Tous les chapitres de : Chapitre 11 - Chapitre 13

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第十一話「破滅の序曲」

「どういうことだ!」 社長室の重厚な扉を突き抜け、隆史の怒声が廊下にまで響き渡っていた。 手に持ったコーヒーカップの縁が、微かな振動で揺れる。彩葉は扉の前で足を止めた。中からは受話器を叩きつける硬い衝撃音が響き、続いて忌々しげな舌打ちの音が漏れ聞こえてくる。 意を決して扉を開けると、デスクの前で立ち上がった隆史が、受話器を握りしめたまま顔を真っ赤に紅潮させていた。まともな会話にもならないまま一方的に電話を切られたらしく、額には青筋が浮かび、薄い唇を強く噛みしめている。朝からこの調子で、同じような絶望的な報せが何度も繰り返されているようだった。 部屋の隅のソファでは、秘書のゆかりが右手に爪やすりを持ち、優雅にネイルの手入れをしていた。社長が隣で狂わんばかりに怒鳴り散らしているというのに、気にする様子は微塵もない。やすりが爪の表面を削る、しゃりしゃりという乾いた音が、隆史の荒い呼吸に混じって規則正しく響いていた。「隆史、どうしたの?」 コーヒーカップをローテーブルに置きながら声をかけると、隆史が血走った目で弾かれたように振り返った。「うるさい!」 ぶつけられた怒声の風圧に、彩葉の肩が小さく跳ねる。数ヶ月前まで日常だったモラハラの記憶が、冷たい水のように背筋を駆け抜け、反射的に「ごめんなさい」と口が動きかける。だが、彼女は奥歯をぐっと噛んでそれを堪えた。もう、怯えて条件反射で謝るだけの自分には戻らない。そう心に誓っていた。「なんでだ。どうしてこんなことに……」 隆史はぶつぶつと力のない独り言を吐き出しながら、デスクと窓の間を落ち着きなく行き来している。綺麗にセットされていた茶髪はぐしゃぐしゃに掻きむしられ、ネクタイは緩み、上質なはずのシャツの襟元も見窄らしく崩れていた。今の隆史に何を問いかけたところで、まともな答えが返ってくるとは思えない。暴力に発展する前にその場を退こうと踵を返しかけた時、ソファから場違いに明るい声が飛んできた。「買収されたみたいよ」 ゆかりの口調は、今日のランチの献立でも話すかのように素っ気なかった。爪やすりを動かす手も止めず、視線すら上げない。「買収?」 彩葉が聞き返すと、ゆかりは爪先に溜まった白い粉をふっと息で吹き飛ばした。「そう。なんかー、よく知らないけど、新事業で提携していった会社が次々と他社に買収されちゃって、
last updateDernière mise à jour : 2026-03-30
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第十二話「もう届かない囁き」

 鷹峰と二人きりになった後の社長室からは、厚い木製の扉越しにも伝わるほどの圧を孕んだ声が響いていた。 低く抑えられた声音は、怒鳴り散らすよりもかえって凄みを増し、廊下に佇む彩葉の背筋を冷たい指先でなぞられるような戦慄が走り抜ける。隆史がどのような表情でその断罪を受けていたのか、知る由もない。だが、しばらくして部屋から這い出してきた彼の顔面蒼白な有様は、これまでの傲慢さを微塵も感じさせないほど無惨なものだった。 あの日を境に、隆史の世界は音を立てて崩壊し始めた。 かつての自信家な面影は消え、寝る間も惜しんで事業のリカバリーに奔走する日々が続く。朝から晩まで受話器に縋りつき、血走った目で取引先を回り、新たな提携先を求めて泥を這うように走り回る。食事を摂る暇すら惜しみ、深夜過ぎに帰宅しては、ネクタイを解く力も残っていないままソファに倒れ込む。そんな夜が幾度も繰り返された。 だが、動けば動くほど、底なしの泥沼に足を取られていくようだった。 提携していた子会社は次々と他社に買収され、積み上げてきた契約は紙屑同然の不履行となる。新事業のために投じた巨額の資金は回収の目処が立たず、あちこちで負債の火の手が上がった。地に落ちた信用を拾い集めようと必死に電話をかけても、繋がる相手は日に日に減っていく。焦って手を打つたびに、状況は最悪の坂道を転げ落ちていった。 夜の静寂さえも、彼にとっては拷問に等しかった。 ベッドに入っても眠りの淵に沈むことができず、浅い眠りの中でうなされては、喉を詰まらせて跳ね起きる。隣で横たわる彩葉が、その異変に気づかないはずはなかった。シーツを白くなるまで握りしめ、奥歯をギリリと鳴らして耐える隆史の横顔を、彼女は暗闇の中で幾度も冷めた目で見つめていた。 整髪料で固める余裕を失った茶髪は、艶をなくして額にぼさぼさと垂れ下がり、こけた頬には死人のような隈が深く刻まれている。数週間前まで、彩葉を「奴隷」と呼び、勝ち誇ったように胸を張っていた男の矜持は、もうどこにも残っていなかった。     ◇◇◇ それは、重苦しい湿気を含んだある夜のことだった。 深夜に帰宅した隆史が、シャワーも浴びずにベッドへ潜り込み、背後から彩葉の身体を強く抱きしめてきた。パジャマ越しに伝わる体温は病的なまでに高く、肌がじっとりと汗ばんでいるのが分かる。「彩葉……っ」 
last updateDernière mise à jour : 2026-03-31
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第十三話「堕ちた偶像と偽りの情愛」

