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桜立風
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Novels by 桜立風

スターの冷たいプロポーズ〜今さら愛してると言われても……

スターの冷たいプロポーズ〜今さら愛してると言われても……

かつて裕福な家の令嬢だった香坂花 26 は、すべてを失ったある日、断れない見合いをすることになる。 相手は恐ろしいほどのオーラを放つ、色気ある男性、鈴里大雅 30 。 世界を股にかける大スターなのに、花に婚姻届を突き出し、その日のうちに身も心も奪い、2人は夫婦になった。 やがて大雅の住む家に引っ越した花。 そこで信じられないものを見つけ、大スターが自分のような一般人(しかも相当貧乏)と結婚した本当の理由を理解する。 誤解と、実は悲しい真実を隠し、妻となり家族になってゆく花を溺愛するようになる大雅だが、隠された秘密を知った花は。 大スターと苦労を知りすぎた落ちこぼれ令嬢の、時に笑い、時に泣く、訳ありすぎる恋愛物語。
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Chapter: 49.真実の先の悲しみ
「花、ごめん……合鍵まで作ってると思わなかった。怖かったよな」2人きりになり、花を抱きしめる大雅。言葉もなくゆらりと体を預ける花を、心配そうに見下ろした。「何か、言われたか?」「クビに、なったって……」「あぁ。事務所が寮として借りてた権堂の部屋から、俺の写真が大量に見つかってな」事務所の同僚マネージャーと飲んでいて、部屋に送った時見てしまったという。「いわゆる……盗撮。着替えてる姿とかうたた寝してるところとか。外に出ない何気ない俺の写真をこっそり撮ってたらしい」「それを事務所が知ることになって、三井さんが……」「あぁ。マネージャーが2人になった」「いつか三井さんがここへやって来たのも、もしかしたら証拠を押さえるために……?」「そうだ。うちへ出入りした時、不審な行動をしないか、隠しカメラを仕込んだ。それを見せられて確認した。俺が海外へ仕事に行ってた時、ここで権堂が我が物顔で過ごしてたこと」あぁ……あの日のこともちゃんと撮られていたのか。「ごめんなさい。報告したかったんですけど、権堂さんが自分で話すってメッセージを送ってきて……おまけに元カレとカフェで再会した写真も撮らていて、大雅さんにバラすって脅されて、すぐに言えませんでした」「元カレの話はちゃんと聞いたからもういいよ。ただ、俺には何も知らされてなくて、合鍵を作られてるとは気づかなかった」無事でよかったと抱きしめる腕の中は温かくて安心できたけれど、耳に権堂の言葉がこびりついている。「あの、父が2年前失踪したって話はしたと思うんですけど……」話しだしたのを見て、大雅は体を離し、並んでソファに腰かけた。「確か……大雅さんのお姉さんが事故にあったのも2年前でしたよね。……何か、関係があるんですか?」『殺したのはあんたの親父さんだよ』さっき権堂に言われた言葉が耳の奥でこだましている。いつか……de.san.Jalenoのスザンナさんに聞いた話を思い出した。父が、母以外の女性を連れてきたこと。遺影の写真を携帯のカメラで撮ってスザンナさんに見せれば、同じ女性かどうかわかる……ふと、そんなことまで考えてしまった。「関係……ないよ」「でも……今、権堂さんに言われました。春くんの父親は私の父で、母親は、大雅さんのお姉さんだって……」いつの間にか、まっすぐ見つめ合う視線が離れていた
Last Updated: 2026-08-27
Chapter: 48.父の失踪を知る権堂
後ろから大雅が入ってくるのを待ってしまった……「あのさ、」明らかに様子がおかしい。「大雅には、鈴里大雅にはさ、履いて捨てるほどの才能があんだよ」「あの、権堂さん……?」「それを、俺は一緒に育てて……いつか世界に羽ばたくあの人を支えたかった。だから、海外のエージェントにも顔を売って、プロモーションも積極的にしたのに……」大きな体がユラユラ揺れて、ついにダイニングテーブルにぶつかり、その拍子に大きな音がして、花は思わず飛び退いた。権堂はだらしなく尻もちをつく。「あんたが見つかってからだよ、大雅さんがおかしくなったのは……」床に座った状態から、椅子を支えに立ち上がろうとしている。……うまくいかず足がもつれているところを見ると、相当酔っているらしい。私が見つかってからおかしくなったというのはどういうことだろう。「血眼になって探してたんだ。あらゆるツテを使って興信所に頼んで……寝る暇もないほどの忙しさの中で、まるでそれが生きる意味みたいに……」「あの、探してたって……大雅さんは誰を探してたんですか?」「それはそれは……壮絶な姿だった。睡眠薬が手放せなくなって、心配した」探してたという言葉の意味を尋ねたそばから、睡眠薬という言葉にピンときた。インフルエンザで寝込んだ時、飲み物を探した冷蔵庫にあった心療内科の薬袋……花には意味がわからない話ばかりだ。大雅は誰を探していたというのか……私を?それともほかの誰かを……「はっ?!あんたまだ知らないの?じゃあ教えてやるよ」やっと立ち上がった権堂が花に近づいてくる。「大雅さんの姉さんが亡くなったのは知ってるか?」「し、知ってますけど」「殺したのはあんたの親父さんだよ」「……え」心臓がひとつ、大きく拍動した。そして早鐘のように大きく、早く鼓動を始める。「父は、大雅さんのお姉さんと、知り合いだったんですか……」突然の失踪と関係がある?いったいどういうこと?それに……「大雅さんは、はじめから私を知っていた…………?」考えを巡らせていて、目の前に大きな影が近づくまで、権堂の動きに気づかなかった。「……や、やめてくださいっ!」手を伸ばし、花の背中に絡める権堂。酒の匂いが強く立ち込めてむせ返るほど。「大雅さんと一緒に海外進出したかったぁ……ずっとあの人のマネージャーでいたかったぁ……だからいつ
Last Updated: 2026-08-26
Chapter: 47.Sweet大雅
2人きりの夜を過ごしてから、大雅は明らかに変わった。それはまるで、砂糖を頭から被ったような、Sweet大雅。間に挟んでい眠っている春希ごと抱き寄せられて眠り、いい迷惑だと言わんばかりに間から春希が抜け出せば、足まで絡めて来る始末。そんな大雅は、今まで見せなかった顔を次々と見せてくれた。「大雅さん、起きなくて大丈夫ですか?」今までなら起こさなくても自分で起きたのに、近頃は起こしに来るのを待っている節がある……「確か今日は三井さんが迎えに来るって言ってましたよね?」「ん……花、起こして」仰向けに横たわったまま両手を差し出され、手を引こうとして逆にベッドに引きずり込まれる。「なにやってるんですか……?!三井さん来ちゃうし、春くんに笑われてますよ?」「……あはは!春希もおいで!」ドアの影から半分だけ顔を出し、ケラケラ笑う春希に気づいて声をかければ、走ってダイブしてくる春希。……着地が私の上なのが地味につらい。不思議な縁で出会った国民的スターと、心を通い合わせてこんな毎日を送ることになるなんて、まるで夢を見ているようだ。「あの、大雅さん?」花と春希を自分の胸の上に乗せて笑う大雅を見下ろしながら、ずっと聞いてみたかったことを口にした。「実は私……父を本格的に探してみようと思ってまして」再会した哲平に提案されたこと。……夫に聞いてみると言いながらずっと聞けずにいた。花の話に、大雅は意外にも顔色を変える。「ちょっと……昔の友人に再会しまして、」言いかけて、嘘をつくのは良くないと思い直した。「ごめんなさい。嘘をつこうとしました。本当は……恋人だった人です。2年前、父が突然失踪して母が亡くなって、その関係で別れた人なんですけど、瑠璃が……偶然会ってしまって、それで……探してみたらどうだって言われて」「会ったのか。元カレに」「……はい」別れるに至った経緯が花の一方的な事情で、彼になんの説明もせず傷つけてしまったことを後悔していたと話した。大雅はしばらく言葉を探しているような、複雑な表情になった。「……お父さんを探す必要は、ないよ」「え……」「お母さんが亡くなった時、相当探したんだろ?」「それは、そうですけど」「……お父さんは経営者だったくせに、身勝手に失踪して社員を捨てた。もちろん、君たち家族のことも。そんな男を探してどうする?
