共有

第3話

作者: 綿桐
荷物を片付けていると、スマホが激しく鳴り響いた。

卓司からの電話だった。「珠理、ドア開けろよ。お前、暗証番号まで変えて、どういうつもりだ」

私は少し黙ってから、静かに口を開いた。「別にどうもしない。卓司、別れましょう」

電話の向こうの彼は、まるで私の言葉など聞こえていないかのように、怒りを押し殺した声でまくし立てた。

「莉花は、お前があの店の料理を食べたがってたこと、ちゃんと覚えててさ、わざわざ持ち帰ってきてくれたんだぞ。それなのにお前は、暗証番号変えて、ドアを何度ノックしても開けなくてさ。おい珠理、いい加減にしろよ!」

卓司が私の「別れましょう」を聞き逃したのか、それとも私の別れ話すら、いつものわがままの一部として片付けているだけなのか、私には分からなかった。

もう一度言おうとした矢先、彼はすでに通話を切っていた。

私は自嘲気味に笑った。

きっと私が悪いのだろう。卓司への愛情が、周りの誰もが知るほど分かりやすすぎたから。

彼自身でさえ、私が彼のもとを去るなど、これっぽっちも考えていないのだ。

翌日、新居のための買い物にモールへ出かけた私は、陳列棚の角を曲がった瞬間、ふたりの人物と正面から鉢合わせた。

卓司は大小さまざまな紙袋を抱え、その傍らを莉花が歩いている。

ふたりの顔に浮かんでいた楽しげな笑みが、私の姿を見た瞬間、そろって強張った。

「珠理、誤解しないで。卓司さんは、私ひとりじゃ持ちきれないだろうって、買い物を手伝ってくれていただけだから」

莉花は慌ててそう説明しながら、私の手を取ろうと歩み寄ってきた。

けれど卓司は、莉花の腕を乱暴に引いて止めた。

「あいつに説明なんてしなくていい。昨日のことだって、まだ謝罪ひとつないだろ。

莉花、お前が甘やかしすぎなんだよ。だからこいつ、いつまでもつけあがるんだ」

莉花は気遣わしげに私を見つめながらも、結局は素直に卓司についてレジへと向かっていった。

ふたりの後ろ姿を見送りながら、心の中にぽっかりと大きな穴が空いたような感覚がした。

卓司は、私と一緒に買い物に行くことなど一度もなかった。面倒だし疲れるからと、いつも嫌がっていた。

「必要なもんがあったら宅配頼めばいいだろ。なんでわざわざ自分で行って疲れなきゃいけないんだよ」

なのに今、彼は文句ひとつ言わず、莉花のために大量の荷物を抱え込んでいる。

モールを出て駐車場へ向かうと、卓司は買った物をすべて車のトランクに詰め込んだ。

莉花はすでに助手席に座っており、窓を下げて私に手を振った。

卓司は当然のように言った。「乗れよ、家まで送ってやるから」

私の視線が、まるで指定席のように助手席に座る彼女へ向いたことに気づくと、卓司は不機嫌そうに眉をひそめ、苛立った様子で言った。

「莉花は腰が悪いんだ。助手席のほうが広いから、お前は後ろに座れよ」

こうして見れば、卓司が莉花のことをどれほどよく知っているかが分かる。彼女の腰の悪さも、生理痛のことも。

なのに、私が引っ越しの重い荷物で痛めた古傷のことだけは、決して覚えようとしない。

鼻の奥がつんと痛んで、私はそれを必死に堪えながら言った。「いい。帰る方向が違うから」

莉花がシートベルトを外そうと手を伸ばした。

「珠理、何拗ねてるのよ。

もしかして、私に助手席に乗ってほしくないの?だったら降りるから」

けれど卓司が先にその手を押さえ、冷たく鼻で笑った。

「方向違うならいいよ。行くぞ」

そう言うなり、車は走り出し、私をその場に残して去っていった。

私に対して、卓司はいつだって、ほんのわずかな忍耐すら持ち合わせていないようだった。

この本を無料で読み続ける
コードをスキャンしてアプリをダウンロード

最新チャプター

  • 押し間違えられた恋   第9話

