冷酷なCEOは身代わり妻の身体に溺れる〜整形した元カノを逃さない〜

冷酷なCEOは身代わり妻の身体に溺れる〜整形した元カノを逃さない〜

last updateآخر تحديث : 2026-05-15
بواسطة:  ひなた翠مكتمل
لغة: Japanese
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施設育ちの和葉は、5年前の火災で恋人・九条唯人を救い、顔に火傷を負った。だが唯人は火災のショックで和葉の記憶を失い、別の女性・絵里奈と結婚してしまう 。 絶望の中、和葉に「絵里奈の身代わり」になる依頼が舞い込む。施設の危機を救うため、整形手術で絵里奈の顔を手に入れた和葉は、偽りの妻として唯人の元へ。しかし、再会した彼はかつての優しさを失い、冷酷なCEOへと変貌していた 。 「男なら誰でもいいんだろ」——。蔑みの言葉をぶつけられながらも、夜ごと激しく執着される日々。愛憎渦巻く同居生活の果てに、偽りの関係と失われた記憶の行方は…… 。

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الفصل الأول

第一話「仮面妻の初夜」

 旅行鞄を握る手に、じわりと汗が滲んでいた。

 九条邸の玄関前で、和葉は一度だけ深く息を吸い込んだ。住宅街に建つ一軒家は、整形手術を終えた和葉が初めて足を踏み入れる場所であり、今日からここが自分の居場所になるはずの場所だ。重い鞄を持ち直し、呼び鈴を押す指先に力を込めた。扉の奥にいる人間を想うだけで、胸の奥が鈍く締め付けられた。

 金属製の扉が、内側から重々しく開いた。

 九条唯人が、胸元のボタンを二つほど開けたワイシャツ姿で立っている。精悍な顔立ちは和葉の記憶の中にある彼と同じなのに、目が全く違った。かつてそこにあった柔らかな光はどこにも見当たらず、和葉を捉えた黒い瞳は、まるで冬の湖のように冷え切っていた。

 五年という歳月が、唯人から何かを根こそぎ奪っていったのだと、和葉は全身でそれを感じ取った。唯人の視線の奥に、あの頃の面影を探したが、見つかりそうにない。

「今回は随分と長い家出だったな。気が済んだか?」

 低く、水面に氷を落としたような声だった。視線が和葉の全身を値踏みするように、頭の天辺から足の爪先までゆっくりと移動していく。まるで路傍の石でも眺めるような目つきに、和葉の喉が引きつった。

「はい」

 声が震えないよう、腹の底に力を込めて答えた。彼の妻である絵里奈として答えなければならない。その事実を頭の片隅に置きながら、和葉は唯人の視線を真っ向から受け止めた。

 唯人は短く「来い」とだけ告げて、踵を返した。広い廊下を歩く後ろ姿についていきながら、和葉は重い旅行鞄を引きずるように歩みを進めた。一歩一歩が重く、足音が自分の耳に妙に大きく響いた。

 荷物を置く間もないまま進んだ先は、二階の突き当たりにある夫婦の寝室だった。扉が開かれ、室内に踏み込むと、昼間の光が白いカーテン越しに差し込んでいた。中央には天蓋付きの大きなベッドがあり、整えられた白いシーツが静かに横たわっている。空気は暖かく、どこか閉塞的な気配が鼻をついた。

 旅行鞄を足元に置こうと腰を屈めかけた、次の瞬間だった。腕を強く掴まれた。

「あっ――」

 声を上げる間もなく、身体が軽々と浮いてダブルベッドへと投げ出された。旅行鞄が床に落ちて鈍い音を立て、和葉の身体は柔らかいマットレスへと深く沈み込んだ。

 何が起きているのか理解が追いつく前に、唯人がベッドサイドに立ち、ワイシャツのボタンを無造作に外し始めた。指が一つ一つボタンを外していく様子を、和葉は瞬きも忘れて見上げた。引き締まった胸板が露わになり、脱ぎ捨てられたシャツが床に落ちると、唯人がベッドに膝をついて覆いかぶさってくる。鍛えられた筋肉の起伏が影を作り、威圧感が和葉を包み込んだ。

「何をすればいいかわかってるだろ?」

 上から見下ろす声に、体温が一気に下がる感覚があった。和葉は震える指をブラウスのボタンにかけたが、指先が上手く動かない。もたついている和葉を見下ろす唯人の目が、隠すことなく苛立ちを宿していた。

