Chapter: 予感と予測「ママは?」そう聞くと女の子の方が言う。「ママはランドセルのお店に居ると思うの」話している女の子の方も不安なんだろう、泣きそうになっている。「そうか」そう言って男の子を立たせ、言う。「君は男の子だろう?泣いてばかりではダメだぞ?こういう時は男の子が女の子を守ってあげないといけないんだ」そう言うと、男の子は涙を拭き、泣くのを堪えている。その姿を見ると俺まで何だか泣きそうだった。「良し、偉いぞ。良い子だ」そう言って二人の子の頭を撫でる。二人の子はどこからどう見ても男の子は俺に似ているし、女の子は杏に似ている。胸が高鳴る。もしかしたら杏がここに居るかもしれないのだ。「篠江様、あの……」背後で海原グループの人間が俺を急かす。抜けられない仕事である事が悔やまれた。俺は言う。「門田、二人を母親の元まで送れ」そう言うと門田が頷く。「はい、龍月様」◇◇◇「ママ―!」二人の子供たちが走って来る。「桜丞!苺果!」私は走って来る二人を抱き留める。「どこに行ってたの!」そう言いながら二人を抱き締める。二人は泣きながら私にしがみついている。ゆっくりと歩いて来る人の気配がして、私は顔を上げる。そこにはあの、篠江グループ、龍月の秘書である門田さんが居た。「奥様……」門田さんはそう言って、私を見ている。彼を見た事で一気に状況が分かる。(龍月がこの街に来ている……?)そう思ったけれど、もしかしたら門田さんだけで来ているかもしれないと思い直す。私は立ち上がり、言う。「もう私は奥様じゃないわ」そう言うと門田さんが苦笑する。「杏様、お久しぶりでございます」門田さんが礼儀正しくそう言う。「そうね、久しく会っていないわね」そう言って私は子供たちを背後に隠し、言う。「もう行くわね。子供たちを送り届けてくれてありがとう」そう言うと私は門田さんに背を向ける。話したくない。そう思ったからだ。一度だけ振り返る。門田さんは礼儀正しく私に頭を下げたままだ。まるでロボットのような人だなと思う。感情が読み取れない人だ。私はすぐに桃李に電話をかけ、子供たちが見つかった事を伝え、ランドセルのお店の方にも謝意を伝える。桃李と合流し、家路につく。マンションに入り、部屋に入ってやっと一息付けた。「姉さん、何かあった?」そう聞く桃李に私は言う。「今日、モールで誰を
Last Updated: 2025-10-21
Chapter: 運命のいたずら週末。私は子供たちを連れてショッピングモールへ来ていた。翌年に控えた小学校への入学の為に色々な物を揃えないといけない。こういう事は早めに動いた方が良いのだ。ランドセルを売っているお店に行き、桜丞も苺果もそれぞれ自分の好きな色をのランドセルを選んでいる。私はそんな二人を見ながら微笑む。もう小学生か。そうなれば今よりももう少し、自分の事を自分で出来るようになるだろう。「ママ―、私、これにするー」苺果がそう言って見せて来たのはキャメル色のランドセル。「僕はこれにするー」そう言って桜丞が見せて来たのは黒と青のランドセルだった。「じゃあ、これにしよう」そう言って店員さんに包んで貰い、住所を伝える。ランドセル二つを持って帰るのは私一人では無理だからだ。私が店員さんと話している間、二人には大人しく待っているように伝えた。「こちらの品にはオプションとして~」店員さんが説明をする。それを聞きながら私は二人のランドセル姿に思いを馳せた。入学式の服は二人がもう少し大きくなることも考えて、大きめのものを買うか、ギリギリまで待つか。悩ましいところだ。目を離したのはそれ程、長くはなかった筈だった。