舞い、鐘の余韻が薄く残っている。「……夢の続き、か」言葉は誰にも届かない。彼は紙片をそっと包み、道具袋の奥にしまった。ギルドの朝は、いつも火花から始まる。鍛冶場の奥で、小柄なドワーフの少女リリィがハンマーを振るう。髪の先に火花が散っても気
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-11
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封鎖区の火と青の誓い

朝の市場は、乾いていた。パンの湯気より先に、粉っぽい空気が喉にふれる。布張りの屋台は風を弾き、誰もいないのに喧嘩腰みたいにきしんだ。リオンは外套の裾を結び直し、胸ポケットを指で確かめる。紙片が、ぬくい。火に近づけたわけでもないのに、皮膚の下からじわりと熱が押し上げてくる。「昨日より、空が軽いな」隣で縄を巻いていたヴァルドが、顎で北を示す。獣人の黒い耳が、ひとつ、ぴくりと動いた。「軽い空は、火を呼ぶ」リリィが工具を肩に担いで、ぶっきらぼうに言う。「湿り気ゼロ。火の勝ち」ちり、と小さな鈴。ノエルが紙束をひらつかせ、片耳の鈴を指先で弾いた。「はい、朝の娯楽。王国より“緊急通達”。封鎖区で異常熱反応、だそうで。言葉は熱い、財布は寒い」「文句はあとだ」ガロスが通りの真ん中で声を張った。片目の古傷が朝日に細く光る。「“青い列”が動く前に、こっちが行く。――誘導、消火、救助。ぶつけるな。守れ。それが自由の稼ぎ方だ」「了解」リオンは短く頷き、紙片をポケットの奥へ押し込んだ。胸の鼓動と、熱の脈が妙に合う。封鎖区――旧街区。竜の夜の傷跡が、まだ地面の奥でうずく。傾いた壁、焦げた梁、積み木みたいに崩れた家。立ち入り禁止の札は灰を被り、風にこすれて音だけ大きい。「水を回すよ。路地に一本、広い通りには二本!」リリィがバケツの列に短く指示を飛ばす。言葉は鋭いけれど、手は優しい。ヴァルドは鼻で空気を嗅ぎ、浅くうなった。「人の匂い。…奥だ」ノエルは綱を張りながら、ぼそり。「“封鎖区”って、封が甘いほどよく燃える」路地の先、黒く焼けた壁に、焦げの輪郭が残っていた。丸い印のはずなのに、片側だけ細く伸びて――橋のかたち。リオンの胸で、紙片が微かに脈打つ。ポケット越しに、熱が指先に移った。「見たんだよ、ほんとに」避難してきた老婆が、指を震わせる。「きのうの夜、火の上に細い道が光ってさ…夢じゃないんだよ」リオンはうなずき、目を細めて路地の奥を見た。風が一度、逆さに吹く。火の匂いが濃くなる。蹄の音。砂を巻く短い風。騎士団が到着した。行進ではない、仕事の足音だ。鎧に煤がつき、馬の鼻息は白い。先頭の馬から、女騎士が降りた。セリア。金の髪は高くまとめられ、額にほどけた一束を指で払う仕草まで整っている。青い小さなリボンが、煤の空の中で水面みたい
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-11
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青の牢と、灰の手紙

朝は来た。けれど街の匂いは昨日のままだった。焦げと水と、冷えた鉄。ギルドの戸口をくぐると、最初に目に入ったのはリリィの腕組みだ。小柄なドワーフの少女は金床の前で眉を寄せ、ふん、と鼻を鳴らす。作業台の上には濡れた布と焦げた釘。昨夜の名残。ヴァルドは窓際で新聞を丸め、牙を少し見せてうなった。黒い耳がぴくり。「見出しが変わった。『英雄たち、火中から救出』が――」紙面をひっくり返して、乾いた指で叩く。「『王都南区で“禁忌印”発光 異常魔力現象として調査』だとよ」ノエルが椅子の背にもたれ、片耳の小鈴を指で弾いた。ちり。「英雄ってのは便利だ。次の日には“異端”に書き換えられる。字面は軽いのに、落ちる影は重い」言い合いを止めたのは、ガロスの靴音だった。