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Todos los capítulos de カケラ -close to you-: Capítulo 11 - Capítulo 20

27 Capítulos

第二章:埋め合う隙間に生まれるものは①

 生い茂る森の木々の葉や家の屋根を叩く雨の音がやけに大きく聞こえていた。  背中に暖かなぬくもりと命の拍動を感じながら、ドゥーエはため息をついた。暖炉の火が消えた寒い室内に、彼の呼気がふわりと白く広がる。  自分の息が闇の中に消えていくのを見届けると、ドゥーエは何度目になるかわからない寝返りを打った。手足を折り、小さく丸まるようにして眠る華奢な背中が目に入る。  ドゥーエは明日、この家を出て行くことをシュリへ告げた。彼女は少し寂しそうな表情を覗かせはしたものの、拍子抜けするほどにあっさりとそのことを受け容れ、了承の意を示した。  傷が癒えきったわけではない。今もノルスの自警団につけられた傷は治りきらないまま、ドゥーエの身体に残り続けている。 (これ以上、シュリと一緒にい続けるのはよくない……俺にとっても、シュリにとっても)  空腹による渇きが、時折顔を覗かせるようになっていた。ちりちりと体内を灼くような痛みと”喰いたい”という本能を理性でねじ伏せてやり過ごしていたが、それだっていつまで保つかわかったものではない。  情が移りすぎた、とドゥーエは思う。遠からず、”人喰い”としての衝動を抑えきれなくなるときが来る。そうなったときにシュリを捕食対象として割り切るには、ドゥーエは彼女のことを知りすぎていた。自分がいつか彼女を喰ってしまうようなことになるのは嫌だと、”人喰い”の本能と相反する感情をいつの間にか抱くようにすらなってしまっていた。 (……潮時だろう。俺のような化け物には過ぎた夢を見ていたんだ)  思えば、シュリと出会ってから今までが異常だったのだ。”人喰い”は決して人間とは相容れることはできず、共存など出来はしない。それはドゥーエが今まで、何度も何度も自分自身に言い聞かせてきたことだった。  それなのに、シュリの様々な表情を知るほどに、何でもない他愛のない会話を交わし合う度に、彼女のそばから離れがたくなっていった。それほどにシュリのそばはドゥーエにとって居心地が良く、追い出されないのをいいことに長々と居座り続けてしまった。  緩やかに、穏やかに過ぎていく束の間の日常は、いつの間にかドゥーエの中で大きなものとなってしまっていた。 (俺はシュリを傷つけたくない。せめて、シュリにだけは化け物である俺の姿を知られないままでいたい)  二人で過ご
last updateÚltima actualización : 2026-08-18
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第二章:埋め合う隙間に生まれるものは②

 シュリは八歳まではエフォロスの森の南にあるノルスで、薬師である両親とともに暮らしていた。母親のフウナが元々は素性の知れない流れ者であったことから、同じ町で暮らす父親のセイレムの姉一家からは疎んじられてはいたものの、八年前のその日が訪れるまで、シュリは普通の子供として幸せに過ごしていた。  森の木々が赤や黄色に色づき始め、金木犀が香り始めたころのことだった。シュリの一家はノルスで営んでいる薬の店を休み、エフォロスの森を訪れた。店で商う薬の材料の採集と幼いシュリのためのピクニックが目的だった。  仕事の延長とはいえ、両親と出かけられることを喜んだ幼いシュリは、森に自生する薬草を集める両親の後ろをついて歩きながら、木の実や美しい鳥の羽を拾い集めて遊んでいた。セイレムとフウナは時折手を止めては、無邪気に遊ぶ愛娘を優しい目で見守っていた。  優しい金色の木漏れ日が降り注ぐ森の中をしばらく進んでいくと、小さな丸太小屋があった。普段は薬草の乾燥や、材料を管理する倉庫代わりに使用している場所であり、フウナと結婚してからセイレムが手ずから建てたものであった。  セイレムがズボンのポケットから出した真鍮の鍵を鍵穴へと差し込む。かちり、という小さな音とともに鍵が開いた。セイレムがチーク材の重い扉を開けると、待ちきれなかったかのように小さなシュリは扉の隙間から小屋の中へとするりと体を滑り込ませた。  くすくすと笑いながらフウナは娘より一歩遅れて小屋の中へ入ってくると、換気のために窓を開けていく。窓から入り込んできたからりと冷たい風に幼い娘と同じ色の彼女の長い髪がふわりと揺れた。  その間にセイレムは道中で集めてきた薬草を種類ごとに分けて紐で束ねていく。その様子をシュリは床にしゃがみこんで興味津々で覗き込んでいた。  天井の木目に沿って渡したロープへとフウナはセイレムが束ねた薬草を手際よく吊るしていく。道中で集めてきた薬草の処理が終わるころには、東南の空にあったはずの太陽は南の高い場所へと位置を変えていた。  昼食の入ったバスケットを持って家の外へ出ると、澄んだ青い空の下、三人は木立の続く細い道を森の奥へと向かって進んでいく。輪唱を繰り返す鳥たちの声に寄り添うように、爽籟(そうらい)の伴奏が響いている。  冬を越すための家をせっせと築いている虫の幼体。雪の季節に備えて粧
last updateÚltima actualización : 2026-08-18
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第二章:埋め合う隙間に生まれるものは③