「――な、何を」

「見せろ」

 言葉が喉に詰まった。呼吸が浅くなり、指先の震えが増していく。懸命にボタンを外そうとする手が、恐怖で上手く機能しなかった。

「さっさと脱げ!」

 怒声が室内に響いた。声の圧力だけで身体が竦み上がり、和葉は肩を縮める。唯人の目は冷たい怒りで光っていた。

「他の男に捨てられた妻を抱いてやるって言ってんだ。さっさとしろ」

 胸に刃を突き立てるような言葉だった。唇の端を噛んで、和葉は視線を伏せた。悔しいわけではなかった。ただ、この人が自分のことを何も知らないまま言葉を投げてくることに、どうしようもない寂しさがあった。それでも、逃げないと決めていた。覚悟を決めてここに来たのだと、自分に言い聞かせる。脱ぎかけのまま止まっている和葉のスカートの裾から、唯人の手が滑り込んできた。太腿の内側を素手の指がなぞり、腰骨へと移動して、下着の生地を掴む。引き下ろされる感覚とともに、ひやりとした寝室の空気が肌に触れ、和葉は奥歯を噛み締め、目を閉じた。

 唯人がズボンをくつろがせると、和葉の脚の間に強引に身体を割り込ませた。次の瞬間、熱杭が内側へと深く押し入ってきた。

「っ――!」

 鋭い痛みが下腹部を貫いて、悲鳴が喉から飛び出した。上体を起こそうとすると肩を押さえつけられ、身動きが取れなくなる。全身に強張りが走り、息を吸う余裕もなかった。

「……っく、狭い」

 顔を歪めながら唯人が漏らした言葉が、耳に届いた。それでも腰の動きは止まらない。刺すような痛みの中で、和葉は唇を強く噛んで声を堪えた。天井の一点を見つめ、唯人が果てるのをひたすら待つ。早く終わってほしいと願いながら、呼吸を繰り返すことだけに意識を集中させた。

「他の男とやりまくってたのに、随分と狭くなってるじゃないか」

 苦しそうな声音に、冷たい皮肉が混じっていた。和葉は何も言わなかった。言葉を紡ぐ余裕が、痛みの中にはなかった。

 腰の動きが激しくなり、乱れた吐息が頬にかかったと思った瞬間、唯人が最奥に深く押し込んできた。熱いものが内側へと吐き出されていく感覚が広がり、ようやく終わったと全身の力が抜けかけた。

 安堵したのも、ほんの一瞬のことだった。

 唯人の手が和葉の腰を掴んで、強引にうつ伏せへと向けた。脚の間に割り込まれる気配とともに、また深く押し入られてくる。さっきよりも激しい動きが始まると、肌と肌がぶつかり合う乾いた音が寝室に満ちていった。和葉は枕に顔を埋め、逃げることも叶わないまま、ただ身体を激しく揺らされ続けた。

 痛みの中で、ゆっくりと変化が起きた。

 吐き出された液体が内側を満たすにつれて、鋭さを帯びていた痛みがわずかに和らいでいく。動きが繰り返されるたびに摩擦の質が変わり、無意識に口の端から甘い吐息が漏れた。奥を擦られるたびに蜜口が収縮し、唇の間から抗えない喘ぎ声が出るようになっていく。

「気持ちいいか?」

 髪を根元から掴まれ、強引に頭を引き上げられた。振り向くことはできず、唯人の荒い息が耳元にかかった。

「答えろ」

「……気持ちいいです」

 絞り出すような声で答えた。羞恥で頬が熱くなるのを感じながら、それ以外に言葉が出てこなかった。

「お前はどうせ男なら、誰でもいいんだろ」

 吐き捨てるような言葉とともに、腰の動きがいっそう力を増した。野獣のような荒い吐息が寝室に響き渡る。枕に顔を埋めたまま声を堪えることもだんだん難しくなっていき、和葉は唯人が満足するまで、言われるがままに脚を広げ続けた。

 窓から差し込む光が、オレンジ色に染まり始めたころになって、ようやく唯人の動きが止まった。どれほどの時間が経ったのか、和葉には分からなかった。時間の感覚が曖昧になり、ただ事後の倦怠感だけが残っていた。長い息を吐いた唯人は、和葉から離れると床に落としていたシャツを拾い上げた。乱れたズボンを直し、ワイシャツに腕を通しながら、一言も発することなく寝室を出て行く。扉が閉まる音だけが、静かに寝室に残った。

