All Chapters of RE:RE:RE 離婚してください~都合のいい女、やめました~: Chapter 1 - Chapter 10

51 Chapters

第1話  いい妻の朝

 目が覚めた瞬間、まず確認するのは時計ではなく、隣の気配だ。 六時十二分。 達哉はまだ眠っている。寝返りを打った拍子に、掛け布団が半分、床に落ちていた。沙耶は音を立てないようにベッドを抜け出し、布団を拾って、そっとかけ直した。 それから足音を殺してキッチンへ向かう。 冷蔵庫を開ける。卵、豆腐、昨日の残りの小松菜。頭の中で今朝の献立を組み立てながら、沙耶は自動的に手を動かし始める。米を研いで、味噌汁の出汁をとって、卵焼き用のフライパンを火にかける。 窓の外はまだ薄暗い。四月の朝は、明けるのが中途半端に遅い。 卵を三つ割って、菜箸で溶く。砂糖をひとつまみ。いや、少し多かったかもしれない。沙耶は一瞬手を止めて、砂糖の瓶を見た。 ──また甘すぎって言われるかな。 そう思った瞬間、自分でも可笑しくなった。卵焼きを焼く前から、怒られる想像をしている。それがもう、朝の習慣になっていた。 七時ちょうどに、達哉が起きてきた。 「おはよう」と沙耶は言った。 達哉は返事をしなかった。椅子を引いてテーブルに座り、スマートフォンを開く。ニュースか、それともSNSか。沙耶には関係なかった。関係ないように、自分に言い聞かせてきた。 味噌汁をよそって、卵焼きを皿に盛って、ご飯を茶碗によそう。二人分。沙耶の分は、達哉が食べ終わってから。それがいつの間にか決まったルールになっていた。 達哉は箸を取り、卵焼きをひと切れ口に入れた。 二秒の沈黙。 「甘すぎ」 それだけ言って、またスマートフォンに目を戻す。 「ごめんなさい」 沙耶は言った。反射的に。考える前に、口が動いていた。 私はいつから、謝ることが呼吸になったんだろう。 洗い物をしながら、沙耶はぼんやりとそんなことを思った。 謝るのは怖いからじゃない。もうそういう段階は、とっくに過ぎていた。謝るのは、空気を保つためだ。この家の空気を、ぎりぎり呼吸できる濃度に保つための、沙耶なりの技術だった。 達哉は別に、怒鳴らない。手を上げたこともない。傍から見れば、普通の夫婦だと思う。それが──たぶん、一番ややこしいところだと、沙耶はうっすら気づいていた。 「今日、何時に帰る?」 達哉が背後から聞いた。 「クライアントとオンラインの打ち合わせが夕方にあるから、六時か七時くらいには──」 「ふ
last updateLast Updated : 2026-08-27
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第2話  通知

