All Chapters of 忘却の恋、覚醒の裏切り: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

五年後。澄み渡る青空を切り裂くように、一機の旅客機が真っ白な飛行機雲を引いていく。冷徹なオーラを全身から放つ碧斗は、ロビーを疾風のごとく突き進んでいた。秘書がスーツケースを押し、必死の形相でその後を追う。だが、その歩調に翻弄されているのは、なにも秘書だけではなかった。「碧斗、待ってよ!」焦燥に駆られた女の声が、空港の到着ロビーに虚しく響き渡る。しかし、前を行く男は立ち止まる気配など微塵も見せず、むしろ彩葉を突き放すようにより足早に去っていく。彩葉とて、碧斗の拒絶に気づかないわけではなかった。それでも、一度は手中に収めかけた「栄華」という名の果実を、そう簡単に手放すわけにはいかなかったのだ。五年前、あと一歩で挙式というところまでこぎ着け、彼の妻となるはずだった。それなのに、今でも自分は「婚約者」という空虚な肩書きに縋りつき、惨めに彼の背中を追いかけることしかできない。いつか彼が立ち止まってくれるのを待ちながら、その実、大半の時間はこうして必死に追随する日々を余儀なくされていた。ここ数年、高橋グループは国内での覇権を揺るぎないものにしていたが、対照的に白鳥家は徐々にその勢いを失いつつあった。両家の婚約こそが、白鳥家にとって唯一にして最後の再起の切り札なのだ。高橋グループの助力さえあれば、再び旭日の勢いを取り戻せる。だからこそ、碧斗がどれほど冷ややかな態度を取ろうとも、白鳥家の人間がこの縁談を取り下げようと考えることは一度もなかった。行き交う人々で溢れかえる空港。彩葉の叫び声は喧騒に紛れて消えていった。だが、その不意な叫びは、反対側のゲートから降り立った一人の女性の耳に、何の遮りもなく届いた。彼女はふと足を止め、無意識に声のする方へと視線を向ける。しかし、人波に紛れて遠ざかる後ろ姿が見えるだけで、それが誰であるかまでは判別できなかった。その女性こそ、花音だった。花音はスーツケースを手に、窓ガラス越しに広がる、懐かしくもどこか見知らぬ空を眺めた。一瞬、現実に足がついていないような感覚に陥る。時を隔てること五年。一文無しの孤児だった彼女は、今や洗練された自信を纏う、一人の自立した女性へと生まれ変わっていた。思えば、それは高橋家と碧斗の「慈悲」のおかげでもあった。高橋家から受け取った30億円という大金がなけ
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第12話

碧斗は自分の正体も、口にした恩返しの約束も、すべてを忘却の彼方に置き去りにしていた。花音は、自分が立て替えた医療費や、看病のために仕事を休んだ分の欠勤手当が惜しくなり、いっそのこと彼を自分の元に留まらせることにした。一緒に働いて金を稼がせ、約束していたはずの恩返しをきっちりと果たさせようと考えたのだ。そのはずの滞在は、気づけば三年に及んでいた。二人は肩を寄せ合い、最も過酷な歳月を共に生き抜いた。その日々の中で、いつしか情愛が芽生えていった。碧斗は自分を愛していると言い、必死に金を稼いで自分を妻に迎えると誓った。それどころか、彼は自分の見ていない隙に、鎖骨に自分の名前を刻み込んだ。花音がそれに気づいた時、彫ったばかりの文字の周りはまだ赤みが引いていなかった。彼女が指先でそっと触れると、碧斗は痛みに顔をしかめたが、それでも彼女が見つめると、どこか抜けたような笑顔を浮かべて幸せそうに笑った。あの頃は、両親が相次いで他界して以来、花音にとって最も幸福な時間だった。二人の幸せはこのまま一生続くのだと、花音は無邪気に信じていた。だが、彼女は忘れていたのだ。自分を心の底から愛してくれた碧斗は、自分が路地裏で拾い上げた碧斗であったことを。彼は決して、自分と同じように持たざる孤独な人間ではなかったのだ。その後、記憶を取り戻した彼は、花音を連れて高橋家へと戻り、豪邸での暮らしが始まった。