 しばらく、和葉は動けなかった。

 四肢を投げ出したままベッドに沈み、天井を見つめる。全身がじんわりと汗ばんでいて、下腹部に熱い痛みがくすぶり続けていた。指先を動かすと、シーツを握りしめていた爪の跡が掌に残っている。涙が音もなく頬を伝い、こめかみへと流れていった。

 痛みのせいなのか、それとも別の何かのせいなのか、涙が止まらなかった。あれだけ覚悟を決めてきたはずなのに、現実の重みがずっと想像を超えていた。

 ゆっくりと上体を起こすと、白いシーツに視線が落ちた。赤い色と白濁した液体が、布地を汚していた。和葉は唇を噛んで、また涙が溢れた。眼球の奥が熱く痛み、視界がにじんでいく。

 五年前の唯人は、こんな人ではなかった。

 笑うと目尻に小さな皺が刻まれる、人懐こい顔の人だった。電話をかけてくるとき、必ず最初に「和葉、今大丈夫?」と確認してくれた。冬の寒い日に和葉の手を両手で包んで「冷たいな」と苦笑いしながら温めてくれた。和葉が悲しいとき、理由を聞かずにただ隣に座って肩を貸してくれた。優しくて温かい人だったのに、今日ここで会った男は、まるで別の人間のようだった。

 どうして、あんなに変わってしまったのか。

 ――和葉、好きだよ。

 耳の奥で、懐かしい声が響いた。大学院生だった頃の唯人の、少し低くて柔らかかった声。何度も夢で聞いて、目が覚めるたびに消えてしまう声。五年間、忘れようとして、忘れられなかった声だった。和葉が彼を庇って倒れたとき、顔の半分に火傷を負って病院のベッドで目が覚めたとき、あの病室の前で唯人と絵里奈が甘く笑い合っているのを見たとき——どんな瞬間にも、その声だけは耳の奥に残り続けた。

 涙が顎を伝い、シーツに落ちて小さな染みを作る。

 また彼のそばにいられる、それだけでいい——そう思って来た。絵里奈の名前を纏って、整形した顔で、偽りの妻として傍にいられるなら、それだけで十分だと思っていた。それなのに、現実は想像よりもずっと冷たかった。目の前に現れた唯人は、和葉が知っているあの人ではなかった。

「絵里奈、夕飯!」

 廊下の奥から、唯人の声が届いた。さっきまでと同じ声なのに、温度が全く違う。まるで石壁に言葉を叩きつけるような冷たさで、それだけで胸の奥が締め付けられた。

「絵里奈!」

 また呼ばれた。和葉は手の甲で乱暴に涙を拭い、ゆっくりと顔を上げた。

「すぐに作ります」

 震えを抑えながら声を出し、気だるい身体に鞭を打ってベッドから足を下ろした。立ち上がった瞬間、下腹部に鈍い痛みが走り、膝に力が入らなかった。乱れた服を手で整えながら、一歩一歩床に体重をかけていく。痛みに顔が歪んでも、足を止めることはできなかった。

 床に落ちたままの旅行鞄に視線を一瞬だけ向けてから、和葉はゆっくりと寝室を後にした。廊下に出ると、キッチンの方向から空調の音が聞こえてくる。身体の芯まで沁みこんだ痛みと、拭っても滲んでくる涙を、和葉は一歩ずつ前に進みながら飲み下していった。