ギルドマスターは何も言わず、厚い封筒を机に置く。封蝋は青。王城の印。中身は一枚の呼び出し状――『協力要請』の文字が、きれいなほど冷たい。「行け」ガロスの声は低く短い。片目の古傷が朝の光を細く跳ね返す。「今なら“まだ”話を聞く耳があるうちに、な」リオンは頷き、外套を取る。胸ポケットの紙片が、皮膚の熱に応えるみたいに一瞬だけぬくくなった。(また、始まる)戸口の向こう。灰の街路に、鐘の余韻がまだ薄く残っていた。◇王城の地下は、地上より静かだ。音が石に吸われ、声がよく届く。白い石の廊を抜けた先、鉄格子の影が床に縞模様を描いている。セリアは鎧を外され、簡素な拘束服に身を包んでいた。背筋はまっすぐ。目も。取調室の卓をはさんで、ルークともう一人の上官が座る。羊皮紙、羽根ペン、淡い魔力の灯。「命令違反」上官が項目を読み上げるたび、ペン先が乾いた音を立てる。「禁印への接触」「ギルドとの共謀の疑い」セリアは淡々と、しかし逃げずに答えた。「命令は理解していました。状況を見て、人命を優先しました」壁に、爪で引いたような細い線が残っている。橋のかたち。燃えた石に白い痕だけが沈んでいた。セリアの視線は、そこに一度だけ止まる。ルークが口を開く。副団長の声は低く、まっすぐだ。「火の中で見た“白い橋”……あれは、君の意思か?」セリアはひと呼吸、息を整えた。「もしそうなら、あなたはもう私を見ていないはず」目だけで続ける。“私が橋を出せるほどの者なら、この部屋の秩序は今ここにはない”――そんな意味。
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-12
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渓谷都市ノクス

朝の空気は薄く、街の声だけが濃かった。「光の橋を見た」「異端の子がいる」「青が裏切った」――そんな噂が、洗濯物みたいに通りにぶら下がっている。ギルドの前で、リリィは背負い袋の口をぎゅっと結んだ。「工具、よし。水袋、よし。――文句、なし」ヴァルドは革の帯を締め直し、短く鼻を鳴らす。「肉、少ない。途中で獲る」「道中で獲らないで。保存食あるから」ノエルはいつも通り軽く手を振り、片耳の鈴を鳴らした。「異端の旅一行、ただいま出発。――ええと、目的は“観光”ってことで押し通せる?」「観光なら、荷が重すぎるな」ガロスが地図を机に広げ、指で南を叩いた。「橋が次を指したなら、止まる理由はねぇ」彼は顔を上げ、ひとりひとりの目を見た。「行け。追手が来る前にな」リオンは胸ポケットの紙片をそっと確かめる。薄い光が、短く笑ったみたいにまたたく。〈第二接続:ノクス〉まだ“どうして”は掴めてない。けれど、呼ばれている。「……火は呼ばれた。なら、応えるのは俺たちの番だ」自分に言い聞かせるみたいに呟くと、ガロスがにやりと口の端を上げた。「その顔だ。――気をつけてな」◇南へ向かう街道は、岩と風の道だった。崖が切り立ち、影が歩幅を合わせて伸びていく。風は乾いて、舌に砂の味を残す。「ここ、地図だと緩やかな坂って書いてあるんだけど」リリィが眉をしかめながら地図を覗く。「地図は紙。坂は石。石の勝ちだ」ヴァルドが淡々と答えると、ノエルが肩をすくめた。「はい、“石の勝ち”メモっとく。――ところで、あれ見て」指差す先で、灰色の鳥が群れになって空を裂いた。風を嫌う鳴き声。火を恐れる鳥、だとどこかで聞いた。左腕が、じんわり熱を帯びる。包帯の下で心臓がひとつ跳ね、ポケットの紙片が小さく共鳴した。リオンの口から、思わず言葉がこぼれる。「……眠ってるんじゃない。待ってるんだ」「今なんて?」「なんでもない」「いや、“なんでもない”って顔じゃないね」ノエルが覗き込む。リオンは笑って首を振った。「風の音が、少し大きくなっただけだ」そのとき、風の中にかすれた声が混じった気がした。〈……眠りは終わり、風が渡る〉聞き間違いかもしれない。けれど、足が少しだけ速くなる。◇渓谷都市ノクスは、底に眠っていた。切り立った崖のあいだを、白い家々と石の階段が縫っている
