両親と一緒にヨットで遊びに出かけたときのことだった。甲板の上で、お父さんの木村陽斗(きむら はると)がふいに僕に聞いた。「橋の下のあひるさんは、何羽いるのかな?」僕が口を開いて、童謡の続きを歌おうとした瞬間、お父さんは僕を蹴り飛ばして海に落とした。「こんな簡単な歌でもすぐ答えられないのか?お前、本当に頭ついてるのか!」冷たい海水が肺の中まで流れ込み、僕は必死に声を絞り出した。「お父さん、僕、泳げないんだ。助けて……」けれどお母さんの木村千夏(きむら ちなつ)は、そのままヨットを出すように命じた。「泳げないなら、そのまま水の中でもう少し浸かってなさい。極限状態になれば才能が開くものよ。案外、誰にも教わらなくても泳げるようになるかもしれないわ」僕は必死に両腕を振った。けれど恐怖で右足がつってしまった。そして最後には、遠ざかっていくヨットをただ見ていることしかできなかった。僕の魂はふわりと宙に浮かび、ようやくお父さんとお母さんのヨットに追いついた。橋の下にアヒルが何羽いるのか、もうわかったんだって、二人に伝えたかった。でも、もう僕の声は二度と届かなかった。……そのとき甲板では、お父さんがお母さんとグラスを合わせ、気楽そうな笑みを浮かべていた。「木村家には菜々ちゃん一人いれば十分だ。あの役立たずは、底辺で腐っていくのがお似合いだ」お父さんのそばに浮かびながら、その嫌悪に満ちた顔を見て、僕の胸はぎゅっと締め付けられた。お父さんの中では、僕はずっと前から価値のない存在だったんだ。お母さんは、あの白いグランドピアノの前に座っていた。すらりとした指が白と黒の鍵盤の上を跳ねる。流れ出したのは、リストの「愛の夢」一曲弾き終わると、お姉ちゃんの木村菜々子(きむら ななこ)が駆け寄って、お母さんの頬にちゅっとキスをした。「お母さんのピアノ、ほんとにきれい!慧、前は聞こえないっていつも言ってたけど、絶対あれ嘘だったよね。お母さんが私のこともかわいがるから、やきもち焼いてるだけだよ」お母さんは甘やかすようにお姉ちゃんの鼻をつまみ、やさしい目を向けた。「あの子は音感がひどいのよ。どうしようもないわ」僕はピアノのそばに立って、鍵盤に手を伸ばそうとした。僕には絶対音感がある。先生は、僕は天才だ
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