カケラ -close to you-

カケラ -close to you-

last updateLast Updated : 2026-08-21
By:  七森香歌Completed
Language: Japanese
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 人間の血肉を”喰って”生きる化け物の青年・ドゥーエはノルスの町で子供を襲ったのを見咎められ、自警団に追われていた。ドゥーエは逃げ込んだエフォロスの森で辛くも彼らを撃退するが、彼らによって負わされた傷が元で倒れてしまう。  翌朝、森に住まう少女・シュリによって、ドゥーエは助けられる。シュリは意識のないドゥーエを自分の家へと連れ帰り、手当てをする。その際に彼女はドゥーエが”人喰い”であることに気づくが――?

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プロローグ:広い世界の片隅で
 瑞々しさを失った木々の葉の間から覗く空が、今にも雨が降り出しそうなどんよりと重たい灰色に塗り固められていた。水の匂いをはらんだ風が、辺りに生の殺気と鉄錆の入り混じった香りを辺りに立ち込めさせる。  背後に複数の足音と怒声が迫ってきていた。いい加減、疲労で動かすのが億劫になってきていた重い足をどうにか動かし続けながら、彼は背後を振り返る。武器を携えた田舎っぽく垢抜けない出で立ちの男たちの姿が、紅に光る彼の双眸に映り込む。泥で汚れ、あちこちが擦り切れた黒い外套のフードの下で、彼は眉間に皺を寄せ、皮肉げに口元を歪めると、嫌そうにちっと舌打ちをする。  彼は”人喰い”だった。”人喰い”とは、大地の穢れと人々の悪意が交差する場所に生まれ落ちるという、人間に酷似した姿の化け物である。鋭く発達した牙と童話の妖精のように先端が尖った長い耳を持つ彼らは、男女問わず総じてひどく美しく、老化がゆっくりだとされている。しかし、何より彼らが人間から忌避され、恐れられる理由は、肉食獣が弱者を捕らえ、その肉を貪るように、人の肉を食らい、血液を啜って生きるその生態にあった。  ”人喰い”は定期的に人間の血肉を喰らわなければ、生きていくことができない。口にする対象は生きているか死後間もない人間である必要性がある。  彼らは生き繋ぐための糧を口にすることができなければ、飢えによる渇きによって、身内が灼かれるような痛みやひどく重苦しい倦怠感に苛まれるという。そのままの上体が続けば、そのままの状態が続けば、”人喰い”は身の内が灼けるような苦しみを味わった挙句、衰弱して、やがて死に至るとされている。そのため、彼らは定期的に優れた身体能力をもって人を狩り、命を繋ぐための糧としていた。  ”人喰い”の中には必要最低限の”食事”としてしか人間を襲わない者もいる一方、快楽として人間を屠っては喰い散らかす残虐な性質の者もいる。絶望で泣き叫ぶ顔が見たくて、生きたまま嬲るように人間を”喰う”ことを好む者もいる。  そういった一部のサディスティックな者たちの存在が、彼ら”人喰い”という種に対する人間の嫌悪感に拍車をかけていることは言うまでもなかった。 彼は今日の昼下がり、近くにある朴訥とした田舎町――ノルスを訪れていた。前回の”食事”から少し日が経ち、全身が飢えによる渇きを訴え始めていた。  もっさりと
last updateLast Updated : 2026-08-17
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第一章:出会った二人の欠けし者たち①