(――そうだったのか)  シュリの口から語られた話を聞き、ドゥーエは疑問に思っていたことがようやく腑に落ちた気分だった。 シュリのような年若い少女がこんな森の仲で一人で暮らしているのは妙だと思っていた。死んだという両親の話は多少は耳にした覚えがあったが、シュリが自分のことをあまり積極的に話したがらない以上、ドゥーエもこれまで踏み込まずにいた。しかし、そんなことがあったのであれば無理もないと思った。 (”人喰い”に両親を”喰われた”、か……)  シュリの話から察するに、彼女の両親を”喰った”という”人喰い”は自分ではない。それでも、ドゥーエは罪悪感を禁じえずにいた。  生きるために必要な行為だったとはいえ、自分の同胞が幼い彼女の人生を大きく狂わせてしまったのだという事実がドゥーエの心を刺した。自分たち”人喰い”は、彼女たち人間から大切なものを奪うことでしか生きられない。その業がひどく苦しかった。 (……俺が”人喰い”だと知れてしまうまでは、シュリと一緒にいよう。せめて、少しの間でも、今のシュリを一人にしないために……俺がシュリにしてやれることはそれだけしかない)  既に飢えによる渇きが現れつつあるドゥーエにとって、それは厳しい決断だった。それでも、ドゥーエは自分の知らないところでシュリがこんなふうに泣かないで済むのならそれでいいと思った。  腕の中で小刻みに震えていた少女の身体が、いつの間にか落ち着きを取り戻していた。ドゥーエは涙の跡が残るシュリの頬に触れ、彼女の顔を覗き込むと、躊躇いがちに問うた。 「……少しは、落ち着いたか?」 「……うん」  シュリは、泣き腫らして真っ赤に充血した目を冷えた手で擦る。彼女はばつが悪そうに俯くと、 「……ごめん。こんな最後の最後に変な話して。明日ここを発つんだったら、ゆっくり寝たかったよね」 「いや、構わない。それに……別に、これが最後じゃない。明日も明後日も、話したいことがあればいくらでも言えばいい。俺が……いつだって、いくらだって聞いてやる」  へ、とシュリは濡れた目を瞬かせた。 「ドゥーエ……それって、どういうこと?」  ドゥーエは照れ隠しのように明後日の方向へと視線を逸らしながら、 「別に、少し気が変わっただけだ。あともう少し……いや、お前が俺を追い出したくなるまではここにいてやる」
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第三章:愛しき時間、時計の砂は滑り落ちて①

