All Chapters of 気づけば愛人に実子を殺された夫は死で償った: Chapter 1 - Chapter 10

10 Chapters

第1話

夫・一ノ瀬義治(いちのせ よしはる)が、彼の愛人・桜井彩葉(さくらい いろは)との関係を継続する「愛人契約」の更新をする代わりに、母の入院と手術の費用を支払ってくれる。そういう約束が私との間にあった。しかし今回、義治はもうすぐ出産を控えた私・一ノ瀬澄花(いちのせ すみか)を気にかけたせいで、その愛人とのデートに1分だけ遅れてしまった。怒った彩葉は「澄花さんの子供をおろさせない限り、契約を更新しない」と駄々をこねた。義治は、中絶同意書と6億円の小切手を私の前に差し出した。「ほら。サインしろ。子供なんてまた作ればいい。彩葉のような若い子が泣きすぎると、顔にシワができちまう」義治の態度は落ち着いていて、まるで今日の天気のことを話しているかのように軽々しかった。私は信じられない思いで、顔を上げて彼を見た。長い沈黙のあと、私は震える指先で同意書にサインした。涙を拭うと、小切手を彼に突き返した。そして、最後に一つだけ条件を伝えた。「この前の形だけの離婚届、本当のものに替えてちょうだい」彼の工面してくれた手術費なんて、母にはもう使うチャンスがなくなった。それに、今の私だって、もう彼なんて必要ないのだから。返された小切手を見て、義治は眉をひそめた。「お母さんの容態を気にしていたんだろう?病院とは話が済んでいる。金さえ払えばすぐにでも手術できるんだ。澄花、そんな意地を張ってあとから後悔するぞ」胸の奥が締め付けられるように痛んだ。数日前、彩葉が義治との仲睦まじい写真を母に送りつけたせいで、母はショックで容態が悪化した。母の命は風前の灯で、もう義治の金で救える状態ではなくなった。義治は強引に小切手を私の手元に押し付けると、スマホを掴んで部屋を出た。「お待たせ、澄花サインしたよ。すぐに行く。これからは更新がいらない契約を結ぼう」普段の冷淡さはどこへやら、彼は初めて恋に落ちた少年のように浮かれていた。彼を引き止める衝動を必死で抑え、叫びたくなる気持ちを飲み込んだ。頬の涙が乾く間もなく、義治からの電話が鳴った。「手術はまだなのか?早くしろ。彩葉が待ちくたびれているんだ。中絶の様子を撮影して、送ってくれ」昔に流産した私を抱えて、廊下で医師を呼び叫んだ時と、まったく同じ焦り方だった。
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第2話

そんな独り言を、つい口に出してしまった。次の瞬間、いつもの広くて温かい胸に包まれた。「澄花、そんなことを言うな。お母さんと約束したんだ。お前のことは一生守るって」顔を上げ、義治の慌てた表情を見て悟った。今のは夢ではなかった。彼は確かにここにいるのだ。手に持っていたリンゴの皮を剥くのをやめて、彼は立ち上がった。そして手には一つの箱があった。結局、その箱の中身こそが、ここへ来た理由だったのだろう。何が入っているのかと訝しむ私を遮り、義治が口を開く。「悪い、澄花。彩葉がどうしても、現物を見ないと契約を更新しないと言い張るんだ」頭の中が、一瞬で真っ白になった。彼の言葉の意味を、理解したくなかった。胎児の遺体を、新しい愛人の機嫌をとるための道具に使うなんて。弱りきった体で、懸命に点滴の針を外した。這いずりながら義治の足元に縋りついて叫んだ。「あの子の生きる権利は、もうあなたが奪ったでしょう?せめて二人が積み上げた過去に免じて、あの子の尊厳まで踏みにじらないで」愛人契約しか頭にない義治は、足早に歩みを進めた。「澄花、生きている人間の方が大事なんだ。安心しろ。彼女にこれを見せたら、すぐに納骨してやる」彼に突き飛ばされ、縫い合わせたばかりの傷口が裂けて、鮮やかな血が床に広がった。けれど、そんな肉体の痛みは、胸の苦しさよりずっと軽かった。ベッドに戻ると、私は躊躇なくスマホを手に握り、一つの番号を押した。「先生、先日話をいただいた海外の研究プロジェクトですが、参加します」「でも君、出産はどうするんだ?旦那さんは賛成してるのかい?それに君のお母さんのこともあるだろう。本当に全て置いて行くのか?」溢れ出す悲しみを堪えながら、声を絞り出した。「子供はもういないんです。母さんも……もう長くないです。義治とは……もう終わりです」長い沈黙の後、恩師の慈悲に満ちた声が響いた。「わかった。すべて手配しよう。お大事に……」私は電話を切るとすぐに退院手続きを済ませ、タクシーで一ノ瀬邸へと向かった。プロジェクトは1ヶ月後に始まる。母が踏ん張れるのも、せいぜいその時までだろう。それまではずっと母の傍らに寄り添い、最期の時を見届けるつもりだ。一ノ瀬邸に近づくと、何やら騒がしい空気が
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第3話