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第一話「仮面妻の初夜」
 旅行鞄を握る手に、じわりと汗が滲んでいた。 九条邸の玄関前で、和葉は一度だけ深く息を吸い込んだ。住宅街に建つ一軒家は、整形手術を終えた和葉が初めて足を踏み入れる場所であり、今日からここが自分の居場所になるはずの場所だ。重い鞄を持ち直し、呼び鈴を押す指先に力を込めた。扉の奥にいる人間を想うだけで、胸の奥が鈍く締め付けられた。 金属製の扉が、内側から重々しく開いた。 九条唯人が、胸元のボタンを二つほど開けたワイシャツ姿で立っている。精悍な顔立ちは和葉の記憶の中にある彼と同じなのに、目が全く違った。かつてそこにあった柔らかな光はどこにも見当たらず、和葉を捉えた黒い瞳は、まるで冬の湖のように冷え切っていた。 五年という歳月が、唯人から何かを根こそぎ奪っていったのだと、和葉は全身でそれを感じ取った。唯人の視線の奥に、あの頃の面影を探したが、見つかりそうにない。「今回は随分と長い家出だったな。気が済んだか?」 低く、水面に氷を落としたような声だった。視線が和葉の全身を値踏みするように、頭の天辺から足の爪先までゆっくりと移動していく。まるで路傍の石でも眺めるような目つきに、和葉の喉が引きつった。「はい」 声が震えないよう、腹の底に力を込めて答えた。彼の妻である絵里奈として答えなければならない。その事実を頭の片隅に置きながら、和葉は唯人の視線を真っ向から受け止めた。 唯人は短く「来い」とだけ告げて、踵を返した。広い廊下を歩く後ろ姿についていきながら、和葉は重い旅行鞄を引きずるように歩みを進めた。一歩一歩が重く、足音が自分の耳に妙に大きく響いた。 荷物を置く間もないまま進んだ先は、二階の突き当たりにある夫婦の寝室だった。扉が開かれ、室内に踏み込むと、昼間の光が白いカーテン越しに差し込んでいた。中央には天蓋付きの大きなベッドがあり、整えられた白いシーツが静かに横たわっている。空気は暖かく、どこか閉塞的な気配が鼻をついた。 旅行鞄を足元に置こうと腰を屈めかけた、次の瞬間だった。腕を強く掴まれた。「あっ――」 声を上げる間もなく、身体が軽々と浮いてダブルベッドへと投げ出された。旅行鞄が床に落ちて鈍い音を立て、和葉の身体は柔らかいマットレスへと深く沈み込んだ。 何が起きているのか理解が追いつく前に、唯人がベッドサイドに立ち、ワイシャツのボタンを無造作に外し始め
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第二話「火傷痕に隠した恋情」
 午後の施設は、子どもたちの弾けるような生の声に満たされていた。 宿題を広げた少年が、解けない問題に苛立ったのか消しゴムで机を何度も叩く乾いた音。使い込まれた板張りの廊下を、追いかけっこでもしているのか小さな足音がタトト、と小気味よく駆けていく。そして台所からは、今日のおやつであろう手作りクッキーの甘く芳しい香りが、温かな湯気と共に漂ってくる。 和葉にとっては、十年以上の歳月を重ねて聞き続けてきた、日常という名の調べだった。玄関の土を踏むだけで、外の世界で強張っていた肩の力が自然と抜けていく。かつて孤独な魂を慈しまれ、育った場所へ、今度は職員として戻り、子どもたちの成長を見守っている。その奇跡のような巡り合わせが、ふとした瞬間にひどく不思議で、尊いことのように思えるのだった。 身寄りのない、ただ震えることしか知らなかった少女だった和葉が、大人になり、子どもたちを導く立場としてここにいる。駆け寄ってくる子どもたちの、曇りのない瞳に、かつての頼りない自分の残像を重ねるたび、胸の奥が静かに、そして切ないほど温かくなった。 事務所の椅子に腰を下ろし、山積みの書類に目を通していると、玄関の方から同僚のスタッフに呼ばれた。「桐島さん、お客様がいらしていますよ。お名前は伺えなかったのだけれど……」 顔を上げると、傾き始めた西日に照らされた廊下の向こうに、場違いなほど重々しい空気を纏った人影が二つ立っていた。 一人は、派手な色合いのツイードジャケットを窮屈そうに纏った、隙のない化粧の中年女性。もう一人は、仕立ての良さが一目でわかる上質なスリーピースのスーツに身を包んだ、怜悧な眼差しを湛えた初老の男性だった。