 午後二時。 沙耶はパソコンの画面を見つめたまま、冷めたコーヒーに口をつけた。 カフェの女性オーナーへのロゴ案は、昨日の続きからさらに手を加えて、三パターンまで絞り込んだ。Aは洗練されているけれど少し冷たい印象がある。Cは温かみがあるが、少し素朴すぎるかもしれない。そしてB──シンプルで、でも芯がある。余白の使い方が、依頼主の言葉と重なる気がした。 「自分のお店なのに、なかなか形にできなくて」 最初の打ち合わせで、彼女はそう言っていた。恥ずかしそうに、でも真剣な目で。形にできない何かを、ずっと抱えていた人の顔だった。 沙耶の指は自然とBパターンに動いた。 これがいい。理屈じゃなく、そう思った。デザインをしているとき、たまにこういう瞬間が来る。考えるより先に、手が答えを知っている瞬間。沙耶はこの感覚が好きだった。というより──この感覚だけが、今の自分に残っている「好き」だと、最近そんなふうに思うことがある。 好きなものが、まだちゃんとある。 それだけで、今日という日が少し違う色になる気がした。 スマートフォンが振動した。 画面を見ると、知らないアドレスからのメッセージだった。SNSのDM。沙耶がポートフォリオ用に作ったアカウントへの通知だ。最近は月に一件か二件、小さな依頼が来ることもある。たいていは個人経営の飲食店か、ハンドメイド作家からだ。単価は高くない。でも、自分の名前で仕事をしているという感覚が、沙耶には必要だった。 画面を開く。岸谷沙耶さん、はじめまして。KAN DESIGN LABという会社を経営している、神崎蓮と申します。先日、岸谷さんのポートフォリオを拝見しました。ブランディングの軸がブレていない点、非常に興味深く拝見しました。もしよろしければ、一度お話を聞かせていただけますか。詳細はお電話もしくはオンラインでご説明できればと思います。ご検討のほど、よろしくお願いいたします。神崎蓮 沙耶は三回、読み直した。 文面は丁寧で、過不足がない。売り込みでも値踏みでもなく、ただ率直に、話を聞かせてほしいと書いてある。こういうメッセージは珍しかった。たいていは最初から「安くできますか」か「○○風のデザインで」という条件から入ってくる。あるいは、実績を列挙して「このレベルの仕事ができますか
last updateLast Updated : 2026-08-27
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第3話  打ち合わせ前夜

 翌朝、起き抜けにスマートフォンを確認するのが、沙耶の習慣になってから久しい。 達哉からのラインに「明日の夕飯どうする」とか「洗濯物たたんでおいて」とか、そういったメッセージが来ていることが多い。出勤してからでも言えることを、わざわざラインで送ってくる。直接言葉にすることを、この人はどこかで避けているのかもしれない、と沙耶は思ったことがある。あるいは記録として残したいのか。どちらにしても、朝一番に画面を開くたびに、沙耶の肩は少しだけ重くなった。 でも今朝は違った。 達哉からのラインより先に、別の通知が目に入った。 SNSのDM。神崎蓮からの返信だ。岸谷さんご返信ありがとうございます。早速ですが、今週木曜日の午後二時はいかがでしょうか。オンラインにて、三十分ほどお時間をいただければと思います。ZoomのURLは改めてお送りします。神崎蓮 沙耶はベッドの中で、その短いメッセージを二度読んだ。 木曜日。今日が月曜日だから、三日後だ。 断る理由は何もなかった。達哉は木曜も通常通り出勤する。打ち合わせの時間は午後二時で、夕飯の準備にも余裕がある。何も問題はない。 なのに沙耶は、承諾の返信を送る前に少しの間、画面を見つめていた。 本当にいいのかな。 自分でも可笑しいと思った。仕事の打ち合わせをするのに、何をためらっているのか。フリーランスとしてクライアントと話すのは、何も特別なことじゃない。 でも──何かが、違う気がした。 これまでの仕事は、全部小さな世界の中に収まっていた。達哉の「続かないでしょ」という言葉の範囲の中に、ちゃんと収まっていた。でもKAN DESIGN LABは、その範囲の外にある気がした。踏み出したら、もとの場所に戻れなくなるような、そんな予感が、指先にあった。 戻れなくなって、何が困るんだろう。 沙耶は自分にそう問いかけて、答えが出ないうちに返信を送った。神崎様木曜日の午後二時、問題ありません。よろしくお願いいたします。岸谷沙耶 送信ボタンを押してから、ようやく起き上がった。 キッチンへ向かう。冷蔵庫を開ける。今日の朝食を組み立てる。いつも通りの朝が、いつも通りに始まった。 でも何かが、今日は少しだけ違った。うまく言葉にはできないけれど──足元に、薄い光のようなものがある気がした。踏めば消えてしまいそう
last updateLast Updated : 2026-08-27
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第4話  画面の向こう

