旅行鞄を握る手に、じわりと汗が滲んでいた。 九条邸の玄関前で、和葉は一度だけ深く息を吸い込んだ。住宅街に建つ一軒家は、整形手術を終えた和葉が初めて足を踏み入れる場所であり、今日からここが自分の居場所になるはずの場所だ。重い鞄を持ち直し、呼び鈴を押す指先に力を込めた。扉の奥にいる人間を想うだけで、胸の奥が鈍く締め付けられた。 金属製の扉が、内側から重々しく開いた。 九条唯人が、胸元のボタンを二つほど開けたワイシャツ姿で立っている。精悍な顔立ちは和葉の記憶の中にある彼と同じなのに、目が全く違った。かつてそこにあった柔らかな光はどこにも見当たらず、和葉を捉えた黒い瞳は、まるで冬の湖のように冷え切っていた。 五年という歳月が、唯人から何かを根こそぎ奪っていったのだと、和葉は全身でそれを感じ取った。唯人の視線の奥に、あの頃の面影を探したが、見つかりそうにない。「今回は随分と長い家出だったな。気が済んだか?」 低く、水面に氷を落としたような声だった。視線が和葉の全身を値踏みするように、頭の天辺から足の爪先までゆっくりと移動していく。まるで路傍の石でも眺めるような目つきに、和葉の喉が引きつった。「はい」 声が震えないよう、腹の底に力を込めて答えた。彼の妻である絵里奈として答えなければならない。その事実を頭の片隅に置きながら、和葉は唯人の視線を真っ向から受け止めた。 唯人は短く「来い」とだけ告げて、踵を返した。広い廊下を歩く後ろ姿についていきながら、和葉は重い旅行鞄を引きずるように歩みを進めた。一歩一歩が重く、足音が自分の耳に妙に大きく響いた。 荷物を置く間もないまま進んだ先は、二階の突き当たりにある夫婦の寝室だった。扉が開かれ、室内に踏み込むと、昼間の光が白いカーテン越しに差し込んでいた。中央には天蓋付きの大きなベッドがあり、整えられた白いシーツが静かに横たわっている。空気は暖かく、どこか閉塞的な気配が鼻をついた。 旅行鞄を足元に置こうと腰を屈めかけた、次の瞬間だった。腕を強く掴まれた。「あっ――」 声を上げる間もなく、身体が軽々と浮いてダブルベッドへと投げ出された。旅行鞄が床に落ちて鈍い音を立て、和葉の身体は柔らかいマットレスへと深く沈み込んだ。 何が起きているのか理解が追いつく前に、唯人がベッドサイドに立ち、ワイシャツのボタンを無造作に外し始め
Last Updated : 2026-04-09 Read more