バレンタインデー当日。手元の書類を整理していると、カウンターがコンコンと2度叩かれた。「実乃里、怒るなよ。ただの罰ゲームなんだからさ」顔を上げると、5年付き合っている婚約者の英嗣が立っていた。隣には、彼の「マブダチ」を気取って普段からまとわりついている咲智子が、ぴったりと寄り添っている。彼女は親しげに英嗣の腕にしがみつき、明らかにサイズの合わないメンズの白シャツをだぼっと羽織っていた。見覚えがある。先週、私が英嗣の誕生日にプレゼントしたばかりのシャツだ。英嗣は媚びるような薄笑いを浮かべ、窓口の隙間から婚姻届を滑り込ませてきた。「ゲームで負けちゃってさ。咲智子と1日だけ入籍する羽目になったんだ。安心してくれよ、明日の朝イチで離婚しに来るから」咲智子は彼の肩に頭を預け、嘲るようにくすくすと肩を揺らす。その瞳には隠しきれない挑発の色が宿っていた。「実乃里さん、まさかそんな器の狭いこと言って、手続きを突っぱねたりしないよね?私たちマブダチ同士だし、ただのお遊びなんだから本気にしないでよ」差し出された書類を受け取る私の指先は、冷たく強張っていた。目の前に並ぶ男女。一人は、生涯を誓い合ったはずの恋人。もう一人は、「妹以上に大切なダチ」だと彼が言い張ってきた女。その二人がバレンタインの真っ昼間に、私自身の手で婚姻届を受理させようとしている。あまりにも滑稽で、吐き気すら覚える茶番だ。同僚たちからの探るような視線が突き刺さり、後ろに並ぶカップルのひそひそ話が耳に届く。居心地の悪さを覚えたのか、英嗣はいらだちを隠さずに急かしてきた。「実乃里、早くしてくれ。終わったらすぐ行くから」咲智子はあてつけのように彼の肩へ頬を擦り寄せ、声を出さずに口元だけを動かした。――昨日の夜、彼は私のものだったよ。深く息を吸い込み、胸の底からせり上がる不快感を押し殺す。そして顔を上げ、窓口用の完璧な営業スマイルを作った。「かしこまりました。規定に従い、お手続きを進めさせていただきます」婚姻届に目を通し、記入漏れや不備を手際よく確認していく。必要な訂正箇所を淡々と案内し、事務的に筆を走らせた。すべての手順において、非の打ち所がない手際を貫く。まるで、どこにでもいる赤の他人の申請を処理しているかのように
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