 木曜日の午後一時五十分。 沙耶はパソコンの前に座って、Zoomのリンクを開いたまま、接続ボタンを押せずにいた。 部屋は片付いている。背景に余計なものが映らないよう、朝から何度か確認した。服は仕事用にと買ったまましまってあった白いブラウスに着替えた。髪も、いつもより少しだけ丁寧にまとめた。 全部、達哉には言っていない。 今日も達哉は普通に出勤した。「夕飯、早めにして」とだけ言い残して。沙耶は「わかった」と答えた。それだけの朝だった。 大丈夫。ただの打ち合わせだ。 沙耶は小さく息を吐いて、接続ボタンを押した。 画面が開いた。 最初に目に入ったのは、整然とした部屋だった。本棚、白い壁、窓から差し込む光。そしてその中心に、一人の男が座っていた。 三十五歳。写真で見た通りの顔だったけれど、印象は少し違った。写真より、穏やかだった。切れ者然とした雰囲気を想像していたけれど、画面の向こうの神崎蓮は、どこか静かな人に見えた。目が、落ち着いている。何かを値踏みするような視線ではなく、ただまっすぐ、画面を見ている。 「岸谷さん、はじめまして。神崎です」 声は低くて、穏やかだった。 「はじめまして、岸谷です。本日はよろしくお願いします」 沙耶は少し早口になった。自分でわかった。 神崎は微かに目を細めた。笑ったのかもしれない。口元はほとんど動かなかったけれど、目だけが少し柔らかくなった。 「緊張させてしまいましたか」 「……少し」 正直に言うつもりはなかったのに、口から出ていた。 
last updateLast Updated : 2026-08-28
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第5話  夢中

金曜日の朝、達哉を送り出してからすぐ、沙耶はパソコンを開いた。 コンセプト案。来週中という締め切りまで、まだ余裕はある。でも、頭の中にあるものを早く形にしたかった。昨日の打ち合わせで神崎から聞いた言葉が、まだ鮮明なうちに。 ターゲットは三十代の働く女性。キャリア支援のサービス。堅すぎず、でも軽くもない。 沙耶はまず、言葉を書き出すことから始めた。デザインより先に、言葉。これは沙耶がずっとやってきたやり方だった。依頼主が伝えたいことを言語化してから、視覚に落とし込む。遠回りに見えて、これが一番ブレない。 三十代の働く女性。 沙耶は手を止めた。 それは──自分のことでもある。 二十八歳だから厳密には違うけれど、あと二年もすれば三十代だ。フリーランスとして働いて、家庭を持って、でも何かがずっとうまくいかない気がしている女性。そういう人たちに届くものを作りたい、と神崎は言っていた。 届くもの。 沙耶は再びキーボードに向かった。言葉が、少しずつ出てきた。 午前中いっぱい、沙耶は画面と向き合った。 コンセプトのキーワードを並べて、整理して、また並べ直す。色のトーンを考える。フォントのイメージを探す。参考になりそうな事例を集めて、でも似すぎないように距離を取る。 気づいたら、昼を過ぎていた。 お腹が空いていることにも気づいていなかった。コーヒーも、朝に入れたまま飲み忘れていた。冷めきったカップを持ち上げて、一口飲んで、沙耶は小さく笑った。 こんなに夢中になっ
last updateLast Updated : 2026-08-29
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第6話  評価