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-14
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風の底で目を開けたもの

夜明け前、ノクスの空気は軽いのに、街の胸は重かった。昨夜の光の橋は消え、谷底には焦げたような痕と、薄い灰の匂いだけが残っている。広場の端で、兵が縄を張っていた。「異端の儀式だ」「封鎖だ」――言葉が先に歩き、事情は置いてきぼりだ。リリィが腕を組み、短く言う。「片づけは、いつも翌朝だね」ノエルは鈴を指で弾き、肩をすくめた。「道を開いたあとって、誰が掃除するんだろうね」ヴァルドは鼻で風を吸い、眉を寄せる。「谷の風が、獣の匂いをしてる」セリアは王都へ戻らなかった。青の外套は着ているが、立つ場所はもう列の中じゃない。「秩序の外でも、守れるものがあるなら、私はそこにいる」彼女はそうだけ言って、剣の柄に軽く触れた。リオンの胸ポケットで、紙片が震えた。熱ではない。小さな鼓動みたいな震え。耳を澄ますと、谷が浅く息をしている。吸って、吐いて。――呼吸音。「嫌な予感しかしない」とノエル。「燃え残りは、“次”の燃料になるんじゃない?」とリリィ。リオンは頷き、視線を谷底に落とした。「行こう。今のうちに、確かめる」◇崩れた橋の根元へ降りるには、石の階段を延々と下るしかない。風が上から下へ、下から上へ。服の裾をひゅうっと撫でていく。谷底は、思ったより広かった。石が円を描くように並び、中心に一本、黒い石柱が立っている。光を吸うみたいに、そこだけ夜が残っていた。リリィが近づき、手袋の上からそっと触れる。指先が弾かれ、火花がぱちりと散った。「……魔力じゃない。これ、“息”だよ。生きてる鉱石」ノエルが目を細める。「封印ってのは、呼吸するもんなの?」セリアは石陣を見渡しながら静かに言う。「橋が“渡す”なら、渡される側もいる」リオンの紙片が勝手に開いた。淡い光が走り、文字が浮かぶ。〈第二接続:安定化失敗〉〈再起動警告:封印層破損〉リオンは小さく息を呑む。「……開きすぎた、のか」ヴァルドが低く唸る。「だから風が、獣の匂いをした」石柱の奥から、空気が逆流した。髪が逆立つ。砂が、灰が、光の粒が、ひとところに吸い寄せられて――渦になる。◇渦は、細い骨から形を作るみたいに、空気で身を組み上げた。輪郭だけの竜。鱗はない。刃のように鋭い風と、胸の奥に響くうなり声だけがある。ノクスの谷が鳴った。高い壁が共鳴して、耳の奥がきしむ。紙片が赤く疼
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-15
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水都レヴァリア ― 沈む記憶と青の残響 ―

朝、谷の風が細くなる。灰の匂いが遠のいて、かわりに湿った音が近づいてきた。波でもない、布を撫でるみたいな、やわい音。「……次は、水の音か」リオンがつぶやくと、前を歩くセリアが肩だけ小さく動かした。青の外套が朝の光を吸って、後ろへ長い影を落とす。「音は似てる。……けど、流れは違う」ノエルは何か言いかけて、口の端を片手で押さえた。風が言葉を持っていく。「落ちないようにね、流れに」リリィが地図を折りたたみ、背の紐をもう一度締め直す。ヴァルドは空気の匂いを確かめ、ただ一度うなずいた。◇水都レヴァリアは、空を映していた。白い建物が水面から生え、橋が鏡の上で折り重なる。声を出すと、すぐ吸い込まれて、音が丸くなる。桟橋の上で、紙片がしっとりと重みを増す。薄い光が内側から滲み、短い行が揺れた。〈第三接続:安定化未確認〉リリィが水に指を入れて、すぐ引っ込める。「……この街、眠ってる」「眠ってるふりかも」セリアが水面の端を見た。