Last Updated: 2026-08-25
Chapter: 46.愛が爆発して窒息寸前
「私も、そろそろ帰るわ」大雅が引き止めた権堂を引き受けるように、ミミがソファから立ち上がった。「あ……あの、よかったら」花も急いで立ち上がり、冷凍庫に用意しておいた小箱を保冷袋に入れる。「アイスクリームを作ったんです。美味しくできたので、帰ったら召し上がってください」2人に差し出すも、喜んで受け取ったのはミミだけ。権堂は、面白くなさそうに下を向いているが……ミミがもうひとつ受け取ってくれた。「俺のもある?アイスクリーム」突然2人が帰ってしまったので……なんだか気まずいムードが流れた。「もちろんです!」花はキッチンに向かい、冷蔵庫を開けた。「全部違う味にしたんですよ?……いちごとマスカットとメロン、あとサイダー」「なんか最後の1個はカテゴリーが違う気がするな」すぐ後ろをついてくる大雅に説明すると、スッと伸びてくる腕に驚いて少し固まる。「俺はその、カテゴリー違いのサイダー味にしてみるか」冷蔵庫の扉に手をかけているから、まるで腕の中にいる雰囲気。なんだなんだ……距離が急に近くなって困る。「本当は……何味にするかでケンカにならないか、ちょっと心配してたんですけど」「あぁ……期待してたのか」「はい。それで、皆でひとくちずつ食べて、和やかムードを取り戻すってイメージしてたんですけど」権堂はどうしてあんなに不機嫌だったのか……いつの間にこんなに嫌われてしまったのだろう。「権堂のことなら気にするな」冷蔵庫の扉にかけていたほうの手が、自分の頭に置かれた。その適度な重みと温もりが心地よい……指先が動いて、まっすぐになった髪を撫でていく。「どうやらあいつは、事務所を裏切っていたらしくてな」「えぇ?!権堂さんが?」驚いて大雅を見上げてしまい、その距離があまりに近くて驚いた。思わず視線を正面に戻したけれど、目の前には鍛え抜かれた胸がこれでもかと主張してくるので、ついそこに頬をくっつけてしまう。何やってるんだろう……話の内容とあまりに違う甘えたような行動に、自分の開いた口がふさがらない。「……ん。だから、今日も……機嫌が悪かったよな」「はぁ……そういう、ことなんですか?」「そう、いうこと」急にたどたどしくなる大雅の口調と、ドクドクと聞こえる心音が、具合いでも悪いのかと心配になった。「あの、大雅さん?」胸につけた頬を離し、
Last Updated: 2026-08-24
Chapter: 45.思惑のあるパーティ
「……え、パーティ、ですか?」「あぁ。テレビ局の開局記念ドラマで共演してる花園ミミが……君に会いたいって言ってるんだ」ワイドショーや週刊誌で熱愛を報道されている美人女優がなぜ……超一般人の自分に会いたいなんて言うのだろう。「権堂も呼ぼうと思ってる」「……え、」まさか、権堂は自分から報告するという話をまだしてないのか。……それとも、大雅さんにとってたいしたことではなかったのかな。行き止まりの古いアパートにいた事は置いといても、家の主がいないのに居座られそうになって、結構な恐怖を感じたんだけど……「花は得意の料理を作って。2人とも楽しみにしてるって言ってたから」「はい……かしこまりました」「それと……ついでに言っておくけど」いつになく楽しそうな大雅さんにため息をついた時、意外なことを言われて驚いた。「俺たちが実は夫婦だってこと、花園ミミは知ってるから」「え……でも、」ついこの間だって、海外ロケの話題で2人の仲の良さが取り沙汰されていた。「彼女はフェイクニュースの相手ってだけだ。半年後、ドラマが終わったらそんな契約も終わる」フェイクニュース、そして契約……?花の心にパァ……っと花が咲く。「ど、どんな料理がお好みですかね?和洋中、何でも作れますよ!あっ、ちょっと変わり種で、スリランカと中国の料理をフランス風にアレンジしたスペイン料理とかにしましょうか?」「花?落ち着け……普通に和食や洋食がいい」舞い上がる花を笑顔で落ち着ける大雅の表情があまりに優しくて。花は目を伏せながら赤面した。「はじめまして……!あなたが花さんね?」それからしばらくして、花園ミミと権堂がやってきた。「はっ!……」この日春希は大雅の友人夫婦、圭一春奈夫妻に旅行誘われ行ってしまった。春希がいない寂しさと心許ない気持ちを抱いていた花は、より一層花園ミミの美しさに緊張し、声が出ない。「お邪魔します。……花さん、お久しぶり」「あ……お疲れさまです」その後から入ってきたのは権堂。……とは言っても、この日は大雅の久しぶりのオフだ。夕方やって来るという2人のため、花は朝から張り切って料理を準備していた。「たいしたものではありませんが、良かったら召し上がってください……」並べた料理は大雅に言われた通り、オーソドックスな和食と洋食にした。4ヶ国を合体させ
Last Updated: 2026-08-23
Chapter: 44.言えない想い Side.大雅
「そうだったんですか……てっきり大雅さんのお子さんで、結婚の経験があるとばかり……」「はっきり、言わなかったから」亡くなった姉の子供だと言えなかった意味を、花は自分なりに理解したようだ。「昨日今日出会った私が知るには、プライベートな話ですものね……でも、ご安心ください。私はこう見えて口だけは固いので」「外部に漏れる心配なんてしてないよ。一緒に暮らしてるのは信頼の証。それに知る人は少ないが、俺たちはれっきとした夫婦だ」「そう……でしたね」赤面して笑う花を、心から愛しいと思う。1度伏せた視線をチラチラ上げるまなざしが、まだ聞きたいことがあると言っているようだが……それ以上のことを、俺は言えなかった。春希の父親が実は花の父親で、2人は異母姉弟にあたること。そして父親が失踪した理由は多分姉の事故死と関係していて……花はそのせいで大変な苦労をしたということを。「大雅さん……?」気付けば俺は、花を抱きしめていた。花は俺の胸に隠れてしまうほど小さいけれど、本当は……彼女にすがるような気持ちだった。初めは、姉をだました男を憎んで憎んで……たどり着いた娘、花にその怒りを向けてやろうと思ったのに。彼女を知れば知るほど、その純粋さに、素直さに、どうしょうもなく惹かれてしまったんだ。花はすべてを知ったら、きっと俺から離れてしまうだろう。父親の罪を自分の罪ととらえて、きっとまた……苦しむ。「大雅さん……大丈夫ですよ。大雅さんの涙は絶対に秘密にします。あと、この部屋は私にも守らせてください」「花……」情けないと思いながら、涙が止まらなかった。優しい言葉をかけてくれる花……その遺影の女性が、父親の失踪に関わってると知ったら、君は……「大丈夫、大丈夫……です」もう離せない。どんなことがあっても俺は、花を離せない……「おはようございます。今日は半年後に開催が決定したライブの打ち合わせから、よろしくお願いします」「了解。よろしくお願いします」翌日……迎えに来た三井の車に乗り込むと、早速タブレットを渡された。「初日の東京、ライブ会場に決定したルアナアリーナです。そこを皮切りに、全国15ヶ所のツアーとなります」「ルアナアリーナって……そこまで大きいところでやったことないけど」「社長の提案です。今のVÉLOURS……大雅さんなら、満員にできるって」
Last Updated: 2026-08-22
極道と、咲き乱れる桜の恋

極道と、咲き乱れる桜の恋