 細雪(ささめゆき)が窓の外を舞っていた。まだ冬には少し早いにもかかわらず、その日は昼過ぎから雪が降っていた。  一人きりの部屋の中をぱちぱちと暖炉の火が爆ぜる音が響く。雪の寒さで薪(たきぎ)の使用量が増えることを見越し、ドゥーエは薪(たきぎ)を集めに出掛けていた。  ドゥーエは優しい。それに、こういった不測の事態のときにさっと率先して動いてくれる姿には、亡き父に似た頼もしさをも感じる。 (けれど……あたしがドゥーエに抱いている感情は、お父さんに向けていたものとは違う)  ドゥーエ、寒くないかな。ドゥーエ、どこまで行ってくれているんだろう。行ってくれるからって言葉に甘えちゃったけど、やっぱりドゥーエ一人に任せて悪いことをしたかな。  彼のことを考えるだけで、シュリの心は落ち着きのない子供のようにそわそわしてしまう。時に森に生(な)る果実のように甘酸っぱく弾け、時に胸の底でざわつくこの感情の正体がシュリにはわからない。  窓に付着した泡雪(あわゆき)が溶け、水滴へと変わっていく。室内外の寒暖差で曇った窓に水の筋が滴り落ちていく。苞葉(ほうよう)が赤く染まった窓辺のポインセチアの鉢をなんとはなしにシュリが眺めていると、ギィと入り口の扉が開いた。 「ドゥーエ、おかえり」  シュリは部屋の奥の戸棚から乾いた布を取り出すと、ドゥーエの元へと向かう。今しがた自分が口にした言葉の響きが何となくくすぐったくて照れくさい。 「あ、ああ……」  言われたドゥーエの側も意表をつかれたように、深紅の双眸を瞬かせた。ドゥーエは居心地悪げに視線を宙に泳がせると、 「えーと、その、なんだ。……ただいま、シュリ」  それは”人喰い”として生まれ、これまでの生涯を一人きり、旅の中で過ごしてきた彼が初めて口にする言葉だった。何故か頬が熱くなる。  はいこれ、とシュリは布をドゥーエに差し出すと、 「ありがとね、薪(たきぎ)集めてきてくれたんでしょ?」 「大したことじゃない。その……集めてきた分は裏に置いておいたからな」  照れ隠しのようにぶっきらぼうな口調でそんなことを言いながら、シュリから受け取った布でドゥーエは雪のついた自分の身体を拭いていく。ありがとう、と全身をあらかた拭き終わったドゥーエがシュリに布を返すと、 「ドゥーエ、ちょっと屈んで。頭にまだ雪ついてる」
last updateÚltima actualización : 2026-08-18
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第三章:愛しき時間、時計の砂は滑り落ちて②

 早い初雪が森を訪れた次の日、朝食後の台所仕事が終わると、シュリは家の裏にある納屋を開け、冬物の衣服や寝具を引っ張り出した。けほけほ、とあまりの埃っぽさにドゥーエが咳き込むと、納屋の棚を漁ってロープを探していたシュリはけらけらと笑った。 「まあ、お父さんの服は長いことしまい込んでたから仕方ないよ。今日は天気もいいし全部洗っちゃおう」  男物の衣類が入ったカゴとロープ、埃臭い毛布をドゥーエに押し付けると、シュリは自分も衣類の入ったかごと粉末状の洗剤が入った小箱を抱え、普段水を汲んでいる小川への道を歩き出した。  森を奥へと進み、ニシキギの茂みを抜けると、シュリは河原に籠を置いた。シュリは丈夫そうな木を品定めするように、何本かの木の幹に手を当ててうんうんと唸っていたが、やがて結論が出たらしくこっちこっちと彼女はドゥーエを手招きした。 「家から持ってきたロープあるでしょ。あれをそこの木の太枝から向こう岸の木の太枝にぴんと張って。弛まないように気をつけて」  ああ、と頷くとドゥーエはシュリの指示通り、ロープを木の太枝に結び始める。ドゥーエがロープを結ぶのに手間取っているうちに、シュリはロープの端を持ち、川の中の岩を伝って向こう岸に渡っていく。慣れた手つきで黄色い葉がわずかに残るイチョウの木にロープを結びつけ、強度を確認するとシュリは再び岩を渡ってドゥーエの元へと戻ってきた。 「それじゃ、洗濯始めよっか。あたしはこっちやるから、ドゥーエも自分の分は自分で洗ってね」  わかった、とドゥーエは男物の衣類の山からネイビーのニットベストを摘み上げた。これまでに自分で洗濯などろくにしたこともないドゥーエはどうしたものかと、手際よく衣類を洗っていくシュリの手元をじっと見つめる。  視線に気づいたシュリは慌てたように顔を真っ赤にすると、 「え、ちょっと……! 見ないでよ!」 「何故だ? ……って、ああ」  シュリが今洗っているのが冬物の肌着であることにドゥーエは気づく。しかし、ドゥーエは特に意に介したふうもなく、 「裸を見られたわけでもなし、肌着くらい今更だろう。今朝だって、俺のいるところで平然と着替えていたし、何を恥ずかしがる必要がある?」  さらりと着替えの覗き見を告白したドゥーエにシュリは唇を戦慄かせた。 「だって、ドゥーエ寝てたし大丈夫だと思って……!
last updateÚltima actualización : 2026-08-18
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第三章:愛しき時間、時計の砂は滑り落ちて③