風もないのに、細い皺が走って消える。ノエルが港の人影を眺め、鈴を触らずに指先だけ動かす。「静かだね。静かなほうが、言葉は速く沈む」ヴァルドは舟の綱に触れて、掌で震えを測るみたいに押した。「底で、何かが息してる」◇塔は水の縁に立っていた。白い壁。窓が少ない。扉の金具は磨かれ、触ると冷たい。出迎えた男は微笑んだが、目は笑っていなかった。白衣の上に青い外套。縁の細い眼鏡。「ようこそ、レヴァリアへ。参謀、アーベル・カノンです」声が穏やかで、机の上の紙と同じ手触りだった。「風の封印を、開いたそうですね。……あなたの意思で?」リオンは答える前に、息をひとつ置いた。窓の外で、水が小さく跳ねる。「あれは、眠ってた。……目を、開けたかっただけです」「橋を動かす者は、世界を動かす者です」アーベルは視線を下げ、細いペンを横へ置いた。「あなたが“何を起こすか”、私は記録しに来ました」机に古びた紙が置かれる。角が擦れて、手に馴染んだ色。端に、見覚えのある筆跡。――オリオン・ブリッジライト。リオンの視線が、そこで止まる。その止まり方を、セリアが横で見ていた。何も言わず、呼吸だけが浅くなる。「この街で、最初の橋に関する記録が残っています」アーベルは紙を持ち上げず、指で縁をなぞった。「彼は、よく書いた。
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-17
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声の底 ― 眠らなかった継承者 ―

夜と朝のあいだ。水の音だけが生きている。眠れずに外へ出ると、街が鏡のなかに沈んでいた。足音はすぐに丸くなって、どこかへ消える。桟橋の板は冷たく、手すりに残った夜露がゆっくり落ちていく。「……音が、やまないな」背中で衣擦れ。セリアが並んだ。頷く代わりに、息がひとつ。「水は、止まらないもの」「止まらないのに、閉じようとした」彼女は目だけで空を探して、それから水面へ戻した。「……あの人、そういう人だったのかもね」「あの人」――父の名を出さないで、二人とも口を閉じた。言葉より先に、紙片が胸の内側で震える。小さく。呼ぶみたいに。セリアが気づいたのか、視線だけ落とす。「行く?」返事はしなかった。足が先に、静かな方へ向く。◇街外れの水路は、細くて深い。灯りの届かない底で、何かがたしかに息をしている。覗き込むと、こちらを覗き返す“影”があった。誰もいないのに、人の形が揺れている。風はない。波紋だけがゆっくり広がって、戻ってこない。声ではない声が、内側に触れる。〈……開くたびに、失われる。〉〈それでも、開くの?〉背筋の毛が、ひとつずつ立つ。振り返る。そこに、少女がいた。白い外套。濡れた髪。瞳は淡い銀。水気をまとったまま、こちらの温度を測るみたいに立っている。「……あなたの音、聞こえた」声というより、息。言葉の端が、水滴みたいに落ちる。「音……?」「水が鳴いた。あなたが、触ったから」触れない距離。水のこちらと、向こう。でも、呼吸はどこか似ていた。「封印はね」少女は目を伏せ、指で外套の端をつまむ。「壊すためにあるんじゃない。……守るために」リオンは反発の言葉を探して、見つけられずに息を整えた。「それでも、閉じたままじゃ……何も届かない」少女はすこしだけ笑った。笑みにも届かない、口角の温度。「届いたあと、誰が残るの?」喉が動いて、音にならない。紙片が胸の内で光を増す。水面に細い輪が走る。「……父さんは、何を守りたかったんだ」聞かせる声じゃないのに、少女のまつげが影を落とす。「“声”よ。 ――届くたびに、消える声」水面がふっと崩れて、影がほどけた。リオンの手の中、紙片の縁に冷たい滴が落ちる。その滴が、光の中で滲んで、文字になった。〈第四接続:南西端 “黒潮の門”〉読むより先に、
