エンドロール中に観客が退席してしまう心理的理由は?

2026-01-18 03:51:09 120

3 Answers

Aiden
Aiden
2026-01-21 07:16:28
エンドロール退席の背景には、作品と観客の関係性の変化があります。昔の映画はエンドロールも含めて『作品の一部』という意識が強かったのですが、現代では『必要な情報』以上の意味を見出せなくなっているのでしょう。特に若年層はED音楽よりも次の予定を優先しがちです。

ただし例外もあって、『アベンジャーズ』シリーズのポストクレジットや、『鬼滅の刃』の特別映像がある場合には、劇場が沸き立つ光景を何度も目にしました。この違いは『見逃す可能性のあるコンテンツ』があるかどうかで説明できる気がします。単なるスタッフリストではなく、何か特別なご褒美があると感じさせる仕掛けが重要なのでしょう。
Delaney
Delaney
2026-01-23 19:56:41
エンドロール退席には面白い社会心理が働いています。まず『集団同調性バイアス』——周囲が立ち上がると『自分もそうすべき』と感じる心理です。映画館という公共空間では、他人の行動が自分の判断に無意識に影響を与えます。また『サンクコスト効果』の逆説とも言えます。2時間投資した物語に対し、クレジットまで見ることでさらに時間を費やすことに抵抗を感じるのでしょう。

個人的に気づいたのは、デジタル配信時代の習慣の影響です。自宅で作品を観るとき、多くの人がエンドロールを早送りする癖がついています。この行為が劇場でも無意識に再現されているのかもしれません。逆にアニメファンは挿入歌や作画スタッフを確認するため、最後まで残る傾向が強いように感じます。
Noah
Noah
2026-01-24 22:57:01
映画館でエンドロールが流れ始めると、多くの人が席を立つ光景をよく目にします。これは単に時間の節約というより、物語の締めくくりに対する認識の違いが大きい気がします。現代の娯楽作品はクライマックスで全てを解決する傾向が強く、ポストクレジットシーンがある場合を除き、観客は『もう終わった』と感じてしまうのでしょう。

特にハリウッド大作では、エンディング後のスタッフロールが10分以上続くことも珍しくありません。この『儀式的な長さ』が退屈に感じられ、次の予定へ急ぐ心理を生みます。一方で『君の名は。』のエンドロールのように、音楽とビジュアルで没入感を維持する作品では、最後まで残る観客が多くなる現象も興味深いですね。
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