月曜日の朝、達哉を送り出してから、沙耶はコンセプト案の最終確認をした。 金曜日に骨格を作って、土曜日に細部を詰めて、日曜日は義実家に行ったので触れられなかった。昨夜、帰宅してから少しだけ見直して、これでいいと思った。でも今朝、もう一度開いてみると、また気になるところが出てくる。 デザイナーの性分だと思う。 完璧なものなど存在しないのに、完璧に近づけようとする手が止まらない。どこかで「もういい」と決断しないと、永遠に送れない。 沙耶はコーヒーを一口飲んで、画面を見た。 キーワードは三つに絞った。「静かな強さ」「等身大の誠実さ」「一歩先の自分へ」。この三つが、神崎の言っていた「堅すぎず、でも軽くもない」という方向性と重なると思った。色のトーンはオフホワイトとテラコッタとダークグリーン。フォントは明朝体ベースで、でも少し柔らかいものを選んだ。 これでいい。 今日こそ、そう決めた。 沙耶はメールを開いて、ファイルを添付した。 神崎様 お世話になっております、岸谷です。 コンセプト案をお送りします。 方向性の確認ということで、まずはラフな段階のものになりますが、 ご意見をいただけますと幸いです。 よろしくお願いいたします。 岸谷沙耶 送信ボタンを押した。 今日で何度目だろう、この緊張は。押すたびに少しずつ慣れていくかと思ったけれど、神崎へのメールだけは毎回、指先がわずかに固くなる。
last updateLast Updated : 2026-08-30
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第7話  見ている人

 火曜日の朝、沙耶は少し早く起きた。 理由は自分でもよくわかっていた。来週の打ち合わせに向けて、フォントの選択肢を整理しておきたかった。神崎に「迷いが見えた」と言われたあの部分を、もう一度きちんと考えたかった。 達哉が起きてくる前に、一時間だけ。 パソコンを開いて、コンセプト案のファイルを出した。フォントのページだけを切り取って、別のファイルに並べる。明朝体が三種類、サンセリフが二種類。それぞれにキーワードを当てはめて、どれが一番「静かな強さ」に近いかを見ていく。 頭が、静かに動いている。 こういう時間が、好きだ。誰にも邪魔されない、自分だけの思考の時間。答えが出るかどうかより、考えること自体が心地よい。 三十分ほど経った頃、寝室のドアが開く音がした。 沙耶はパソコンを閉じた。 反射的に、だった。 閉じてから、自分がそうしたことに気づいた。達哉が起きてくる前に閉じた。見られたくなかったわけじゃない──と思う。ただ、あの「胡散臭い」という言葉が、まだ耳に残っていた。昨夜の言葉が、今朝の沙耶の手を動かした。 これが、積み重なるってことなんだろうな。 沙耶は立ち上がって、キッチンへ向かった。今日の朝食を作り始める。いつも通りの朝が、また始まった。 水曜日の夜、沙耶はフォントの結論を出した。 明朝体の中でも、線の細いもの。主張しすぎない、でも存在感がある。「静かな強さ」という言葉に、一番近い。迷っていたのは、見た目の美しさを優先しすぎていたからだった。美しさより、伝わること。依頼主が誰に何を届けたいかを、もう一度起点にすると、答えはひとつに絞れた。 沙耶はその選択を、小さなメモに書いた。
last updateLast Updated : 2026-08-31
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第8話  ワガママな依頼人

 金曜日の午前中、沙耶のメールに新しい依頼が届いた。 神崎からの仕事が本格的に動き始めて、気持ちに少し張りが出てきた頃だった。新しい依頼が来ること自体は珍しくないけれど、今日のメールは最初の一行から、少し違う空気があった。岸谷さん、はじめまして。美容ブランド「AYANO」を運営している三浦彩乃と申します。ホームページのリニューアルをお願いしたいのですが、とにかく私のイメージ通りに仕上げてほしいんです。予算は正直あまりないので、できるだけ抑えてほしいです。でもクオリティは絶対に落としたくないので、よろしくお願いします。三浦彩乃 沙耶は一度読んで、もう一度読んだ。 予算は抑えたい。でもクオリティは落としたくない。とにかく私のイメージ通りに。 この三つが一つのメールに並んでいる。 面倒だな。 正直、そう思った。こういう依頼には、経験上、ある種のパターンがある。最初は「イメージ通りに」と言って、いざ提案すると「なんか違う」が始まる。「なんか違う」の修正を繰り返すうちに、当初の予算では到底収まらなくなる。でも「最初に予算を決めたのはあちら」という事実があるから、追加請求もしづらい。 断ってもいい案件だった。 でも沙耶は、すぐには断らなかった。 「AYANO」か。 メールを閉じて、検索した。美容ブランド、AYANO。出てきたサイトを開くと、確かにリニューアルが必要だと思った。デザインが古い。コンテンツの量に対して、見せ方が追いついていない。商品そのものは悪くなさそうなのに、サイトが足を引っ張っている。 もったいない、と沙耶は思った。 こういうサ
last updateLast Updated : 2026-09-01
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第9話  限界の手前