二人は微動だにせず、廊下の端からこちらを値踏みするような、冷ややかな視線でじっと射抜いている。 和葉は手にしていたペンを置き、ゆっくりと立ち上がった。自分を訪ねてくる者など、これまで一人としていなかった。その身なりの良さ、纏う空気の傲慢さから察するに、自分とは生きている階層が違う、富裕な層の人間だろう。(どうして、私を……? それに、この妙な圧迫感は……) 名指しで呼び出された理由が皆目見当もつかず、和葉の胸に微かな、けれど確かな警戒心が棘のように刺さった。 二人の佇まいは、こちらを歓迎する色など微塵もなく、氷のような硬さを孕んでいた。特に女性の鋭い視線が
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第三話「剥がれ落ちた愛の記憶」
 九条家の広大なキッチンは、静謐な空気に包まれていた。和葉は無意識のうちに、己の左頬へと指先を這わせた。 指先に触れるのは、滑らかで、あまりにも整いすぎた陶器のような肌だ。かつてそこにあったはずの、赤黒く引き攣れた、醜い火傷の痕跡はもうどこにもない。 手術台に横たわり、意識が薄れゆく刹那まで、鏡の中で和葉を絶望させていた歪んだ輪郭。それが視界から消え、幾度目かの長い眠りから覚めたとき、顔は重苦しい包帯の層に守られていた。やがてその白が剥ぎ取られた日、鏡の向こうに立ち現れたのは、かつての親友であり、今の仇敵でもある「絵里奈」の顔だった。和葉としての面影は、細胞のひと粒に至るまで跡形もなく消し去られていた。 鶏肉が脂を跳ね、香ばしい薫りがキッチンに立ち込める。 すべてを捨てて整形を決意したのは、ただ、もう一度だけ彼のそばにいたかったから。それだけが、地獄のような日々を生き抜く唯一のよすがだった。 だというのに、今、視線の先にいる唯人は、和葉が胸に抱き続けてきたあの人とは、あまりにかけ離れた「異形」の存在に見えた。 大人びた端正な顔には、かつての柔らかな眼差しも、慈しむような微笑みも、何一つ宿っていない。そこに座っているのは、冷酷で、鋭利な刃物のような威圧感を纏った、名前を同じくするだけの他人。五年前の彼が持っていた、魂を包み込むような優しさのかけらさえ、時の砂に埋もれて消えてしまったようだった。(……顔も声も同じなのに、中身は別の人間なのね) まな板の上で野菜を刻む包丁の音が、規則正しく響く。和葉は、痛みを伴う記憶の引き出しを、一つ、また一つとこじ開けていった。 唯人と出会ったのは、大学一年の秋。金木犀の香りが漂い始めた頃のことだった。 所属する学科と隣接する研究室との合同ゼミ。発表に立つ唯人の声は、低く、深く、耳の奥に心地よく響いた。理路整然とした論理展開、鋭い質問にも眉一つ動かさずに答える不遜なまでの自信。その凛とした佇まいは、周囲の学生たちの中で異質なほどの光を放っていた。 ゼミが終わり、夕闇が迫る教室で一人帰り支度をしていた和葉に、彼はふいに声をかけた。「……一緒に帰りませんか」 そのひと言が、和葉の運命の歯車を狂わせた。彼は二十三歳の大学院生で、国内屈指の財閥である九条家の御曹司だと知ったのは、随分後のことだ。十八歳の、何の色も持たな
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第四話「身代わり妻との蜜夜」
 深夜の静寂に沈む寝室には、密やかな情事の余韻をかき消すように、乱れた吐息と肌がぶつかり合う湿った音だけが満ちていた。 唯人は、折れてしまいそうなほど細い妻の腰を両手で強く掴んだまま、衝動に突き動かされるように腰を打ちつけ続けた。卑猥な水音と、肌と肌が激しくぶつかり合う乾いた音が交互に響き、静寂を犯していく。絵里奈は枕に顔を深く埋めて必死に声を堪えていたが、それでも唇の端からは、熱を帯びた甘い吐息が断続的に漏れ出ていた。その小さな、けれど熱を孕んだ声が耳朶を打つたびに、唯人の内側では説明のつかない熱が膨れ上がっていくのがわかった。 やがて、一度目の絶頂が唯人を襲い、彼はその奥深くに熱いものを吐き出した。 荒い息を吐きながら、唯人はゆっくりと動きを止めた。眼下では、絵里奈の背中が波打つように激しく上下している。じんわりと汗で湿り、真珠のような光沢を帯びた白い肌が、寝室の薄い灯りの中に艶かしく浮かび上がっていた。(……あいつの中、こんなにキツかったか) ふと、頭の中にそんな疑問が過った。一度抱いた違和感は、拭い去ろうとしても喉の奥に引っかかった魚の骨のように消えない。唯人は四つん這いのまま動かない妻の背中に視線を落とし、指先をゆっくりと、脊椎のしなやかな曲線に沿って滑らせた。「んんっ……」 背中を走った震えとともに、内側が吸い付くようにきゅっと締まる。唯人の眉が僅かに動いた。 何か、決定的な違いがある。