一生、私のそばから離れるはずがないと思っていたんだろう。私が自分の荷物をまとめて家を出ていくのを、義治は止めようともしなかった。「しばらくの間、お母さんのそばにいてやってくれ。俺の仕事が片付いた時、お母さんの体調も落ち着いているはずだから。その時、病院まで俺が迎えに行ってやる」「うん」私は適当に相槌を打った。どのみち戻ってくるつもりなんてないのだから、これ以上言葉を重ねる必要もない。足を踏み出そうとしたその時。「待ってください!」と彩葉が突然私の前に立ちはだかった。「今は私こそが一ノ瀬家の妻ですよ。家にあるもの全部、持ち出させませんから!」彼女と揉めたくはなかったから、怒りを押し殺して説明した。「これは全部私の私物ですよ。一ノ瀬家のものなんて何一つ持って行っていません」それでも彩葉が強引に箱の中身を確認しようとした時、私のスマホが鳴った。「もしもし、一ノ瀬さんですか?お母様が突然取り乱されて、容態が急変しました。すぐに来ていただけないと、おそらく……」全身が震えて、後の言葉は一つも耳に入らなかった。私はパニックに陥りながら義治の袖を掴んで懇願した。「母さんが危ないの、お願い、病院まで連れてって!」義治は驚いた顔をして、私を連れて行こうとしたが、彩葉がいきなりスマホを差し出した。「お母さんは元気ですよ。澄花さんはどうして危ないなんて嘘をつくんですか?」写真には、車椅子で庭の日差しを浴びて、健康そうに微笑む母の姿が写っていた。でも、すぐにわかった。あれは母じゃない。母はこの半月、点滴でやっと繋いでいる状態だ。自分で起き上がることもできず、写真よりずっと痩せ細っているのだ。私は必死に叫んだ。「その写真、加工ですよ。母ではありません!」私は彩葉の元へ駆け寄り、きちんと説明しようとした時。パシッ!私は義治にいきなり頬を打たれて、頭が大きく横に揺れた。「いい加減にしろ。自分をかまってほしくて、親の命をだしに嘘をつくのか?澄花、本当にがっかりだよ!」口の中に血の味が広がり、私は信じられない思いで彼を見つめた。病院へ一本電話を入れるか、写真をきちんと確認すれば、嘘をついているのは彩葉のほうだとすぐ分かるはずなのに。彼は、彼女のたった一言で私を悪者だと決めつけた
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第4話