けれど店員さんとやり取りを終えて、振り返った時には二人の姿は無かった。「桜丞?苺果?」名前を呼びながら私はお店の中を一周する。支払いも配達の手配も済んだ私はお店の中を見回ったけれど、二人は居ない。(どこへ行ったの?)そう思いながら私はお店を出る。店員さんも心配してくれて、もし見つかったら連絡をくれるというので電話番号を伝えた。お店から出て周囲を見回す。どこにも居ない。少しずつ焦りが出始める。ここに居た方が良いだろうか。それとも歩き回った方が良いだろうか。とにかく私は一旦、桃李に電話をした。今日、商業施設に来ている事は事前に伝えてあったからだ。桃李に一通り説明すると、桃李はすぐにここへ来てくれる事になった。しかも、診療所の同僚たちも一緒に来てくれると言う。(普段は私から離れて遠くまで行くような子たちじゃないのに)店員さんが気を利かせてくれて、店内放送もしてくれる事になった。時間が経つにつれて焦りが募って来る。(もしかして誰かに攫われたの?)そんな嫌な想像さえ、してしまう。けれどうちの子たちを誘拐したところでお金なんて……そう思っていると、声が掛かる。「姉さん!」桃
Last Updated: 2025-10-20
Chapter: 華凜の誤算華凜視点:私は自分の部屋でイライラして歩き回っていた。(峰月杏……彼女はまだ龍月の心の中に居る……)(せっかく追い出したのに!妊娠まで偽装して、離婚させたのに!)峰月杏は龍月の両親と仲が良くて、私はいつも龍月の両親から疎まれていた。私が大学生の頃、峰月杏は孤児だった。篠江家に保護され、養育されていたのだ。それは峰月杏の母親が龍月の両親を庇って事故に遭い、その命を落としたからだ。その恩に報いる為に龍月の両親は峰月杏とその弟、桃李を篠江家で養育し、更には杏を将来の篠江家の夫人にまでさせようとしていた。だから私は母を杏の父親と結婚させた。私と杏は義理の姉妹になった。義理とは言え、姉妹なのだから私という存在は無視出来なくなるだろうと思ったからだ。けれど。龍月の両親は何故か、私を嫌っていた。まるで全てを見透かしているかのようだった。そう、私が自分の母を杏の父親と結婚させ、密かに杏に嫌がらせしていた事も、そしてあの事故も。私は龍月の事をもちろん、ずっと前から知っていた。世界的な大会社・篠江グループの御曹司。イケメンで少し冷たさのある顔立ち、背が高く、スラッとしていて、立っているだけでモデルのようだと持て囃されていたからだ。私は大学に入ってすぐに龍月と出会う事が出来た。こんなに完璧な人は居ないと思った。美しく儚げな私と釣り合うのは龍月だけだった。だから私は時間をかけて龍月との距離を縮めていき、やっと付き合えるところまで漕ぎ付けた。龍月の心さえ私にあれば、龍月の両親も杏との結婚を強行しないだろうと思っていたけれど、そうじゃなかった。杏と結婚しなければ、篠江家を継がせないとまで言われたのだ。冗談じゃない。篠江龍月は篠江家の御曹司だから、その価値があるのだ。だから私は考えた。一度、結婚をさせ、その後、無一文で杏を追い出してやろうと。そしてその時には杏を庇護している龍月の両親が事故で死んでしまえば、誰も杏の味方は居なくなる、そう考えた。けれど、事故は龍月の両親を怪我させただけで終わってしまった。私は焦って、自分を同じ男に誘拐させた。誘拐され怪我をすれば龍月はまた私に付きっきりになる。妻という立場を手に入れたとしても、杏はただのお飾りで本当に愛されているのは私だと、杏に示せればそれで良かった。けれど、その裏で今度は龍月の両親から大金を渡され、海外に行くように言われたの
