空が、赤かった。夜なのに、朝よりも明るい。王都の屋根が溶け、風は火の匂いを運ぶ。炎は大きな獣の息みたいに地面をなめ、石畳をやわらかくしていく。瓦礫の上に、ひとりの男が立っていた。オリオン。左腕には白い包帯。右手の剣は、炎の色を拒むように淡く光っている。空を覆う影がうねる。火竜だ。その咆哮に、鐘楼の鐘が震えた。誰かが逃げ、誰かが叫び、誰かが祈っている。オリオンは背を振り返らない。仲間はもう退いた。いまはただ、ここを“つなぐ”だけだ。包帯が、焦げた。白が黒へ、黒の隙間から白い光が滲む。オリオンは足をひらき、剣の切っ先を地へ。声は、驚くほど静かだった。「倒すんじゃない。――眠らせる」言葉は風になって、火に触れた。炎の尾がほどけ、竜の瞳に薄いまぶたが落ちる。地面に光の線が走った。川みたいに分かれては合わさり、やがて橋の形を描く。赤い夜が、少しだけ冷えた。竜の息がゆっくりと弱まり、街の泣き声が遠のく。オリオンは剣に体重を預け、うっすら笑う。「誰かが、もう一度渡ってくれるといい」剣からこぼれた光が夜を切り裂いた。その瞬間――鐘が鳴る。……そして、何も残らなかった。鐘の音で、朝が来た。灰色の空。屋根は薄く白く、雪の代わりに煤が積もっている。王都の片隅、古い井戸の前で、リオンは手袋をはめ直した。灰色の外套、包帯を巻いた左腕。年は若いが、背中に“英雄の影”がついている――その重みを、少し持て余している顔だ。「……よし。もう一回、引き上げてみるか」桶が石肌を擦る、ぎい、とした音が小さく響く。水面には白い埃が浮いている。底に引っかかっていたのは石くずだけ――そう思って手を伸ばした指先に、紙の感触が触れた。細い紙片。濡れて、ふやけて、それでも中心に小さな印が残っている。印は、わずかに歪んでいた。丸のはずの輪が、橋のかたちに引きのばされている。その瞬間、紙片がかすかに温かくなった。指先に、微かな熱。目に入らないほどの光が、紙の繊維を通って脈を打つ。リオンは顔を上げ、空を見た。灰が舞い、鐘の余韻が薄く残っている。「……夢の続き、か」言葉は誰にも届かない。彼は紙片をそっと包み、道具袋の奥にしまった。ギルドの朝は、いつも火花から始まる。鍛冶場の奥で、小柄なドワーフの少女リリィがハンマーを振るう。髪の先に火花が散っても気
Last Updated : 2025-10-11 Read more