強い悲しみを背負う極道  西龍会 若頭 西門龍之介にしかどりゅうのすけ33歳 ✖ 逃げてきた訳あり風俗嬢 滝川桜たきがわさくら23歳 父親の借金のかたに風俗店に売られ、客を取らされそうになって逃げてきた桜が迷い込んだのは、その風俗店を取り仕切る極道の敷地だった… ぶつかった拍子にアスファルトに叩きつけられ、怪我をして絶体絶命の中…桜は、若頭である龍之介の住まいへと連れて行かれる。 風俗店からは逃げてきたけれど、結局知らない極道に自分の心も体もいいようにされるのだと、桜は絶望するも…2人は意外な朝を迎える。 面白くないのは、風俗店を取り仕切る若頭補佐の弟、蔵之介。 それは、龍之介の勝手な振る舞い、売れそうな風俗嬢を持っていかれた怒りだけではないようで… 匿われるうちに知る、龍之介の悲しみの理由と決められていた未来。 暗い生い立ちのなか生きてきた桜に、初めて芽生えた恋心は…龍之介の心は。 それぞれの背負う生い立ちと、出会ってしまった2人の切ない恋のゆくえを描く極道恋物語。
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Chapter: 110.永遠の1枚
「桜……」 覗き込む鏡の向こうに、愛しい人の姿。 「龍之介さん……」 振り向いた桜に、目を細める龍之介。視線を横に流し、らしくもなく、下を向く。 「綺麗すぎて、直視できねぇな。ホント……こんなに綺麗な女、初めて見る」 顔立ちから、黒いタキシードが似合うと言われたのだろう。 背中に特徴的なデザインが描かれたスーツがよく似合う。 「そっちへ行ってもいいですか?」 「あ、そりゃ……もちろん」 龍之介は両手をスラックスのポケットに入れ、落ち着かない様子だ。 彼に近づこうと方向転換するため、長い裾を持ち上げる桜に気づいたらしい。 龍之介は慌てて自分から桜に近づいた。 「あぁ、そばにいると緊張する。……ほら」 桜の手を自分の胸元に当て、龍之介は困ったような視線を送る。 「……龍之介さんだって、カッコよすぎて、私もですよ?」 彼の両手を自分の鎖骨の下あたりに持ってくると……龍之介はニヤリと笑う。 「ほんとだ……!」 笑い合う2人に、撮影スタッフが声をかける。 「風もなくてちょうどいいので、撮影を始めましょうか!」 「「はい、よろしくお願いします」」 偶然、ハーモニーを奏でる2人の声…… 窓の向こうで桜の花びらが揺れた。 ホテルの前は、見事に満開の桜が咲き誇り、チラチラと雪が舞うように花びらが散り始めている。 「……綺麗」 ほんのりピンク色の桜と青空……そして葉の緑が、美しい自然の色を描いていて、桜の心に忘れられない思い出を積み重ねていく。 「あ…!いたいた!」 遠く、真理と美紀の声が聞こえて、桜は振り返った。 そこには、蔵之介や昭仁、斎藤や義母の姿も見える。 「まま、ぱぁぱ……」 真理に抱かれた龍桜。ちゃんとタキシードを着せてもらったようだ。 2人に向け、手を伸ばす龍桜を、そっとしゃがんだ真理が手放す。すると龍桜は、おぼつかない足取りながら、よたよたと走り出した。 「……龍桜!」 ドレスやタキシードが汚れるのも構わず、2人は龍桜に視線を合わせるようにその場にひざますき、手を広げた。 よたよたした足取りが、やがて小走りになる。手を前に出して、危なっかしい足取りに、桜も龍之介もハラハラと目が離せない…… 「キャッ…!」 龍桜が転んでしまった。
Last Updated: 2026-06-16
Chapter: 109.蝶になった桜
「龍之介さん……もう起きたんですか」「うん……嬉しくて、よく眠れなかった」メンズスーツブランドMatusiro.Hommeのプレ公開ショーから日を置かず、桜と龍之介は東京から少し離れた場所のシティホテルに宿泊している。今日は、ウェディングフォトの撮影会。結婚式をしたい、という桜のひとことで、龍之介があっという間に決めてしまったプランのテーマは「桜」「桜の花びらが舞う中で結婚式の写真を撮ろう」と、桜前線を追いかけ、この町にやってきたのだ。「お天気はどうだろう……」ベッドから降りてカーテンを開けてみれば、見事なまでの青空……「龍之介さん……持ってますね?」「ん?何をだ?」「今日はいいお天気だから、運を持ってるな、って!」良いことは全部、龍之介さんのおかげ。悪い事が起こったら、それは半分こ。いつの間にかそんな考え方になっていた。「そういうの、持ってるっていうのか……」はてな顔がキュートで、桜は自分から龍之介に抱きついた。キスをねだり、熱くなる龍之介を受け入れようとして……「ダメです、龍之介さん!カメラマンさんを待たせちゃう」スッと離れ、お先に……とシャワー室へ向かう桜。いつもなら龍之介に先を譲るが、今朝の私にはやることがたくさんあるのだ。「……煽っといて、放置?」熱っぽいまなざしで桜を追うも、シャワー室には鍵がかけられて開かない……「もぅ………っ!今夜覚えとけよっ!」髪をかきむしる龍之介だった。入れ替わりに龍之介をシャワー室へ押し込み、桜は大きな鏡の前に座る。この日のために龍之介が通わせてくれたエステサロンから、たくさん受け取った化粧品の数々……今日使い切っておしまいだ。「化粧水は……たっぷりと、手のひらにとって、なじませる。その後、コットンに浸してはり付けて、しばし時間を置く……」担当のエステティシャンに基礎化粧品の使い方を教わって実行している。普段も同じようにやるといいですよ、と言われたけれど、龍桜の世話が忙しくてそれどころじゃない……!シャワーを終えて、龍之介がやってきた。桜は顔に乗せていたコットンを慌てて取る。「……なに焦ってんの?」「だって、コットン顔に乗せて……変でしょ?」「全然。桜なら、キュウリとか梅干しとか、何をはり付けてても可愛いわ」そんなものはり付けません……と言いながら、腰のあたりをバシっ
Last Updated: 2026-06-14
Chapter: 108.桜舞う幸せ
始まりこそ派手な演出だったものの、その後は大人の男をイメージしたブランドだからか、比較的静かにショーは進んでいく。龍桜が座っていてくれないので、後ろに人がいない事を確認して立って見ていた。それは、すごいとか圧巻とか……言葉を超えたステージだった。こんなに心臓が高鳴ったのは生まれて初めてで、なんとかなだめようと自然に胸元に手を置いてしまう。「落ち着いて……私……あの人は龍之介さんで、私の、旦那さんなんだから」コソコソ、自分にだけ聞こえるようにつぶやいた言葉の先に、龍之介が見える。片側に長めの前髪を垂らし、もう片側はピッタリと撫でつけたヘアスタイルは、誰もが似合うものじゃない。西門龍之介という強烈な個性がそれを可能にしていると理解できる。中央に堂々と立つ、ひときわ背の高い人……少しメイクもしているのだろう。いつも以上に目力が強く、妖しい雰囲気で……私の夫だなんて、信じられない。惚れ直す、というのはこういう事をいうんだと思う。ステージを踊るように歩く龍之介を瞬きも忘れて見ていた。やがてステージ裏に引っ込み、やっと少し、心臓の高鳴りから解放されてホッとする……他のモデルたちも下がり、しばらくの暗転のあと、照明と音楽の雰囲気が明らかに変わったステージ。……またも息を呑む。柔らかい照明に照らされたステージに、白いスーツを着た龍之介がゆっくりと歩いてくる。髪は前髪を幾筋かハラリとおろしたヘアスタイルに変わっていて、手には大きな花束……白いスーツ、いや……あれは、結婚式で新郎が着るような、タキシード?中のベストはグレーで、ジャケットは少し長めのデザインで、とてもよく似合う。龍之介が結婚式を挙げたいと言っていたことを思い出した。あんな姿で私の隣に立ってくれるとしたら……「……素敵」見惚れているうちに、ショーはすべて終わったらしい。スタッフが呼びに来て、龍之介の楽屋に向かった。以前の麗香の一件以来、桜がステージを見に来ると、龍之介はこうして必ず楽屋に呼ぶようになった。その上、誰からの差し入れも食べず、桜に手渡される弁当を待っているのだから可愛らしい。そうなれば、桜も腕によりをかけて作り、張り切って持ってくる。この日は鮭とたらこのおにぎり。そして卵焼きとソーセージと、手作りのピクルスだ。「……2人とも、ホールの中暑かったろ?気持ち悪くな