 色づいた木々の間から漏れる眩しい光が、新しい一日の訪れを告げていた。顎の辺りで切り揃えた黒髪に利発そうな丸い黒瞳(こくとう)の、十代半ばほどの少女はチーク材の重い扉を開けると、朝日に目を細めた。  秋色に染め上げられた落ち葉をオークグレーのレースアップブーツの底でかさりと踏みしめながら、彼女――シュリは素焼きの甕(かめ)を抱えて歩き出した。喉がひりつくような冷たく尖った早朝の空気に深まる秋を感じながら、シュリは慣れた足取りで森の中を進んでいく。霜風に揺れる野草に降りた朝露が透明な輝きを放っていた。  清冽な朝の静けさの中、一日の始まりを歌い上げる野鳥の声が響いていた。森に住む動物たちが緩やかに活動を始め、今日という日が動き始めていく。  生き物たちの営みが息づく森の中をシュリは奥へと向かって歩いて行く。ニシキギの鮮やかな赤色の茂みをかき分けて、小川のほとりへと辿り着くと、シュリは膝を折ってかがみ込んだ。  腕に抱いていた甕(かめ)を川の中に下ろして水を汲むと、シュリは凍てつく水面に手を突っ込んだ。寒さで赤く悴んだ手で水を掬いあげると、ぱしゃぱしゃと顔を洗う。ひどく冷たいけれど、清く甘やかな水の感触に、ほんの少し残っていた眠気の靄が晴れていく。  小さな花の刺繍が散りばめられた茶色のチュニックワンピースの袖で、ぽたぽたと雫が滴る顔を拭うと、ずっしりと重い甕(かめ)を抱えてシュリは立ち上がった。そういえば来るときに煮込むと美味しいキノコが生えていたな、などということを思い出しながら踵を返そうとして、シュリは違和感に気づいた。  妙に森の中がざわめいていた。本来ならばここにいないはずの異質な存在に、森に住まう獣たちが騒いでいるようにシュリには感じられた。 (何か、いる……? たぶん、そんなに遠くない)  シュリは水の入った甕(かめ)を地面に下ろす。甕(かめ)の中で水がちゃぷりと小さな音を立てた。  違和感の正体を確かめるべく、なるべく音を立てないように気を配りながら、シュリはニシキギの茂みをかき分けて、木立の中へと慎重に足を踏み入れた。気を張りながら、さざめきの中心へとシュリは歩を進めていく。 (……人? たぶん、怪我をしてる……!)  背の高い男がうつ伏せに倒れ伏せていた。身に纏った黒い外套は汚れてボロ同然にずたずたに裂けてしまっている。かなり
last updateLast Updated : 2026-08-17
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第一章:出会った二人の欠けし者たち②
 ぺたり、と額に水気を含んだ冷たいものが触れたのを感じて、彼はうっすらと瞼を開いた。視界に木でできた天井が映り込む。すぐそばの窓から差し込んでくるオレンジ色の光が眩しくて、彼は思わず暗赤色の目を細める。  意識と共に身体に痛みが戻ってくるが、思っていたほどではない。頭と背に柔らかいものが触れており、身体にも清潔なシーツが掛けられていた。  知らない場所だった。ここは一体どこなのだろうと訝りながら彼は身体を起こした。どのくらいの時間気を失っていたのだろうか。骨が軋んだ。 「目が覚めた?」  そんな問いかけとともに、水の入った琺瑯のたらいを手にした小柄な少女が彼の顔を覗き込んだ。顎の下で切りそろえたぱさぱさの短い黒髪。小動物を思わせるくりくりとした黒い瞳。見たところ、年齢は十五、六といったところである。 「ここは……?」  彼は掠れた声で少女へ問うた。熱があったからなのか、喉が張り付いて上手く声が出ない。彼の様子に気づいた少女は、たらいを床に置くと、台所の隅にある素焼きの甕(かめ)から木の椀に水を汲んで持ってきた。  彼は彼女から椀を受け取ると口をつける。甘やかな水が喉を滑り落ちていく感覚が心地よかった。少女はベッドの脇で腰に手を当て、彼が水を飲むのを眺めながら、 「ここはあたしの家。今朝、川の近くであんたが倒れていたのを見つけて連れてきたんだ。よくわからないけど、何かいろいろ怪我してたみたいだったから、手当しといたよ。