それから数日間、義治は姿を見せなかった。代わりに、彩葉が何度か訪ねてきた。人の目がなくなると、彼女は本性を見せた。彩葉は勝ち誇ったようにあごを上げて言った。「澄花さん、今の気持ちはどうですか?負け犬になった気分は最高でしょう?」私は屈辱に耐え、彼女の前に膝をついた。「義治も一ノ瀬グループのことも、あなたに譲ります。争うつもりはありません。お願いだからここから出してください。母さんのところに行かせてください」もうプライドも感情も捨てた。母が亡くなる前に、一目だけでいいから会いたかった。彩葉は鼻で笑うと、私の前に鏡を突きつけた。「譲ります?鏡で自分の顔をよく見てみてくださいよ。そんな醜い女が、どの口で言っているんですか?義治だってあなたなんか見たら、嫌悪を覚えるだけよ!」鏡の中の惨めな姿の女を見つめ、私は顔を歪めた。彩葉は得意げに体を乗り出して言った。「あの婆さんが死んだ本当の理由、教えてあげましょうか?」そう言って、彼女は母とのメッセージでのやり取りを見せてきた。画面に映っていたのは、中絶手術をしたばかりの私と、血に染まった小さな我が子の亡骸だった。その下にこう添えられていた。【ねえ、あなたの入院費がどうやって用意されたか知っています?あなたの娘さんが、義治との結婚と、お腹にいる赤ちゃんの命を引き換えにした結果ですよ!】全身の血の気が一気に引いた。頭の中で、以前に医師と交わした会話が蘇る。「私がお見舞いに行った時は大丈夫でしたのに、なぜ急に悪化したんですか?」「詳しくはわかりませんが、何かのメッセージの通知が来た途端、取り乱したのです」私は彩葉に襲いかかった。「母さんを殺したのね!殺してやる!」だが、私が彩葉に触れる前に、彼女はその場にわざと崩れ落ちた。そして腹部を押さえて苦しそうに泣き叫んだ。「赤ちゃんが……義治、助けて!」いつの間にか現れていた義治が、私の襟を掴み、乱暴に床へ突き飛ばした。「お腹の子に手をかけるなんて。澄花、お前はなんて最悪な女なんだ!」義治は彩葉を抱きかかえ、耳元で優しくなだめた。「彩葉、しっかりしろ。怖がるな。どんなことが起きても、絶対に俺たちの子供を守り抜いてみせる!」部屋の中、崩れ落ちた私は深い絶望感に襲われた
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第5話

彩葉は、私とのやり取りが、こっそり録画されていたことなど想像もしていなかった。ましてそれが大勢の面前で流されることなんて。彩葉が夢見ていた結婚式は台無しになり、苦労して作り上げた「清楚で善良な女性」というイメージも、完全に崩れ去った。彼女は心の底から私を呪った。「一ノ瀬澄花、この汚い女め。私の全部をめちゃくちゃにしやがって。地獄へ落ちろ!」しかし彩葉は忘れていたようだ。これは彼女自身が蒔いた種であり、当然の報いなのだということを。会場の参列者たちは皆、彼女へ冷ややかな視線を向け、あちこちでヒソヒソと噂話を始めた。「一ノ瀬グループの御曹司が、本妻を捨ててまで選んだ人ってどんなにいい人かと思えば、人の命を奪うような悪魔だったのか!」「だよね。人の家庭を壊すような奴に良識なんてあるわけないって思ってたけど、想像以上に人間のクズだったのね」「そうよ、人の夫を奪った上に、子供と母親まで死なせるなんて。人の心がないわ!」参列者からの罵詈を聞き、彩葉は怒りで顔を真っ赤にした。我を忘れた彼女は、スタッフに向かって怒鳴りつけた。「何ボーッとしているの!早く消してよ!」彼女はスクリーンに向かって駆け出し、その醜い事実を消そうとした。「見ないでください!全部嘘です!信じちゃだめですよ、澄花さんが私を陥れるために作った偽物ですよ!」重たいウェディングドレスを引きずりながら慌てて歩いていたせいで、壇の上に上がろうとした瞬間――パシッ。長い裾が足に絡まり、彩葉は無様に地面へ倒れ込んだ。会場が笑い声に包まれる中、彼女の両足のあいだから赤い液体が滲み出し、白いドレスを染め上げていった。もう音声を消すどころではなくなり、彼女は義治にすがるように叫んだ。「義治、助けて!」いつもなら彼女が少し擦り傷を負っただけでも血の気が引くほど心配する男が、今は立ち尽くし、彼女の悲鳴など聞こえていないかのように微動だにしなかった。義治はスマホの画面を茫然と見つめていた。【義治、さようなら】たった一行の文字を、彼は何度読んでも意味を理解できなかった。さようなら?なぜさようならなんだ?澄花は、入院中のお母さんを見舞いに行っただけじゃないのか?義治は震える手で私の番号を押し、期待を込めて応答を待った。「おかけになった電話は電
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第6話