Last Updated: 2025-10-19
Chapter: 龍月の後悔龍月視点:「龍月、起きて。もう時間よ」柔らかい声……愛のこもった声で俺を起こすその女性は……ハッとして目が覚める。ガバッと起き上がり、周囲を見渡す。部屋は冷たく、人の気配は無い。俺は溜息をつき、目を押さえながら首を振る。もうずっとこの状態である自分に笑う。ベッドから足を下す。立ち上がろうとして眩暈を感じる。でも誰も俺を支える人間は居ない。身支度を整え、部屋を出る。リビングへ向かう途中、声が聞こえて来る。「龍月がもう起きて来るわ、早く用意なさい」俺はその声を聞きながら、リビングに入る。「龍月」そう言いながら俺に駆け寄って来たのは華凜だ。「おはよう」そう言って微笑み、俺の腕に触れる。「おはよう」そう笑みを作って返すと、華凜が言う。「朝ごはんがもう出来るわ」そう言う華凜に俺は言う。「今日は随分と早くから家に来てるんだな」華凜が少し悲しそうに微笑む。「えぇ、だって今日は……」そう言う華凜に俺は微笑み、華凜の頭を少し撫で、言う。「悪いが仕事が立て込んでる。俺はもう仕事に行く」俺がそう言うと華凜が俺を見上げる。「今日は一緒に居てくれるって約束したのに……」俺は華凜の肩に手を置き、言う。「すまない」家を出ると車が待っている。車に乗り込んで聞く。「何か掴めたか?」そう聞くと秘書の門田が言う。「まだ何も。方々手を尽くしていますが」そう言われて溜息が出る。走り出した車の窓の外を流れる景色を見ながら思いを馳せる。5年前の今日、華凜が流産した。俺の子を宿した華凜を大事に思うあまり、俺は杏に離婚を迫った。杏は抵抗する事無く、離婚に応じ、清々しいくらい潔く出て行った。それ以降、杏の行方は分かっていない。そして。杏が出て行った後、杏の妊娠検査票を発見した。俺は責任を病院の連中に追求し、それでも誰も杏の行方も、杏と一緒に居るであろう弟の桃李の行方も分からなかった。その時の病院の関係者をほぼ全て解雇処分にした。俺が使える力を駆使して杏の行方を調べさせたが、杏はその痕跡を完璧に消し去ったのだ。俺の子を宿した華凜はその後、家に入る事を許されなかった。杏と俺の離婚の切欠になったあの運転手が見つからなかったからだ。俺の両親は杏を信じ、華凜が篠江家に入る事を許さなかった。そして杏との離婚が成立してすぐ、華凜は流産した。俺は俺の子を宿した華凜が流
Last Updated: 2025-10-18
Chapter: 優しさと傲慢と峰月杏を初めて見たのは社内のコンペだった。彼女の作ったというデザインは素晴らしく、優秀賞を贈るのに相応しいと思えた。コンペで表彰されていた彼女は周囲の人間からの嫉妬の感情をさらりと躱しながら、上手く立ち回っていたと思う。こんなに優秀な人材がまだ我が社に居たのかと思い、彼女の事を調べさせた。彼女は5年前に東山市に越して来て、双子を出産し、3年前に我が関麗グループに入社した。東山市に越して来るより前の事は現在も調べさせているが、はっきりしなかった。つまりそれは、彼女の産んだ双子の子供の父親は誰か、分からないという事だ。そして一緒に暮らしているのは彼女の弟の峰月桃李。最初は弟だと言って、身分を隠しているのかと思ったが、そうではなかった。峰月桃李は優秀な医師で、小さな診療所で医師として働いている。峰月杏を支えながら。彼ほどの医師ならば大きな病院でも十分に勤められるだけの腕はある。だが峰月桃李は小さな診療所に勤務していた。峰月杏も峰月桃李も、まるで何かから隠れるように暮らしている。(誰かに追われているのか……?)