あと、あんたの服も汚れたり破れたりしてたから、洗って直しといた」  彼は少女の言葉に椀を手にしたまま、ガーネットの双眸を瞬いた。この非力そうな華奢な少女が自分をここまで連れてきたというのだろうか、と彼は意外に思った。いくら痩せ型なほうとはいえ、彼女が一人で男である自分を運んできたというのだろうか。しかし、家の中にこの少女以外が暮らしている気配が見受けられないことから、そういうことなのだろうと、彼は冷たい水とともに事実を飲み下す。 「すまない、すっかり世話になった。礼を言う」  そう言うと、彼は少女へと椀を返す。そして、身体に掛けられていたシーツを払い除け、簡素な作りのベッドを下りようとした。ぼとり、と額に乗せられていた濡れた布が床に落ちる。立ち上がろうとすると、右股の傷が彼の体重を受けて悲鳴を上げた。  あのねえ、と少女は呆れた
last updateLast Updated : 2026-08-17
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第一章:出会った二人の欠けし者たち③
 妙なことになったものだ。暗闇の中、木の天井を眺めながらシュリは小さく息を吐いた。背中の下の木目の床はごつごつと固く、冷たい。 (本当に何やってんだろ、あたし……)  シュリが床で寝る羽目になった元凶たるドゥーエは、シュリのベッドの上で彼女に背を向けるようにして痩せた身体を横たえ、シーツに丸まって寝息を立てていた。傷が痛むのか、時折小さく呻き声を漏らしている。  今朝、川の近くの木立の中で見つけたドゥーエをこの家に運び込んだのは、仕方のないことだと言えなくもない。怪我の手当てをしたことだって、まだぎりぎり仕方ないで済ませられる範疇だと言えないこともない。  しかし、ドゥーエが”人喰い”だとわかっていながら、意識を取り戻した彼に『何日でもいてくれて構わない』などと言ってしまったのは、我ながらやり過ぎたと思った。目が覚めたらすぐにでも叩き出してやると決めていたはずなのに、何という体たらくだろうか。この家に自分以外の存在がいるのが物珍しくて、今日の自分は浮かれていたのだろうとシュリは己を苦々しく思う。 (だけど……今日は珍しく、夕飯が美味しかったような気がする)  夕方、シュリが作った玉ねぎと生姜のスープをドゥーエと一緒に食べた。どんなに腕によりをかけたとしても、普段ならどこか味気なく感じてしまうそれが、今日はやけに美味しく感じられた。  シュリは特段お喋りな性質(たち)ではない。ドゥーエも物静かな性質(たち)なのか、食事をしている間も、時折一言二言言葉を交わす程度で会話らしい会話もなかった。それでも、ドゥーエと囲む食卓はシュリにとって意外なほどに心地よかった。 (……駄目だ。あいつに――ドゥーエに気を許しちゃいけない)  夕方、シュリのベッドで目覚めたドゥーエは拍子抜けするくらい普通だった。シュリにとって”人喰い”はもっと獣じみた恐ろしい生き物だったにもかかわらず、ドゥーエとは普通に会話が成立したし、一人で暮らすシュリを気にかける素振りすらあった。”人喰い”だとはいえ、ドゥーエは普通の人間と大して変わらなかった。 (でも……あいつのあの態度は罠かもしれない。きっと、あたしをそうやって油断させて、”喰う”つもりなんだ)  現状、ドゥーエがシュリを”喰う”素振りはない。それでも、いつ彼がシュリに牙を剥くかわかったものではなかった。  絶対に油断しな
last updateLast Updated : 2026-08-17
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第一章:出会った二人の欠けし者たち④