 シュリが作ってくれた鮭のムニエルの夕食を平らげた後、ドゥーエはダイニングテーブルの上に突っ伏していた。食後にシュリが入れてくれたマリーゴールドとローズヒップの茶の表面で、整っていながらもどこか疲労の色が滲んだ男の顔が揺蕩(たゆた)っていた。  ドゥーエはシュリと食卓を囲む時間が好きだ。シュリがドゥーエのために作ってくれる料理も美味しいとは思う。しかし、それはあくまで嗜好品としてである。  嗜好品に過ぎない人間の食事では、ドゥーエの飢えは本質的には満たされることはない。ドゥーエは飢えの渇きによって、熱っぽく重苦しい怠さを味わっていた。痛覚からなるべく意識を遠ざけ、極力気にしないようにしているが、時折、身体を内部から何かに刺されるような痛みもある。  シュリを”喰え”ば、この症状が和らぐことはわかっている。しかし、ドゥーエは彼女を”喰う”気にはなれなかった。  つまらない意地を張っている自覚はある。それでも、せめて自分が自分を保っていられる間だけは、その意地を張り通したい気がしていた。  シュリと出会い、彼女とこうして時を過ごすようになってから、彼女を単なる獲物として見られなくなっている自分がいた。 (俺はもう……シュリを純粋な”人喰い”としての視点から見ることはできない)  ドゥーエはシュリと過ごす時間が好きだった。この時間を壊すくらいなら、自分を徐々に苛みつつあるこの苦痛に耐えようと思うくらいには今の暮らしを気に入っていた。 (その結果、俺が衰弱して死ぬことになるかもしれない)  それでもいいかもしれない、とドゥーエは薄く笑った。自分の手でこの愛しく尊い時間を壊したくはなかったし、そうやって死ねるのなら自分のような化け物にしては上等だろう。  あとどれだけ今のままいられるだろう。そう思いながら、ドゥーエはテーブルの上の真鍮の砂時計を手で弄ぶ。砂時計をひっくり返すと、さらさらと灰白色の砂が下へと落ち始める。  ギィ、と裏口の扉が開く音がした。「ふぅ……寒かったあ……」今日ドゥーエが釣った鮭の処理をすると言って外で作業をしていたシュリが、身を縮こまらせながら部屋の中へ入ってくる。  ドゥーエはだらしなくテーブルに突っ伏していた体を起こした。ドゥーエは倦怠感に歪んでいた表情を消し、何事もなかったかのようにティーカップの中の冷めた茶に口をつける。
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第四章:残酷に響く運命の足音①

 身体が内側から灼けるように熱かった。全身を刃で刺されているかのような痛みがひっきりなしにドゥーエを襲い続けていた。  苦悶に顔を歪めながら、ドゥーエは涙で滲む視界に映る天井を見つめていた。うっ、と小さく呻くとドゥーエは痩せた身体を丸め、激しさを増した痛みの波を耐え忍ぶ。 (っ……痛い…苦しい……っ……! 痛い痛い痛い痛い……っ!)  もう何日眠れていないだろう。シュリが眠ってしまってから、次の朝を迎えるまでの間、毎晩一人でこの痛みと向き合い続けるというのは精神的に堪えるものがある。  胃を酸っぱいものが逆流してくる。口元を押さえようと動かした腕が自分のものではないかのようにひどく重い。 「ん、ぐ……っ、あっ……う……、っつ……」  どうにかしてやり過ごした痛みの波がほんの少し弱まっていくのを感じる。ドゥーエはぜえぜえと肩で荒い息をした。汗で顔に張り付いた自分の髪が鬱陶しい。  数日前に見たシュリの血に激しい衝動を覚えてからというもの、ドゥーエは全身を苦痛に苛まれ続けていた。精神力だけで己の本能を無理やりねじ伏せ続けているのだから当然のことだった。  シュリの元で過ごすようになってから、ドゥーエは人間を”喰って”いない。今、ドゥーエが感じている体調の悪さは、ひとえに”断食”を強いられ続けていることによるものだった。  ”人喰い”としての自身の生存本能が警鐘を鳴らしているのだということはわかっていた。人を――隣で眠っている少女を食らってしまえば、自分が味わい続けているこの苦しみが和らぐことは理解していたが、ドゥーエはそうしたくはなかった。ドゥーエの葛藤に気づいている様子もなく、彼の隣でシュリは無防備に安心しきった寝顔を晒している。 (俺をそんなふうに信用するな。俺は”人喰い”だ。いつお前を喰ってしまうかわからない)  食道を急速に吐き気が込み上げてきて、ドゥーエはぐえっ、ぐえっとえずいた。手のひらを見るとべっとりと血液が付着していた。  ぐわんと意識が遠のくのを感じた。視界が一瞬、無に塗り潰される。闇の中に呑み込まれて消えかける自意識に代わり、彼の中で凶暴な本能が首をもたげる。喰いたい。この娘が欲しい。彼女を滅茶苦茶にして”喰って”やりたい。  衝動に駆られるようにドゥーエはベッドから上体を起こすと、眠るシュリの顔の横に両手を付き、上から覆
last updateÚltima actualización : 2026-08-19
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第四章:残酷に響く運命の足音②

