私は汐見秋穂(しおみ あきほ)。息子の倉沢直輝(くらさわ なおき)は、自閉症だと診断されていて、いつしか夫の倉沢暁人(くらさわ あきと)の亡くなった初恋の女性――小山由香(こやま ゆか)を、実の母親だと思い込むようになった。直輝の病状をどうにか抑えるために、私は六年ものあいだ、夫の初恋を演じ続けてきた。好きでもない服を身につけ、鏡の前で何度も由香の笑い方や仕草をなぞる。そうしているうちに、私はすっかり自分を失い、彼女の残像の中に自分を埋もれさせていた。ところがある日、私は思いがけず暁人と直輝の会話を聞いてしまった。「やっぱりパパの作戦ってすごいよね。僕が自閉症のふりをしてれば、おばさんは僕に気を遣って、ちゃんとママみたいになってくれるんだもん」「いつまでもおばさんなんて呼ぶなよ。お前は俺と由香の体外受精で生まれたにしても、実際に腹を痛めて産んだのは秋穂なんだ」六年間も私を縛りつけてきた自閉症は、最初から存在しなかった。それどころか、十か月もお腹で育てて産んだこの子でさえ、私の子どもじゃなかったのだ。そのすぐあと、暁人の気だるげな声がまた聞こえてくる。「お前はこのまま病気のふりをしてろ。秋穂を、お前の母さんそっくりの女に作り替えるんだ。そうだ、一か月後はお前の母さんの誕生日だ。秋穂を使って派手な結婚式を挙げて、昔お前の母さんが願っていた俺との結婚って夢を、きっちり叶えてやらないと。誕生日が終わったら、おばさんじゃなくて、ちゃんと恩をわきまえて、ママって呼べよ」人は悲しみの極みに達すると、もう泣くことすらできない。膝から力が抜け、私はその場に崩れ落ちる。こみ上げる吐き気を必死に手で押さえたとき、その音に気づいたのか、中から男の声が飛んできた。「誰だ?そこにいるのは」刃物のような鋭い視線が、警戒心むき出しのまま私を貫く。父子の前に出ていくと、「今来たばかりで、何も聞いていないのか」と何度も確かめられた。私が同じ答えを何度も繰り返したあとで、暁人はようやく胸をなでおろした。「どうした?転んだのか?」「うっかり足をくじいただけ……」そして、彼は私の膝をすくうように腕を差し入れ、そのまま軽々と抱き上げて、捻った足首の手当てをしに連れて行った。何千億円もの売り上げを誇る会社の社長が、こんなふうに自分の手で
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