 シュリとドゥーエが共に暮らし始めてから数日が経った。床でブランケットに包まって眠っていたシュリがもぞもぞと早朝に起きだした音でドゥーエは目覚めた。火の消えた暖炉の上の壁に吊るしていたココアブラウンのケープを羽織り、外へ出ようとしている彼女を、まだ半分眠りの世界に意識を残したままのドゥーエは呼び止める。 「ん……シュリ、どうした?」  欠伸を噛み殺しながらむにゃむにゃとそんなことを問うたドゥーエにシュリは苦笑して、 「ごめん、起こしちゃった? まだ早いし、ドゥーエは寝てていいよ」  ドゥーエはベッドから上体を起こすと、肩の傷に障らないように気をつけながら伸びをした。眠りの妨げにならないように緩められたシャツの胸元や、腰まである寝乱れた黒髪、半ば伏せられたままの暗赤色の双眸がやけに蠱惑的に存在を主張していて、シュリは少しどきりとした。 「お前はいつも、こんなに早い時間に起きているのか?」  ドゥーエの疑問をシュリはまあね、と肯定した。先程の動揺を気取られないようにシュリは早口に、 「朝のうちにやらなきゃいけないことがいろいろあるから。川に水汲みに行ったり、薪(たきぎ)集めに行ったりとか」 「俺も行こう。ずっと寝たきりというのもあまり良くないからな。着替えるから、少し待っていてくれ」  自分のぬくもりと夢の名残の残るシーツの間からドゥーエは抜け出ると、オールドブルーのダブルガーゼのシャツをするりと脱いだ。治りかけの生々しい傷が残る、細身だが程よく筋肉の付いた均整の取れた背中が長い髪の間から覗き、シュリの心臓はどくりと鳴った。見てはいけないような気がするのに、男の素肌が放つ色香から目が離せなかった。 「シュリ?」  ベッドの背に掛けた黒いウールのアンダーシャツを手に取りながら、ドゥーエは訝しげにシュリを振り返った。名を呼ばれたシュリははっとして、剥き出しのドゥーエの背から慌てて視線を逸らす。何故か頬が熱かった。 「あっ、ドゥーエどうかした?」 「それは俺の台詞なんだが……ぼんやりしていたみたいだが、具合でも悪いのか?」  自分を案じるドゥーエの言葉に、シュリはぶんぶんと首を横に振る。彼の裸体にうっかり見入っていたなどとは言えるはずがなかった。 「ううん、何でもない。ちょっとまだ眠かっただけ。あ、そうだ、着替えのついでに傷口診ちゃうね」  
last updateLast Updated : 2026-08-17
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第一章:出会った二人の欠けし者たち⑤
「……何をしているんだ?」  ある日の午前中、シュリが家の奥で作業をしていると、ベッドの上に腰掛けていたドゥーエがそう聞いてきた。シュリは手を休めることなく、彼の疑問へと答える。 「これ? 今朝、薬草がたくさん採れたから乾かすための準備をしてるの」  そう言いながら、シュリは手早く薬草を紐で束ねていく。ほう、とドゥーエは立ち上がり、シュリのそばに近寄ってくると、興味深そうに彼女の手元を覗き込む。 「手慣れているんだな」  まあね、とシュリは得意げに口の端を釣り上げる。その間も彼女の手は動き続ける。 「もう何年もやってるからね。小さいころだって、お父さんやお母さんがこうやって作業してるの手伝ったりしてたし」  ドゥーエもやってみる、とシュリが聞くと、ドゥーエは首を横に振った。腰まである彼の長い黒髪が、首の動きに合わせてさらさらと揺れ動く。 「俺には違いが全然わからないから遠慮しておく。俺からしたらどれも草、草、草だ」 「草って」  ドゥーエの言い方がおかしくて、シュリは小さく吹き出した。  彼の傷が癒えるまでのほんの短い間とはいえ、こうして言葉を交わし、何でもないことで笑い合える相手がいることが嬉しかった。どこにでもあるようなそんなささやかなことが、シュリには新鮮で楽しかった。