教育的な遺産も見逃せない。ヨハン・ヨーゼフ・フックスが宮廷で教え、著した『Gradus ad Parnassum』は対位法教育の金字塔となり、以降の作曲家たちに普遍的な作法を伝えた。さらに、18世紀の宮廷がイタリア歌劇やオラトリオを招聘したことで、様式間の交流が促進され、オペラ改革や器楽曲の発展に具体的な刺激を与えた。私が特に心惹かれるのは、こうした制度的支援が単発のヒット曲ではなく、世代を越えた技術伝承と様式形成につながった点だ。
ハプスブルク家の宮廷音楽を追ううちに、ヨーロッパ音楽史が国境とともにどれだけ移ろったかが鮮やかに見えてきた。15世紀末から16世紀にかけて、ハプスブルク家はフランドル系の音楽家を積極的に採用し、宮廷礼拝堂(いわゆるカピージャ・フラマンカ)を通じて高度に発達した多声音楽を帝国領全体に広めた。私がその動きを初めて学んだとき、ハインリヒ・イザークの『Innsbruck, ich muss dich lassen』のような世俗曲と、大規模なミサやモテットの技法が同じ回路を流れていることに驚かされた。これらの作曲家たちは声部対位法や模倣技法を磨き上げ、ローマやスペイン、さらには新大陸へも影響を及ぼしたのだ。