    それ以来、私と彼らとの関係には、ようやく完全に終止符が打たれた。彼らの間に何があったのか、もう推し量る必要もなく、そのことで心をすり減らす必要もなくなった。穏やかな日々が戻り、私は仕事に打ち込むようになった。前回のプロジェクトは無事に完了し、クライアントも大満足だった。その功績が評価され、会社からはボーナスが支給された。想像していたよりずっと多い金額だった。会議のあと、上司が笑みを浮かべながら私を見た。「支社の方で、マネージャーのポストがひとつ空いたんだ。どうだ、興味はあるか?」私は一瞬、反応が追いつかなかった。「今すぐじゃない。正式に決まるのは年明けだ」上司は笑って手を振った。「ゆっくり考えていい。急いで返事をしなくていいから」仕事での確かな評価は、私にかつてない安心感と満足感をもたらした。退社する頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。会社のエントランスを出ると、涼紀が外の花壇のそばで待っていた。手にはタピオカミルクティーが2杯。私の姿を見つけると、彼はそのうちの1杯を掲げて振ってみせた。「プロジェクト成功、おめでとうございます。それから、マネージャー候補に選ばれたことも」「これ、先輩のです。いちごミルクティー、甘さ控えめ、氷なし」私がいつも頼む、甘さ控えめの氷なしだった。私はミルクティーを受け取りながら、少し呆れたように笑った。「あなた、本当に情報が早いのね。もうそんなこと知ってるなんて」彼はどこか得意げに頷き、そのまま車のドアを開けた。「お祝いに、夕食をご馳走させてもらえませんか」その芝居がかった仕草に思わず笑ってしまい、口元を緩めながら助手席に乗り込んだ。20分ほど走ると、車は道端にゆっくりと停まった。車を降り、顔を上げた瞬間、私はその場に釘付けになった。その店は、私が引っ越した日に、卓司が莉花を連れて行ったあのレストランだったのだ。何度も店の情報を調べ、いつか卓司と来たいと楽しみにしていた、あのロマンチックなフレンチレストラン。何度も断られ続けた末に、彼はあっさりと別の人をその店に連れて行った。「どうして、この店を知ってたの?」私は驚きながら涼紀を見た。彼は鼻先をかきながら、少し照れくさそうに言った。「そんなにすぐ気づかれちゃいました

  • 押し間違えられた恋   第8話

    あの日を境に、卓司は二度とメッセージを送ってこなかったし、会いに来ることもなくなった。聞いた話では、彼は自分から遠方の支社への異動を願い出て、この街を離れたという。友人が電話の向こうで興奮気味に教えてくれた。「自分から志願したらしいよ。誰が止めても聞かなかったんだって。あれだけ抱えてたプロジェクトも、全部あっさり手放したみたい。珠理、もしかしてあんたが関係してる?」私は曖昧に笑って、話をそらした。関係があってもなくても、もうどうでもよかった。これからは互いに違う道を行き、二度と関わらない。それが私たちにとって、一番良い結末なのだろう。しばらくして、莉花の近況を耳にすることがあった。私と卓司が別れてまもなく、莉花は卓司に告白したのだという。けれど卓司はひどく冷淡な態度を見せ、あろうことかこう言い放ったらしい。「莉花、お前が余計なことをしなければ、珠理は俺から離れていかなかったはずだ」知り合いは皆、卓司はおかしくなったのだと言った。すべての責任を莉花に押し付け、彼女を追い詰め、退職にまで追い込んで実家へ帰らせたという。結局、私たち3人のうち誰ひとりとして、良い結末を迎えることはなかったようだ。私は莉花を恨んでいるのだろうか。正直なところ、自分でもよく分からない。彼女が卓司の前で、誤解を招くようなことを口にしていたのは知っている。私がつらい思いをするたびに、彼女が見て見ぬふりをしてきたことも知っている。けれど、彼女を心の底から憎みきることも、どうしてもできなかった。その後、莉花は実家に戻る前に、知人を通じて一度食事をしながら話したいと伝えてきた。私は迷いに迷った末、会うことにした。女にとっては、友情も恋愛も、簡単には手放せないほど大切なものなのかもしれない。莉花とは10年来の親友だった。お互いの好みも、これまで誰に恋をしてきたかも、ほとんどすべて知っていた。お互いの結婚式では絶対に友人代表のスピーチをしようと約束し、将来子供が生まれたら最初に抱っこさせてねと、無邪気に笑い合ったこともあった。なのに、まさかひとりの男のせいで、こんな結末を迎えることになるとは、思いもしなかった。だから、卓司への未練を断ち切ることに比べて、莉花に対しては、また別種の複雑な失望があったのだ。1

