彼氏の貞弘卓司(さだひろ たくし)がエレベーターの階数を押し間違えるのは、これで何回目だろう。それなのに、彼は私を咎めるような目で見てきた。「なんで教えてくれなかったんだよ。まあ、来ちまったもんは仕方ない。ついでに莉花の部屋の電球でも替えてやるか」私、宇治原珠理(うじはら じゅり)は返す言葉を失い、頬が引きつるのを感じた。まただ。またその台詞。「来ちまったもんは仕方ない」。1年前、親友の古海莉花(ふるみ りか)が私の部屋のちょうど真上に越してきて以来、卓司はことあるごとに莉花のいる階でエレベーターを降りるようになっていた。一緒に映画を観る約束をしていた日、彼がタピオカミルクティーを片手にノックしたのは、莉花の部屋のドアだった。高熱にうなされ、薬を買ってきてほしいと頼んだ日には、その薬の届け先が生理痛に苦しむ莉花の部屋へとすり替わっていた。ふたりのはずだったデートはいつしか3人での映画鑑賞に変わり、私へ届くはずの解熱剤は、いつの間にか莉花への鎮痛剤へと変わっていった。私の誕生日でさえ、卓司がケーキの箱を抱えて向かったのは莉花の部屋だったのだ。「来ちまったんだし、珠理と莉花と知り合って300日記念ってことで、一緒に祝おうぜ」「来ちまったんだし、ちょうど莉花の部屋の排水口が詰まってるらしいから、直してやろうか」そして今この瞬間も、振り返りもせずに莉花の部屋へと消えていく背中を見送りながら、私は無言でエレベーターの「閉」ボタンを押した。卓司はとうに忘れているのだろう。今日がこの部屋の契約満了日であり、私が引っ越す日であることすらも。「来ちまった」っていうなら、それでいい。もう二度と、私の元へ帰ってこなくていいから。エレベーターで自宅のある階へ降りると、引っ越し業者はすでに到着していた。「宇治原さん、それでは搬出を始めますね」私が小さく頷いたとき、不意にスマホが震えた。卓司からのメッセージだった。【どこ行った?勝手にうろつくなよ】一瞬、指の動きが止まった。トーク画面には、私が送ったメッセージの吹き出しばかりが延々と並んでいた。それは、私のほうから歩み寄ってきた証でもあった。思いがけず届いた彼からのメッセージに、指先がかすかに震えた。けれど画面を開いた次の瞬間、追い打ちをかけるようにもう
Baca selengkapnya