そう考えたけれど、こればかりは本人に聞かないと分からない。そしてそれを聞けるほど、俺たちの仲は深くない。おじい様と彼女は時折、ランチを一緒にしているのを見掛けているが、俺はその中へ入っては行けなかった。それでも彼女が我が関麗グループに居る限り、チャンスはある。◇◇◇お店を出た所で、スーツ姿の男性に声を掛けられる。「峰月杏様でしょうか」急に声を掛けられて少し驚く。「はい、そうですが」子供たちも不安そうに私を見上げている。「私は関陽斗様から、峰月杏様、及びそのお子様方、ご友人をご自宅まで送るようにと言い付かっている者です」そう言って彼は首から下げている身分証のようなものを差し出す。それには関麗グループ 専属運転士と書かれている。役員たちが乗る車の運転士さんのものだ。「関社長が車の手配をしてくれたって事?」晴美がそう言って私を見る。急にどうしたんだろう。どうして関陽斗が車の手配を……?戸惑っていると運転士の方が言う。「乗って頂かないと、私が罰せられます……」そんな運転士の様子を見て、晴美が言う。「乗せて貰おうよ、せっかくだし」晴美は停めてある車を見て、私に耳打ちする。「ご友人って事は私も含まれてるんでしょう?運転手付きの、こんな役員しか
Last Updated: 2025-10-17
Chapter: 隠れた庇護と微かな愛情鼻息荒くそう言った秋山芙美香は私を得意げに見ている。「言いたい事はそれだけか」関陽斗がそう言う。その声は驚く程、冷たかった。関陽斗は自身の腕に触れている秋山芙美香を振り払うと、彼女が触れた箇所をまた手で払う。「今回の不正を暴いたのは他の誰でも無いこの俺だ。異論の余地が無い程の完璧な証拠もある。暴いたのがこの会社の社長である俺なのに、それを疑うと言うのか?」そう言いながら関陽斗が手を上げる。関陽斗の秘書の桐山拓海(きりやま たくみ)が関陽斗の手に書類を差し出す。関陽斗はその書類を掴むと、秋山芙美香にそれを突き付ける。「文句があるなら聞こう。だがその前にこの証拠を切り崩す必要があるな、秋山芙美香」そして溜息をついて言う。「今回の不正はそれ程、我が社にとって痛手では無かったから、降格だけで済ませてやろうと思っていたが」そして秋山芙美香を睨み、言う。「反省が無いようだな。しかも我が社のポリシーである平等、公正、挑戦にも不満があるように見受ける」関陽斗は周囲に居る社員たちに向かって言う。「我が社は子供の居る女性にも働きやすい環境を提供し、女性の活躍を後押ししている。そのポリシーに不満がある者は、さっさと辞表を提出しろ」そして秋山芙美香に向き直ると、関陽斗が言う。「秋山芙美香、お前は我が関麗グループには不要の人材だ、辞表を書くと良い」そして私に向き直り、微笑むと言う。「用意した部屋はこっちだ。行こう」部屋はきちんと整備されていて、大きなデスクに大きな本棚、そして小さな一人掛けソファーが二脚に小さなコーヒーテーブル。デスクだけがあるオフィスとは違っていて、私は驚いて関陽斗を見る。関陽斗は微笑んで言う。「これからも峰月くんの活躍、楽しみにしていますね」そう言って秘書の桐山さんと一緒にその場を去って行く。私は自分のオフィスが持てた事に感動し、持って来ていた荷物を解く。午前中は私の個人オフィスに何人もの人間が出入りした。挨拶に来る者、顔を見に来る者、そして牽制しに来る者……その目的は様々で、私はその対応と自身の仕事に忙殺された。夕方になりやっと息をつく。もうこんな時間だ、桜丞と苺果を迎えに行かなければならない。私は仕事を切り上げ、帰り支度をする。「ノック、ノック」ノックの代わりにそう言って、部屋に入って来たのは小早川晴美(こばやかわ はるみ
