Todos los capítulos de 婚約破棄されました。告発内容は、すべて事実です  ~前世で魔王だった悪役令嬢は、宿敵だった皇太子に溺愛される~: Capítulo 11 - Capítulo 20

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第10話 反射で、殲滅

馬車の扉が、外から叩かれた。「殿下。街道の左手、森林帯より魔獣の群れ。数、およそ四十」「種は」「灰狼です。それと――大型が一体」「規模が合わないな」アルヴィス様は短く言って、外套を掴んだ。「季節外れだ。何かに追われて出てきたか、あるいは誰かが押し出したか」「はっ」「隊列を組め。馬車は動かすな。ヴィオレット嬢、失礼」彼は私の手を取り――ではなく、私の膝に薄い毛織の掛け布をかけた。「え」「肌寒くなる。外は騒がしくなるが、心配は要らない。少し待っていてくれ」そして、扉を開けて出ていった。私は掛け布を膝に載せたまま、しばらく動けなかった。*外は、たちまち慌ただしくなった。金属の触れ合う音。指示を飛ばす声。馬のいななき。天幕を畳む音。私は窓に寄って、外を覗いた。騎士たちが素早く展開していく。無駄がなかった。中央にアルヴィス様が立ち、右手を軽く上げるだけで、隊がひとつの生き物のように形を変える。――強い。そう思った。指揮が、ではない。彼自身が、だ。立ち方で分かる。足の置き方、重心の残し方、視線の配り方。あの人はたぶん、この場の誰よりも強い。私は窓枠を握りしめた。「お嬢様」隣にシェラがいた。「馬車から出ぬようにと、仰せつかっております」「……ええ」「お嬢様」「分かっています」分かっている。私は皇太子妃候補で、令嬢で、守られる側だ。それが今世の私の立場だ。前世とは違う。じっとしていればいい。*森から、灰色の影が湧き出した。灰狼。馬より一回り大きく、群れで狩る。単体なら騎士一人で足りるが、四十を超えると話が変わる。騎士たちが迎え撃った。見事なものだった。前列が槍で足を止め、後列が魔術で薙ぐ。狼が三頭、四頭と崩れていく。崩れて、なお前に出てくる。――おかしい。灰狼は臆病な獣だ。仲間が倒れれば散る。それが群れで狩る生き物の理屈だ。散らない群れというのは、つまり。背後から、もっと恐ろしいものに追われている。その考えが形になった瞬間、森が、割れた。木が、三本まとめて倒れた。そこから出てきたものを、私は知らなかった。牛を五頭ほど縦に繋いだくらいの体躯。背に硬い甲板が並び、頭部には角が二対。前脚が異様に長い。咆哮が空気を叩いた。馬が総立ちになった。騎士の一人
last updateÚltima actualización : 2026-08-29
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第11話 強さが美徳の国

国境を越えた瞬間、景色が変わった。比喩ではない。本当に変わったのだ。アーデルハイド側は、なだらかな麦畑がどこまでも続いていた。それが石造りの関を抜けた途端、急に土地が起伏を持ち始めた。丘の稜線に沿って街道が走り、その両脇に、等間隔で何かが立っている。「あれは、何ですか」「石碑だ」アルヴィス様が窓の外へ顎をしゃくった。「戦死者の名を刻んである。この街道は、二百年前に帝国が北方の連合軍を退けた戦場だ」「二百年前の名を、今も」「毎年、削り直している。名は消えないほうがいい」私は窓に額を寄せた。石碑には花も供物もなかった。ただ名前と、その下に短い一行だけが刻まれている。遠目には読めなかったが、たぶん、その者が何をしたのかが書いてあるのだろう。アーデルハイドの霊廟には、聖教会の紋章と祈りの言葉が刻まれる。誰が何をしたかは書かれない。すべては神の御業とされるからだ。――違う国に来たのだ、と思った。*道中の宿場で、私は妙なことに気づいた。人が、寄ってくる。アーデルハイドでは逆だった。私が通ると人垣が割れた。誰も目を合わせず、視界の端で私を追い、通り過ぎてから囁いた。ここでは、寄ってくる。「なあ、あんたかい」宿の主人らしき大男が、朝から堂々と話しかけてきた。「街道の化け物を、一撃で片づけたっていう」「……ええと」「うちの息子が騎士団におってな。昨夜の早馬で報せが来た。首から上を消し飛ばしたって聞いたが、本当かい」私は答えに窮した。背後で、若い騎士が誇らしげに胸を張っている。「本当です! 私はこの目で見ました!」「おい、余計なことを――」「あの角二対の大物です。甲板持ちの。あれを一秒です、一秒!」「一秒だと?」宿の主人が目を剥いた。そして、次の瞬間には手を打ち鳴らしていた。「はっはあ! そりゃあいい! 皇太子殿下も、とんでもねえのを連れて帰るじゃねえか!」「おい親父、それは不敬だぞ」「うるせえ、俺は殿下の祖父様に槍で殴られた口だ」宿場の朝が、たちまち騒がしくなった。*やがて、こういうことが毎日になった。行く先々で人が寄ってくる。子どもが袖を引く。老人が「見せてくれ」と手を出す。私が困っていると、シェラが無言で間に入って追い払い、その隙にまた別の方向から人が来る。四日
last updateÚltima actualización : 2026-08-29
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第12話 皇太子妃教育、初日

