夜のデパートは、人の気配が消えた途端、「静寂」を取り戻す。だがその静けさは、空っぽではなかった。——むしろ、薄闇の奥でゆっくりと息づく、名前のない“気配”完のようだった。その呼吸のような静けさを引き裂くように、美咲は必死に走っていた。床に叩きつけられるブーツの足音だけが、やけに大きく響く。背後では、気配がずるりと形を変えながら迫ってくる。別の通路では鏡の奥がくすりと笑い、天井からは軋むような、終わりの見えない溜息の音が落ちてきた。美咲は喉の奥が震えるのを必死で押し込めた。「……神様。 あたし、ただ—— マッチングアプリで“彼と再会して”、 一緒に買い物してただけなんですけど……?」本当に、ただそれだけ。何年ぶりかに連絡を取り合って、少し浮かれて、久しぶりに“デートみたいな時間”を過ごしていただけなのに——。まさかその数時間後に、“生きているデパート”の中を命がけで走る羽目になるなんて。美咲は、1ミリも思っていなかった。それでも、背後から伸びてくる気配は止まらない。デパートは確かに静まり返っているはずなのに、ここでは“何か”が確実に目を覚まし、美咲の存在を意識し始めていた。逃げなければならない理由は、もう説明できる段階を越えている。ただ本能だけが、ここにいてはいけないと叫んでいた。
Last Updated : 2025-12-26 Read more