モニタがゆっくりと黒に沈んでいく。OSの終了音がかすかに鳴り、画面に反射していた高田の顔も、その光を失った。電源ランプが点滅を繰り返したあと完全に消えると、部屋は、微細な機械音すら失った完全な静寂に包まれた。
高田は椅子から体を起こし、机の端に置いていた黒い手帳を手に取る。手帳の表面には、今日一日を通して熱を帯びた掌の跡が、わずかに湿り気として残っていた。紙の重みを感じながら、彼はベッドに向かう。スリッパを脱ぎ、静かに布団へと身を沈める。
室内の照明は落とされ、わずかに開いたカーテンの隙間から、外の街灯が淡く差し込んでいた。輪郭を失った影が天井にうっすらと浮かび、その形を無意識に視線で追ってしまう。輪郭を持たないものに目を向けると、意識が内側へと引き込まれていくような感覚になる。高田はそのまま、手帳を胸元に抱えた。
窓の外から、車が通り過ぎる音がした。遠くから響く雨音が、アスファルトを打つような一定のリズムで耳に届く。パソコンやサーバーの稼働音ではない、自然音。通常であれば、ノイズキャンセリングで遮断してしまう音たち。けれど今夜は、それらの小さな音が、なぜか心の奥に触れてくる。
静けさのなかに、何かが満ちている。明確な輪郭を持たないそれが、呼吸とともに増幅していく感覚。
手帳を開く指は、躊躇いがちだった。今日のページはすでに記入されていた。けれど、何かが足りない気がしていた。ログとしては成立している。定量的な記述、感情変化のプロセス、刺激と応答の因果関係。それらは整然と並んでいる。
けれど、そこに答えはなかった。
今日は“大和が来ない日”だった。それだけで、コードの処理効率が著しく低下した。視線が定まらず、呼吸が深くならず、食欲すら揺らいでいた。その一つひとつが、自分の内部リソースを奪っていった。
if文で制御できない何かがあるということ。それが、こんなにも不快で、そして奇妙に心に残るという事実が、今も頭のなかで繰り返されていた。
布団のなかで、手帳を閉じたまま目をつぶる。まぶたの裏には何も映らないはずなのに、黒の奥から浮かんでくるのは、大和の声だった。
「うまい、って言ってくれて嬉しかったわ」