だが、そこにいたのは、かつての彼女だけを愛してくれた碧斗ではなかった。突如として鳴り響いたスマホの着信音が、花音の意識を過去の記憶から引き戻した。花音は視線を落としてスマホを取り出す。画面に表示された石川一葉(いしかわ いちは)の名を見て、彼女は無意識のうちに安堵のため息を漏らした。幸いなことに、あの日々はとうに過去のものとなっていた。そして何より、彼女にはすでに、自分だけの新しい人生がある。通話ボタンを押すと、すぐさま穏やかな声が聞こえてきた。「花音、着いたかい?」花音は無意識に頷き、彼には見えていないことに気づいてから言葉を返した。「ええ、無事に着いたわ。一葉は?」「こっちで少しトラブルがあってね。帰国はあと数日遅れそうだ」一葉が電話越しにため息をつく。その吐息が耳元に届き、花音は思わず小さく吹き出した。「大事なの?」「大し
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第13話

「どうして?どうしてあなたはいつも、私に対してこんなに冷酷なの?」彩葉は瞳に大粒の涙を溜め、どうしても納得がいかなかった。「あの時、あなたも同意したじゃない。私を妻に迎えると、そう約束してくれたじゃない!」確かにあの時、碧斗は彼女に希望を与えたのだ。結婚を受け入れる、と。五年前、彼女は歓喜に胸を躍らせてウェディングドレスを纏い、父の腕に引かれて彼のもとへと歩んだ。彩葉にとって、それは人生で最も幸福で、忘れられない瞬間になるはずだった。だが、彼のあまりに無慈悲な振る舞いが、すべてを無惨に打ち砕いた。彼は結婚を破棄した。式場に集まったすべての参列者の前で、司会者が満面の笑みで「彼女を妻とすることを誓いますか」と問いかけた、その瞬間に。碧斗は長い沈黙を守った。彩葉が焦れて何度も促すと、彼はようやく我に返ったかのように彼女を見つめた。その瞳には、揺るぎない決別の色が宿っていた。そして、彼は列席した人々を震撼させる一言を放った。「……いいえ。俺は白鳥彩葉を妻にはしない」彼は固く握りしめていた指輪を投げ捨て、胸元のブートニアをむしり取ると、一切の躊躇なく背を向けた。高橋家は社交界中の笑い者にされた。あらゆる策を弄した末に、すべてが水の泡となった滑稽な一族だと。白鳥家も、黙ってこの屈辱を飲み込むほど甘くはなかった。しかし、その後の両家の対立において、敗北を喫し続けたのは白鳥家の方だった。一流の社交界から追放されかねないほどに叩きのめされ、彼らはついに屈辱的な妥協を強いられた。かつての婚約を、白鳥家側から再び持ち出した。「あの時はまだ、碧斗さんに心の準備ができていなかっただけ。配慮が足りなかったのは我々の方だ」などという、もっともらしい名目を掲げて。こうして婚約は継続されることになったが、主導権は完全に碧斗の手の中に落ちた。彼は、かつて花音を冷遇したように彩葉を突き放した。かつて周囲が花音をいたぶるのを黙認したように、他人が彩葉を辱めるのをただ傍観した。花音が味わった苦痛を、彩葉にも骨の髄まで刻み込ませようとしたのだ。愛のため、そして白鳥家のために、彩葉はそのすべてを耐え忍んできた。だが、これほどの年月が経っても、碧斗が直接手を上げることは一度もなかった。……今日この時までは。彼は彼女を打った。
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第14話

花音が碧斗と再会したのは、帰国から一週間後のことだった。シニアデザイナーとしての着任手続きを済ませて間もなく、上司の加藤詩月(かとう しづき)から一つの契約書を手渡された。「先方が、交渉にはあなたを指名してきたわ。花音、これは社運を左右するほどの大仕事よ。これが成約すれば、うちの分社はこの街で確固たる地位を築けるわ。絶対に成功させてちょうだいね!」花音は、強引に抱えらされた企画書を愕然とした表情で見つめた。その眉間には困惑の色がにじむ。「……私を指名、ですか?」何かがおかしい。胸の奥で、拭いきれない違和感が膨らんでいった。彼女はもともとこの街の出身だが、かつては日々の生活に追われる底辺の人間でしかなかった。