断絶の王国と架け橋の騎士

断絶の王国と架け橋の騎士

last updateLast Updated : 2025-10-15
By:  吟色Updated just now
Language: Japanese
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かつて世界を救った英雄オリオンの息子、リオン。 彼は「殺さずに世界を救う」という父の遺志を胸に、 騎士団とギルド、そして異なる種族の狭間で戦い続ける。 剣よりも言葉を。勝利よりも和解を。 だが、理想はいつも血に塗れる。 裏切り、喪失、そして再生——。 彼の決断が、“断絶の王国”に架けるたった一つの橋となる。 理想を掲げる騎士団。 自由を求めるギルド。 閉ざされた森の民、沈黙の海の王国、そして暗躍する魔族たち。 世界が“断絶”へと進む中、 リオンは「橋を架ける者」として、剣を取り、迷いながらも走り出す。 ——殺して進む勇気は要らない。 繋いで進む勇気だけが、世界を変える。

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Chapter 1

灰の朝、井戸の底の約束

空が、赤かった。

夜なのに、朝よりも明るい。

王都の屋根が溶け、風は火の匂いを運ぶ。炎は大きな獣の息みたいに地面をなめ、石畳をやわらかくしていく。

瓦礫の上に、ひとりの男が立っていた。

オリオン。左腕には白い包帯。右手の剣は、炎の色を拒むように淡く光っている。

空を覆う影がうねる。火竜だ。

その咆哮に、鐘楼の鐘が震えた。

誰かが逃げ、誰かが叫び、誰かが祈っている。

オリオンは背を振り返らない。仲間はもう退いた。いまはただ、ここを“つなぐ”だけだ。

包帯が、焦げた。白が黒へ、黒の隙間から白い光が滲む。

オリオンは足をひらき、剣の切っ先を地へ。

声は、驚くほど静かだった。

「倒すんじゃない。――眠らせる」

言葉は風になって、火に触れた。

炎の尾がほどけ、竜の瞳に薄いまぶたが落ちる。

地面に光の線が走った。川みたいに分かれては合わさり、やがて橋の形を描く。

赤い夜が、少しだけ冷えた。

竜の息がゆっくりと弱まり、街の泣き声が遠のく。

オリオンは剣に体重を預け、うっすら笑う。

「誰かが、もう一度渡ってくれるといい」

剣からこぼれた光が夜を切り裂いた。

その瞬間――鐘が鳴る。

……そして、何も残らなかった。

鐘の音で、朝が来た。

灰色の空。屋根は薄く白く、雪の代わりに煤が積もっている。

王都の片隅、古い井戸の前で、リオンは手袋をはめ直した。灰色の外套、包帯を巻いた左腕。年は若いが、背中に“英雄の影”がついている――その重みを、少し持て余している顔だ。

「……よし。もう一回、引き上げてみるか」

桶が石肌を擦る、ぎい、とした音が小さく響く。水面には白い埃が浮いている。

底に引っかかっていたのは石くずだけ――そう思って手を伸ばした指先に、紙の感触が触れた。

細い紙片。濡れて、ふやけて、それでも中心に小さな印が残っている。

印は、わずかに歪んでいた。丸のはずの輪が、橋のかたちに引きのばされている。

その瞬間、紙片がかすかに温かくなった。

指先に、微かな熱。目に入らないほどの光が、紙の繊維を通って脈を打つ。

リオンは顔を上げ、空を見た。

灰が舞い、鐘の余韻が薄く残っている。

「……夢の続き、か」

言葉は誰にも届かない。

彼は紙片をそっと包み、道具袋の奥にしまった。

ギルドの朝は、いつも火花から始まる。

鍛冶場の奥で、小柄なドワーフの少女リリィがハンマーを振るう。髪の先に火花が散っても気にしない職人気質。

金床に一打、火の粒が跳ねて笑う。

「おかえり、井戸の勇者。報酬は“きれいな水”と“泥の靴紐”。――はい、どっちも高くつく」

短く尖った調子。手は止めない。

リオンは肩をすくめた。

「水はありがたいな。靴紐は……おまけで頼む」

「材料費は嘘つかないよ」

「ツケで」

「ツケはもう橋の長さ分あるけどね」

机の前では、獣人族のヴァルドが大きな手で革袋をもてあそび、黒い耳をぴくりと動かして、にやりと牙を見せた。

「今日も安いな。王都は、いつから銅貨で動くようになったんだ?」

「銅貨で動かないのは貴族くらいだろ」

扉を肩で押し開け、片耳に小鈴を下げた痩せぎすの情報屋ノエルが、ひらひらと紙束を掲げる。声は軽いが、目は笑っていない。

「はい、朝の娯楽。王国からの通達。――ギルド諸氏“協力”を求む、だそうで。“協力”って便利だよね。実体は“束縛”だったり“監視”だったり。言葉って、だいたい節約でできてる」