 朝から鷹峰の元へ呼び出されていた隆史が、昼を過ぎた頃にようやく姿を現した。 エレベーターの扉が開くなり、力なく肩を落とした彼が総務課に顔を出し、「彩葉」と掠れた声で呼ぶ。頬はげっそりとこけ、目の下の隈は死人のように色濃い。鷹峰からどのような宣告を受けたのか、彼の額には嫌な脂汗が滲んでいた。「コーヒー、淹れてくるわね」 彩葉が席を立つと、隆史は迷子の子どものようにすぐ後をついてきた。 狭い給湯室でコーヒーメーカーに手を伸ばした瞬間、背後から強引に腰を掴まれ、振り返らされる。逃げる間もなく、熱を帯びた唇で塞がれた。「ん……っ」 顎を掬い上げられ、何度も角度を変えて深く、執拗に重なる唇。かつての支配的な乱暴さは消え、そこにあるのは崩れゆく自分を繋ぎ止めようとする、無様に縋り付くような感触だった。「……コーヒーが淹れられないわ」 やんわりと胸を押して距離を置こうとしたが、隆史は飢えた獣のように再び腕を伸ばし、彩葉を抱き寄せた。「彩葉……キスしたい。もっと……」 甘ったるく、駄々をこねるような声。数ヶ月前まで「トロい」と罵倒し、彩葉を家畜のように扱っていた男と同一人物とは思えない変貌ぶりだった。彩葉は冷めた心を隠し、聖母のような微笑を湛えて彼の肩をそっと押し戻した。「社長室に戻っていて。すぐに持っていくから」 隆史が名残惜しそうに去っていくのを見届け、彩葉は丁寧にコーヒーを二杯淹れた。香ばしくも苦い豆の匂いが立ち込め、カップから揺らめく白い湯気が、無機質な蛍光灯の光に透けて消えていく。 トレイを手に社長室の扉をノックし、返事を待たずに開けた。その瞬間、目に飛び込んできたのは、ソファに座る隆史の腿の上に、ゆかりが跨ろうとしている卑猥な光景だった。「ゆかり、最近すっごく寂しいんですぅ……」 粘りつくような声をあげ、ゆかりがブラウスのボタンを上から順に外していく。はだけた襟元から、繊細なレースの下着に縁取られた柔らかな胸が溢れ出し、隆史の眼前で挑発的に揺れていた。「――やめてくれ」 隆史がゆかりの腰を掴み、拒絶するように押し返した。彩葉がこの会社で過ごしてきた三年間、彼が秘書の誘惑を退ける姿など一度も見たことがない。「いいじゃないですかぁ」 ゆかりは構わずに次のボタンを外し、さらに身を乗り出す。隆史は逃れるように彼女をソファへ押し倒すと、弾
last updateDernière mise à jour : 2026-04-01
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