ドゥーエが”人喰い”であることも理解していたし、何が目的で彼が自分の元に居続けているのかもわからなかったが、それでも構わなかった。 (人間よりも”人喰い”のドゥーエのほうがよっぽど人間らしいなんて皮肉だよね)  両親が死んでから、ノルスの親戚の家で暮らしていたときのことを思い返しながら、シュリはそんなことを考えた。ドゥーエだって、いつ自分に牙を剥くかわかったものではないが、それでも陰口を叩いたり石を投げつけたりしてくるような陰湿な嫌がらせをしてこないだけ、シュリにとってはかなりましだった。 「さて、と」  シュリは薬草をすべて仕分けて束ね終えると立ち上がった。壁際の戸棚から長いロープを取り出し、シュリが手近にあった木箱の上に登ろうとしていると、脇から長く筋ばった手が伸びてきてロープをひったくった。 「これをそこの柱に結べばいいのか?」  程よく低い、心地の良いドゥーエの声がシュリの背後から響いた。シュリは木箱に片足を乗せたままの状態で、ドゥーエを振り返ると、
last updateLast Updated : 2026-08-17
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第一章:出会った二人の欠けし者たち⑥
 暁闇(ぎようあん)の降りた森の木々の間から、白い光が静かに降り注いでいた。  紺碧の空に浮かぶ月は盈(み)ち、尾のように残像を描きながらちらちらと星が走り抜けていく。  ダイニングテーブルで酒を垂らしたミルクをドゥーエが舐めていると、台所から何かが焼き上がる香ばしい香りが漂ってきた。  夕飯はとうに済み、片付けものが終わったシュリはベッドに腰掛けて紐で何かを編んでいる様子だった。  シュリは黄土色の紐を円状に編み上げると、ベッドから立ち上がった。台所へと向かい、彼女は竃(かまど)の様子を確認する。 「うん、いい感じ」  シュリは焼き上がったものの具合を見て、そう独りごちた。ドゥーエはミルクを飲み干すと、椅子から立ち上がり、台所を覗き込む。 「こんな時間に何をやってるんだ? 夕飯ならさっき済んだだろう?」 「うん。今日はね、ちょっと特別」  シュリは部屋の奥の戸棚から温かみのあるクリームイエローのデザートディッシュを出してきて、こんがりとした狐色に焼き上がったそれを盛る。 「ドゥーエ。ちょっと外、付き合ってよ」  外、とドゥーエは怪訝そうに眉根を寄せる。 「構わないが、どうかしたのか?」  行けばわかるから、とシュリはベッドの上に置いたままの紐の編み細工を拾い上げる。彼女は戸惑うドゥーエをよそに、左手に皿、右手に編み細工を持ってチーク材の扉を肘で押し開ける。ドゥーエはベッドの背にかかっていたグレーのバイアスチェックのブランケットを手に取ると、彼女の後を追った。  外に出ると、シュリは軒から円状の紐細工を吊るしていた。 「それは何なんだ?」 「ドゥーエ、見たことない? これは収穫祭の飾りなんだけど」 「収穫祭?」  シュリは足元に皿を置くと、軒下に座り込んだ。ほら、と木々の間から覗く玉輪を彼女は指差した。ドゥーエはシュリと視点を合わせるように、皿を挟んで彼女の隣に腰を下ろす。 「ほら、今日、満月でしょ? 毎年、この時期の満月の夜はどこの街も収穫祭が行なわれるんだけど、知らない?」 「いや……知らない。ずっと旅暮らしで、あまりひとところに留まることをしてこなかったからな」  ドゥーエは自分が”人喰い”であることには触れないようにしながら、収穫祭を知らない理由を曖昧にぼかす。ふうん、と相槌を打ったシュリはそれ以上、ドゥーエの事情
last updateLast Updated : 2026-08-17
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第一章:出会った二人の欠けし者たち⑦