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第五話「愛おしき違和感」
 どんなに夜更けまで互いの熱を求め合っても、朝、目が覚めると隣には誰もいなかった。以前の絵里奈なら極端に早起きが苦手で、正午近くまで微睡みの中にいるのが当たり前だった。唯人の方が先に目を覚まし、爆睡している妻を起こさないようにそっとベッドを抜け出しては、一人で出勤の準備を済ませていた。それが四年間、この家で繰り返されてきた朝の形だった。 ふと意識が浮上した瞬間、隣に人の気配がないことで、唯人の意識は鮮明になった。しばらくの間、唯人は天井を無言で見つめていた。自分の中で何かが確実に変化している。だが、それをどう説明すればいいのか、言葉が見つからなかった。 あの火事の後から、唯人は朝という時間が苦手になっていた。眠りは常に浅く、閉じた瞼の裏で燃え盛る炎を見る夜が続いていた。たとえ炎の夢ではなくても、目覚めた瞬間に何か大切なものを失ったような喪失感に襲われることがあった。何を失ったのかを言語化できないもどかしさが、余計に胸の奥に澱のように残った。医師には睡眠の質が低下していると診断され、薬を処方されていた。眠れないわけではないが、深く沈み込むような眠りにはほど遠い。そんな灰色の朝が、五年間も続いていたのだ。 だが最近は、少し違っていた。横になっている時間は以前よりも明らかに短いはずなのに、不思議と深く眠れたという実感が残っている。 ダイニングへと足を向けると、キッチンから規則正しい音が聞こえてきた。妻が、動いていた。淡い色合いのエプロンを身につけ、コンロの前に立って忙しなく手を動かしている。唯人は廊下に佇んだまま、その背中をしばらくの間じっと見つめていた。 その歩き方は、どこかぎこちなかった。足腰に力が入っていないのか、一歩踏み出すたびに身体が微かに揺れる。昨晩、無理をさせすぎたのかもしれない。そう思い至った瞬間、胸の奥を妙な熱が駆け抜けた。それを「愛おしい」と感じてしまった自分自身に、唯人は少し驚きを覚えた。 唯人は音を立てずに近づき、妻の背後に立つと、その細い腰に腕を回した。「昨晩は、無理をさせて悪かったな」 耳元に落とした低い声に、妻の肩がびくりと跳ね上がった。振り向けない体勢のまま、白いうなじから耳の先までがみるみるうちに赤く染まっていく。「――いえ」 小さく首を振る横顔は、赤みを帯びたまま前を向いた。唯人はしばらくの間、その温もりを感じるよ
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第六話「冷徹な夫の守護」
 呼び鈴が鳴ったのは、午後の陽が傾きかけた頃だった。 和葉はキッチンで夕食の下準備をしていたが、料理の手を止めて玄関へと向かった。扉を開けると、そこには懐かしい顔の女性が立っている。 仕立てのよさそうな濃紺のジャケットに、控えめな真珠のネックレス。年相応の品のある装いをした女性だったが、和葉の姿を認めた瞬間にその目の温度が変わった。値踏みするような鋭い視線が、和葉の顔をゆっくりと舐めるように流れる。「お義母さん」 和葉が声をかけると、女性は不快そうに目を細めた。「向こうのご両親から事情は全て聞いているの。私をお義母さんと呼ばないでちょうだい。穢らわしい女」 低く、抑揚のない平坦な声だった。和葉は動揺を見せないよう表情を整え、彼女をリビングへと案内した。 ソファに腰を下ろした義母に、丁寧にお茶を淹れて戻る。その間も、視線はずっと和葉の顔に張り付いたまま離れなかった。「へえ、うまく化けたものね。和葉さん」 その言葉に、和葉の肩がびくりと震えた。「うまく隠せているようだけど、ここは無理だったのね。醜い火傷のあとが残っているわ」 細く手入れされた指が、和葉の髪に向けられる。首筋から耳のあたりまで、髪で丁寧に覆い隠していた部分を、義母は正確に指差していた。