Masuk夜のデパートで語られる「七つの不思議」。 偶然その噂を追うことになった女性・美咲は、閉店後のデパートに足を踏み入れる。 ひとつ謎を解くたび、怪異は現実となり、空間は静かに歪んでいく。 逃げ場のない夜の中で突きつけられるのは、過去の選択と因果の結末。 これは、夜に囚われた者たちの物語。
Lihat lebih banyak夜のデパートは、人の気配が消えた途端、「静寂」を取り戻す。
だがその静けさは、空っぽではなかった。
——むしろ、薄闇の奥でゆっくりと息づく、
名前のない“気配”完のようだった。
その呼吸のような静けさを引き裂くように、
美咲は必死に走っていた。
床に叩きつけられるブーツの足音だけが、やけに大きく響く。
背後では、気配がずるりと形を変えながら迫ってくる。
別の通路では鏡の奥がくすりと笑い、
天井からは軋むような、終わりの見えない溜息の音が落ちてきた。
美咲は喉の奥が震えるのを必死で押し込めた。
「……神様。
あたし、ただ——
マッチングアプリで“彼と再会して”、
一緒に買い物してただけなんですけど……?」
本当に、ただそれだけ。
何年ぶりかに連絡を取り合って、
少し浮かれて、
久しぶりに“デートみたいな時間”を過ごしていただけなのに——。
まさかその数時間後に、
“生きているデパート”の中を命がけで走る羽目になるなんて。
美咲は、1ミリも思っていなかった。
それでも、背後から伸びてくる気配は止まらない。
デパートは確かに静まり返っているはずなのに、
ここでは“何か”が確実に目を覚まし、
美咲の存在を意識し始めていた。
逃げなければならない理由は、
もう説明できる段階を越えている。
ただ本能だけが、
ここにいてはいけないと叫んでいた。
冬の冷たさがすっかり遠のき、春の匂いがやわらかく鼻先をくすぐる季節。朝の空気はまだ少しひんやりしているのに、日差しは優しくて、どこか心まで温めてくれる。美咲と悠は、いつもの道を並んで歩いていた。定期的に訪れるようになったデパート——あの“夜”を乗り越えた場所だ。冬の光に包まれていた外観は、今日は春色にきらめいて見える。自然と繋がれた2人の手は、もう離れることのないもののように、当たり前に、優しく結ばれていた。今日は、デパートの皆へ特別な報告があった。美咲が少し照れ臭そうに繋いだ手をブンブン振った。「なんか、照れ臭いね。報告するの…」「美咲が行きたいって言ったんだろ?…きっと喜んでくれるよ!」「…うん。」悠は繋いでいる美咲の左手をそっと持ち上げた。薬指で柔らかく輝く、小さなダイヤのリング。それは、先週2人が両家に挨拶を済ませ、“婚約者”になった証だった。どちらの親にも『本当にうちの子でいいの?』という言葉を言われた為、『どういう意味?!』と、悠と美咲は各自親にツッコんだ。ターボーからは即レスで「最高!幸せになれよ!」と鬼のようなスタンプと祝福メッセージが来た。美咲の両親も、悠の家族も、友人も応援してくれている。気付けば、すべてが穏やかに繋がりはじめていた。2人はデパートの自動ドアをくぐった。ヴィーン……春の光が差し込む館内は、あの日よりさらにあたたかい。子どもたちの笑い声、お店の呼び込み、明るい照明。ここに満ちる空気は、もうどこにも“あの夜”の影を残していなかった。入り口から店内を進むと、あの日の女性従業員がレジに立っていた。女性従業員はすぐに悠と美咲に気付いて手を振ってくれた。もうすっかり顔馴染みだった。美咲はお客さんがレジに居ない事を確認すると、女性従業員にそっと左手を上げて見せた。薬指には、小さな光を宿した指輪。指輪を見た途端、女性従業員の目に一気に涙が溜まり、頬を押さえて震えた。口元を押さえながら、慌てて他の従業員をレジ前に引っ張り出して、すぐに駆け寄って来てくれた。「お二人とも、ご結婚、おめでとうございます!!」女性従業員の店内に響くような弾んだ声に、レジの仲間たちも気づき、手を止め、微笑んで、静かに拍手を送ってくれた。美咲と悠は、少し照れながら頭を下げた。拍手がゆっ