Last Updated: 2026-06-13
Chapter: 107.Side.龍之介 桜の話
「……しっ!」「な、なんですか、こんなところで?!」今日、美紀がカフェにやってくることは、桜に昨日のうちに聞いていた。プレショーの本番を来週に控え、今日も舞台装置の確認と衣装、立ち位置などの決定をして……椎名社長に送ってもらった。カフェの近くで降りたところで……美紀が生垣を曲がってこちらにやってくるのが見えたのだ。そこで、とっさに思いついたこと……「驚かせてごめんな。今日桜と、どんな話をしたのか教えてくれよ」何か言いたそうで、言い出せない桜が心配で聞いたこと。けれど美紀は、眉間にシワを寄せ、険しい表情になる。「……そんなの、いくら旦那さんでも、第三者にホイホイ言うわけないじゃないですか。……私達の結束は、鉄より硬いんですから」両手を握り合わせ、美紀は俺に向かって笑顔を見せる。「俺たち夫婦の絆はダイヤモンドより硬いぜぇ……なぁ、教えてくれよ。桜、なんか言ってたろ?結婚式の話ばっかりして、龍之介がうぜぇとか」「あぁ…!言ってましたね!」「……………え、まじ?」軽くショックを受ける俺を、楽しそうに手を叩いて笑う美紀。ダメだこりゃ……と、聞き出すのを諦めかけた時だ。「帰ったら話をしてくれると思いますよ?……意外な話だとしても、ちゃんと最後まで聞いてあげてくださいね?」「……意外な話って、?」「例えば、その……」うまい例えが出なかったらしく、美紀はジリジリと後ずさっていき、気づけばかなり離れてしまっていた。「龍之介さん…!頑張ってくださいね」……気になりすぎるんだが。美紀を捕まえたものの、結局、何の情報も得られなかった。結婚式はしなくていいという本音がどこにあるのか、探りたかったのだが。美紀に手を振り返して、カフェの裏から家に入った。「おかーしゃぁい!」ドアが開く音で、部屋から龍桜が飛び出してきた。帰ってくるだけで毎回ものすごい喜びようでとても嬉しい。「ただいま、龍桜!」パッと抱き上げ、ぐるんと一回転してやって、部屋に入る。ダイナミックな動きが楽しかったのか、もう一回とねだられた。「おかえりなさい。……龍之介さん」「ただいま」桜が顔を出し、すぐにその顔を見つめた。……何か言いたいことがあるか、自然と表情から探ってしまう。「あの、龍之介さん……後でちょっと、いいですか?」「あん?あぁ…もちろん!」良かっ
Last Updated: 2026-06-12
Chapter: 106.今だに言えない本音
「綺麗でしたね。真理さん……」「あぁ。母さんも物持ちがいいな。自分の婚礼衣装を持ってるなんてさ」真理と蔵之介の結婚式は、龍之介家族と母に見守られ、厳かに行われた。「私、西門蔵之介は、真理だけを一生守り抜くと、ここに誓います」「私も……誓います」義母によって酒が注がれる盃。三々九度の作法に則り、2人は口をつける。自分の婚礼衣装を身につけた真理を、義母が眩しそうに見つめていることに気付いた。きっと、自分と組長の結婚の儀を思い出しているのだろう。家族の前で婚姻届を記入した2人の表情は晴れやかだ。きっとここまで来るのに、この2人にも、いくつもの眠れない夜と涙があったのだろうと想像した。「おめでとうございます……どうか、幸せになってください」つい、涙がこみ上げてしまった。自分とは違う形で、きっと真理さんはたくさん悩んで苦しんで、蔵之介さんの手を取る決意をしたと思う。まだ自分の家族には認められてもらえない中で、西門の名前を名乗る道を選んだことが、どれほど勇気がいることだったかと思うと泣けてくる。「桜ちゃん……これからはお義姉さんとして、改めてよろしくね」「はい……姉妹ができて、嬉しい」「私も、娘が2人もできて……なんだか泣けちゃうわね」龍之介と蔵之介が、そっと視線を交わした。義母の家には蔵之介夫婦だけが泊まることになり、龍桜を連れ、私達は帰路につくことになった。「桜、本当に結婚式、挙げないか?」龍桜をチャイルドシートに乗せながら、龍之介が何気なく言った言葉に、桜は反射的に下を向く。それは、自分の生い立ちがかけた呪いだと感じていた。龍之介さんと再会できて籍を入れ、家族になれたのに……これ以上の幸せが訪れたら、すべてを失ってしまいそうで、怖い。「いえ、私は……」「どうしてだ?俺が桜の花嫁姿を見たいんだが」「それは……」龍之介には、今だに暗い心を抱える自分を、知られたくなかった。表面的には、私は幸せな主婦だ。カフェの経営という夢まで叶えた幸せな主婦だから、明るい自分だけを見ていてほしい。そして……実は龍之介に打ち明けられずにいることがあった。結婚式というより、先にその話をしなければならない。「蔵之介たちが、日本にいる間に挙げたい。……そう頻繁に帰ってくることもないだろうからな」「あ……」先日、真理の実家に行った帰り道
Last Updated: 2026-06-11
Chapter: 105.Side龍之介 仕事と結婚
「いや、俺はもうステージは……」「どうしてです?この前のショーも、龍之介さんキッチリ目立って、さすがの迫力でしたよ?」松白屋、会議室。メンズスーツブランド「Matusiro.Homme」の社内向けに発表するショーが終わり、いよいよブランド公開の運びとなった。メインモデルは龍之介。そして10人ほどのモデルが集められ、会議とショーの打ち合わせが重ねられる日々。先に到着した斎藤と話しながら、椎名社長とモデル達、その他関係者を待っているところだ。「定期的にやっていきたいんですよね。ショーって楽しいじゃないですか!……なんか華やかで、ワクワクするし!」「わかりますけどねぇ……俺は嫁も子供もいるし、あんまり目立って隠れるような生活はしたくねぇし」やはり極道時代は、太陽より夜、日なたより日陰や裏通りが似合う毎日だった。「これから龍桜もどんどんわんぱくになっていきますからね!?そしたら全力で付き合ってやりたいんですよ。野球とかサッカーとか……」「なるほど!そこまで言われたら、無理強いはできませんね」モデルを断る龍之介の理由を、斎藤はそれはそれで嬉しそうに聞いてくれる。「ありがとうございます!……その代わり、初めてのブランド公開のショーは、絶対にキメてみせますから!」「そうですね、皆で頑張りましょう!」やがて続々と関係者が集まってきた。挨拶を交わしながら、ふと自分の目線の先に立った斎藤を見て、龍之介は思った。斎藤さん……背ぇ高ぇな。肩幅が広くて、手足も長い。頭も小さいし……何より全体のバランスがよくてスーツが似合う……!2回目以降のメインモデル……斎藤さんがやればいいんじゃねぇの?話し合いは進み、大事なことが次々に決まっていく。そんな様子を見ながら、龍之介は頃合いを見計らって発言した。「ブランド公開のショー以降も、定期的に開催していくってのは、アリなんですかね?」「2回目以降もぜひやっていきたいと思います。プレショーの段階で連絡してきたバイヤーもかなり多かったし」「SNSでも拡散されてましたよね。あの松白屋がメンズスーツブランドを展開した、って……」関係者の話を聞く限り、ショーはやって損はない。むしろ積極的にやったほうがいいという意見が多数だ。加えて……担当役員の斎藤専務のGOがあるのだから……できないはずがない。「それなら、俺の後釜
Last Updated: 2026-06-10
死神上司の危ない…キス💋私に魔力は効きませんが?