リリィがしかめっ面で紙をのぞき込む。

「また締め上げるの? 鍋の底まで磨いてるのに」

ヴァルドは短く笑い、椅子の背にもたれかかる。

「締めたい奴は、だいたい自分が解けない。縄の話だ」

「詩人だな、ヴァルド。じゃ、その詩で家賃払ってよ」

ノエルが鈴をちり、と鳴らし、袋を振る。

「家賃はこいつに聞いてくれ。あいにく、俺には金がない。いや“現金がない”と言うべきかな、信頼はあるつもりなんだけど」

奥から、低い声が飛んだ。

「金の話は昼にしろ。朝は腹が減る」

ガロスが現れた。片手にパン、もう片方で書類の束を肩に乗せている。片目の古傷と、重い鎧の痕が残る肩――かつての騎士。

灰色の髭に、笑っていない目。けれど声はどこか温い。

「自由ってのは、好き勝手に走ることじゃねぇ。背負って立つ覚悟のことだ。……で、リオン。井戸はどうだ」

「水は出ました。底で、これを拾った」

リオンは道具袋から例の紙片を取り出した。

光はもう消えて、ただの濡れた紙に見える。けれど印の歪みは残っている。

ガロスの手が止まった。パンが少しだけきしむ。

彼は紙を受け取り、じっと見た。笑い皺が消え、目の底の色が深くなる。

「……それ、どこで拾った?」

鍛冶場の火が小さく鳴った。誰も冗談を言わない。

外から、鐘がもう一度、遠くで鳴る。

「井戸の底で。石の間に挟まってた」

ガロスは一拍置いて紙を返す。

「なくすなよ。……そんで、まだ誰にも見せるな」

「なんで?」

「理由はそのうち嫌でもお前の前に来る。来たとき、逃げ道が要る。自由はそのためのものだ」

ノエルが口笛を鳴らす。

「ガロスの説教、今日も切れ味がいい。鋼材に食い込むタイプのやつだね、比喩として」

「うるせぇ。そんなことより、仕事だ。――昼過ぎ、広場の警備に出る。王都に“青い列”が来る」

その言葉に、空気がわずかに乾いた。

昼。通りに人が集まる。

石畳を鎧の爪先が叩く音が、街の骨を鳴らす。

青い布。光の盾。まっすぐ前だけを見る顔。

騎士団の行進は、いつだってきれいだ。

嫌う者は多いが、目を離せない者も多い。

「はいはい、皆さん、道をあけて」

鎧の列が通りを満たす。青が石畳を染め、陽光が反射する。

子どもたちが息を呑み、大人たちは帽子を脱いだ。

その先頭に――女騎士がいた。

セリア――金の髪をまとめた、王家の血筋の騎士。額に落ちる髪を指で払うと、王家の紋章である青いリボンが風にふれた。

一瞬だけ、まぶしさを避けるようにまぶたを伏せる。

その眼は、光よりも規律を信じている。

「列を乱すな」

短く、冷たく、正確に。

その一言だけで人の波が静まった。

露店の屋根に片肘をついていたリオンは、目線だけで彼女を追った。

言葉の代わりに、胸の奥でひとつ息を整える。

「きれい」と、いつの間にか横に来ていたリリィが小声で言う。

「整列は“見るぶん”にはね」

「ええ、“中にいるぶん”にはきつい」とノエル。

「呼吸の権利を申請したくなるよ、書式は三枚綴りでね」

ヴァルドは黙って腕を組む。

隊列の中ほどで、重い視線がこちらを掠めた。ルーク。副団長の硬い眼差しは、人を測る秤のようだ。

リオンは、その視線を受けて、ほんのわずかに口角を動かす。

「橋を壊すのは、どっちだろうな」

誰にともなくこぼれた言葉は、行進の音に消えた。

夜。ギルドの灯はオイルの匂い。

リオンは机に紙片を広げる。乾いたと思っていたのに、指に触れるとまた温かい。

印が、淡く光った。

輪はほどけ、細い線が伸び、また結ばれる。

橋のかたち。小さな光の筋が、紙の上で呼吸しているみたいだ。

外で、風が鳴った。

遠くで、鐘がひとつ。雲の切れ間に、黒い影が薄く浮かぶ。

竜。目覚めるでも、眠るでもない、曖昧な形。

リオンは窓に寄り、そっと空に問いかけた。

「父さん……この世界、まだ壊れてないよな」

返事は、風の音と紙の鼓動だけ。

それでも、胸の中に小さな火が灯る。

燃やすためじゃない。照らすための火だ。

彼は紙片を包み、ポケットにしまう。

息を吸う。吐く。手の震えが止まる。

灰はまだ空に漂っている。

けれど、どこかで朝が待っている。

――灰の朝は、まだ息をしている。

けれど、その息は、どこかで火を呼んでいた。

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灰の朝、井戸の底の約束
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