この家で一番の足手まといは私なんだ。七歳の時、小脳萎縮症と診断されてから、私・遠藤遥(えんどう はる)は永遠に車椅子に縛られることになり、家族全員の負担となった。私のせいで、姉は絵を描く夢を諦めた。母は髪が白くなり、父は借金を背負い込んだ。そして姉が腎不全と判明したその日、私は母の言葉を聞いた——「もし病気になったのがあの子だったら、私たちも楽になれたのに」母のその言葉を聞いた後、父は声を震わせて叱った。「黙れ! そんな馬鹿なことを言うな!」数秒後、母のすすり泣きが再び部屋に響き始めた。「そういう意味じゃないの。ただ、疲れすぎただけなの……」父は低く、疲れ切った声で言った。「これからは、こんなことを言わないでくれ」母の声が突然高くなった。「でも私が言ったことは間違っているの?あの子のせいで、うちはこんな目に遭ったのよ!美希(みき)は過労で腎臓病になったよ!五百万円の手術費すら、出すこともできないの!」「もういい!」「いや!私はもう我慢できないのよ!丸々十二年、一晩中ぐっすり眠れたことが、一度もなかったの!」私は車椅子をこいで慌てて自分の部屋に逃げ込んだ。ドアが閉まる瞬間、こらえていた涙がついにこぼれ落ちた。唇を強く噛み締め、泣き声が外に漏れないように、必死に抑えた。翌日の朝、母の目は腫れ上がっていた。彼女はいつものように服を着せてくれたが、その動作はいつもより荒かった。プルオーバーのセーターが頭に引っかかり、私は息苦しくなり、腕が勝手にバタバタと動いてしまった。「動くな!」と母は低い声で叱った。私は一瞬、体が固まった。セーターがやっと頭から通り過ぎた時、自分の髪の毛が何本か抜けた。母はそれを見て、手が一瞬止まり、目には一瞬の後悔がよぎった。「痛い?」と母は声を柔らげて聞いた。私は首を横に振った。母はため息をつき、しゃがんで靴下を履いてくれた。長期間動かないせいで、私の足がむくんでいて、靴下はなかなか履けなかった。何度も試したがうまくいかず、母の額には汗がにじんできた。「ちょっと、協力してくれないの?」と母は小さな声で、まるで独り言のように呟いた。私は何も言わなかった。朝食の時、姉の顔色は昨日よりもっと悪かった。彼女は味噌汁を一口飲んで、すぐスプーン
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