 木曜日の深夜、午前二時。 沙耶はパソコンの画面を見つめたまま、まばたきをした。 痛かった。 まばたきするたびに、目の奥がじりじりと痛む。乾いた眼球に瞼が張り付くような、不快な感覚。目薬を差してから三時間が経っていた。手元のボトルを取って、もう一度差す。冷たい液体が目に広がって、一瞬だけ楽になる。でも画面に視線を戻すと、すぐにまた乾いていく。 もう少し。あと少しだけ。 沙耶は自分にそう言い聞かせて、マウスを動かした。 神崎の案件のコンセプト修正、彩乃のサイト構成案、カフェのロゴ最終調整、そして佐伯のホームページ初稿。四つが同じ週に重なった。それぞれ単独なら余裕がある。でも四つ同時は、思っていたより遥かに重かった。 月曜から今日まで、平均睡眠が四時間を切っていた。 佐伯恒一からのメールが来たのは、先週の月曜日だった。 件名は「ホームページ制作のご依頼」。 開いた瞬間、沙耶の胸に重たいものが落ちてきた。 理由はうまく説明できない。ただ、文面から滲み出る空気が、最初から沙耶の何かを萎縮させた。岸谷さん、ご紹介でご連絡しました。飲食店のホームページを作ってほしいんですが、予算は三万円でお願いします。納期は二週間以内で。それと、修正は何度でも対応してもらえますよね?プロなんだから当然だと思いますが。佐伯恒一 三万円。二週間。修正無制限。 一行ずつ読むたびに、胸の重さが増した。 断るべきだった。読んだ瞬間に、沙耶の中の何かがそう言っていた。条件が
last updateLast Updated : 2026-09-02
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第10話  指先まで来た言葉

 土曜日の朝、七時に目が覚めた。 昨夜十時に寝たから、九時間眠ったことになる。こんなに長く眠ったのは、いつぶりだろう。身体が重い。でも昨日までとは違う重さだった。疲労が抜けていく途中の、じんわりとした重さ。 達哉はまだ寝ていた。 土曜日は達哉の起床が遅い。九時か十時まで寝ていることが多い。その間の二、三時間が、週の中で一番静かな時間だった。 沙耶はそっとベッドを抜け出して、キッチンへ向かった。 コーヒーを入れながら、今日やることを頭の中で整理した。神崎への修正データの最終確認、彩乃の構成案の仕上げ、カフェのロゴ。そして──佐伯への返信。 コーヒーカップを両手で包んで、ソファに座った。 窓から朝の光が入ってくる。柔らかくて、まだ角のない光。昨日とは違う目で、同じ部屋が少し違って見えた。 今日は、ちゃんと考えよう。 佐伯のことを。 スマートフォンを開いて、佐伯からのメールをもう一度読んだ。 昨日は虚しさで閉じてしまったメールを、今朝は最後まで読んだ。岸谷さん、進捗どうですか。依頼してから一週間経ちますけど、まだ何も来てないんですが、大丈夫ですか。納期守ってもらえますよね?プロなんだからそのくらい当然ですよね。 読み終えて、沙耶はしばらくスマートフォンを持ったまま考えた。 三万円。修正無制限。「プロなんだから当然」を二度。 一つ一つは、それだけを取り出せば対処できる。でも全部が重なると、これはただの条件の問題ではない気がした。この仕事を続けていくと、どうなるか。修正を出すたびに「
last updateLast Updated : 2026-09-03
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