後に碧斗との関わりで高橋家と接点ができたものの、当時の彼女をまともに相手にする者など一人もいなかったはずだ。その後、彼女はB国へ渡り、二年間建築学を専攻し、さらに三年間実務を積み上げてシニアデザイナーの地位を築いた。デザイナーとして多少の名声は得ていたが、名指しで交渉を求められるほどの域には達していない。ましてや帰国したばかりで、国内の建築業界では無名の新人に等しい自分を、なぜ特定して指名してくるのか。花音はふと思案し、目の前にいるデザイン総責任者の詩月に視線を向けた。「私が交渉に行くからには、事前に相手方の情報を把握しておく必要があります」詩月がすぐに応じないのを見て、花音は言葉を重ねた。「……それで、クライアントはどちらの企業なんですか?」詩月は満面の笑みを浮かべ、誇らしげにその名を口にした。「高橋グループよ」一瞬にして空気が凍りついた。ある程度は予想していた答えだったが、花音は契約書を握りしめたまま、長い沈黙に沈んだ。詩月は花音の異変に気づく様子もなく、水を一口飲むと、さらにこれからの輝かしい成功を約束するかのように、景気のいい話を並べ立て始めた。「花音、もし高橋グループのような大企業に人脈があるなら、最初から言ってくれればよかったのに。そうすれば私の席を譲ってあげてもよかったくらいだわ。シニアデザイナーなんて地位に甘んじる必要はなかったのに」しかし、花音は首を横に振った。その顔に喜びの色はない。長い沈黙の末、視線を落としたまま静かに告げた。「そんなコネはありません。たとえあったとしても、私は自分の実力
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第15話

用意していた交渉の言葉が、喉の奥でつっかえた。碧斗の瞳には、隠しようのない虚を突かれたような色が浮かんでいる。彼女は、本当に変わった。眩しいほどの成長を遂げた。ずっと同じ場所に立ち止まったままなのは、自分だけだったのではないか。「社長、いかがでしょうか?」部下たちが協議を終え、中央に座る碧斗の顔色を恐る恐る窺った。その問いかけに、花音が何気なく視線を向けると、二人の目が真正面からぶつかった。視線が絡んだのは、ほんの一瞬のこと。彼女はすぐに目を伏せ、彼をただの「見知らぬビジネス相手」として扱った。その冷ややかな態度に打ちのめされながらも、碧斗は結局、無茶な条件を突きつけて彼女を困らせるような真似は、最後までできなかった。碧斗が契約書に自らの署名を刻み込むのをその目で確かめて、ようやく花音は安堵のため息を漏らした。詩月と共に会社の社屋まで彼らを見送り、オフィスへ戻ろうとしたその時。背後から、執着と愛惜が混じり合った声が届いた。「花音……待ってくれ!」花音が足を止めると、周囲の社員たちはただならぬ気配を察し、足早に会釈をして社内へと消えていった。広々としたロビーに残されたのは、二人だけ。花音は立ち去ることも、留まることもできず、その場に釘付けになった。重苦しい沈黙が流れる中、ようやく碧斗が掠れた声で口を開いた。「花音……この数年、どうしていたんだ?」その短い問いかけに、彼は全精力を使い果たしたかのようだった。足は震え、近づきたいのに近づけない、その場に縫い止められたような姿。「会いたかった、お前は俺を想ってくれたか」――そんな言葉を聞く勇気など、彼には微塵もなかった。花音の生活は、この上なく充実していた。高橋家の「慈悲」のおかげで、国外での学業や不自由のない生活を送るには十分すぎるほどの資金があった。それどころか、その預金は今でもかなりの額が残っている。だが、そんなことを彼に話すつもりは毛頭なかった。彼女は静かに振り返り、淡々とした声で応じた。「高橋社長、他に何か用でもありますか?」「高橋社長」という他人行儀な呼び方は、碧斗の心臓を重い槌で叩いたかのようだった。彼は呆然として、目尻に一気に赤みが差した。「花音、俺たちの間にそんな……」言葉を遮るように、花音が冷たく言い放つ。その瞳には、