Last Updated: 2025-10-16
Chapter: 王位継承その年の夏、国王陛下が亡くなった。テオは王位を継ぎ、国王となった。私もまた王妃となった。前王妃のセリーヌ様はお子を身篭られていて、その経過は順調だった。セリーヌ様は後宮に下がられ、テオと私が王宮に住むようになった。前国王陛下の面影が残る王宮は温かく、そして寂しかった。◇◇◇王宮で過ごす事に慣れてきた頃。俺は執務を終えて、王宮に下がる。風呂に入ると、そこには女が居た。見た事の無い女。女は一糸まとわぬ姿で立ち上がると俺にひれ伏す。「王国陛下、ご機嫌麗しゅうございます」俺は顰め面で風呂を出ようとする。「お待ちください!国王陛下!」女が声を上げるが、俺はそのまま立ち去る。最近、こういう事が増えた。これは由々しき事態だ。王宮に女を送るだと?怒りに震え、俺はガウンを来て、王宮内をずんずん歩く。「ジル!ジル!」呼ぶとジルに付いている侍女が出て来て言う。「王妃殿下はただいま、湯浴み中です」そう聞いて俺は笑う。「そうか、なら、ちょうどいい」俺は中に入り、王妃専用の風呂場に入る。「ジル!」呼ぶとジルが振り向く。「あなた」侍女たちが頭を下げて伏す。「下がれ」言うと侍女たちが下がって行く。「どうなさったの?」ジルが聞く。俺はガウンを脱ぎ捨て、ジルの居る湯船に入り、ジルを抱き寄せる。「俺の風呂場に女が居た」ジルは溜息をつく。「またなの?」聞かれてジルの体を愛でて撫でながら頷く。「あぁ。俺がジルにしか興味が無いという事をまだ理解していないらしい」ジルの豊かな胸を愛撫しながら、ジルの首元に唇を這わせる。◇◇◇「禁止令?」お風呂から出て、ジルとベッドに入る。「あぁ、俺の部屋や風呂場に女を送るのは禁止させる」ついさっきの女の事を思い出す。ハッキリと見た筈なのに、もう顔さえ覚えていない。「ジル以外の女など、俺にとってはどうでも良い。皆、一様に同じ顔で同じ作りにしか見えん」ジルがクスクス笑う。「笑い事では無いんだぞ?」言うとジルが俺の胸板に頬擦りする。「私は心配していません、あなたが私を愛してくれている事は分かってますから」ジルの頭を撫でる。「あぁ、そうだ。だが、不快だ」またジルがクスクス笑う。「それでは、そのように、国王陛下」俺は笑って言う。「あぁ、そうするさ、王妃殿下」◇◇◇翌朝、俺は朝早くから家臣たちを呼び
Last Updated: 2025-09-10
Chapter: 王の危機夕食になり、ジルと食事をする。「賊は捕まえたよ。ブランとタイランに吹き矢を放った奴らだ」ジルは切り分けた肉を俺の口に運びながら言う。「じゃあ、とりあえずは一安心ね」ジルの腰を抱く。ジルは俺を見上げ微笑む。「食事中は御触り禁止にしましょうか」俺は肉を飲み込んで言う。「それはダメだ。絶対に」ジルの手を掴んで口付ける。ジルがクスクス笑う。そこから時間をかけてジルは体調を戻し、ブランにまた乗るようになった。俺はまた王城と屋敷を行き来し、国政にあたるようになり、日常が戻って来た。そんなある日。「王宮より!王弟殿下テオ様に!」王宮の使者が息を切らして俺の元へ来る。「テオ様!国王陛下が!」俺は急いで王宮に上がる。扉を開けるとベッドに兄上が寝ている。「兄上!」駆け寄ると兄上が目を開ける。「…テオか」兄上はこんなに弱々しかったか?こんなに顔色が悪かったか?どこかが悪いなんて、思いもしな……いや、違う。俺は兄上の体調に気付いていた。兄上は世継ぎを作るのに忙しいと言っていた……それにまんまと騙されたのか……兄上が体を起こす。