  • 押し間違えられた恋   第7話

    南雲市の空港に降り立ってスマホの電源を入れた途端、同僚から切羽詰まった様子で電話がかかってきた。「もしもし、宇治原さん、やっとつながりましたね!彼氏だと名乗る人が、朝からずっと受付のソファに居座ってるんです。どんなに説得しても帰ってくれなくて!」急いで会社へ駆けつけると、卓司はまだそこに座っていた。たった数日顔を合わせなかっただけだというのに、彼はひどくやつれていた。シャツはしわだらけで、顎には無精髭が青々と伸び、目の下には濃いくまが浮かんでいる。私の姿を見た瞬間、彼は勢いよくソファから立ち上がった。その瞳に、すがりつくような色が浮かんだ。「珠理、帰ってきたのか!」会社に迷惑をかけないよう、私は少し離れたカフェに彼を連れ出した。向かいに座った卓司が、私の反応をうかがうように口を開いた。「引っ越したのに、どうして一言も言ってくれなかったんだ?」私は淡々と彼の言葉を遮った。「卓司、私たちはもう別れたの」「別れた?」彼はその言葉を呆然と繰り返し、不機嫌そうに眉をひそめた。「お前が一方的に別れると言えば、それで終わりになるとでも思ってるのか?珠理、俺が一体お前に何をしたって言うんだよ」彼の声が思わず高くなり、店内にいた何人かの客がこちらに視線を向けた。「もし前回の注文のことが原因なら、確かに俺の配慮が足りなかった」彼の口調は、まるで聞き分けのない子供をなだめるかのようだった。「でも、そんなのはただの些細なことだろ。不満があるなら言えばいいだけで、そのたびに別れを持ち出す必要はないだろ」些細なこと。また、その言葉だ。胸の奥を何かに強く掴まれるような感覚がした。その鈍い痛みが、胸から手足の先へと冷たく広がっていく。今この瞬間に至っても、卓司はこれまでの無関心な態度を、すべて些細なことだと思い込んでいるのだ。私は冷ややかに笑った。「ふっ、その通りね。私のことは何もかも些細なこと。莉花のことは何もかも一大事、でしょう?」卓司は眉根を寄せ、ますます理解できないという顔をした。「俺と莉花は、浮気みたいなやましい関係なんてない。あいつの世話をしてたのは、お前の友達だからってだけだ。あいつはひとりでこの街に出てきて、頼れる人もいないんだから、少しくらい面倒を見てやって、何が悪い?

  • 押し間違えられた恋   第6話

    引っ越してから、私の生活はずいぶんと静かになった。以前は卓司の時間に合わせるため、自分の生活などすべて後回しにしていた。出張も研修も、友人との約束もすべて断っていた。上司が遠方への出張の希望者を募るたびに、私はいつも視線を逸らしてやり過ごしていた。そのうち社内にも知れ渡っていた。「珠理はねえ、彼氏が一番なんだよ」と。自分の時間を空けておいたのは、卓司にいつでも呼び出されるためだった。けれど今は、自分のことだけを考えればいい。彼の都合を考える必要は、もう世界のどこにもないのだ。あの日、会議で上司が再び尋ねた。「来週の北町市のプロジェクト、誰か行ける人は?」会議室は静まり返り、誰もが上司と目を合わせまいと、そろってうつむいていた。来週はちょうどバレンタインデーで、この時期にわざわざ出張したがる人間など誰もいなかったからだ。重苦しい沈黙の中、私だけが真っ直ぐに手を挙げた。「私が行きます」上司は顔を上げ、少し意外そうな顔をしたあと、深く頷いた。「よし、宇治原。隣の部署の綾田と一緒に行ってくれ。お互いに助け合って進めてくれ」出発の日、綾田涼紀(あやだ りょうき)は早くから空港のロビーに来ていた。スーツケースを引いて歩いていく私を見つけると、彼はさっと手を伸ばしてそれを受け取り、目を細めて笑った。「先輩、珍しいですね。出張なんて。彼氏をほったらかしにして大丈夫なんですか?」涼紀は大学の後輩で、この会社に入ったのも、もともとは私の紹介だった。だから部署は違っても、それなりに親しい間柄だったのだ。私よりふたつ年下で、社内で顔を合わせるたび、いつも人懐っこい笑みを浮かべて「先輩」と声をかけてくる。コーヒーを差し入れてくれることもあれば、私の席の前を通りがかったついでに、コンビニで買ったお菓子をそっと置いていくこともあった。私はぶっきらぼうに答えた。「別れたの」言い終えると、そのまま搭乗口へ向かって歩いていった。背後で涼紀が呆気にとられて立ち尽くしていたことに、私はまったく気づかなかった。北町市での出張の間、私はすべてを仕事に注ぎ込んだ。昼間は現場を駆けずり回り、企画をすり合わせ、業者と調整を重ね、夜はホテルに戻るとベッドに倒れ込み、泥のように眠った。卓司に頼まれたらしい友人たちから