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第16話

「花音……タトゥーって、本当は……すごく痛いんだ」碧斗の声には卑屈な響きがあり、微かに震える体と赤らんだ目尻が、その姿を余計に哀れに見せていた。「ずっと愛していた。お前が俺を恨んでいるのは分かっている。あの時、お前を守りきれなかったことも、お前を最後まで選び抜く覚悟が足りなかったことも……でも見てくれ、だからこうして、もう一度彫り直したんだ」だが、その縋りつきも、花音の心を解きほぐすことはなかった。「痛いの?」視線をタトゥーに落とし、わずかに労わるような言葉を口にする。碧斗の胸に微かな希望が芽生えたのも束の間、続く一言が、彼を奈落の底へと突き落とした。「でも、それが私と何の関係があるの?碧斗。私が彫ってと頼んだわけじゃない。それに、あなたのそんな空々しい愛の証明なんて、私には必要ないわ」彼女の瞳に宿る冷徹な光は、鋭利な刃となって彼の胸を深く抉る。その瞬間、碧斗は悟らされた。二人の間には、もはや何をもってしても埋められない、絶望的なまでの断絶が横たわっているのだと。彼は無意識に距離を詰め、かつての親密さを強引に取り戻そうとした。だが、それを阻む者が現れる。「そこまでにしてください。自重を」男の声が、鋭い冷気を伴って響いた。節立ちのいい指が、花音へ伸ばされた碧斗の手首を、逃れようのない強さで掴み止める。碧斗は驚愕し、突如現れた男を凝視した。胸に湧き上がるのは、本能的な危機感だった。薄手の白シャツを纏い、ただそこに佇む姿は、冬の日の冷ややかな陽光のように淡泊で、あるいは秋の夜空に遠く瞬く星のように、徹底して他者を拒絶していた。完璧なまでに整った容貌。だが、一瞥しただけで凍りつきそうなその瞳には、一切の感情が読み取れない。掴まれた手首から、骨の髄まで染み渡るような冷気が伝わってきた。「一葉!いつ帰ってきたの?連絡もくれないなんて」愕然とする碧斗とは対照的に、目の前の男を認めた花音の声は、驚きと隠しきれない喜びでパッと華やいだわ。「今着いたところだ。君に会いたくて、そのままここへ来たよ」彼女の声に応じる一葉からは、先ほどまで纏っていた刺すような冷気が、嘘のように霧散していた。彼は碧斗の手首を放すと、花音に向けてふっと柔らかな笑みを浮かべた。だが、傍らに立ち尽くす碧斗への牽制は忘れていない。彼は花音を促して数歩
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第17話

碧斗は激しく首を振った。「違う、そんなんじゃない!花音、分かっているんだ、俺のせいでお前を失望させてしまったことは。守りきれなかった俺が悪い。でも、お願いだ。もう一度だけチャンスをくれないか?あんなに愛し合っていたじゃないか。それなのに、どうして……どうしてお前は、やり直す機会さえくれずに俺の前から消えてしまったんだ!」傍らでその言葉を聞いていた一葉が、堪えきれずに吹き出した。その嘲笑に、碧斗は弾かれたように視線を向けた。先ほど見せつけられた二人の親密な光景が脳裏に蘇り、彼は激しい嫉妬に身を焦がす。今すぐその癪に障る顔に拳を見舞ってやりたい衝動を、奥歯が砕けんばかりに噛み締めて抑え込むと、彼は一葉を視界から排除し、黙したままの花音へと縋るような眼差しを向けた。「花音……」だが、彼が言葉を紡ごうとした瞬間、彼女の無情な拒絶がそれを遮った。「もし私を引き止めた理由が、そんな無意味な感傷を吐露するためだけなら、もうお互いの時間を無駄にするのはやめましょう」花音は視線を落とし、二度と彼を見ようとはしなかった。高ぶっていた感情はすでに凪ぎ、まるで先ほどの激昂が碧斗の幻覚であったかのような静寂が彼女を包んでいる。彼女はそのまま、一歩も留まることなくその場を立ち去った。一葉も彼女の後に続いたが、ふっと思いついたように足を止める。そして、打ちのめされて立ち尽くす碧斗を冷ややかに一瞥し、鼻で笑った。「五年前、周囲が彼女をあそこまで傷つけるのを黙認しておきながら、今さら薄っぺらな『ごめん』の一言ですべてを帳消しにできると思っているのか?