雪乃が航空券を予約し終えた時、さやかが何かを思い出したように口を開いた。
「そうだ、空港へ行く道、ちょっと気をつけてね」
「どうして?」雪乃が顔を上げる。
「確かな情報じゃないんだけど……結衣が家出したって噂があるの。あの子、姉さんが海外でひどい目に遭ってるって、ずっと雪乃を恨んでるから」
さやかは不安そうな表情で続けた。
「なんか、仕返しに来るんじゃないかって気がして……」
雪乃は軽く笑って首を振った。
「女の子ひとりに、私が何されるっていうのよ」
だが、さっきのさやかの一言が、雪乃の足を止めさせた。
「綾音――海外でひどい目に遭ってるって?」
ゴシップには目がないさやかは、目をキラキラさせながら語り出す。
「知らなかったの?あの人、あんたらの結婚壊したって理由で、上流階級の人たちから総スカン。小林家からも切られて、今は結衣に養われてるって。
小林家って兄弟姉妹も多いから、小林家の当主、『駒を捨てて全体を守る』って感じで、綾音との縁切りを発表したんだってさ」
雪乃の瞳が、一瞬ギュッと収縮する。
彼女は綾音のような家柄の娘が、たとえ失脚しても、せいぜい表舞台を離れる程度だと思っていた。
――まさか、ここまで徹底的に捨てられているとは。
……でも考えてみれば当然だ。西園寺家の連中も、同じように非情だった。
そう、名家の人間にとって、一番大事なのは名声や利益だ。
雪乃はしばらく黙り込んだ。
綾音のこと、憎んでいると思ったが――彼女の今の姿を聞いた時、胸に湧き上がったのは復讐の快感ではなく、どこか虚しさだった。
だって本当は――綾音のせいで夫婦が壊れたのではなく、風真の優柔不断と裏切りが、悲劇の根源だったのだから。
……でも、もうどうでもいい。
自分は前へ進む。
雪乃は目立たぬように、所長と軽く酒を酌み交わしただけで、静かに旅立つ準備を整えた。
秋は終わり、冬の足音が迫っている。
――今年の冬は、もっとあたたかい場所で過ごしたい。
空港へ向かい、瑠宇と並んで荷物を預けようとしたその時。
背後から、聞き覚えのある声が届いた。
「……雪乃」
振り返らずとも、誰かは分かっていた。
――西園寺風真。
瑠宇は険しい表情で一歩前に出る。
「また君か……一体何のつもりだ」
風真は瑠宇をすり抜け、雪乃のほうへまっすぐ視線を