私がサインした海外の研究に参加するための契約書、そして飛行機が離陸する際の映像。義治はその場にふらりと崩れ落ち、口元で何かをブツブツと呟いた。「嘘だ、澄花が俺を置いていくはずがない。あいつは言ったんだ。一生離れないって」彼は結婚式の日に私と交わした誓いの言葉を思い出した。「貧しい時も富める時も、病める時も健やかな時も。死が二人を分かつまで、あなたを愛し、大切にします」だが今、私たちは二人とも無事だというのに、私が彼を捨ててしまった。義治は床に膝をつき、声を上げて泣きじゃくった。「澄花、悪かった。お前を裏切ってしまった。本当にすまないことをした」彩葉と出会ってからのこの期間、自分の本来の魂がどこかに消えてしまったかのように感じていた。20年も連れ添った夫婦の情をすべてかなぐり捨て、母親の命を盾にして、澄花に愛人と二人で暮らすことを認めさせた。かつて、澄花がどれほど気高く美しい人だったか、彼は知っていた。自分は彼女を傷つけ、侮辱し、あろうことか彼女の子供や唯一の肉親までも死に追いやったのだ。そうして澄花を完璧な絶望へ追い詰めた結果、彼女は自分の元から去ったのだ。自分はただ、男なら誰もがするような軽い浮気をしただけで、少し澄花を慰めてやれば、機嫌を直してくれると思っていた。まさか、取り返しのつかないことになるなんて。そうだ、子供だ。義治は急に何かを思い出したように、再び病院へ電話をかけた。「先生、妻の体調は大丈夫でしょうか?お腹の子のほうは?」病院のスタッフは呆気にとられた。「子供ですか?一ノ瀬さんの子供なら、桜井さんの……」義治は怒鳴りつけた。「澄花との間の子供ですよ!俺の本当の子供の話です!」当時、彼は彩葉を傍に繋ぎ止めるため、彼女に澄花を中絶させると約束した。裏では医師に、タイミングを見計らって中絶手術を中止するよう命じていたのだ。スタッフは困惑しきった声で答えた。「一ノ瀬さんが命じて、すでに処置済みではありませんか?」雷に打たれたかのように、彼は動けなくなった。つまり、澄花との間の子供は、もういないのか?あの日、箱に入れて運ばせたのは、よその夭折した子供などではなく、紛れもなく自分と血の繋がった子……10年待ちわびてようやく授かった、自分の子だったのか?!パシッ
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第7話

一方、一ノ瀬邸。義治は書斎で静かに座り込んだまま、食事も喉を通らなかった。ただひたすらに、手元のアルバムを見つめていた。そこには澄花と過ごした20年の軌跡が詰まっているのだ。一番最初のページには、三つ編みの幼い少女が、みすぼらしい恰好をした物乞いの少年に食べ物を分けてあげている写真がある。「母さん、見て!あそこで誰かが倒れてるわ!」当時の記憶が蘇り、彼の口元に微かな笑みが浮かぶ。20年前、母と郊外へ出かけた私は、道端で飢えで意識を失った少年を偶然見つけたのだ。当時の義治は10歳だった。彼の母親が心労のせいで亡くなったばかりの時だった。頼れる人がいなくなった彼は、その日その日の食べ物を乞い、カビたパンをかじって飢えをしのいでいた。私と母に出会ったことで、彼は再び帰る場所を手に入れた。二枚目は高校の卒業写真。私と彼は制服に身を包み、最後列で肩を並べて晴れやかに笑っていた。二人だけが知る秘密だった。列に隠れた場所で、私たちはしっかりと指を絡め合っていた。「澄花、俺は一生お前と一緒にいる。これからも、一生お前だけだ」その夜、義治は私をこっそり屋上へ連れ出した。満天の星空と銀色の月を見上げながら、少年は真っ直ぐな言葉で誓ってくれたのだ。ページをめくると、入籍した時の写真があった。当時の結婚には一ノ瀬家からの承認が得られず、公表も一切認められなかった。ウェディングドレスも、華やかな式も、何もなかった。ただ控えめに婚姻届を出し、お揃いのTシャツを着て撮ったプリクラが、私たちの唯一の記念だった。義治は私を抱きしめて涙ながらに謝った。「澄花、いつか必ず、世界中に俺たちの関係を宣言してやる。この世界でたった一つの、最高の式を挙げるからな」その約束を果たすために、義治は一生懸命働き、ビジネスの世界で突き進んだ。たった3年で一ノ瀬グループの業績を10倍に伸ばし、ついに正真正銘の次期社長となった。そして、大規模な結婚式も予定通り開催された。花嫁の席には、違う女性が座っていたけれど。直近の数年間、私たちのツーショットは徐々に減っていった。義治が驚愕する。最後の一枚の日付は、2年も前だったからだ。私たちの関係が綻ぶのには、2年前に既に予兆があったのだ。アルバムを購入した初心を思い出
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第8話