俺はそれを支える。「どこが悪いんだ?!いつから?!」聞くと兄上は笑う。「私の病気はもう何年も前からだ」そう言われて俺は驚く。そんな事、全然知らなかった。「なら何故!教えてくれなかったんだ!」言うと兄上は笑って言う。「お前に教えたところで、何も変わらん」兄上の膝に頭を乗せる。涙が止まらない。兄上は俺の頭をポンポンと撫で、言う。「皆、下がれ」◇◇◇兄上と二人きりになる。「テオ、お前に話しておきたい事がある」顔を上げる。「セリーヌが身篭った」え?身篭った……?「私の子だ」兄上は俺を見て微笑んでいる。「これから話す事を良く聞いてくれ」兄上が俺の涙を拭う。「まだ懐妊については誰にも話していない。だがそのうちに話は広まるだろう。口さがない連中は多いからな」兄上は俺の頭をクシャッと撫で、言う。「私はいつまでもつか、分からん。だから」俺は兄上に言う。「イヤだ、死ぬなんて許さん!絶対に許さん!」兄上が微笑む。「聞け、テオ」また兄上が俺の頭を撫でる。「セリーヌのお腹の子が生まれるのは今年の冬か年を越すか、まだ寒い時期だ。そしてその子が王位を継げるのは成人してからになる。成人と共に結婚出来たとした
Last Updated: 2025-09-09
Chapter: 賊狩り「ジル、手を見せて」部屋に戻って軽く食事をとり、部屋に戻った時に言う。乗馬中は革の手袋をするが、あれだけの事があったのだ、確認しておきたかった。ジルが俺に手を見せる。やっぱりか。ジルの手は赤くなっている。その手に触れて聞く。「痛くはないかい?」ジルは俺を見上げて俺に抱き着く。「手は大丈夫。でも今日は疲れたわ……」ジルを抱き上げる。「今日はもう寝よう」ジルを抱き締めながら眠る。本当に何事も無くて良かった。きっとジルは明日、体中が痛くなるだろうなと思いながら、ホッと息をつく。◇◇◇翌朝、腕の中でジルは良く眠っていた。その寝顔を見て微笑む。俺の愛する人。俺はジルの額に口付けて、ベッドを出る。出掛ける支度をする。ギリアムがマントを渡してくれる。「ジルはゆっくり休ませてやってくれ。今日は執務もしなくて良い。きっと体中が痛む筈だ。ゆっくり湯浴みでもさせてやってくれ」ギリアムは頷いて言う。「かしこまりました」◇◇◇詰所に行くとマドラスが待っていた。「おはようございます、殿下」軽く手を上げる。早速、本題に入る。「で、どうだ?」マドラスは吹き矢を持って来て言う。「この吹き矢はやはり賊の物で間違い無さそうです」溜息をつく。「そうか」敷地外とは言え、目と鼻の先でこんな事が起こるとは。「賊狩りの準備を進めさせろ。南の森一帯を制圧するぞ」マドラスが頭を下げる。「はい、殿下」◇◇◇厩舎へ向かう。「おはようございます、殿下」厩者が言う。「タイランとブランはどうだ?」聞くと厩者が微笑む。「大丈夫です、体調に変化はございません」厩舎の中に入ってタイランの様子を見る。ん、大丈夫そうだ。タイランは俺を見てブルルルと鼻を鳴らし、その鼻を俺に擦り寄せる。「昨日は良く頑張ったな、お前のお陰だ」撫でてやる。次はブランだ、そう思ってブランの元へ行く。ブランも特に問題は無さそうだった。「ブラン」呼びかけるとブランは俺を見て近付いて来る。心無しか、申し訳なさそうな顔をしている。「大丈夫か、ブラン」聞くとブランもブルルルと鼻を鳴らす。顔を出し、俺に頭を下げるような素振りだ。俺は笑ってブランの鼻を撫でてやる。「良いんだ、ブラン、お前のせいじゃない。お前に痛い思いをさせた奴は俺が捕まえてやるからな」◇◇◇目が覚める。体を動かそうとすると