和葉は弾かれたように、慌てて手で火傷の痕を隠した。 唯人の継母については、交際していた当時に彼から聞いていたし、挨拶に伺った際にも何度か顔を合わせている。 唯人の実母が亡くなって間もなく、父親が再婚した相手。父親とはひと回り以上も年が離れていた。母の死を悼む暇もなく連れてこられた女性に、唯人はどうしても馴染めなかったらしい。それだけでも十分に辛かっただろうに、この義母は学生だった唯人にさえ色目を使ってきたのだという。耐えられなくなった彼は、大学進学を機に家を出て一人暮らしを始めたのだと、苦しそうに話してくれたことがあった。 和葉との交際を唯人が告げたとき、最も強く反対したのもこの人だった。両親がなく施設で育った和葉を、露骨に見下した言葉で否定した。その偏見に唯人の父も同調し、挨拶に出向くたびに門前払いをされる日々だった。「事後報告で、絵里奈さんの身代わりがあなただって知った時は驚いたの。でも、そうよね。あんなにひどい火傷の痕が、タダで綺麗な顔にしてもらえるなら、貧乏なあなたは喜んで飛びつくわよ
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第七話「嫉妬が溶ける夜」
 帰路に就いたのは、夕闇が街を包み込み始めた午後五時半を過ぎた頃だった。 駅から自宅へと続く見慣れた道の途中に、一軒のスーパーがある。その前を通りかかったとき、入り口付近に佇む二つの人影が唯人の目に留まった。一人は見間違えるはずもない、自分の妻だ。唯人は無意識に足を止めていた。 その隣に立っているのは、長身の若い男だった。唯人よりは頭一つ分ほど低いが、すらりとしたしなやかな体格をしている。男は妻と向き合い、親しげに何かを話していた。 何より唯人の胸を抉ったのは、妻の表情だった。彼女は、心の底から楽しそうに声を上げて笑っていたのだ。(誰だ、あいつは……) 唯人は、妻があんなふうに無邪気に笑う姿を見たことがない。 自分に向けて微笑むことはある。朝食を並べるとき、「おかえりなさい」と出迎えるとき、短い言葉を交わすとき。けれどその微笑みは、常にどこか影を含んでいて、義務的な色を帯びていた。満面の笑みとは程遠い、壊れ物を扱うような慎重な表情。 だが、目の前の妻は今、腹の底から、溢れ出すような歓喜を露わにしている。 胸の奥で、どろりとした何かが歪んでいく。 ふいに会話が途切れたのか、妻が顔を上げてこちらを向いた。視線が真っ向からぶつかった瞬間、妻の表情は石のように凍りついた。「しまった」という動揺が、その白い顔全体に張り付いている。(なぜ、そんな顔をする。なぜ、俺を見た瞬間に笑みを消すんだ) 唯人の胸の内に、ムッとした熱い塊が込み上げた。 新しい男か、と一瞬だけ疑念がよぎる。だが、それはすぐに打ち消した。目の前の女は絵里奈ではなく、絵里奈のふりをした「替え玉」なのだ。以前の絵里奈とは別人。ならば、この替え玉もまた不倫を嗜んでいるというのか。あるいは、彼女が替え玉になる前の生活を知っている男なのか。 もしかして、恋人か。何か事情があって、想い人がいる身で妻を演じているのか。(――金か。金のために、あの男を裏切ってここに来たのか) 男が振り返り、唯人を見た。二十代半ばと思われるその男は、涼しげな目元をした人懐こそうな風貌をしていた。唯人と視線が合うと、彼は拒絶の色を見せることもなく軽く会釈をした。そして、踵を返してさらりとスーパーの中へと消えていく。 妻と親密に笑い合っていたその背中が、あまりにも潔く去っていく。唯人はそれを無言で見送ることしかでき
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第八話「記憶の残滓」