随分と面の皮が厚いな」嘲笑とも忠告とも取れる言葉を投げ捨て、一葉も去っていった。碧斗の瞳が激しく揺れる。長い沈黙の末、彼は何かに取り憑かれたように顔を上げた。その瞳には、歪んだ希望の光が宿っている。……そうだ。奴の言う通りだ。口先だけの謝罪など、何の価値もない。花音に、自分がどれほど深く過ちを悔いているかを証明するためには、目に見える形の誠意を示す必要がある。そして、そのために成すべき最も重要な一歩は――五年前、彼女が手にすることのできなかった公正を、彼女の代わりに奪還することだった。……彩葉は、碧斗から会いに来ると連絡があるなど夢にも思っていなかった。使用人からその知らせを聞い
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第18話

あの日以来、しばらくは碧斗の姿を見ずに済むだろうと、花音は考えていた。だが、それからわずか二日後。自宅からほど近い場所で、彼女は再び彼の姿を捉えることになった。胸の内に湧き上がる不快感を強引に押し殺し、手元のスマホで一通のメッセージを送ってから、彼女は碧斗の方へと歩み寄った。それでも、決して一定の距離以上に踏み込ませないよう立ち止まり、冷淡に問いかける。「何の用?」碧斗は彼女の拒絶が見えていないかのように、報われぬ愛に縋る求愛者の如き卑屈な表情を浮かべ、己の真心を証明しようと躍起になっていた。「花音……」掠れた声に、異様なほど充血した眼差し。疲労困憊なのは一目瞭然だというのに、その瞳に倦怠の色はなく、あるのは手柄を立てた子供のような歓喜だけだった。だが、今の彼女がその想いを受け取ることは、万に一つもなかった。「私のことは『浅見さん』と呼んでもらえるかしら。私たちはもう、下の名前で呼び合うような間柄じゃないの」氷のようなその一言は、彼の淡い期待を無残に打ち砕いた。碧斗は言葉に詰まり、胸の奥に溜まった澱のような苦しみに顔を歪めたが、半ば強引に笑みを作ってみせた。「花音、お前が認めなくても、俺たちの過去を消し去ることなんてできない。まだ俺を恨んでいるのは分かっている……でも、俺が本当に変わったことを必ず証明してみせる。お前を虐げた連中には、一人残らず相応の報いを受けさせる。彩葉の末路だって、お前の望む通りにしていい。……どうだろう。それで、お前の気が済むだろうか?」彼は焦ったように間を詰めようとしたが、彼女は音もなく後退し、拒絶するように一定の距離を保った。「話があるなら、そこから動かずに話して。あなたの幼稚な復讐劇に付き合うつもりはないわ。もし本当に過去のことを詫びたいと思っているなら――」「二度と私の前に現れないで。私の人生から、跡形もなく消えて」と言いかけようとした彼女の意図を察したのか、碧斗は遮るように叫んだ。「諦めない!花音、俺はお前を愛しているんだ。お前なしでは生きていけない……少しだけ、少しだけでいいから時間をくれ。あいつらがお前にした仕打ちを、すべてそのまま返してやる。ねえ、それでいいだろう?待っていてくれ。……必ず、一人残らず地獄を見せてやる」そう言い残すと、彼は彼女からさらなる拒絶を突
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第19話

花音と一葉が出会ったのは、五年前のことだった。当時、彼女は異国の地に渡ったばかりだった。生活に困窮するほどではなかったが、言葉の壁に加え、故郷を遠く離れた孤独感に苛まれ、長い間、彼女は何をすべきかも分からず茫然としていた。一葉は、彼女がその地で出会った最初の同胞だった。親しくなってから、彼はよく当時の彼女を揶揄したものだ。この国に長く住む彼にとっても、言葉も覚えようとせず、計画も情熱もなく、基礎的な会話すらままならない状態で二ヶ月も居座るような無鉄砲な人間に出会ったのは、彼女が初めてだった、と。だが、彼女は運が良かった。最も落ちぶれていた時期の一葉に出会えたのだから。二人はある契約を交わした。