2人は1階を後にし、東側階段を上って2階の通路へと進んだ。階段を上がった瞬間、空気がふわりと変わったように感じた。催事場やフードコートで子供たちの声が響く1階とは違い、2階はどこか「落ち着いた賑わい」をまとっている。買い物を楽しむ大人たちの笑い声、香水や布地の柔らかい匂い——あの夜は閉店して照明も薄暗かったため気付かなかったが、若い女性向けのファッションショップやインテリア雑貨の店が並び、今では中高生や若い女性たちで賑わっていた。その光景は、まるで“本当にあのデパートだったのだろうか?”と錯覚してしまうほどだった。美咲は驚いて思わず口に出す。「え…雰囲気、違いすぎて別世界なんだけど。」「本当だな…。あ、あそこ折り畳み傘売ってそう!」「あ、待ってよ。あたしも行く!」美咲は先に歩き出した悠を追いかけて、軽く体当たりをした。笑い合いながら、2人はインテリア雑貨のお店に入る。2人の笑い声は明るくデパートの空気に吸い込まれていった。悠と美咲は折り畳み傘が陳列されている棚の前に立ち、色んな傘を手に取って機能や色を見ていた。ふと、美咲は顔を上げて、通路を挟んで向かいにあるペットショップに目を向けた。子犬や子猫の、追いかけっこやじゃれ合いや昼寝をする可愛い姿に釘付けになっているお客さんで溢れていた。その隣からは熱帯魚ブースが広がっており、小動物ブースと比べると、比較的落ち着いた雰囲気だった。青い照明に照らされる水槽の中を、尾鰭をヒラヒラとさせながら、色とりどりの綺麗な魚達が気持ち良さそうに泳いでる。癒しを求めているお客さんが、魚達が泳ぐ姿をキラキラした目で覗き込んでいた。そんな癒しオーラで満たされているペットショップを眺めながら、美咲はふいに口を開いた。「……ねぇ悠。」「ん?どうした?」悠は折り畳み傘から目を離し、美咲を見た。美咲は商品棚越しに水槽コーナーを見つめている。「あそこの水槽が割れたの、信じられないね…」悠はハッと思い出し、顔を水槽の方に向けた。「この店の向かいにあったのか…。ここは、"溺死の生首"だったよな?」美咲はこくりと頷いた。「切り落とされて水槽に首が入るなんて、ツラ過ぎるね…」「あぁ…。」水槽の中に揺れる自分なんて、想像できない。想像もしたくない…。デパートに買い物に来て、そんな事にな
美咲と悠は、人混みの中を進んでいく。「美咲、どこに行くんだ?」「そうだねぇ〜……まずは、“這いずり女”が出た一階のトイレから行こう!」美咲が悠の腕を引っ張りながら、明るい声を出した。悠は困惑しつつも、どこか嬉しそうな顔をしながら尋ねる。「本当にやるのか、七不思議救済ツアー。……てか、何やるんだ?」「あの夜、あの場所で起きたことを、そのまま無かったことには出来ないもん。だから、“今”の場所を見ておきたい」少し悲しみを含ませた、しんみりした表情。けれど美咲は、すぐに顔を上げて表情を変える。「それにね――」ニタリと笑って、悠を見る。「もしかしたら、まだ誰か残ってるかもしれないよ?」無邪気に言う美咲の横顔は、あの夜見た“戦う顔”とは違う。どこか楽しそうで、その変化に悠の胸が、自然と温かくなった。「なるほど。それは確かに確認しないとだな!」「でしょ?」2人は献花台を後にし、一階のトイレフロアへ向かった。七不思議その1、『這いずり女』がいた場所へ。⸻人の往来が絶えない明るい廊下。母親に手を引かれる子ども、待ち合わせをするカップル、ベビーカーを押す夫婦——。一階トイレ前は、あの夜と同じ場所とは思えないほど、「当たり前の日常」の空気が流れていた。美咲は悠の手を軽く引き、人の邪魔にならない壁際へ移動する。「ここね……。あたし、ここで“這いずり女”に追いかけられたんだ」声は落としているのに、指先はしっかりとその方向を示していた。美咲には、あの瞬間が鮮明に思い出せる。あの夜の恐怖体験は、そんな簡単に忘れられるものじゃない。「あの時は、本気で怖かったよ……。血だらけで速くて……怖すぎて、息が止まるかと思った……」誰もいないはずの薄暗いトイレ。近づいてくる、体を引きずる音。目に飛び込んできた血まみれの女性——。五感すべてが震え上がった。次の瞬間にはすごい勢いで追いかけられ、全身がパニックでいっぱいだった。走っても走っても逃げ場がなくて、足がもつれた瞬間、「死ぬ」と思った。美咲があの夜を思い出して辛そうな顔をしているのを見て、悠は悔しそうに眉を寄せる。「俺、その時トイレにいたんだよな。美咲の声、全然聞こえなかった……今思うと、柳瀬が邪魔してたのかもな」「うん、たぶん……。まぁ、悠がいても“這いずり女”