  • 押し間違えられた恋   第5話

    隣人の言葉を聞いて、卓司はその場に立ち尽くした。引っ越した?だが彼は、珠理が引っ越すことなど、ただの一度も聞かされていなかった。卓司の胸の内に、じわりと得体の知れない焦りが広がり始めた。彼はスマホを取り出し、指先をわずかに震わせながら珠理にメッセージを送った。【珠理、引っ越したのか?】メッセージを送っても、いつまで経っても既読はつかなかった。そこで電話をかけてみたものの、何度かけてもつながらない。彼はそのときになってようやく、メッセージも電話も、珠理にブロックされていることに気づいた。エレベーターの扉が開く音がして、莉花が卓司のそばへ歩み寄り、優しく声をかけた。「卓司さん、珠理、まだ拗ねてるの?よかったら、うちで少し休んでいかない?」彼女は物分かりがよく、思いやりのある女を演じていた。以前のこういう場面では、卓司はいつも珠理を子供っぽいと感じ、莉花こそが気の利く大人なのだと思っていた。けれど今日は、その気遣う声がやけに耳障りに聞こえた。「行かない」彼は眉をひそめ、掠れた声で言った。「珠理、引っ越したんだ。俺には何も言わなかった。あいつ、どこに行ったんだ?」莉花が驚いたように目を丸くした。「引っ越しって、いつの話なの?」卓司はそれに答えず、すでに珠理の友人や同僚に片っ端から電話をかけ、メッセージを送り始めていた。言いようのない焦燥が、彼の心臓を鷲掴みにしていた。7年間、珠理は捨て犬のように、いつも彼の後ろを当たり前についてきて、体調を気遣い、細やかに世話を焼いてくれていた。彼が深夜まで残業をすれば、彼女は彼の好物の温かい夜食を手に、会社の前までやってきた。彼が接待で飲みすぎれば、電話一本で、彼女はいつも真っ先に迎えに来た。彼はとっくに、彼女の愛情に慣れきっていたのだ。彼女の従順さに、我慢強さに、行き届いた世話に。慣れすぎて、彼女の献身を当たり前のものだと思うようになっていた。けれど今、卓司は、事態が自分の手を離れ始めていることを、初めて感じていた。レンチを買いに行かせたせいか?莉花を連れて先に食事を済ませ、待ちぼうけを食わせたからか?それとも、注文のときに珠理の好物を頼まなかったからか?卓司は苛立たしげにネクタイを緩めると、振り返りもせずにエレベーターへ乗り込んだ。

  • 押し間違えられた恋   第4話

    数日後、卓司から再びメッセージでレストランの情報が送られてきた。【母さんがお前と食事したいってさ。結婚の話をちゃんと詰めたいって】私はトーク画面で文字を打っては消すことを何度も繰り返した。散々迷った末、結局【わかった】とだけ返信した。たとえ別れを決めていたとしても、相手の親には直接会い、きちんとけじめをつけるべきだと思ったからだ。何しろ7年もの付き合いになる。卓司の母、貞弘昭美(さだひろ あけみ)は、私のことをそれなりに気にかけてくれていたのだから。個室に入ると、卓司の母はすでに到着していた。挨拶を交わしてしばらくすると、卓司が莉花を連れて遅れてやってきた。「母さん、莉花は近くの会社に勤めてて、珠理の親友でもあるんだ。この店、莉花の職場から近いから、一緒に連れてきたよ」昭美が軽く咳払いをした。その表情が、わずかに強張っている。けれど卓司はそれに気づいた様子もなく、何事もなかったかのようにメニューを手に取り、勝手に注文を始めた。彼が選ぶ料理は、どれもこれも莉花の好物ばかりだった。彼も莉花も無類の辛い物好きだったが、私は辛い物が苦手だった。3人で激辛のキムチ鍋を囲んだときも、ふたりは真っ赤なスープをものともせず美味しそうに食べていたのに、私はひと口かふた口食べただけで、むせて咳き込んでしまった。「卓司、そんなに辛い料理ばっかり頼まないの」昭美が眉をひそめ、私にちらりと目をやった。そこでようやく私のことを思い出したように、卓司が軽く口にした。「じゃあ、このナッツ入りのデザートでも頼むか。珠理、甘いの好きだろ」胸の奥に、ほろ苦いものがこみ上げた。注文の最後の最後になって、彼はようやく義務のように私の好みを気にかけてくれたのだ。「卓司さん」莉花が困ったように、卓司と私を交互に見比べた。「珠理、ナッツアレルギーなのよ」それを言われて初めて、卓司の顔にわずかな動揺が浮かんだ。彼は慌ててメニューをめくり直す。「あ、それなら別のに変えて」「いいの、気にしないで」私は静かに席を立ち、卓司の言葉を遮った。滑稽なものだ。7年という長い歳月でさえ、彼が私の好みを覚えるには足りなかったのだ。私が日頃、何を避けているのかすら、他人に教えられてやっと気づく始末だった。私は申し訳なさを込め

続きを読む
無料で面白い小説を探して読んでみましょう
GoodNovel アプリで人気小説に無料で!お好きな本をダウンロードして、いつでもどこでも読みましょう!
アプリで無料で本を読む
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status