ドサッ!手からアルバムが滑り落ちた。義治は弾かれたように立ち上がり、秘書が差し出す住所のメモをひったくった。それは、彼から1万キロ以上も離れた、全く縁のない大陸だった。「どうしてそんな所に……澄花はあんなに寒がりだったのに」義治は呆然とつぶやいた。昔、私と義治は雪山のハイキングで道に迷い、吹雪の中に閉じ込められたことがあった。私は彼を救うため、強引に自分の防寒服を彼に着せた。「どっちか一人しか生き残れないなら、絶対あなたじゃないとだめ」と伝えた。私は泣きじゃくりながら彼にすがりついた。「義治、もしあなたがいなくなったら、私は生きていけないわ。だから、このわがままを許して」彼も同じ気持ちだったはずだ。私たちはもう、片方が欠けたら生きられないほど、深く結びついていた。最終的に私たちは救助されたけれど、私は極度の低温にさらされたせいで、足に凍傷を負った。今でも冬になると、その足がちりちりと疼くのだ。義治は私のために、一ノ瀬グループの拠点を北から南へ移転させた。それなのに、今は私に見捨てられて、世界で一番寒い場所へ旅立つなんて。私を探しに出る前、義治は病院へ向かった。先日、強制的に中絶させられた彩葉は、しっかり休養していれば2週間で退院できるはずだった。だが今、義治の特別な指示により、彼女は不自由な入院生活を強いられ、心身ともに衰え切っていた。義治の姿を認めると、ベッドにいた彩葉は希望に目を輝かせ、痛む体を引きずって彼のもとへ駆け寄った。しかし、義治はまるで汚らわしいものを見る目で、彼女を容赦なく蹴り飛ばした。彼はここ数日で突き止めた彼女が行った悪事の証拠を、彼女の顔面に投げつけた。「彩葉、よくも俺の知らないところでこれほどのことをしてくれたな!」中絶の手術を中止させる指示を言い換え、最悪なメッセージで母の病状を悪化させて死に至らしめた証拠だった。さらに、彼女は義治の名義を使って母の遺体を勝手に引き取り、火葬した挙句、その遺骨を犬の餌に混ぜるという暴挙に出たこともバレた。監視カメラの映像の中、彩葉が飼っている大型犬に向かって必死に駆け寄り、その口から母の遺骨を取り戻そうと血眼になる自分の姿があった。義治は拳を握りしめ、体中が怒りに震えていた。画面の中で私が犬に噛みつかれ、全身
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第9話