 ふっと眠りの世界から意識を引き戻され、シュリは瞼を開いた。見慣れた家の天井が視界に像を結んでいく。背にはごつごつとした男の体の感触と温もりを感じる。  聴覚を満たすすうすうというドゥーエの寝息に心地よさと温かさを覚えながら、シュリはちらり、と窓の外へと視線をやる。まだ外は薄暗い。どうやら普段起きる時間よりも早く目覚めてしまったらしいと覚醒していくにつれてシュリは悟った。  現実を認識すると、すうっと波が引くように眠気が遠ざかっていく。再度目を閉じてみたが、寝直すことは叶いそうになかった。 (……そうだ)  隣で眠るドゥーエの寝息と鼓動を聞きながら、日が昇ってくるのを待つのも悪くはなかったが、せっかく目が覚めたのだからと、ドゥーエを起こしてしまわないように気をつけながら、シュリはそっとベッドを抜け出した。  すとん、と静かな部屋の中で微かな衣擦れの音を立てながら、シュリはベロア生地のスモーキーグリーンのネグリジェを脱いでいく。明け方の冷気に晒された肢体と頭をグレーのギンガムチェックのワンピースに通し、オークグレーのブーツに足を滑り込ませる。シュリはココアブラウンのケープを羽織り、自衛のためのナイフを腰に下げると、キィと小さくドアの蝶番を軋ませながら家の外へ出た。  朝が来る前の仄暗い闇を湛えた森の中をシュリは歩き出した。目覚めの刻(とき)を待つ森の中は静まり返っていて、金風が木々の間を吹き抜けていく音がやけに大きく聞こえた。  辺りには湿った土の匂いが充満している。夜露に濡れた落ち葉の下から覗く地面では、霜がきらきらと水晶のような無垢な光を放っていた。  出会ったときに深手を負っていたとはいえ、ドゥーエの傷の治りが遅いことにシュリは気づいていた。  基本的に自給自足の生活であることもあり、シュリが作る料理は野菜を使ったものに偏りがちだ。”人喰い”であるドゥーエには、人の肉を食べさせてやるのが一番であることくらい、シュリも知ってはいる。だからといって、ドゥーエのために誰かを殺すことも、自分の肉を分け与えることもシュリにはできそうになかった。  人の肉は無理だとしても、せめて何か少しでも栄養のあるものをドゥーエに食べさせてあげたいと思いながら、シュリは暗い森の中を危なげなく進んでいく。シュリは時折立ち止まっては、生い茂る木々の根元へと視線を走らせる
last updateLast Updated : 2026-08-17
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第一章:出会った二人の欠けし者たち⑧
 夜明け前の森でシュリがオオカミに襲われた一件から、数日が経った。普段通り、朝食と洗濯を済ませた後、出かける支度をしているのをシュリはドゥーエに見咎められた。 「出かけるのか?」  シュリは部屋の奥の戸棚から薬の入った小瓶の数々を取り出して木箱に詰めながら、 「うん。薬をノルスに卸しにいくんだ」 「……そうか」  ノルスとは、この森の近くにある田舎町である。ドゥーエがこの森に逃げ込む前に人を襲って失敗した場所でもある。  ただでさえ“人喰い”という人間に忌まれる存在である上に、ノルスの自警団によって警戒されているであろうドゥーエは、シュリと共にノルスへ行くわけにはいかない。シュリがオオカミに襲われた先日の一件が頭を掠めたが、ドゥーエが彼女に同行を申し出るわけにはいかなかった。 「ドゥーエ、あたし、今日一日留守にするから、家のことお願いしていい? 掃除とか薪(たきぎ)割りとか、野菜や薬草の世話とかさ。あと、日が傾いてきたら、湿気る前に洗濯物片付けてくれると助かるかも」  ドゥーエの憂いと葛藤を知ってか知らずか、木箱に薬の瓶を詰める手を止めると明るい声でシュリはそう言った。 「……ああ」 「お土産何がいい? 何か欲しいものがあれば、買ってきてあげる」 「別にそんなことは気にしなくていい。