案内された部屋の扉が開いた瞬間、私は足を止めた。「……あの」「気に入らないか」「いえ、そうではなく」窓辺に、花が活けてあった。白い小さな花が、房になって垂れている。鈴蘭だ。――子どもの頃に好きだった花は。馬車の中で、聞かれた。答えたのは五日前だ。屋敷の裏庭に自生していて、母に「毒があるから触ってはいけません」と叱られた、と。だから好きだったのだと。危ないものを可愛いと思うのは、私の悪い癖かもしれない、と。そんな話まで、私はしたのだった。書棚を見た。恋愛小説が並んでいた。背表紙を撫でていくと、アーデルハイドで流行った作家のものが混じっている。翻訳ではない。原語のまま取り寄せてある。寝台の脇の卓には、焼き菓子の小箱がひとつ。椅子の背には、薄い毛織の膝掛け。私はしばらく、部屋の真ん中に立っていた。「……五日で、ここまで」「四日だ。手配は二日目の夜に出した」「二日目」「あなたが答えてくれた端から、早馬に持たせた」彼は何でもないことのように言った。「足りないものがあれば言ってくれ。すぐ揃える」「……足りません」「何が」「心の、準備が」彼は少し考えて、真面目な顔で言った。「それは、私には用意できないな」*翌朝から、皇太子妃教育が始まった。現れたのは、六十がらみの女性だった。背筋が定規のようにまっすぐで、灰色の髪をひと筋も乱さず結い上げ、黒に近い紺の裾長の服を着ている。名をマルグリット・ダーレンと言った。「三代にわたり、この宮の礼法を預かっております」「……よろしくお願いいたします」「まずは、歩き方から拝見します」私は部屋の端から端まで歩いた。マルグリット夫人は、片眼鏡越しにそれを見た。そして、言った。「結構です」「……はい?」「歩容に乱れがありません。重心の移動が滑らかで、視線が定まっている。裾さばきも問題ない。皇太子妃として何ら不足はございません」私は面食らった。「あの、本当に」「わたくしは世辞を申しません」夫人は片眼鏡を外した。「ただし、ひとつだけ」「はい」「威圧が過ぎます」*「威圧」「ええ。歩いておられるだけで、部屋の空気が下がります」夫人は事務的に続けた。「先ほど、後ろに控えていた侍女が三人。うち二人が壁際まで下がりました。あなたが振り返った瞬間です」
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第13話 微笑みの練習