彼は軽く手を上げ、飢えたまま3日間放置されていた猛犬を檻に入れた。次の瞬間、彩葉の心を引き裂くような叫び声が山中に響き渡った。彼女はかつて自分を甘やかしてくれた男を見つめた。今、彼は捨てたはずの女のために、自分をどん底に突き落とした。彼女は泣きながら、突然笑い出した。彼女は義治に問いかけた。「こんなやり方で、澄花さんの許しを得ようとしてるの?残念だけど、彼女は一生、あなたを許さないわよ」彩葉は義治の冷たい瞳を見つめ、一言ずつ噛みしめるように言った。「だってあなたは、救いようのないクズ男だもの!」彩葉は澄花にさえ勝てば、義治に一生愛され続けると信じ切っていた。今日になってやっとわかった。この男はただ手に入らないものしか大事にできない、救いようのないクズなのだと。気づくのが遅すぎたことが悔しい。同時に、その身をいち早く引いた女性の聡明さが羨ましかった。彩葉を片付けた後、義治は霊園を訪れた。彩葉がゴミ箱に捨てたあの子を拾い上げ、日当たりのいい場所に小さな墓を建てた。そして私の母の遺品を集め、その子の隣に並ぶように供養するスペースを作った。「お母さん、俺の子供、本当にすまない。許しを乞う資格なんてないことは分かっている。澄花を俺のもとに戻してほしいなんて言える立場でもない。でも、どうしても彼女に会いたくて。彼女がいない毎日、俺は空っぽな人形みたいなんだ。ここを出たら、彼女を探しに行く。許してもらえなくても、遠くで見守ることに決めたんだ」義治は膝をつき、力いっぱい額を地面に打ち付けてからその場を去った。「俺の子供よ、おばあちゃんと一緒に安らかにな……」一週間後、私は最新の研究データをまとめ終え、科学研究所から休憩スペースへ向かおうとした。すると遠くから、凍えながら私をじっと見つめている人の姿が目に入った。あの瞳。忘れるわけがなかった。その瞳には、溶けることのない愛情が渦巻いているように見えた。かつて私はその甘い誘惑に囚われ、溺れかけたことがある。でも、もう同じ過ちはしない。奈落に落ちる前に気づき、すべてを捨てて逃げ出せたんだから。研究員としてこの地へ来て、足の古傷が辛かった。しかし私の心はかつてないほど凪いでいて、充実していた。実験もデータも、私を裏切らない。努力し
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第10話

その後も、私は変わらず研究所と休憩所を行き来する日々を送っていた。義治は相変わらず私のあとをついてきた。最初は何かと理由をつけて距離を詰め、話しかけてこようとした。「澄花、お前の許しなんて求めていない。ただ、償いをするチャンスをくれないか」彼は、一ノ瀬グループの社長を辞めたと言った。これからは私がどこへ行こうとも、ついていくというのだ。「かつてあの地位を追い求めたのは、お前とお母さんに豊かな暮らしをさせたかったからだ。だが今はもうお母さんもいない。お前も、俺のせいで出て行った。そんな地位は、今更なんの意味もない!」そう言う彼は立派な反省をしているようにも見えたが、とても信じたいとは思えなかった。彼が何を言っても、私の心の中には彼に対する軽蔑しか生まれない。「あなたのその懺悔の姿勢と、こうして私を追いかけてくる行為も、結局全部、自分自身のための行動でしょ。あなたは、生粋のクズであり、救いようのない自己中心的な人間だわ」そんな評価を私の口から聞いて、義治は言葉を失って凍りついた。私がそのまま歩き去った後も、彼はその場に立ち尽くしていた。本当の愛というものが何か、自分は一度も理解していなかったと、ようやく悟ったのかもしれない。それ以降、彼はここから去ることはなかったが、直接声をかけてくることもなくなった。ただ遠くから、私を見守り続けているだけだった。昼と夜が繰り返される中で、時は静かに過ぎていった。彼は影のような存在として、数ヶ月私を見守り続けた。ある日のこと、普段研究所から出てくる時間になっても、私はなかなか姿を見せなかった。嫌な予感がした義治は、私を探すために研究所の中に入ろうとした。だが、私の以前の忠告を思い出した。「義治、私たちはずっと前に終わっている。もう会いにこないで。もし変な期待をして無駄な努力をしようとするなら、二度と私を見つけられないように消えてやるから」彼は思いとどまり、その場で耐えて待つことにした。すると研究所のスタッフが彼のもとに走ってきてこう伝えた。「先生が研究のために出掛け、氷の洞窟に落ちてしまいました!彼女の知り合いですよね!私たちと協力して探してくれませんか?」それを聞くと同時に、義治は迷いなく現場へ向かって駆け出した。そして心の中で
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