「諸々意味」を英語で表現するとどうなる?似た表現は?

2026-02-09 10:26:43 240

3 Answers

Grayson
Grayson
2026-02-12 11:24:50
諸々意味」を英語で表現する場合、'various meanings'や'multiple meanings'が最も直訳に近いでしょう。

しかし、文脈によってニュアンスが変わります。例えば、'and so on'は「など」という意味で、物事を列挙した後に使う表現です。'all sorts of things'は「いろいろなこと」という漠然としたニュアンス。'this and that'は「あれこれ」というカジュアルな表現で、日常会話でよく使われます。

特に興味深いのは'etcetera'(略して'etc.')で、ラテン語由来のこの表現は「その他のもの」を指しますが、フォーマルな文書からカジュアルな会話まで幅広く使える便利さがあります。'miscellaneous'も似た概念ですが、どちらかと言えば分類不能な雑多なものを指す傾向があります。
Liam
Liam
2026-02-13 10:24:56
英語で「諸々」を表現するなら、'various'や'miscellaneous'が定番だけど、もっとくだけた表現だと'stuff'も使えるね。特に若者同士の会話では'and stuff like that'って言い方がよく出てくる。

面白いのは'odds and ends'という表現で、これも「あれこれ」「いろいろなもの」という意味。語感が楽しくて、小物や雑貨を指すことが多い。'bits and pieces'も似たようなニュアンスで、どちらも物を指す時に使われる傾向がある。

ビジネスシーンでは'various and sundry'という少し古風な表現もたまに聞く。どことなく上品な響きがあって、契約書なんかで見かけるかも。
Una
Una
2026-02-14 07:21:17
「諸々」の英語表現でユニークなのは'sundry'。この単語、古英語から来ていて、今ではほとんど'sundry items'とか'sundry expenses'みたいな形でしか使われない。

意外と知られてないのが'this, that, and the other'という口語表現。文字通り「あれこれ」って意味で、話し言葉ならこれが一番自然かも。

ネットスラングだと'blah blah blah'も「いろいろ」の意味で使われるけど、ややネガティブなニュアンスがあるので注意が必要。
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