死神上司の危ない…キス💋私に魔力は効きませんが?

以前から見えていた。 上司の背中に大きなカマが背負われているのが… 「それ…危なくないですか?」 ある日指摘してみたら、血相を変えた上司が詰め寄る。 「いつから見えていた?誰かに話したか?」 そして有無を言わさずキスをしてきた… それは忘却のキス、そして私を操るキス。 「…何してるんですか、初めてのキスなんですけど!?」 「特異体質か。めんどくさい人間だ!」 身分を隠した上司の正体は、寿命が来た人間に、カマを振って冥界へと誘う死神。 他の人間とキスをされたら正体がバレると知った上司は、恋人になれと言って、同居に持ち込みました… 毎日せっせと繰り返されるキスは、やがて甘くなって… 死神✖人間の恋。 最後はどうなるの…?!
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Chapter: 67.死神を終えて Side.蓮 
「お願いです……まだ死にたくない!」俺を見る事ができた人間は一定数いた。ブルブル震えながら、恐れおののいて立つこともできず、それでも必死に距離を取ろうと後ろへ後ろへ移動していく。「……死にたくない?」ひどく痩せた青白い顔で、細い腕には点滴の針が刺さった跡が痛々しいのに。「私が死んだら……子供が、親が、泣きます。……だから、死ぬわけにいかないんだ!」誰かのために命をつなごうとする人間は強い。……カマを振ってそれを断ち切るのが死神の仕事なのに、俺は何度もそんな人間を見逃してきた。ありがとうございます……後ろ姿にそう言われたことも何度もある。けれど……そんな人間に待っている現実を俺は知っている。だから……自分のやっていることが正しいと思ったことは一度もない。「あの……大丈夫ですか?」カマを振れないでいたある日、人間界に落とされたと知った。諦めた俺は、ソツなく過ごして多少は遊んで……時期が来たら冥界に戻るだろうと思っていたのに、鈍臭い女子社員に声をかけられたのだ。恐る恐る……という感じで見上げるのは、丸い目の女子社員、鈴原凛花。仕事が出来ない目の上のたんこぶ……「…神西課長、背中に大きなカマを背負ってるから、ずっと気になって」「は?お前……これが見えるのか?」あの日から始まった、俺の死神人生のカウントダウン。まさかあの……出来損ないの女子社員に、人間に転生する手助けをしてもらうなんて思ってもみなかった。「え……ここを譲る?」凛花の父親が亡くなって2年。絆と縁から、意外な提案を受けた。「うん。俺たち……死神に戻ろうと思ってさ」「……でも、カマが振れなくて、人間界に落とされるのが嫌で逃げ回ってたって……」「あぁ。ふんわりした戦いだったけど、死神最高幹部にも勝って、それなりに役割もわかったけどさ。逆に、何もはっきりしてないって思ったんだよ。全部中途半端な気がして」絆の言葉に縁も言う。「だからもう一度死神としてやってみようと思って。……聞いたらさ、ずいぶん人手不足らしいよ。……いや、神手不足か!」2人はそう言って、自分たちが運営してきたこの会社を譲るというのだが……「蓮に給料を払えるくらい稼げばいいやってことで、たいした活動もしてないからさ、蓮がやってみたいことに業種を変えてもいいと思う」「もちろん、俺らに金を払う必要なしね
Last Updated: 2026-08-10
Chapter: 66.両親、乗り越えた過去、そして未来
蓮と穏やかな眠りにつき、しばらくたってからのこと。……ベッドが揺れる気配がして、凛花は目を覚ました。「……ルルアが泣いてる。連れてくるから待ってて」先に気づいたのは連。身軽に凛花を飛び越え、暗闇の中ドアに向かっていく。やがて蓮に抱かれてルルアがやってきた。泣いてる、とは言っても少しむずがっていたくらいで、すでに蓮の腕のなかで寝息を立てていた。「……お義父さん、ベビーベッドにもたれるようにして寝てた。帰るまでに何度か起きちゃったのかもな」父にとっては目のなかに入れても痛くない可愛い孫。夜中に何度起こされても翌朝赤い目になっても、すこぶる機嫌よく朝を迎えてくれる人だ。「孫に起こされて寝不足だって、病院のスタッフに嬉しそうに愚痴るんだって……!」「親バカならぬ祖父バカっていうのか?」小さな声で話しながら、声を上げずに蓮と笑い合う凛花。……こんな風に夜中に起こされても笑えるとは、なんて幸せなひとときだろう。凛花はルルアを蓮にまかせ、隣室で眠る父の様子を見に行った。……ベビーベッドに孫がいると勘違いして、また柵にもたれてやしないか気になったから。父は、仰向けで穏やかな表情で眠っていた。ふと……花の香りが鼻腔をくすぐった気がして、見慣れた室内を見渡す。凛花は少し考えて、胸がちゃんと上下しているか確認した。それが……虫の知らせだったのかもしれない。幸せを感じて感謝を抱いて……こんな日常が続くことを願ったのに、日々は突然変化していくものらしい。……翌朝、父は起きてこなかった。救急車を呼び、その場で死亡が確認された。警察が来て事情を尋ねられ、あっという間に葬式の準備が整う。「お父さん、何の迷いもなかったのかな……」「あちらの世界に行くことか……それは、なかったのかもしれないな」祭壇に飾られた笑顔の父。喪服に身を包み、凛花は涙目で見上げた。父の人生を思う……後悔は、やり残したことは、なかったのだろうかと。自分たちは『死の番人』という役割を持っていると自覚したばかりだ。なのに父は、何の迷いもなくあちら側へと行ってしまった。「あぁ……そうか。お父さんは、お母さんがいる世界に行けたのかもしれない」亡くなるときは、親族が迎えに来るという。父の場合はきっと母がやって来たのだろう。「だとしても……突然すぎない?」涙があふれる凛花を、ルル
Last Updated: 2026-08-10
Chapter: 65.2人の使命
空を舞うようにして移動していた。どこに到着するのかわからないのに、蓮とつないだ手のぬくもりだけは確かで、恐怖はまったくない。人間たちが夜の街を歩いているのが小さく見える。遅くまで仕事をして家路につく人、気晴らしに酒を飲んだ帰りの人もいるのだろう。私も、ついこの間まであちら側の人間だったのに……本当に、人生は何が起こるかわからない。「あの家だな」凛花に声をかけた蓮は、彼女の腰に手を回し、支えるようにしながら大きな一軒家のベランダに降りた。「……え、大変……」ベランダに倒れている人がいる。手首のあたりから流れている赤い血は、彼女自身のものだろう。とっさに助けようと駆け寄る凛花を蓮は止めた。その視線をたどると、ベランダの端に不思議なものが見える……泣いている女の子だ。年齢は想像した通り、中学生くらい。向こう側が透けてしまって、明らかに様子がおかしい……蓮は口元に人差し指をまっすぐに立て、その少女を見守るようジェスチャーしてきた。きっと、この子の泣き声が聞こえたんだ。いったいどうしたのだろう。先に見つけた血を流して倒れている子と、着ている服が同じだ。……ということは、肉体と魂?死にたい……迎えに来て、お母さん……ここからどうすればいいの、お母さん、助けて……しばらく泣き続けた少女は、今度は母親を呼び始めた。頭に直接入ってくるようなか細い不安そうな声……女の子はこんな事態になって困ってるんだ。母親はきっとすでに亡くなっているのだろう。近くにそれらしい人はいないか、凛花はとっさに目で探す。「だれ……」ふと少女がこちらを向いて、視線を泳がせていた凛花と目が合った。「あ……私は、」「怖がらなくていいよ」しどろもどろになる凛花の代わりに蓮が答える。緊張したように固まる少女は、再びどうしたらいいか困っているように見える。そこで、こちらから話しかけてみることにした。「……この子は、あなただよね」一般的に「遺体」と呼ばれる体を指さして聞いた。「うん……」「自分で、切っちゃったの?」手首からの出血は、明らかにリストカットに見える……けれど、少女の心の声が聞こえてきた。「気づいたら、体の外に自分がいて、こんな風になるとは思わなかった」意図しない出来事?死を望んだわけではないと、少女の悲痛な思いが伝わってくる。「そうだったん