翌日の土曜日の午後。冬の柔らかい陽射しが駅前広場を照らしていた。空には雲もなく風もない。空気の冷たさは肌で感じるが、ぽかぽかと気持ちの良い天気だ。もうすぐクリスマス。地元の駅前を見渡すと、今年はサンタとトナカイのイルミネーションが増えていた。(1年、あっという間だなぁ。もう今年が終わるんだ……)駅前のイルミネーションをぼんやり見ながら、美咲は物思いにふける。クリスマスは好きなイベントだが、終わればすぐにカウントダウンが来ると思うと、なんだか複雑な気持ちになる。(あ、でも冬の連休は嬉しい……)駅前広場を一周ぐるりと回ると、空いているベンチに腰掛けた。スマホを取り出し、カレンダーアプリのスケジュール画面を開く。連休期間を確認しながら、ここ最近の週末の日にちをタップする。⚪︎日、悠とモール△日、悠と水族館◻︎日、悠と自然公園思わずニヤニヤしてしまう。(ちょっとペース早いかな……。悠もノってくれるから、予定バンバン入れちゃった)まだ悠と「正式に付き合っている」わけではない。だからこそ、いちばん浮かれてしまう時期だった。(落ち着こ! 浮かれない! 良い大人でしょ!)自分の両頬をペシペシと叩いて、心の中で言い聞かせる。頬を叩く振動で、美咲は目をぎゅっと閉じた。ひゅっと冷たい風が、美咲の髪を揺らす。叩く手を止めて、ゆっくり目を開き、はぁっと白い息を吐いた。白い息が空に向かって消えていくのを見上げる。(……浮かれないなんて無理。……悠と連休も遊べたら良いなぁ……)スマホで時計を確認する。約束の10分前に駅前へ到着していた。ちょうどいい電車がそれしかなかった。田舎の駅前には、喫茶店もコンビニもない。手袋を嵌めた手を擦り合わせながら、悠を待つ。(悠、ちゃんと暖かい格好してくるかな……)はぁっ……と、また白い息を浮かばせる。少しの緊張と、少しの嬉しさで胸が高鳴る。美咲は、この時間が好きだった。好きな人が、自分のもとへ駆け寄ってくる、その瞬間が。(あ! あたし最後にリップ塗ったのいつだっけ?)わたわたとカバンを漁り、色付きリップを取り出した、その時――。「美咲ーー!!」遠くから、手を振りながら悠が駆けてくる。息を弾ませ、頬を赤くして。美咲の心臓がドキンと跳ねる。(うぅ……イケメンって……ずるい
鏡迷路から逃げて、悠がトイレへ走り去ったあと、デパート内は静寂に包まれていた…美咲は一人きりも嫌だったが、トイレの側で待つのはもっと嫌だった。最初の恐怖がフラッシュバックするからだ。扉から垂れてきた足…這いずる女…美咲はブルッと身震いし、首を横に振った。考えちゃダメだ……と無理やり意識をそらす。一人になると、一気に疲れが込みあげてきた。(どこか……座りたい……)見渡すと、先ほど悠と軽食を食べたフードコートがある。美咲は周囲を警戒しながらゆっくり歩き、鏡迷路に背を向けて、椅子にストンと腰を下ろした。ふぅ〜……っと長い息が漏れ、身体が沈んでいく。鏡迷路を出たあとも、胸の
美咲と悠はトイレエリアから離れるために歩き出した。また先ほどの霊に出くわすのだけは避けたかった。デパート館内は薄暗く、ところどころ非常灯の光がぽつぽつと床を照らしている。美咲は、這いずり女のビジュが頭にこびりついていて、振り払おうと何度も小さく首を振った。(もう、忘れる! 忘れたい! 忘れて!!)自分で自分に言い聞かせながら、美咲は必死に“楽しいこと”を考えようとする。そういえば……と、横を歩く悠に話しかけた。「ねぇ悠、前に“休みの日何してるの?”って聞かれたじゃん? 悠はいつも、お休みの日なにしてるの?」「俺はね〜、料理にハマってる! 動画見て美味しそうなやつ作って
先ほどまでは閉館作業で慌ただしかった館内だったが、気づけば、人影がじわじわと少なくなっていくのを美咲はスマホを片手に眺めていた。客はもう、ほとんど帰ってしまったらしい。従業員は各フロアを巡回し、確認し終えた店舗から順に盗難防止用のカーテンが、シャッ……と降りてゆく。美咲は、ひとりだけ取り残されたような感覚になり、胸の奥に不安がゆっくりと広がっていくのを感じた。その時——パチン。館内の照明が、わずかに一段暗くなった。「わっ……ビックリした。」突然の変化に、美咲は思わず声を漏らす。館内BGMがふっと途切れ、最後の音の残響だけが耳の奥でゆらりと揺れた。その静けさの中で
自動ドアを抜けた館内は、思ったより静かだった。かつては子ども連れであふれていた1階フロアも、今は買い物客がまばらに歩いているだけ。秋の終わりとはいえ、まだ日暮れ前。それなのにここまで人が少ないことに、美咲は少し驚いた。(……こんなに静かだったっけ?)小学生の頃の賑やかなデパートが鮮明によみがえる。毎週のように家族で来ては、必ず誰かに会う。誰に会ったかを月曜日に話題にしたり、古いプリクラ機の前に列を作ってワイワイしたり。大人にとってはただのショッピングモールでも、当時の美咲たちにとっては“社交の中心”だった。色の褪せた壁紙を見つめながら、美咲は思う。(……デパートも、私