三日目に、木の器を卒業した。正確に言えば、木の器は初日で割った。二日目に厚手の陶器に移り、これは三度目で成功した。三日目の朝、マルグリット夫人は薄手の白磁を卓に置いた。私は、それを持ち上げた。割れなかった。「……割れません」「割れませんね」「割れませんでした!」「はしゃがない」叱られた。けれど夫人の口の端が、ほんの少しだけ上がったのを、私は見逃さなかった。「では、本日は表情に入ります」その一言で、私の背筋が凍った。「……表情」「社交の場において、最も重要な技術です。所作は練習で必ず身につきますが、表情は当人の内側が出ます」夫人は椅子を私の正面に据えた。「まず、微笑んでみてください」来た。来てしまった。私は覚悟を決めて、口角を上げた。――優しく。柔らかく。恋愛小説に出てくる令嬢のように。背後で、盆が落ちた。「……あの、夫人」「続けて結構です」「今、侍女の方が」「彼女は明日から別の部署に移ります。もともと決まっておりました」嘘だ、と思ったが、追及する勇気がなかった。「もう一度」私はもう一度、微笑んだ。夫人が、じっと私の顔を見る。「口角の上がり方は適切です。左右の高さも揃っている。頬の上がり方も自然です」「では」「目が、笑っておりません」「目」「はい。口元が笑い、目が笑っていない。これを人は――」夫人は言葉を選んだ。「――値踏み、と受け取ります」私たちは、目の練習に移った。「目尻を、下げてごらんなさい」私は目尻を下げた。侍女が一人、壁際まで下がった。「……眠たそうにしただけでは駄目です。眼球の力を抜くのです」私は眼球の力を抜いた。侍女が二人、扉の外へ出た。「まぶたを、ほんのわずかに。三分の一ほど落として」私はまぶたを落とした。残った侍女が、姿勢を崩さないまま、ゆっくりと目を逸らした。震えていた。「……夫人」「はい」「わたくしは、何をしているのでしょう」「獲物を、選んでおられます」*昼までに、この部屋の侍女は全員入れ替わった。私は鏡の前に立たされた。「鏡なら、怖がりません」夫人が言った。「ご自分の顔を見ながら、ゆっくり作ってごらんなさい」鏡の中の私が、こちらを見ていた。黒髪。紅い瞳。白い肌。造作は悪くない、と思う。母によく似ている。その顔が
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第14話 侍女の反乱

部屋に入って扉が閉まると、シェラは鍵をかけた。内側からだ。「……シェラ?」「人払いは済ませてございます」彼女は振り返った。侍女服のままだった。髪もいつも通り結い上げてある。それなのに、目の前にいるのが別人に見えた。背筋の伸び方が違う。いや――背筋は最初から伸びていた。変わったのは、彼女が私を見る角度だ。これまで、彼女は必ずわずかに視線を下げていた。侍女が主に対して取る角度で。今は、まっすぐこちらを見ている。「シェラ。あなたは」「お尋ねしてもよろしいですか」彼女は遮った。「先ほど、庭で」「……ええ」「お笑いになりましたね」私は、言葉に詰まった。「侍女どもが騒いでおりました。妃殿下がお笑いになった、と。それはもう、大変な有様で」「……騒ぐようなことでは」「大変な有様でございました」シェラの声は、平坦だった。「わたくしは、それを厨房で聞きました。芋の皮を剥きながら」そこで、彼女の手がわずかに震えた。「――笑うなど」「魔王様が」その一言で、部屋の空気が変わった。私は、動けなかった。「……今」「魔王様が、笑うなど」シェラは、深く息を吸った。そして、片膝をついた。床に。侍女服のまま。エプロンが皺になるのも構わずに。胸に手を当てて、頭を垂れた。「――お許しください」「シェラ」「十五年、お探し申し上げました。焔獄の宮が落ちたあの日、気づいたときには、わたくしはこの世界の乞食の子でございました」彼女は顔を上げなかった。「四天王が一一。灰塵のシェラハド」私は、椅子に手をついた。そうしないと、立っていられなかった。シェラハド。覚えている。当たり前だ。忘れるはずがない。四天王の中でいちばん若く、いちばん口が悪く、いちばん私に忠実だった男。斥候と暗殺を束ね、私が眠るときは必ず扉の外にいた。最後に見たのは、玉座の間だった。深淵の軍勢が城壁を越えたと報せが来て、私が単身で出ようとしたときだ。彼は止めた。私は押しのけた。それが最後だった。「……シェラハド」「はい」「あなたは、男だったでしょう」「……はい」彼女は、はっきりと言った。「転生術というものは、そこまで面倒を見てくれぬようでございます」私は、椅子に沈み込んだ。――他にも、いた。その事実が、頭の中で何度も跳ね返っ
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第15話 夜会デビュー