Last Updated: 2025-09-08
Chapter: 狩りの準備テオが眉間に皺を寄せて言う。「あぁ」溜息をつく。「タイランは強い。こんな小さな針くらい刺さっても驚きはするが、制御出来る。だがブランエールはまだ経験が浅い。だから我を失ったんだろう」ブランエール、私の愛馬……。ポロポロと涙が出て来る。「泣くな、代わりの馬なら」私はテオに抱き着く。「代わりなんて言わないで……ブランエールはあなたが私にくれた馬なのよ?初めての私の馬だったのに……」毎日、会いに行き、鼻を撫で、櫛で体を梳かしてやり、体を拭いて、お散歩もしたのに…。「ごめん、そうだったな」テオが私の背中を撫でる。◇◇◇「殿下と奥様が戻らないだと?」厩者から聞いて俺は厩舎へ向かう。「南のゲートから出て行ったんで、その奥の牧草地か、そのまた奥の森か」厩者が言う。もう日が落ちている。その時。「ブランエール!」厩者が言う。ブランエールは奥様の馬だ。「どうした、ブランエール……お前、奥様は?」厩者が馬をなだめながら様子を見る。「マドラスさん!これ!」厩者が言う。「どうした!」馬に近付く。馬の後ろ足に何か刺さっている。それを引き抜く。「…吹き矢か」幸いにも麻酔や毒の匂いはしない。…となると。奥様と殿下が森の中という事か。「全員、聞け!」その場に集まっていた騎士団員たちに言う。「奥様と殿下が迷われている可能性がある!日は落ちているが、これから志願した者のみ、馬に乗り、捜索を開始する!」◇◇◇このままここに残るか、タイランノワールに騎乗して帰るか。しかし、帰るには道が分からない。帰る予定の時間はとうに過ぎている。部下たちが動き出しているだろう。だとしたら、下手に動かない方が良い。火を起こして煙が上がっているからそれが狼煙代わりになるだろう。それにしても。吹き矢は誰が仕掛けたんだ?最初のブランエールのいななきもきっと吹き矢のせいだろう。あの時、俺たちは走っていた。全力では無いにしても、それなりのスピードだった。馬を狙ったのか、それとも狙いは馬ではなく俺たちなのか。俺たちが狙いなら馬から降りた時に襲撃されている可能性が高い。やはり馬か。それでも人が乗っている馬を狙うなどとは。昔から馬狙いの賊は居たにしても、ここは俺の屋敷の目と鼻の先だ。こんなところに賊が出るなんて話は聞いた事が無いし、もし耳に入っていたら放ってはおかない。屋敷に戻
Last Updated: 2025-09-07
Chapter: 吹き矢草原に出る。遠くには森が見える。「少し走らせてみるか」そう言われて頷く。馬が走り出す。テオは私と並走している。風を切って走るのは気持ちが良い。あっという間に森の入口に到着する。馬の手綱を引いたその時。◇◇◇ジルと馬を走らせる。ジルに並走しながらジルと共に笑い合う。もう少しで森の入口にさしかかろうとした、その時だった。何か光る物を視界の端に捉えた、次の瞬間、ジルを乗せていたブランエールが急にヒヒーンといななき、その前足を高く上げ、暴れ出した。「ジル!」ジルは驚いているのか、振り落とされないように手綱にしがみつく。ブランエールがジルを乗せたまま走り出す。「待て!ブランエール!」俺はタイランノワールを走らせて追いかける。「ジル!捕まっていろ!今、行く!」森の中を蛇行するように走り抜けるブランエールを追いかける。ブランエールに追いつき、ジルに言う。「ジル、手綱を……」その瞬間、今度はタイランノワールが急にいななき、前足を上げる。「クソッ……!」俺は手綱を引き、タイランノワールを落ち着かせる。「ジル!」ブランエールはジルを乗せたまま走っている。