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-18
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声の形 ― 水に息を与える者 ―

朝。まだ世界が濡れている。水都の空は薄く、色だけが先に変わっていく。水面は鏡のまま、音は小さく、長い。窓辺に紙片を置く。昨日落ちた滴の跡が、細く残っていた。じっと見ていると、文字がかすかに揺れる。脈みたいに。「……動いてる」背後の気配。セリアが立った。言葉より先に視線が下りてくる。「呼吸してるのね」「橋が?」「あなたのほうが、先に」笑うほどでもないのに、口の端が少しだけ緩む。紙片は、胸の内側と同じ速さで、ふっと、またふっと。◇塔の石段に朝のひかりがのぼる。白衣が光を通して、向こうの手の形が薄く見える。アーベルが降りてきた。眼鏡の奥は、夜のまま。「……見ましたか、声を」問いの形で置かれて、空気が少し冷える。リオンは答えない。セリアだけが視線を返す。「あなたは“書き換えた”んです。封印の構文を」セリアが、短く息を吐く。「書き換えじゃなく……“応えた”」「応えもまた、命令の一種です」温度のぶつかる音がしない。ただ、言葉の輪郭がぶつかる。アーベルは一枚の古紙を取り出した。角の丸い、触れば崩れそうな紙。端に、見慣れた筆跡が走る。〈封印構文:第零式〉「これが、“起点”です。彼は……これを最後に、書くのをやめた」墨の行が胸の中で音を立てる。〈終息せよ、すべての音〉喉が乾く。言葉が出ない。視界の端で、水が細く跳ねた。◇塔を離れる。水路の匂いは冷たくて、指先から肩へと戻ってくる。紙片が勝手に開いた。内側に灯りを入れたみたいに明るい。〈第四接続:黒潮の門〉〈転送構文:未起動〉水面に映ったのは、自分の顔じゃない。昨日の影。口を開かない、銀の瞳。〈……開くたびに、失われる〉耳ではなく、胸の奥に触れてくる声。リオンは息をひとつ置いて、指を紙に落とす。父の文字の並びが、掌の内で蘇る。けれど、途中で止めた。「終わらせるために書いたなら……俺は、始めるために書く」指先が、光を引く。墨ではない、呼吸の色。〈終息〉の字が、内側から滲んで崩れる。そこへ、細い線を一本ずつ足していく。――〈息せよ、すべての声〉音は鳴らないのに、水面が震える。街の水が、いっせいに小さく吸って、吐いた。橋の桁がきしむような、でも柔らかい響き。窓のガラスが細かく震え、塔の腹のどこかが低く応える。胸の中の紙片と、街の水が、同じ速さで呼吸してい
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-20
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欠けた声 ― 記録者たちの朝 ―

朝。水の匂いが、少し薄い。窓の外の光は柔らかく、音だけが遅れてやって来る。食堂の卓、木の皿の上でパンが乾いた音を立てた。ノエルが顎で窓を指しながら、言葉を手探りするみたいに口を開く。「昨日の……あの、えっと」リリィが笑う。けど、笑いが膝の上で止まる。「寝不足でしょ」ノエルは鈴を指で転がして、鳴らないのを確かめるみたいに眉を寄せる。「昨日、何を見てたんだっけ」リオンはパンをちぎって、返事を遅らせた。「……水を。いつも通り」セリアがこちらを見た。視線が一度だけ外へ滑って戻る。「でも、“いつも”って、何度目?」声が落ちて、皿の縁で消えた。誰も、すぐには拾わない。ヴァルドが背もたれを指で叩いて、短く喉を鳴らす。それで会話は一旦、終わる。◇外へ出ると、水の街は静かにあたたかかった。橋の影が水面に折り重なって、人の足音を丸くする。市場の女が手を振った。「おはよう」隣の老人も、通りの少年も、口にするのはそれきりだ。名前は、どこにも置かれていない。リリィが気づいて、指先で空中に字でもなぞるみたいに言う。「呼び名が……ない」セリアの眉がわずかに寄る。