夜会の支度は、無言で進んだ。シェラは、いつも通りに働いた。湯浴みの支度をして、髪を結い、宝飾を選び、私の背後で紐を締めた。手際は完璧だった。前世の話など、一度も出なかった。「……シェラ」「はい」「その、昨日の」「本日の装いは、深紅にいたしました」彼女は鏡越しに言った。「帝国の色でございます。旧貴族派は、他国から来た娘が帝国の色を纏うことを不遜と取るでしょう。ですが、遠慮した色を選べば、それはそれで侮られます」「……そうね」「侮られるくらいなら、不遜と言われた方がよろしい」私は鏡の中の彼女を見た。彼女は目を合わせず、髪飾りを挿していた。「シェラは、わたくしに戦えと言っているのね」「いいえ」彼女の手が止まった。「勝たれよ、と申し上げております」*大広間の扉が開いた。音楽が止まった。数百の視線が、一斉にこちらを向いた。――ああ、これは、あの夜と同じだ。婚約破棄の夜。数百の目に見られた、あの感覚。けれど、違うところもあった。あの夜、彼らは私を怖れていた。ここでは、誰も怖れていない。代わりに、測っている。「――ヴィオレット・ノクスハイム嬢」侍従の声が響いた。私は、マルグリット夫人に叩き込まれた形で、裾を摘まみ、膝を折った。敗者の礼ではない、新しい礼だ。大広間が、しんとした。最初に近づいてきたのは、白髪を撫でつけた初老の男だった。「これはこれは。お噂はかねがね」上等な仕立ての礼服。胸に古い意匠の徽章。「グレンツ侯爵と申します。帝国貴族院の末席を汚しております」末席、という言葉が嘘であることは、周囲の者の位置取りで分かった。彼の背後に十数人が扇形に控えている。「アーデルハイドより、ようこそ」「お招きに預かり、光栄に存じます」「いやいや。しかし驚きました。殿下が突然お発ちになったかと思えば、たった五日で妃候補を連れてお戻りとは」侯爵は、扇のように両手を広げた。「よほど、名高いご令嬢なのでしょうな」「――名高い、と申しますと」「ええ。それはもう」彼は微笑んだ。「アーデルハイドの卒業パーティにて、随分と華々しい夜を過ごされたとか」周囲から、抑えた笑いが起こった。私は、表情を変えなかった。変えられなかった、というのが正確だ。――知っている。この人たちは、あの夜のことを知っている
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第16話 決闘

決闘は、翌朝と決まった。帝国の作法では、申し込みは即日、立ち会いは翌朝と定められている。夜を一つ挟むのは、双方に考え直す機会を与えるためだそうだ。私は、その夜を眠らずに過ごした。「やめてもいい」夜半、部屋を訪ねてきたアルヴィス様が言った。「私が発端だ。私が撤回すれば、彼も引く」「……いいえ」「無理をする必要はない」「無理では、ありません」私は窓辺に立ったまま答えた。「怖いのです」彼は黙った。「負けるのが怖いのではありません。それは、たぶん、ありません」言ってしまってから、傲慢だと思った。けれど嘘は言えなかった。「怖いのは」私は、自分の右手を見た。「――殺してしまうことです」「わたくしは、今世で人と戦ったことがありません」指が、震えていた。「魔獣は違います。あれは反射で構いません。ですが、人は」前世で、私が人に向けて手を上げた回数を、私は覚えていない。覚えているのは、どうやったかだ。身体が覚えている。相手の呼吸のどこを狙えば一息で終わるか。刃をどの角度で入れれば苦しませずに済むか。逃げる者をどう追えば最短か。そういう技術ばかりが、綺麗に残っている。「手加減というものを、わたくしは習ったことがないのです」私は言った。「加減して勝つ、という戦い方を、教わったことがありません。前世で必要がなかったから」「……そうか」「明日、あの方が本気で来られたら」私の指が、勝手に動く。魔獣のときのように。馬車の木枠のときのように。侍女の腕のときのように。「――わたくしは、たぶん、応えてしまいます」アルヴィス様は、しばらく何も言わなかった。やがて、彼は言った。「ヴィオレット」「……はい」「あなたは、七つのとき侍女の腕を折った」私は顔を上げた。話した覚えがなかった。「……なぜ、それを」「調べた」彼はあっさり言った。「不快なら謝る。だが、知っておきたかった」「……いえ」「その侍女は、今も公爵家にいる。三年前に厨房の主任になっている」「……はい」「あなたは、折った。折っただけだ」私は、息を止めた。「七つのあなたは、加減を知らなかった。だが、殺してはいない。腕を掴んで、折った。それだけで止めている」彼は、静かに続けた。「三月の階段でも、あなたは掴んで引き上げた。痣は残ったが、それだけ
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第17話 はじめての、褒められかた