 エフォロスの森を出ると、街道はうっすらと朝靄(あさもや)に覆われていた。ドゥーエは、これからどうしたものかと空を振り仰ぐ。まるで貧血でも起こしているかのように、一瞬、目に映る世界が白から黒へと暗転した。  数秒の後、視界が戻り始めたドゥーエは苦々しい溜息をついた。呼吸に合わせて動いた肺が鋭い痛みを訴え、彼は手で胸を押さえた。  これから何処に行くにしても、まずは”食事”をする必要があった。今はまだかろうじて動けてはいるが、このままでは早々に動けなくなって行き倒れてしまうだろう。  街道を少し南下すれば、ノルスの町がある。しかし、ドゥーエはシュリと出会う少し前にノルスで子供を襲ったことで、自警団に警戒されてしまっている。満足に動けない今、ノルスへ赴くのは得策ではなかった。  かといって、今はその先のシュトレーまで足を伸ばせる気はしなかった。早くも八方塞がりになってしまったドゥーエは、自分へ近づいてくる死の足音を感じながら、今この瞬間も全身を襲い続ける激しい痛みに耐えていることしかできなかった。 (……ん?)  ドゥーエは自分の聴覚が人の声を捉えるのを感じた。ドゥーエは横顔を覆う黒髪を長く尖った耳へと掛ける。ノルスとは逆方向から、人間二人分の足音が聞こえてきている。どうやらこの先に旅人がいるようだった。  街道を北上すると、山岳地帯が広がっている。冬が長く、夏でも雪が溶けきらない険しい山々が連なるその場所をこの辺りの人々は『常冬(とこふゆ)の氷獄(ひようごく)』と呼んでいた。  特に雪深いこの時期に常冬の氷獄を越えて旅をしてくるなど、物好きな人間もいるものだと思った。しかし、彼らの存在はドゥーエにとって幸運なことであった。  ぎらり、とドゥーエの深紅の目が妖艶な獰猛さを帯びる。喉の奥から唾が込み上げてくる。気持ちが昂ぶっていき、ずっと感じていたはずの痛みが薄れていく。自分を満たしていく凶暴で残忍な欲望をドゥーエはもう抑えようとはしなかった。  音でしか認識できていなかった旅人たちの存在が、ドゥーエの視界に小さく映った。淡白色の靄(もや)に阻まれてはっきりとはわからなかったが、ドゥーエが獲物として認識した彼らは旅の商人とその護衛のようだった。恐らく片方は大きな荷物を背負っており、もう片方は腰に剣を吊っている。  まだ彼らがドゥーエに気づいている様
last updateÚltima actualización : 2026-08-19
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第四章:残酷に響く運命の足音③