Last Updated: 2026-08-03
Chapter: 64.子供が生まれた
「結婚おめでとう!」やがて結婚式の日がやってきた。集まってくれたのは、絵里奈、康太夫婦、鮫島、無理を言ってめぐみ、そして絆と縁……父は母の写真を持って始まる前から泣いている。「めぐみさん、今日は来てくれてありがとうございます」どうして自分が呼ばれているのか、一番わからないのはめぐみだろうと声をかけた。「ご結婚おめでとう。……嬉しいわ。鮫島くんと同期で、片思いしてた人だって聞いてる」「あ、その後めぐみさんを溺愛しますから心配しなくて大丈夫ですよ?」「え……どうして知ってるの?」頬を染めたところをみると、すでに2人はお付き合いを再開してとてもうまくいっているようだ。めぐみは蓮より先に死神を卒業し、凛花と交わした話はもちろん、死神時代のこともすべて忘れている。でも鮫島くんと仲良くやっているようで、凛花は心からホッとしていた。父と、父に抱かれた母の遺影、そしてごく親しい仲間が見守る中、蓮と凛花の結婚式は滞りなく行われた。フラワーシャワーの中を歩く2人は、過去のことを少しずつ忘れ、この世に溶けるように生きていくのだろう……もちろん、人間として。……それなのに。「……は?背中に羽?」幸せな結婚式から2年が経過した。凛花は蓮の子供を宿し、やがて無事に女の子を出産。ルルアと名付けられた。「多分ほかの人には見えないんだと思います。でも、家族にはハッキリとそれが見えて……」ここは蓮の職場、yukabiオフィス、話を聞いてもらっているのは絆と縁だ。蓮はルルアのベビー服をそっと脱がせ、背中を2人に見せる。ルルアはまだ赤ちゃんなのに、脱がせられた服を前に抱えているのが女の子らしくて可愛らしい……「お2人には、見えます?」「……俺には見えるな」「同じく。俺にも見える」2人にも見えるとわかり、凛花はそれ以外にも話と違うことが起きていると話した。それは、これだけ時間がたっても2人の記憶がなくならないこと。「蓮さんが死神だったことも最高幹部のことも、めぐみさんや鮫島も暮らしてたマンションのことも。……アミルさんのことだって忘れてません。当時の記憶は、いつ頃なくなるんですかね?」ルルアの成長に伴い、いろんな人との交流が生まれるだろう。そうなった時、ほかの人にはない経験の記憶は邪魔になるのではないか。「普通は、もうすでに記憶をなくして……わが
Last Updated: 2026-07-27
Chapter: 63.父に宣言
「え、そんな宣言……する?」「動揺させてすみません。でもお義父さんにはきちんと話を通しておきたいと思いました」「わ、わかるけどさぁ、なんて言えばいいのよ。……どうぞどうぞって?困ったなぁ、結婚を許したんだから、ダメとは言えないし……」父はリビングに飾られた母の笑顔の写真に助けを求める。見かねた私は後ろからついていった。「多分だけど……反対ならお母さんが今夜現れるような気がする。そしたらまた考えるから、今夜は蓮さんと同じ部屋で眠らせて」「そ、それって……」「いやだ……!変なこと考えないでよ?」絆と縁の話を聞いて、蓮は慌てて凛花を連れて帰ってきた。そして父が帰ってすぐにこう言った。「お義父さん、凛花さんに僕の子供を産んでほしいと思ってます。先に解決しないといけないことがあるのは理解していますが、すぐにでも彼女が欲しいんです」……そして、冒頭のやり取りに戻る。「そうか。この世には、元死神が溢れかえってる……」「私とお父さんも、相当特殊みたい」「まぁ、そうだろうね。聖なる人を妻にして子供を生んでもらって……その子供も能力があるんだから」父に絆と縁の話を理解してもらって、私たちは結婚することになった。「婚姻届を出して、小さくても結婚式をしてほしい。……幸せなお祝いの場は、聖なる精霊が集まるって聞いたことあるから」父の言葉を尊重することになり、結婚式は小さなレストランを借りて行うことになった。婚姻届は少し緊張したが、不思議なことに「神西蓮」の戸籍は存在し、難なく受理された。そして……それからの蓮はかつての「神西課長」が戻ってきたような精力的な日々を過ごすことになる。オンラインで学べる仕事で役立ちそうな講座を片っ端から受講し、払った金額以上のスキルと技術を早々に習得。やがて事業を展開したい考えを持っていた、絆と縁の会社、yukabiオフィスに就職することができた。「収入の面での心配はもうない。だからその……そろそろどうだろう」二組の布団を敷いて、手をつないで眠っていた2人。ある日蓮が、凛花の手にキスをしながら熱い視線を送ってきた。「結婚式は来週だが……すぐに子供ができたとしても支障はないと思うんだが」「そう……ですね」返事をするやいなや、キスしていた手を引かれ、自分の布団に誘う蓮。「あの、こういう行為のしかたは、覚えてる
Last Updated: 2026-07-26
Chapter: 62.元死神たちの会合
「はじめまして。神西蓮と申します」「うわ、イケメンすぎて緊張するぅ……」バイト先に出勤して社長と副社長の秘密を打ち明けられ、凛花も思い切って蓮の話をした翌週、彼を2人に会わせることにした。話は聞かせてあり、体験談をぜひ聞きたいといった蓮。父の賛成も取り付け、会社近くのカフェで落ち合ったところだ。2人にキラキラした目を向けられ、キョトン、とする蓮。人間の姿を手に入れた彼は、ピュアで邪気のない子供のような表情を見せることが多い。そういうことは、社長たちにもあったのか……「改めて自己紹介しとくね。俺は兄で社長の絆【きずな】。こっちは弟で副社長の縁【えにし】。凛花ちゃんが見破った通り、俺たちは双子。あんまり似てないけどな」座ったまま頭を下げる凛花と蓮に、2人は早速経験談を話し始めた。「俺たちが死神稼業から足を洗ったのは、寿命が来ている人間に、カマを振れなかったからなんだよ」「そう。そのせいで人間界に修行に落とされそうになって、それが嫌で2人で逃げ続けて……そのうち幹部たちと戦うことになってさ」「まぁ、勝利したってわけよ」話を聞く限り、その戦いとはいわゆる剣を振り回したりするバトルとは違ったらしい。「戦いがある、とは聞いてたけど、なんていうか……まやかし、みたいなものだったな」「精神的にジワジワ追い詰められる感じ。……あれ、もし人間がされたら確実に病むよ」まさに、病んだ。2人の話に大きくうなずく凛花。蓮が2人に向かって口を開く。「人間の姿を手に入れた後、死神からの接触は?」「1度もない。ただ死神時代の記憶はいつまでも消えないんだよね」「それについては諸説あってさ……」縁の答えに、絆が声を落として身を乗り出す。「結婚すると消えるらしい……!」「らしい、とは?おふたりにも経験談を聞かせてくれる仲間がいるんですか?」たまらず質問する凛花に、絆は笑い出した。「……え?いっぱいいるよ!皆自分からは言わないだけだから」そう言われて思わず辺りを見渡してしまう。若い人が多いけれど、カフェの外には老若男女、たくさんの人が歩いている。……あの中に、死神としての経験を持つ人が、いる?「結婚するとその記憶自体なくなって、本当の人間としての人生が始まるって話。……話を聞いた人も恋人と結婚して、次に会った時死神の話をしたら笑い飛ばされたもん」
Last Updated: 2026-07-22
クズなハイスペ夫を改心させたのはもっとクズな私です

クズなハイスペ夫を改心させたのはもっとクズな私です