決闘の翌日から、皇城が変わった。廊下ですれ違う侍女が、壁際に寄らなくなった。寄らないどころか、立ち止まって礼をする。そのあと、顔を上げて笑う者までいる。「おはようございます、ヴィオレット様」「……お、おはようございます」「昨日は、拝見しておりました。三階の窓から」「そう、ですか」「あの、その」若い侍女は頬を紅潮させて言った。「かっこよかったです!」そして脱兎のごとく走り去った。私は廊下に取り残された。*そういうことが、一日に十回ほど起きた。厨房の前を通れば料理人が出てきて「今朝の焼き菓子は特別に作りました」と言う。中庭を歩けば庭師が「あの砂は片づけましたのでご心配なく」と言う。練兵場の前を通ったら、修繕中の石工が槌を置いて頭を下げた。「あの、修繕費は、わたくしが」「とんでもない」石工頭は笑った。「あれは名誉の穴でさあ。うちの若いのが、削った石を欲しがって喧嘩しております」「……喧嘩」「お守りにするんだと」私は、返す言葉がなかった。*昼過ぎ、マルグリット夫人の教育があった。彼女は白磁の茶器を前に、片眼鏡を光らせた。「本日で、七日目でございます」「はい」「破損、ゼロ」「……はい」「歩容、良好。礼の形、完成。表情については――」夫人は言葉を切った。「本日の侍女の交代は、ございません」私は目を瞬いた。「あの、それは」「一人も、逃げませんでした」夫人は片眼鏡を外した。「ヴィオレット様。四十年やってまいりましたが、七日でここまで来た方は、記憶にございません」「……いえ、そんな」「ご謙遜は不要です」「本当に、たまたまで」「たまたま、五客割ってから七日で白磁を扱えるようにはなりません」「ですが、皆さんが手を貸してくださったので」「ヴィオレット様」夫人の声が、少しだけ硬くなった。「なぜ、受け取らないのです」*その夜、私はそのことを考えていた。窓辺の椅子に座って、暮れていく庭を見ていた。――受け取らない。そう言われて、初めて自覚した。今日一日、私は何十回か褒められた。そのすべてに、私は同じ返事をしていた。いえ、そんな。たまたまです。皆さんのおかげです。嘘ではない。本当にそう思っている。けれど。「入っても」扉の外から声がした。「……どうぞ」アルヴィ
last updateÚltima actualización : 2026-08-29
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第18話 聖女の託宣

