この帝国を現代の地図に重ねると、まず分断と重なりの多さに驚くと思う。中央にあるのは現在のドイツ(ほぼ全域)で、帝国の“核”と考えて差し支えない。加えて今日のオーストリアは長くハプスブルク家を通じて帝国内で重要な地位を占めていたし、スイスの多くの地域もかつては帝国領だった。ただしスイスは徐々に独立を強めていったため、境界は流動的だ。
次に西へ目を向けると、アルザス=ロレーヌ(現在のフランス東部)やルクセンブルク、ベルギーの一部、オランダ南部も頻繁に帝国内の勢力圏に入っていた。東側ではボヘミア(現在のチェコ)や一部のシレジア(現ポーランド西部)も重要な王国・公国として帝国制度の中に位置付けられていた。イタリア北部については、ロンバルディアの都市国家群が帝国法上の位置を占めていたが、実態は自治的で複雑だった。
こうした点を踏まえ、単純に境界線を引くのは難しい。各地の領主、教会、帝都市(フライシュタット)といった“多層的な主権”が重なり合ったのが特徴だからだ。詳しく知りたいときは、学術書の視点で整理されている'The Holy Roman Empire'(Peter H. Wilson)を参照すると、領域ごとの歴史的変遷がつかみやすいと感じた。こうした地理の曖昧さこそが、この制度の面白さでもあると思う。