美貌の外科医、二階堂神楽31(にかいどうかぐら)と1年間の契約結婚をした片桐紅29(かたぎりべに) 理想の妻を演じ、きっかり1年後、契約満了で豪邸を出て行った。 ところが……残された神楽の心に残る紅。 実は契約結婚は紅で3度目の神楽。 以前の妻たちは契約を守らず、神楽を愛し、体を開いた。けれど紅は思い通りにならない。 それが神楽は悔しくてならない。 実は紅も、神楽との契約結婚には、ある思いを持って臨んでいた。 神楽は覚えていないものの、2人は因縁の関係で、この契約結婚は、紅とって復讐、そしてやり返しの意味があったのだ。 離婚しても形を変えて2人は繋がり続け、攻防戦は激しさを増していき、結果、2人の着地点は…
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Chapter: 77.母の行方を追って……
「この道を入ったところにあります」タクシーを住宅地に入る手前で待機させ、紅と京香は先を急いだ。やがて見えてきた和風建築の屋敷に、京香は素直に驚いてみせる。「わぁ……すごいお屋敷ね」「ただ大きいだけの古い家ですよ」どこから入るのか、知らなけば迷うだろう何もない壁に向かう紅。そこは入り組んだ塀になっていて、進んでいくと背丈をゆうに超す大きな門扉にたどり着く。近づくと明かりが灯る仕組みだ。「削除されてなければ、これで門は開くはずです」レンズのようなところに目を向け、虹彩認証で施錠を解く紅。門の向こうは足元に点々と明かりが灯って、遠い玄関まで案内した。到着すると、紅は躊躇わずチャイムを鳴らした。2度……3度……「誰かいない……?美沙さん?!木下っ?!」チャイムに応答はなく、紅はドンドンドアを叩き声をかけたが、それでも人の気配はしない。玄関の裏手に回ろうとするも、高い塀に遮られている。簡単に庭にたどり着ける設計ではないことはわかっていたが……「父が留守にしていても、誰かしらいるはずなんです。出て来ないところを見ると、父に来客には応対するなと言われているか、それとも……」あたふたと後に続く京香に説明しながら考える紅。「もしかしたら……」「なに?どこか、別の場所に?別荘かなにか?」紅はもう一度玄関を見つめ、少し下がって家全体を見上げた。雰囲気から人の気配を探ろうとしているように見える。「ごめんなさい。こんなところまでお連れして……1度病院に戻りましょう」来た道を戻り、タクシーに乗り込んだ。「思い当たる場所があるなら、そこへ行っていいのよ?うちの職員の不手際でこんなことになったんだから」「いえ。ここから先は、私1人で行きます。京香先生は明日もお仕事ですよね?帰って……休んでください」病院に到着し、京香はとりあえず……と言って、持ってきた薬を紅に預けた。「今回の件は警察に通報済みです。もし見つかったと連絡が来たら知らせるから、紅さんも1人でなんとかしようとしないで」「はい。ありがとうございます」紅はそのままタクシーで神楽の家に帰った。これから、どうしたらいいか……力が抜けたようにソファに座り込む紅。連れ去ったのが木下だとするなら、母は今、確実に父のそばにいる。「でも、家に誰もいないということは……」家政婦や側近と共に、連れ出
Last Updated: 2026-08-27
Chapter: 76.せっかく回復してきたのに……
『もしもし……』神楽にそっくりの声が聞こえて……ふざけているのかと思った。「あの、神楽さん?」『お世話になっております。神楽の父親で、坂口と申します」「は……はじめまして、片桐紅と申します」父というのが実父のことだとわかり、交流があったのかと少し驚いた。父子水入らずの時間を過ごしているのなら、喜ばしい。別に……外科病棟で噂されていたことを信じたわけではなかったが。ひと通りの挨拶を終え、神楽に変わった。『信じる気になった?』「はじめから疑ってませんよ?……ちょっと意地悪を言っただけで、ごめんなさい」神楽は素直に謝る紅に、携帯の向こうで破顔した。「改めて、ご挨拶に行きたいです」『あぁ……だが父はどうも、依存症を患ってるようでな』場所を移動したらしい神楽が小さく言った。悲しげな声が、初めて母の病気を知った当時の自分を思い出させる。「神楽さん?」『ん?』「私が一緒にいるから、大丈夫です。私もお父さまを支えますから」悲しみも不安も怒りも、私はずっと1人で背負ってきた。誰かに一緒に背負うと言ってもらえたら、あの頃の自分はどれだけ救われたかと思う。『ありがとう紅。もう……一心同体だな?』「はい。2人で1人前です」『あぁ紅……今すぐひとつになりたい」「それは、」『今すぐ抱き……』唐突に携帯を切ってやった。家族との顔合わせも具体的になり、実の父親へ挨拶に行く想像を膨らませる。……あとは結婚式?義母に連れられて行ったチャペルを思い出した。契約結婚は3回も繰り返した神楽だけど、結婚式をするのは初めてだろう。何度か出席した友人の結婚式を思い出し、つい口元が緩む。タキシード姿の神楽、かなりカッコいいだろうな……本人には言えない想像が脳内に描かれた。簡単な夕食と入浴を済ませ、早々に神楽のベッドに横になり、ウトウトし始めた時だ。携帯がにぎやかに着信を知らせ、紅は誰からなのか確認もせず繋げる。「紅さん、落ち着いて……聞いてほしいんだけど」「え、京香……先生?」寝ぼけた頭に響く声は間違いなく京香先生だ。こんな時間にどうしたのだろう……今夜は神楽も病院にはいないのに。ベッドの上に上体を起こし、携帯を持ち直して……「片桐さんが、お母さんがいなくなったの」「え、お母さんが……?」「見回りの看護師が気づいて、病院中を探したんだけど
Last Updated: 2026-08-26
Chapter: 75.神楽がパパ……?
「……元気にしてた?」『誰か、わかるのか?』「わかるよ。伝わってくる空気でわかる」スタッフの目があり、相手が誰かわかる呼び方は避けたかった。……すでにナースステーションが異様な静けさなのは気づいている。「こっちからかけ直すよ。……携帯でいいか?」『いや……』……まさか、すでに携帯がないのか?嫌な予感がしたが、連絡してきた以上放っておけない。「それじゃ、前に待ち合わせた場所グランダーニャホテルに来て」わかった、と言う声が弱々しい。少しだけ重い気分を抱えながら医局へと引き上げた。買ってきたバゲッドサンドを口に運びながら、紅にメッセージをしておくことにする。『今日、夕飯は外で食べてくる』京香と話して、顔合わせの店が決まったのか気になるが……仕方がない。『了解しました』ものの数分で既読マークが付き、神楽は携帯を閉じた。勤務を終えてナースステーションの前を通りかかると、ちょうど入れ替わりなのか、スタッフが妙に多くいるような気がする。「あ!神楽先生、お疲れさまです」「お疲れさま」なぜ……上から下まで舐めるように見つめられるのか。「……なに」「いいえ!今日もスタイリッシュなファッションがキマってますね!」「別に、ただの白シャツとゆるカーゴだけど」紅と結婚することはまだ発表していないが、俺が以前と大きく変わったことにスタッフは気づかないのか。……服は清潔感があればそれでいい。ねっとりした視線があらぬ想像をされているようで気に入らないが、先を急ぐことにする。到着したのは、病院からほど近いシティホテルのロビー。そこに、所在なげにウロウロする人を見つけて胸が痛んだ。「父さん……」振り向いた顔が、最後に会った日より痩せていた。「こんないい店で食事しなくても……その辺の定食屋でよかったのに」「いいから。鰻でも食べて少し栄養をつけて」「でも父さん……」「俺が食べたいから付き合わせたんだ。当然支払いは俺だよ」払えない、と言わせたくなくて、急いで言った。父と最後に会った2年前、再再婚した家族と別れた直後だと聞いた。2度の再婚でそれぞれ子供を授かり、初めて連絡をした大学生の時は、会うことを拒絶された。「……体調は?」「あぁ。まぁなんとかな」俺が医者だということを忘れたのか……父の病状は進行しているように見えた。……だが
Last Updated: 2026-08-25
Chapter: 74.家族になる幸せと、不穏?