「……これでよし、と」  ドゥーエの怪我の処置をし、包帯を巻き終えたシュリはそう小さく呟いた。ドゥーエは両手に巻かれた、薬草の匂いがする包帯を見下ろした。自分のしたことを思えば、シュリの顔をまともに見られなかった。 「ほら、早く服着ちゃいなよ。ただでさえ体調悪いのに、風邪まで引いたら大変でしょ」  シュリはグレーのボタンダウンシャツとネイビーのざっくりとしたニットのカーディガンをドゥーエへと押しやった。 「……ああ」  ドゥーエはシュリから服を受け取り、裸の上半身へともそもそと纏っていった。その間にシュリはドゥーエの手当に使った薬品類を奥の戸棚に片付けていく。 「……シュリ」  ドゥーエは着替えを終えると、戸棚の前に立つシュリへと躊躇いがちに声をかけた。 「その……いつ、どうして、気づいた?」  シュリはドゥーエを振り返ると、己を嘲るような笑みを浮かべた。 「最初から知ってたよ」 「え……」  ドゥーエは赤い目を見開いた。あまりの事実に唇が戦慄くのを感じた。 「なら……どうして俺を追い出さなかった!」  激しい語調のドゥーエの言葉に、シュリは己を嗤笑(ししよう)した。 「最初はさ……目を覚ましたらすぐに追い出せばいいって思ってた」 「だが……お前はそうしなかった。そうだな?」  そうだね、とシュリは目を伏せる。 「お父さんとお母さんが死んでから、あたしはずっと独りだった。だから……誰かが近くにいるっていうのが新鮮で。それにドゥーエは”人喰い”のくせに、あたしを襲って食べようともしなかったから、もう少しだけって、欲が出た。ねえ……どうして、ドゥーエはそんなふうに弱っちゃうのをわかってて、あたしのことを食べなかったの?」 「最初は、俺なんかを助けるなんて物好きな人間だと思った。ノルスの自警団に怪我を負わされていたし、お前は俺が”人喰い”だと気づいている様子もなかったから、ゆっくり傷を癒せるならしばらくここにいるのも悪くないと思っていた。面倒がないようにここを発つときにお前なんて喰ってしまえばいいと思っていた」  はずだったんだがな、とドゥーエは薄く笑うと、言葉を続けていく。 「早い話が、一緒に過ごすうちに情が移ってしまったんだろうな。お前のそばは思いの外居心地が良くて、一緒に過ごすうちに気がつけば”喰う”ことなんてできなくなっ
last updateÚltima actualización : 2026-08-19
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第四章:残酷に響く運命の足音④

 シュリが目覚めると、夜が明けようとしていた。がびがびになった顔の感触から、泣き疲れていつの間にか眠ってしまっていたらしいとシュリは悟る。  いつもなら一緒に眠っているはずのドゥーエの姿がシーツの中にない。また出ていったのではないかと思うと、シュリの背に薄ら寒いものが走った。  暗闇に目を凝らすと、ダイニングテーブルに突っ伏すようにして、ドゥーエが眠っているのが見えた。体調が思わしくないのか、端正な顔に浮かぶ表情は険しい。  いなくなったわけではなかったという安堵でシュリは薄い胸を撫で下ろした。今までは一緒に寝ていたはずの彼がこんなふうに距離を取って眠っているのは彼なりの優しい配慮なのだろうとシュリは感じた。それなのに、彼と言い合いになった挙句の果てに、不貞寝などという幼稚な真似をしてしまった自分が恥ずかしかった。 (あたしは……ドゥーエのために何ができる? 少しでも長くドゥーエと一緒にい続けるために、何をしてあげられる?)  自分のこの手にできることは限られている。それでも何かしたい、とシュリは闇の中で自分の荒れた両手を見つめた。 (――あ)  ドゥーエはきっとこんなこと望まない。ドゥーエはきっとこんなことをしても喜ばない。それでも、自分がぎりぎり彼のためにしてあげられることが寝起きの思考の中にすとんと落ちてきて、シュリはこれだと思った。彼女はごくりと息を呑む。 (――やろう)  そう決意すると、シュリはベッドを抜け出した。そして、物音を立てないように気を配りながら、ドゥーエの眠るダイニングテーブルへと歩み寄ると、彼のそばから火の消えたランプを持ち上げる。  シュリは己の知識を総動員して、これからやろうとしていることに必要なものを頭の中で書き出しながら、部屋の奥の戸棚へと近づいていく。彼女は戸棚を開け、マッチを取り出すと、それを擦り、ランプの中の蝋燭へと点火する。ランプに火が入ると、ゆらゆらと揺れる炎によって、静まり返った家の中が照らし出された。  シュリは戸棚の日用品の入った段を探り、麻紐の束を取り出すと、近くにあった籠へと入れた。普段使っている両親の形見の短剣も同様に籠の中に入れていく。  シュリはランプとかごを手にすると、家の外へと出ようとした。しかし、彼女は思い直したように足を止めると、再びテーブルで眠るドゥーエのそばへと近づいた
last updateÚltima actualización : 2026-08-19
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