「颯真が言ってたよ。あの服、あんたは一度も着てくれなかったって。そんなのに、よく平気な顔して戻ってこれたわね。まさか本気で、私たちの結婚式に出るつもり?」
美苑はそう言いながら、机の上にあった私と母のツーショットを手に取った。
そして、容赦なく引き裂いた。
「ふたりそろって下品ね。娘を金持ちに嫁がせるために、火に飛び込んで死ぬなんて――安っぽい命」
病院で見せていた猫なで声が嘘のようだった。
けれど驚くよりも先に、怒りがこみ上げた。
私は全力で彼女の頬を叩いた。
颯真をどれだけ愛していたのか、もう覚えていない。
でも母が命を賭けたあの日に、打算なんて一片もなかった。
美苑は負けじと、私の髪を乱暴につかみ返してきた。
取っ組み合いの拍子に、机の上の香炉が倒れる。
部屋中に火が回った。
警報が鳴り響き、煙が天井を這う。
そのとき、颯真が扉を蹴破って現れた。
けれど彼の視線は私の姿を捉えてすぐに逸れ、美苑に向けられる。
「颯真!彼女が私を殺そうとしたの。自分が新婦になりたいんだって!」
私は母の写真の破片を握りしめ、怒りのままに叫んだ。
「黙りなさい!あんたたち二人とも、心底気持ち悪い!
昔の私がバカだっただけ。あんな結婚、もうまっぴらよ!」
颯真の眉が深く寄せられ、目の奥に怒気が走る。
「俺の妻になることが、そこまで嫌なのか……!」
その目に、哀しみも未練もなかった。
私の目には、ただ一刻も早くここから逃げたいという思いしかなかった。
けれど次の瞬間、彼が私の腕を掴んだ。
強引に力を込めて――私を、炎の中へと突き飛ばした。
「お前の母が今のお前を見たら、火で人を傷つけるような女に育ったこと、きっと後悔するぞ!」
私は大量の煙を吸い込み、床に倒れ込んだ。
かすかな意識の中で、沈みゆく体を引きずり、最後の力を振り絞って、颯真の足を掴んだ。
「……こんなに長い間一緒にいて……私が火を一番怖がってることも知らなかったの?」
その一言を残して、私は完全に意識を失った。
――次に目を覚ました時、病室には楓だけがいた。
「颯真、退院手続きしてる。あんなに取り乱してた彼、初めて見たよ。
それに、これ。あんたの腕に付けてるの、あの人が持ってきたんだって。
『一生、無事でいられるように』って」
腕に巻かれていたのは、半円の数珠だった。
彼が先月、修行から持ち帰ってきて以来、大切に仏壇に供えていたあの品。
……だけど私は、また「躾」されるのが怖くて、今はただ逃げ出したい気持ちしかなかった。
病院の廊下に出たとき、彼の姿が見えた。
颯真は、美苑を抱きしめながら、医者に何度も彼女の容態を確認していた。
病衣の袖口には、あの十年間肌身離さず持っていた数珠が付けられていた。
……なんだ、それ。
私はふっと笑ってしまった。
よかった。もう、どれだけ彼のことを愛していたかなんて、何も思い出せない。
その時、楓から一通のメッセージが届いた。
――例の「新婚の贈り物」、手配完了。
もう、心残りは何もない。
私はそのまま、母の墓へ向かった。
昨日は、母の遺品を受け取りたかったけれど、全部焼けていた。
だから今日、母の骨壺を海市に移す。
誠士と結婚すれば、きっとすぐ近くで頻繁にお参りできるから。
山を降りる途中、骨壺を抱えながら私は足を止めた。
目の前に、思いもよらない人物が立っていた。
美苑だった。