「そう、あなたのお母さま、咲子さんでしょ?私のことは綾子さんって呼んでくれるようになったわ。穏やかで優しくて繊細で……私にないものをすべて持ってる素晴らしい方ね?」「はぁ、それは……ありがとうございます」母親を褒められるのは嬉しいものだ。つい頬を緩める紅を見て、義母も笑った。「それであの、病院に飾る貼り絵って……」「咲子さんに頼んだのよ。京香さんに聞いたら楽しめる手作業は彼女の病気にもいいって」人が変わったような明るい母の笑顔を思い出した。まさか義母がそんな手助けをしてくれたなんて……感謝の気持ちを伝えながら、話を戻した。「あの、それで病室の変更にかかったお金を入金したいのですが」「いやだ……!だから咲子さんに仕事を頼んだって言ったでしょ?病室の変更にかかったお金は、彼女がきちんと支払ってくれたのよ」「そんな……それじゃ、お義母さまが」損をしてしまう。……そう言おうと思ったとき、義母がうっとりした表情になったことに気づいた。「あなた、彼女の貼り絵を見たことがある?それはそれは美しいグラデーションで花を表現してて、素晴らしいのよ?」「お義母さま……」不意に涙が浮かんできた。ずっと父につらい思いをさせられていた母が、誰かに認められて役割を与えられ、輝きを取り戻し始めている。あんな笑顔を見せるようになったのは、ちゃんと評価して認めてくれた義母のおかげ……「ほら!」指先で涙を拭う紅に、テーブルの向こうから、ハンカチを放る義母。「別に泣きやまなくていいわよ。泣きたい時は泣けばいい。だけど、メイクが落ちるのは嫌だと思うから渡しただけ!」「……わーんっ!!お義母さま〜っカッコよすぎますぅ〜……!」生まれて初めて、声を上げて泣いた。まさかそれが、神楽の母親の前でだなんて、予想もしなかった。会う前はどれだけ身勝手な人かと思ったけれど、実は正直でいることしかできない、ある意味不器用な人なのかもしれない。紅に、もう一人の母親ができた瞬間だった。「主治医も一緒なので、安心して連れ出せるわよ?」その後しばらくして、紅と神楽の結婚を前に、家族の顔合わせが行われることになった。神楽の両親と颯真と京香、紅の母と当事者の2人、合計7人で集まれる場所を選ぶのは、紅と京香だ。「それなら……母が好きな和食のお店に連れて行ってあげたい。病院から車で、10
Last Updated: 2026-08-24
Chapter: 73.義母と実母
「……え、最上階に?」「はい。数日前に病室を変更されました」専属クラークゆえ、神楽の多忙に合わせるように、ここしばらく忙しくしていた紅。それでも時間を見て母を見舞っていたが、この数日は来ることができずにいた。……その間に病室が変更されていると案内されたのだが、つい心配になってしまう。「あの、母は慣れない部屋で大丈夫なんでしょうか?病院の都合もあると思いますが……」「大丈夫ですよ。とても快適にお過ごしです」「そうですか……」母が入院する分院、絆ハートメディカル病院は7階建てだ。そんなに高い建物だったかしらと上を見上げてみる。 「7階のナースステーションで、もう一度担当看護師に声をかけてくださいね」紅はエレベーターに乗せられ、7階を押してくれたスタッフに見送られた。「わ……さすが二階堂総合病院だわ」エレベーターを降りればそこは、病院であることを忘れさせる空間。ゆったりした革張りのソファと磨かれたガラステーブル。誰が活けたのか、大きな花が印象的な姿になって鎮座していた。「片桐さまですね。病室は一番奥になります」「……はい、ありがとうございます」ちょっと待ってよ。……エレベーターを降りてこの状態って、部屋はいったいどれだけ立派なんだろ?まさか、特別室なわけないよね……「こちらでございます」看護師が案内してくれた病室のドアは、病室のよくあるドアではなく……高級マンションのドアと同じそれ。しかも両開きって……思わず、失礼しますと言いながら中に入った。「紅……来てくれたのね?」驚いた。ひと目で高級品とわかるガウンを着て、リクライニング式のベッドの背に体を預ける母が優雅に微笑むから。「お母さん……不自由は、してないみたいだね」「もちろん……!とても快適よ?ここは広いからか静かで、夜もよく眠れるの。タブレットで看護師さんといつも繋がってるし、安心できてありがたいわ」ガウンのせいだけではなく、明らかに顔色がいい。しばらく歓談していると、母は病室内を軽やかに歩き回り、コーヒーまで淹れてくれた。……何年ぶりだろう。母にコーヒーを淹れてもらうなんて。けれどここは、確実にセレブ専用の病室だ。いったいいくらの割増料金が必要なんだろう。まだ、母を引き取って一緒に暮らす準備は整っていない。それに、私は神楽との結婚を控えていて……「紅、あ
Last Updated: 2026-08-23
Chapter: 72.すき焼き店でバトル
「いえ……お義母さまは、引っ込んでてください」紅は義母を見もせずに冷たく言い放った。この言い方に驚いて目を見開き、義母は牙を剥いて噛み付く。「……あなたねぇ、これが韓国ドラマだったらどうなってると思う?ボコボコに殴られて、親不孝だって叫ばれて、とんでもない目に合うんだから!」「……お義母さまってことは、お前……結婚するのか?」やり取りを聞いていた父が、無遠慮に楓の間へと足を踏み入れる。「……こっちは別室ですから、遠慮してください」「まぁそう言わずに、少し話を聞けよ」出ていかない父に腹を立て、紅も立ち上がった。すると華やぎの間で見ていた芹沢が近づいてくる。「海外進出が決まってな?」「……あなたの話を聞くつもりはありません」「芹沢さんのアドバイスもあって、向こうでは現地の食材を使ってさらに高級志向の和菓子を製造販売するつもりだ。……それを逆輸入する話を今していたんだよ」「……片桐社長、何処でライバルが聞いているかわかりませんから、話はそれくらいに」出店に続き、海外へ事業を展開していく話を聞き、芹沢が父と昨日今日の付き合いではないとわかった。父の横に立つ芹沢を、つい強い視線で見つめる紅。「すまない。片桐さんは、出口と間違えてこの襖を開けてしまったんだ」「……あなたはどちら様なの?」父を連れて行きかけた芹沢に、あろうことが義母が声をかけてしまった。「お義母さま!」……黙れ、というひと言を、なんとか飲み込んで振り返った。すると事業の話がまとまって気分がいいのか、父が珍しく話に混ざる。「この人かい?……この人はミューゼルホールディングスの専務だよ。娘のかつての上司で、恋人だったんだってなぁ?」「「はぁ?恋人??」」思わず義母とハモってしまった。「本当なの?紅さん。……それにあなた、この方……お父さまなんじゃないの?!」「いえ、お義母さま……」義母はしずしずと立ち上がり、襟元の合わせを整えつつ、紅の横に並んだ。「はじめまして、私……」「芹沢専務のこと、好きだったんです。結婚も考えたくらいに。でもお付き合いというところまでいってません」二階堂総合病院の名前を出して欲しくなくて、つい口からの出任せを言ってしまった。義母は複雑な表情で紅を見ている。「……というわけで、さぁお義母さま、すき焼きの続きをお願いします。いいお肉の脂
Last Updated: 2026-08-21
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