 深い夜の静寂が、寝室を重く満たしていた。深夜、唯人は弾かれたように目を覚ました。全身にじっとりとした嫌な汗が滲み、喉が何かに強く圧迫されているような、ひどい息苦しさが消えない。しばらくの間、彼は天井を見つめたまま、指先一つ動かすことができなかった。早鐘を打つ心臓の音が、鼓膜のすぐ裏側でやけに大きく、暴力的なまでに響き続けている。 また、あの夢を見ていた。 視界を埋め尽くすような、恐ろしくも鮮烈な炎の夢だ。どこかの巨大な建物が、天を焦がすほどの勢いで燃え盛っている。煙が充満し、視界を遮る暗い廊下を、唯人は誰かと一緒に必死に走っていた。隣に誰かがいたことは確かなのに、その人の手を自分が引いていたのか、あるいは強く引かれていたのかさえ、今となっては判然としない。「唯人! 唯人、しっかりして! こっち……!」 炎の赤と橙が狂ったように踊る中で、誰かが唯人の名を呼び続けていた。聞き覚えのある、けれど今はどうしようもなく遠い、切実な誰かの声。振り向こうとするたびに夢の輪郭は陽炎のように歪み、その顔を認識することは叶わないまま、意識は強制的に現実の底へと引き上げられる。 五年前の、あの火事の記憶はいつも断片的だった。 事故の後、担当した医師からは、頭部への強い衝撃と極度の精神的ストレスが重なったことで、記憶が部分的に失われる『心因性健忘』の可能性があると説明された。特に感情と深く結びついた核心的な記憶ほど、心が自身を守るために選択的に消去することがあるという。 五年という月日が流れても、あの夜の前後の記憶には深い霧がかかったままだった。今の妻である絵里奈に命を救い出
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第九話「偽りのマリアージュに灯る火」
 午後二時を少し過ぎた頃。 駅前のカフェに入った和葉を、午後の柔らかな光が迎えた。大きな窓から差し込む陽光が、年季の入った木のテーブルの上に斜めの帯を描いている。平日の昼下がり、店内は静寂に包まれていた。遠くの席でノートパソコンを叩く客が一人いるだけで、微かな空調の音だけが耳に届く。 運ばれてきたアイスティーのグラスには、早くも細かな結露が滲み、テーブルに薄く儚い水の輪を作っていた。 窓際の席に、冬馬は先に来て座っていた。 熱心にメニューを眺めていた彼が顔を上げ、和葉に気づくと、その瞳に僅かな揺らぎが走った。「冬馬くん、お待たせ。ちょっと遅くなっちゃった」「――いえ」 冬馬は短く首を振った。 向かいの席に腰を下ろしながら、和葉はさりげなく彼の表情を窺った。唇の両端を上げ、笑っているように見える。けれど、その目は決して笑っていなかった。どこか遠くを、あるいは手の届かない過去を見ているような、硬く凍りついた瞳だった。 店員を呼んで注文を済ませてから、和葉は改めて向かい合う青年の顔を見つめた。「この前は、ゆっくり話せなかったから」「そうっすね」 冬馬は吐息のような返事を残すと、すぐに視線を逸らした。テーブルの木目を
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第十話「仮面の裏の甘い疼き」
 クローゼットの扉を開けるたびに、和葉の心は重く沈んでいった。 そこには、絵里奈名義で用意されたパーティドレスが、誇らしげに並んでいる。どれもが目を射るような鮮やかさだった。情熱的な深紅、金糸の刺繍が贅沢に施された漆黒、そしてデコルテを大胆に晒すエメラルドグリーン。どれを手に取っても、今の自分には分不相応な気がしてならなかった。鏡に映る自分を見つめても、ただ悪目立ちするばかりで、唯人の隣に並ぶ資格などないように思えてしまう。 そんな彼女の萎縮した心を見透かしたのだろうか。数日前、唯人が帰宅した際に、一つの紙袋を差し出してきた。「開けてみて」 促されるままに中を取り出すと、そこには深いネイビーのドレスが収められていた。袖は肘まであり、ネックラインは鎖骨を隠すように上品に詰まっている。ふわりと広がるスカートは、夜の湖面のように穏やかな輝きを放っていた。シンプルでありながら、どこまでもエレガントな一着。指先を滑らせると、滑らかな生地の感触が心地よく肌に馴染んだ。「パーティ用に、俺が選んだ。すごく似合うよ」 当日、鏡の前でそのドレスに袖を通したとき、和葉はようやく唯人の言葉の意味を理解した。ドレスは彼女の身体の輪郭を優しくなぞり、完璧なまでにフィットしていたのだ。派手ではないが、決して地味でもない。鏡の中の自分は、背筋が自然と伸び、凛とした空気を纏っていた。 かつて施設で働いていた頃、パーティという響きは遥か遠い別世界の言葉に過ぎなかった。子供たちの食事を作り、汚れ物を洗い、膨大な書類を整理する日常の中に、豪奢なホテルの大広間も、着飾った人々との挨拶も存在しなかった。ましてや、整形する前の
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