「“呼ぶ”って、橋を渡すことだもの」リオンは無意識に胸の紙片に触れた。薄い灯りが、布越しに呼吸する。「……橋が、何かを“持っていった”?」セリアがリオンの横顔を見た。問いじゃない、確かめるような息。「あなたが書いた構文、覚えてる?」「〈息せよ、すべての声〉」「“声”の中に、“名”もあった」通り過ぎていく人たちは、笑うし、頷く。ただ、誰も呼ばない。誰も呼ばれない。挨拶は水に沈んで、輪のまま広がる。◇塔の前。石段に、朝の光が浅く乗っている。アーベルが降りてきた。白衣の袖にまだ水滴。眼鏡の奥は、眠っていない目。「現象を確認しました」いつもの声。紙の温度。「発生源は、あなたです」リオンは言い返そうとして、喉に小石を入れられたみたいに言葉がつかえた。「俺は、壊してない……書き換えただけ」アーベルは頷きも否定もしないで、淡々と続ける。「壊す、創る、呼吸する。どれも“介入”です」セリアがまっすぐ立つ。髪の先が風を拾って、すぐに落とした。「観測してるだけのあなたが、一番静かに壊してる」アーベルの唇が、わずかに動いた。笑いでも怒りでもない、記号のずれ。「
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-21
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黒潮の門 ― 世界を呼ぶ声 ―

朝。同じ光が、同じ角度で落ちている気がした。水の街はよく働き、よく黙った。露店の棚を並べる手つきも、昨日と同じ音を出す。誰かが笑って、誰かが頷く。名前だけが、どこにも置かれていない。「なあ、昨日……ってあったっけ」ノエルが片手をひらひらさせて、鈴に触れずに止めた。リリィは肩をすくめる。笑いの形だけ作って、目は笑わない。「昨日は……あったと思う」リオンが答えると、セリアが横顔を見た。目だけで問い、すぐに外へ滑らせる。「“思う”って言葉、もうあてにならないかも」ヴァルドは風を嗅いで、短く喉を鳴らす。「同じ匂いだ。昨日と」言葉が薄くて、音だけ厚い。そのとき――胸の紙片が、潮の匂いを立てた。薄い面が、指先の脈に合わせて光る。〈第四接続:黒潮の門 反応率73%〉「……行くか」誰が言ったのか、はっきりしない。でも、足は同じ方向へ動いた。◇水都の外縁。海と陸の境。白いものが浮いていた。輪。波。近づくほど、音が少なくなる。呼吸だけが残る。「ここが……“門”」リオンの声は、自分の喉で小さく跳ねて、すぐに鎮んだ。「開いてるようで、閉じてる」セリアがひとつ息を置く。ノエルは縁を覗き込み、指先を引く。「見てるだけで……落ちていく気がする」輪は海に触れず、海は輪に触れない。ただ、境界のまま、そこにある。波間で、光が集まる。少女が立っていた。前より淡く、輪郭が水に溶けかけている。セリアの足が、反射で一歩出る。少女は目を細めて、笑いにもならない笑みを作った。「……また“呼んだ”のね」リオンは首を横に振って、すぐ止める。「呼んでない。ただ……届いた」「“届く”ことが、いちばん壊すのよ」言葉が引いて、沈黙が押し返す。潮の呼吸みたいに、会話が寄せては返す。「世界は、名を失って静かになった。あなたは、まだ動かそうとする」「止めたままじゃ、生きられない」「じゃあ、壊しながら生きるのね」否定の形は作らない。喉が鳴るだけ。輪の白が、海の青を少しだけ薄くする。「だから、私は記す」背から落ちた声に、振り向くまでもなく分かった。アーベルがいた。海風で外套が揺れ、眼鏡が光を拒む。「封印の構文は、あなたの父が残した。開くほどに、記録は削れる。あなたが書くたびに、世界は“修正”される」リオンは紙片を握る。光がじわ
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-10-22
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