実家の九条家のリビングは、唯人が子どもの頃から変わっていなかった。 重厚なマホガニーの家具と、外光を頑なに拒む厚手のベルベットのカーテン。磨き上げられたフローリングには、金縁の額装が等間隔に並び、歴代の家主たちの視線が突き刺さる。豪奢を極めているはずなのに、肺の奥がひりつくような、どこか息苦しい部屋だった。 唯人は深くソファに腰を沈め、向かいに座る父と後妻を一渡り見やった。「唯人、お前は一体何を考えている」 父の声が部屋の空気を震わせた。低く、威圧的で、唯人が幼少期から幾度となく刷り込まれてきた拒絶の色を帯びた声だ。父は眉間に深い皺を刻み、苛立ちを隠そうともせずテーブルに手をついている。 その後ろで、後妻は形だけ父に寄り添うように座りながら、その視線だけを忙しなく動かしていた。唯人はそんな二人を、温度の一切を抜き去った、まるで硝子玉のような目で見つめ返した。「離婚します。絵里奈とは弁護士を通じて手続きを進めています。有責はあちらにあるので、問題なく成立します」 唯人は淡々と述べた。その言葉に感情の揺らぎは一切混ぜなかった。業務上の報告事項を無機質に読み上げるような声で、そのまま続けた。「それと、会社を売りました」 父の眉が跳ね上がった。「会社を売るとはどういうことだ。貴様、正気か」「言葉通りの意味です。海外資本の企業に売却しました。従業員の雇用はそのまま継続される契約ですので、実害はありません。九条の名前を冠した会社ではなくなりましたが、中身は変わらず動き続けます」「ふざけるな! お前に会社を売る権限などない。俺の一存で――」「俺の会社です」 静かな、けれど有無を言わせぬ鋼のような声だった。唯人は視線を動かさず、父を正面から見据えた。「経営権は俺にありました。その権限を正当に行使して売却しました。法的な手続きも、全て完了しています」「お前は……!」「記憶を失った俺をいいように利用した人に、今さら経営の是非を問われたくないんですよ」 父の顔が瞬時に赤く染まった。屈辱に唇が震え、反論の言葉を探しているのが手に取るようにわかる。 大学院生の頃に脳を損傷してから、唯人の記憶の一部は、不自然な断絶を見せていた。その事実を知りながら、父は唯人に会社を継がせたのだ。欠けた記憶の隙間に都合のいい「現実」を刷り込み、意のままに動く駒として経営
最後更新 : 2026-05-02 閱讀更多