彼女が相応の報酬を支払う代わりに、彼がガイドとして外国語やその国での生活方法を教えることになったのだ。行く先を見失い、ただ茫然と日々を過ごす彼女を、彼は根気強く導いた。彼女自身さえ気づいていなかった才能の芽を見出し、新たな夢を描く術を教え込んだ。右手の怪我で絵が描けなくなった彼女のために、彼は左手での訓練に付き合った。最初は歪だった文字が徐々に整い、やがて左手だけで完璧なデザイン画を描き上げられるようになるまで。今の花音があるのは、一葉の献身的な支えがあったからこそだと言っても過言ではない。けれど、彼が自分を愛するようになるとは、花音は想像だにしていなかった。初めて告白された時、彼女はあまりの衝撃に、理解するまで長い時間を要した。その日から、花音は一葉を遠ざけるようになった。彼はその拒絶に気づきながらも退かず、むしろ以前よりも情熱的に、猛烈なアプローチを仕掛けてきた。ついに花音が碧斗との過去を打ち明け、当面は誰とも付き合うつもりがないと告げると、一葉はやり方を変えた。以前のように強引に間を詰める真似こそしなくなったが、かといって彼女を諦めるという選択肢など、彼の心の中には最初から存在しなかった。「構わないよ、花音。君が心の傷を癒やし、再び心を開くその日まで、俺はずっと側にいる。その時、俺を受け入れるか拒絶するか、君の答えなら何だって受け止めるから」拒絶する口実を失った彼女は、彼が側にいることを許すしかなかった。一日、また一日と月日は流れる。今や彼女は、何かあれば無意識に彼を頼り、側に彼がいることが当たり
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第20話

四つの名家の跡取りたちが、同時に、しかも極めて凄惨な手口で右手を廃されたという報せは、瞬く間に世間を震撼させた。その事件と同じ日の朝。花音はいつものように会社へ向かおうと車に乗り込んだ直後、突如として意識を失った。再び意識を取り戻した時、彼女は部屋のそこかしこに漂う、ある種の既視感に包まれていた。記憶の断片を一つひとつ繋ぎ合わせ、ようやくその答えに辿り着いた。ここは五年前、碧斗に連れられて初めて高橋家へ足を踏み入れた際、彼女にあてがわれたあの部屋だ。そうなれば、自分を薬で眠らせてまでこの場所へ連れ去った主が誰であるかは、もはや火を見るより明らかだった。彼女は立ち上がり、ドアへと歩み寄った。だが、取っ手を引いてもドアは外から施錠されており、びくともしない。「浅見様、お目覚めですか?少々お待ちください、すぐに旦那様をお呼びします」彼女が応えるより早く、外からは慌ただしい足音が遠ざかっていった。室内をぐるりと見渡し、逃げ道がすべて塞がれていることを悟ると、花音はそれ以上の抵抗を止め、ただ静かにその時を待った。彼が一体何を企んでいるのか、見極めてやろうと考えたのだ。待つ時間は長くなかった。ほどなくして寝室のドアが開き、隙のないスーツを纏った碧斗が入ってきた。静かに座っている彼女を見て、彼は満足そうに口角を上げた。見慣れた女とかつてのままの部屋。もし前もって覚悟を決めていなければ、五年前と寸分違わぬその光景を前に、彼は息を呑んで立ち尽くしていただろう。「花音……」無意識に名前を呼ぶ彼に対し、振り返った彼女の瞳には一切の感情が宿っていなかった。碧斗はそれを無視するように、笑って自分のやったことを誇らしげに語り始めた。「花音、あの部屋を当時のまま再現したんだ。見て、昔住んでいた時と全く同じだろう?」確かに、寸分違わず同じだった。かつての諍いの弾みで角を欠けさせてしまったフォトフレームまでもが、当時と同じ場所に置かれている。この数年、彼がどれほどの執念を持ってこの部屋を維持してきたかは明白だった。だが、過ぎ去った時間は二度と戻りはしない。今さらどれほど心血を注いだ償いを並べ立てようと、壊れてしまった二人の関係が、あの頃へと巻き戻ることなど決してないのだ。「私を拉致して、一体何がしたいの?」花音は眉をひそ
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