「恵理奈さん。港南ハーバーレジデンスの最終提案書、明日の朝一で取締役会に出さなきゃいけないの。リスク評価は今夜中に仕上げておいてって、誠司さんが言ってたわ」玲奈はそう言うが早いか、分厚い書類の束を私のデスクに無造作にどさりと置いた。一番上には最新の環境調査報告書。その下にテナントとの係争に関する資料、融資条件、最新の改修予算書が積み重なっている。どれか一つでも見落とせば、会社に数億円規模の損失が出かねない代物だ。玲奈がこの案件を受け取ったのは午後3時。だが、時刻はすでに夜の8時40分を回っている。「わかったわ」私は書類を手元に引き寄せた。私があっさり引き受けるとは思っていなかったのだろう。玲奈は一瞬、拍子抜けしたような顔を見せた。「私と誠司さん、今夜は銀行との打ち合わせなの。遅くなるかもしれないから、終わったら社長室に置いといてね」踵を返しかけた彼女は、ふと立ち止まって振り返った。「あ、そうそう。社長室の建築模型、埃をかぶってるみたいなの。ついでに拭いておいてくれる?」言うだけ言うと、カツカツとヒールを鳴らしながら去っていった。フロアに、しんとした静けさが戻る。残業していた数人の社員が、気まずそうにちらちらとこちらをうかがっていた。私が誠司の妻だということは、社内で知らない者はいない。玲奈はただの秘書にすぎないはずだった。それなのに、この桐生開発で我が物顔で周囲に指図する彼女は、まるで自分こそが社長夫人であるかのように振る舞っていた。半年前、誠司は倒産寸前だった不動産会社から彼女を引き抜いてきた。大型開発プロジェクトに携わった経験など皆無にもかかわらず、たった3か月で社長秘書から開発部次長の座へと駆け上がったのだ。その彼女が今、港南ハーバーレジデンスに手を伸ばしている。あの、私のプロジェクトに。私は1年以上かけて用地取得の交渉を重ね、法務や資金繰りの問題を一つ一つ潰してきた。ようやく着工にこぎつけたそのとき、誠司はプロジェクトリーダーを玲奈に替えると言い出したのだ。先週の役員会では、7人の役員全員がこの理不尽な人事に異を唱えた。この人事に賛成したのは、社長である誠司ただひとりだった。それでも彼は考えを改めるどころか、私が役員たちを裏で抱き込み、新参者である彼女を追
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