封を切ったのは、アルヴィス様だった。「私が読む。……構わないか」「はい」朝食の間に、四人がいた。私とアルヴィス様。壁際にガイル。扉の脇にシェラ。彼は書面を広げ、しばらく黙って目を走らせた。そして、言った。「――くだらん」初めて聞く声だった。「アルヴィス様?」「読み上げる。腹が立ったら止めてくれ」「『聖教会アーデルハイド管区、大司教バルドウィンより、レーヴェンハルト帝国皇太子アルヴィス殿下へ』」大司教。聞き覚えのない名だった。あの夜の司祭は、もっと下の位のはずだ。「『先般、貴国が我が国より連れ出されたヴィオレット・ノクスハイムなる女につき、看過し難き事実が判明いたしました』」「……はい」「『聖女候補ミナ・レンフィールドに、繰り返し託宣が下されております。曰く、かの女は人の身に非ず。曰く、かの女は大いなる災いを大陸にもたらす』」私は、フォークを置いた。「『我らは貴国の主権を尊重するものでありますが、事は一国の問題に留まりません。つきましては、かの女の身柄を聖教会に引き渡し、審問に付されたく』」ガイルが、低く唸った。「『応じられぬ場合、教会は大陸全土の信徒に向け、レーヴェンハルト帝国が災厄を庇護せる国であることを告知せざるを得ません』」アルヴィス様は、そこで書面を置いた。「――以上だ」「殿下」ガイルが一歩前に出た。「これは、脅しでございます」「そうだな」「教会が大陸中の信徒を煽れば、交易に響きます。北の三国は教会の影響が濃い。港が締まれば」「締まればいい」彼は即答した。「三年は持つ。その間に別の航路を開く。ガイル、東方の商会に人をやれ」「……はっ」「それと、この文面を写して各国の宮廷に回せ。原文のままでいい」「原文を、でありますか」「読んだ者は考える。『次は自分の国か』と」ガイルが、深く礼をして出ていった。私は、その背中を見送った。そして、口を開いた。「アルヴィス様」「うん」「わたくしが、行けば」「駄目だ」「ですが、これは帝国に何の利も――」「ヴィオレット」彼は書面を折りたたんだ。「この文書には、決定的な嘘がひとつある」「嘘」「『審問に付されたく』の部分だ」彼は言った。「教会に審問という手続きはない。あるのは糾問だけだ。あれは結論の決まった儀式で、二百年の記録で無罪が
last updateÚltima actualización : 2026-08-29
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第19話 眠れない夜

その夜、私は数えようとした。寝台に横たわって、天井を見上げて、数えようとした。――何人だったろう。数万、とミナさんは言った。正確な数字を、私は知らない。前世で、そんなものを勘定した覚えがない。落とした街の名前は覚えている。焼いた城の位置も、季節も、天気さえ覚えている。けれど、人の数は。一度も、数えなかった。数えられないなら、顔を思い出そうとした。ひとつでいい。誰か一人の顔を。目を閉じた。炎が見えた。それはすぐに出てくる。赤の、もっと奥にある色。あの色は忘れようがない。その中に、人がいたはずだ。――誰か。輪郭が浮かびかけて、すぐ崩れた。もう一度、試した。崩れた。私は寝台の上で身体を起こした。思い出せなかった。一人も。前世で、私が終わらせた人間の顔を、私は一つも覚えていない。背中は覚えている。逃げていく背中。あれは風景として覚えている。けれど顔は、ない。――見ていなかったからだ。私は、見ていなかった。戦の前に敵の総数を数え、地形を測り、退路を塞ぎ、そして片づけた。片づけるものを、一つずつ見る必要がなかった。見ていたら仕事にならなかった。だから見なかった。そうやって十九年生きて、二十三で死んだ。私は寝台から降りて、窓辺の椅子に座った。膝を抱えた。――ならば、私が背負っているものは、何なのだろう。数も知らない。顔も知らない。名前など、一つも。私が知っているのは「数万を焼いた」という言葉だけだ。言葉だけを抱えて、私は罪だ罪だと言っている。それは、償っていることになるのだろうか。――なっていない。はっきりと、そう思った。罪の重さを感じている自分に、少し酔っていたのではないか。赦されてはいけないと繰り返すことで、何かをした気になっていたのではないか。本当に背負うというのは、たぶん、そういうことではない。けれど、では、どうすればいいのか。分からなかった。窓の外は、深い夜だった。庭の輪郭がぼんやりと見える。タリアの木立。石畳。噴水。――この国は、大陸に敵と呼ばれる。昼間の書簡が、頭の中で繰り返される。教会は大陸中の信徒に告知する。レーヴェンハルト帝国は災厄を庇護している、と。港が締まる。交易が滞る。そのぶん、誰かが困る。宿場の主人。息子が騎士団にいる
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