それより、そちらの箱も持っていくんだろう? 荷車に積んでおいてやる」  シュリの横に積み上がった木箱の山をドゥーエは手で示すと、オーク材のダイニングチェアから立ち上がる。ドゥーエは箱の山を軽々と片手で持ち上げると、台所横の裏口の扉から外へ出ていった。  ありがと、とシュリは艶やかで美しい黒髪が流れる長身痩躯の背中を見送ると、中身を詰め終わった木箱の蓋を閉める。壁にかけた使い古したキャメルのサッチェルバッグを取ってくると、財布と昼食用のナッツの詰まった巾着、水の入った山羊革の水筒を放り込んだ。  ココアブラウンのケープを羽織って短剣を腰に吊ると、サッチェルバッグを背負う。シュリはずっしりと重い木箱を抱えると、ドゥーエを追って裏口から外へ出ていった。 「それで全部か?」  先に運んできた分の木箱を積み込んでいたドゥーエは、シュリに気づいて振り返る。うん、と頷くと、ドゥーエは手を伸ばしてシュリから木箱を奪い取った。 「ごめんね、寒いのにこんなことやらせちゃっ
last updateLast Updated : 2026-08-18
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第一章:出会った二人の欠けし者たち⑨
 遠くから車輪の音と一人分の足音が聞こえてくるのを聴覚に捉え、ドゥーエは鍋をかき混ぜる手を止めた。そのときのドゥーエは、留守にしているシュリのために、彼女が育てているカブとブロッコリーでスープを作っているところだった。 (シュリが帰ってきたか……? だが、それにしては、どこかを庇っているような歩き方なような……)  嫌な予感が頭を過り、ドゥーエは手にしていた匙を投げ出した。長い脚で大股に台所を横切り、半ば叩きつけるようにして裏口の扉を開けると、彼は外へと飛び出した。  ちょうど家に着いたところだったのか、家の横にシュリが引いていった荷車が止まっていた。 「シュリ!」  黒髪の少女の姿を認めると、ドゥーエは彼女の名を呼んだ。痛いほどに冷たい空気に、声と共に白い息が霧散していく。 「ドゥーエ……」  へたり、とシュリの華奢な体がその場に頽れる。ドゥーエは彼女に駆け寄るとその体を抱き止めた。 「シュリ、お前どうしたんだ、それは……!」  シュリは全身に傷を負っていた。今朝はきちんとしていたはずの服が、あちこち汚れたり裂けたりしている。左肩がぐっしょりと濡れ、酒精と血液の入り混じった匂いが漂っている。彼女の頬を伝う血の色に、ごくりとドゥーエの喉が鳴る。  美味そうな匂いがする。口の中に唾が込み上げてくる。シュリの頬を汚す赤い色は、ドゥーエの”人喰い”としての本能を刺激するに充分なものだった。  ノルスの自警団の男を”喰って”からしばらくが経っていた。そろそろ次の”食事”をするべきタイミングが近づいていた。  シュリの肉はきっと柔らかくて甘いだろう。流れる血は極上の美酒のように芳醇で美味いに違いない。彼女を”喰え”ば、治りの遅い身体の傷の数々も癒えるだろう。  けれど、ただでさえ傷ついている、腕の中のこのか弱い生き物の顔がこれ以上絶望に歪むのを見たくない気がした。ドゥーエは頭の中を占拠する煩悩をかぶりを振って追い払う。  かすかな渇きの気配がちろりと指先を灼くような感触があったが無視をする。今はそんなことを気にしている場合ではない。シュリになにがあったのか、それが今のドゥーエにとっては何より重要だった。 「ノルスで何があった! 何をされた!」  何でもないよ、とシュリは力なく微笑んだ。その顔がドゥーエには泣き出す寸前の顔に見えた。ドゥーエはた
last updateLast Updated : 2026-08-18
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