「タイラン!行け!」タイランノワールがまた走り出す。◇◇◇「……ジル、ジル。」誰かが私の名を呼んでいる。「ジル!」ハッとする。目の前にはテオが居る。「テオ……」テオは私を抱き締めて言う。「あぁ、良かった……」辺りを見回す。森の中だった。テオの良い匂い。安心する……。全身の力が抜ける……。◇◇◇すんでのところでジルを助け出した。タイランノワールで追いついた俺はブランエールの手綱を引こうとした。その瞬間にジルがブランエールから落ちかける。俺はタイランノワールを寄せてジルを抱え込み、馬を止めた。ジルは気絶していて、俺は馬から降りてジルの様子を見た。ジルに呼びかけ、一旦はその声で目を覚ましたが、俺の顔を見て安心したのか、また気を失った。タイランノワールは俺の傍に立ち、俺の背中に鼻を擦り付けている。「あぁ、良くやった。偉いぞ、タイラン」撫でてやる。でもおかしい。急にあんなふうにいななくなんて。とりあえずジルを抱き上げ、俺は辺りを見回した。ここはどの辺だろうか。休めそうな場所を探す。タイランノワールは手綱を引かずとも俺に付いてくる。少し開けた場所に出る。日が落ちかけている。どうするか。
Last Updated: 2025-09-06
Chapter: ブランエールとタイランノワールジルを見る。「嫌だった?」聞くとジルは首を振る。「でもテオに触れなくて、切なかった……」そうか、そうだよな、と思う。「それじゃ次は目隠しだけにしようか」ジルが少し膨れて言う。「次はテオが目隠しよ」◇◇◇その日から一週間、俺はずっとジルにプレゼントを贈り続けた。花やドレス、宝飾品や靴、そして最終日……「どこへ行くの?」ジルの手を引いて歩く。「まだ内緒だよ」俺がジルを連れて来たのは厩舎だ。「支度は出来てるか」俺が聞くと厩者が頷く。「はい、殿下」厩者が連れて来たのは真っ白な芦毛の馬。「この子は大人しくて優しいんだ。この子ならジルでも乗れるよ」その子の鼻を撫でてやる。ジルが驚く。「私が乗るんですか?」俺は笑う。「あぁそうさ。俺からのプレゼントだ」最初は俺が乗り、ジルを相乗りさせた。体高が高く、見晴らしが良い。ジルはとても喜んでくれた。「この子の名前は何です?」聞かれて俺は言う。「ジルが決めるんだよ」ジルは驚いて、それでも嬉しそうに考える。「そうね……ブランエールなんてどうかしら」ジルらしい柔らかい名だ。「良い響きだな。意味とかあるのかい?」聞くとジルは馬体を撫でて言う。「白い翼よ」馬から降りて、降りて来るジルを受け止める。ジルを立たせるとブランエールはジルの肩に鼻を寄せる。「撫でて欲しいみたいだな」ジルがブランエールの鼻を撫でると、ブランエールは気持ち良さそうに目を閉じる。「この子、本当に優しいのね」ジルが言う。「奥様にだけですよ」厩者が言う。「私にだけ?」ジルが驚いて聞くと厩者が笑う。「ソイツは自分が気に入った相手じゃなきゃ、乗せません。私だって乗った事無いんです」ジルが俺を見上げる。「でもあなたは乗せたわね」すると厩者がまた笑う。「殿下は特別です。殿下に歯向かう馬なんて居ません。馬は頭が良いんです。だからすぐに相手を見抜く」そしてブランエールに近付いて言う。「良かったなぁ、ブランエールなんて良い名前貰えて」ブランエールはブルルルルとまるで返事をするように唸る。◇◇◇厩舎からの帰り道、ジルと手を繋いで歩く。「ジルは一人で馬に乗れるかい?」ジルが微笑む。「えぇ、もちろん乗れるわ。ヴァロアに居た頃にレッスンを受けたもの」俺は微笑んでジルに聞く。「じゃあ遠乗りは?」
Last Updated: 2025-09-05