明治四十一年の秋、私は一通の奇妙な招待状を受け取った。 差出人は稀代の園芸家として知られる鏡見久我という人物である。彼の所有する「硝子庭園」の内覧会に招かれたのだ。招待状には次のような文言が添えられていた。「貴殿の博物学的素養を見込み、この度完成した硝子庭園の鑑定をお願いしたく存じます。庭園には世界中から蒐集した有毒植物を配しており、学術的価値も高いものと自負しております」 私、神坂修五郎は当時、東京帝国大学で植物学を講じる傍ら、警視庁の嘱託として毒物鑑定に携わっていた。そうした経歴から招待を受けたのだろう。 指定された日時に訪れた鏡見邸は、東京郊外の小高い丘の上にあった。洋館の背後に聳える巨大な硝子の構造物は、まるで水晶宮のように陽光を反射していた。秋の午後の光が、その透明な壁面で幾重にも屈折し、虹色の光彩を放っている。近づくにつれ、その壮麗さと同時に、どこか不吉な印象を受けた。美しすぎるものには、常に危険が潜んでいる。 執事に案内され硝子庭園の入口に立つと、そこには既に数名の客が集まっていた。鏡見久我本人――五十代半ばと思しき痩身の紳士――が一人一人に声をかけている。 彼の容貌は印象的だった。切れ長の目は深い知性を湛えているが、同時にどこか常軌を逸した情熱の炎が燃えているように見える。銀色の髪は丁寧に撫でつけられ、黒いフロックコートに身を包んだ姿は、学者というより魔術師を思わせた。「ようこそ、神坂先生。お待ちしておりました」 久我の声には奇妙な響きがあった。まるで硝子に反響するような、冷たく透明な音質である。その声を聞いた瞬間、私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。「本日お集まりいただいたのは、それぞれの分野で卓越した方々です。医師の橘先生、化学者の芦名博士、そして植物画家の椿夫人」 私は他の客に会釈した。 橘は四十代の温厚そうな医師で、丸い眼鏡の奥の目は穏やかだった。彼は東京の下町で開業しており、庶民の信頼が厚いと聞いている。 芦名は六十過ぎの白髪の学者で、背を丸めた姿からは長年の研究生活が窺える。帝国大学の化学科で教鞭を執っており、特に有機化合物の分析において第一人者として知られていた。 椿夫人は三十代の美しい女性だった。深い緑色のドレスに身を包み、繊細な顔立ちには芸術家特有の鋭敏な感性が宿っている。彼女の描く植物画は写実的であ
Last Updated : 2025-11-29 Read more