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Novels by 白蛇

冷酷CEOは没落した初恋相手を逃がさない~8年越しの誤解から始まる、愛憎の契約結婚~

冷酷CEOは没落した初恋相手を逃がさない~8年越しの誤解から始まる、愛憎の契約結婚~

「金目当ての最低な女」――八年ぶりに再会した初恋の彼・黒瀬理玖は、冷酷なCEOとなって私を蔑んだ。  家が没落し、父の治療費のため泥水をすする白鳥凜。  理玖は知らない。あの別れが彼を守る嘘だったこと、凜がその後、家族の暴力、失われた命、消えない傷、終わらない搾取に耐えてきたことを。 「お前は俺の所有物だ」  復讐の契約結婚。冷たく支配するはずが、真実を知った瞬間、彼の世界は崩れ落ちる。  激しい後悔と執着溺愛、そして容赦ない復讐劇。誤解から始まる契約結婚ラブストーリー!
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Chapter: 第九十六話 理玖side 切り札
 |理玖《りく》のスマートフォンに表示されていたのは、白川|紗夜《さよ》の名前だった。「黒瀬です」『会見、見たわ』「そうか」 しばらく紗夜は何も言わなかった。『……多少は申し訳ないことをしたと思ってるのよ』「なんの話だ?」『今、間違えてあなた宛てにメールを送ってしまったの。保存するなり、削除するなり、好きにしてくれて構わないわ』 紗夜はそれだけを言い残して一方的に通話を切った。 理玖はすぐにメールフォルダを開いた。 紗夜から送られてきたメールを確認する。 タイトルも本文もないメールには、いくつかのやりとりの履歴ファイルだけが添付されていた。 その一つを開く。 日付は、堂島|尊《たける》が紗夜を連れてKWSを訪れる数日前だった。『近いうちに、KWSを買収する計画がある。君達に損はさせない。手を組まないか?』『どういうこと?』『俺は、KWS社長の不祥事を握っている』『それで? うちに何をしろって?』『何もしなくていい。KWSに君達を紹介する。あとは契約を進めてくれればいい』 次のファイル。『あんたのとこの山下って男、まさか何かしたんじゃないでしょうね』『余計なことまでしたなら俺は知らん』『余計なことって何よ』『俺が頼んだのは、KWSの信用を落とすところまでだ。白川に実害を出せとは言ってない』『何させたっていうのよ? お陰でこっちは復旧作業で大損だわ』『君が知る必要はない』 日付を見ると、白川のシステムが復旧した翌朝だった。 そして、三つ目。『KWS買収の話、私たちも乗せなさいよ。損失分補填させてもらうわ』『勝手なことするな。全て終わったら、損失分は補填させてやる』 四つ目は、堂島尊の名刺の画像データだった。 余白には整った字で携帯電話番号が書き込まれている。 理玖が目を見開く。「…&hellip
Last Updated: 2026-10-30
Chapter: 第九十五話 理玖side 覚悟
 |凜《りん》の病室を出た|理玖《りく》は、ナースステーションの前を通りかかった。 ふと足が止まる。――凜がまたどこかに行ってしまわないよう、見張ってもらうか? そんな考えが頭を過った。 一瞬立ち竦み、頭を小さく振る。――俺は何を疑ってるんだ。――凜は『約束する』って言ってくれただろうが。 再び歩き出して、病院を出た。 車に乗り込んだところで、どっと疲れが押し寄せてきた。 シートの背もたれに体重を預けて、大きく息を吐き出す。 フロントガラスから差し込む太陽の光が目に|沁《し》みる。――そうだ、高遠に連絡しないとな。 スマートフォンを取り出し、着信履歴から|希美《のぞみ》に折り返す。 数コールが鳴って、希美が出た。『社長、奥様は見付かりましたか?』「ああ、お陰様で見付けられた。しばらく入院することになりそうだが……」『それなら良かったです』 希美の声に、疲労が|滲《にじ》んでいるように聞こえた。「株の件はどうなった」『……非常にまずい状況です』「買いが止まらないってことか?」『そうです。ただ、買いを入れている口座の一部が分かりました』「誰だ?」『堂島電気株式会社です』「なんだと……?」――堂島|尊《たける》。 凜と結婚してから、何かある度にその名前が付き纏っている気がする。 パーティー。 白川ホールディングスとの橋渡し。 そして今回。――本当にただの偶然か?「売りが増えた理由は分かっているのか?」『……恐らくですが、社長の奥様の件です。あのアカウントの投稿が影響しています』 理玖は顎を手で押さえて考え込んだ。――流石にタイミングが良すぎないか? 白川の件が片付いた直後に、今度は凜の過去。
Last Updated: 2026-10-28
Chapter: 第九十四話 約束
――全部、|理玖《りく》に知られた?――八年前のことも、あの子のことも……?――それなのに、どうして……。 溢れ出てくる涙の理由が、自分でも分からなかった。「うち、理玖の傍におったら、迷惑かけてまうから……」「何言ってるんだ……。夫婦だろ、俺達」 理玖の声はひどく|掠《かす》れていた。「うちが、ずっと隠してたから……」 きちんと話そうと思うのに、嗚咽が混じって言葉が続かない。 理玖がゆっくりと首を振った。「俺が聞かなかったからだ。お前は俺のこと聞いてくれたのにな」 二人の間に沈黙が漂った。 凜は手で目元を|拭《ぬぐ》う。「どこまで聞いたん……?」 理玖は一度口を開きかけて、閉じた。 ゆっくりと目を閉じて話し始める。「堂島|尊《たける》との婚約、凜の義母。それから……俺達の子のことも」――ほんまに全部や……。 凜は俯いて、シーツを握る自分の手を見つめる。「……そっか」 何を言えばいいか分からなかった。「凜」 理玖の呼び掛けに、視線だけを上げる。「|Estrella《エストレージャ》で再会してからも、俺はお前を何度も傷つけた。八年前の事情を知らなかったからって、許されることじゃない」「そんな……理玖が悪いわけちゃう」「それでも、言ってはいけないことを言った」 理玖は視線を落とした。 凜はそっと手を伸ばす。 指先が肩に触れたところで、理玖のシャツが湿りを帯びていることに気付いた。――ずっと探してくれたんや……。「あのね、理玖。最初、辛くなかったって言ったら嘘になるけど&hel
Last Updated: 2026-10-27
Chapter: 第九十三話 理玖side ようやく見付けた
 車のサイドウインドウをノックされる音で、|理玖《りく》は目を覚ました。「あのー、そこで寝られると困るんですけど」 コンビニのスタッフが眉を|顰《ひそ》めて立っていた。 理玖は跳ねるように身体を起こす。「すまなかった。すぐに移動する」 エンジンをかけ、コンビニの駐車場を出る。 フロントガラスの向こうは、昨夜とは別の街のように明るかった。――寝すぎた……! コンソールパネルに表示された時刻を見ると、九時半を回っていた。 歩道に視線を配りながらも、津久井浜駅を目指す。 しばらく進んだところで、スマートフォンが鳴った。 理玖はハンズフリー通話のボタンを押す。『社長、大変です』 |希美《のぞみ》の声が車内に響いた。「今運転中だ。後にしてくれ」『KWS株に、異常な買いが入っています』「……何?」『市場が開いてから、まとまった買い注文が続いています』「誰が買ってる」『まだ分かりません』「どのくらいだ」『通常の出来高じゃありません。一度戻ってください』 凜と会社。 理玖は奥歯を噛み締めた。――だが、俺は『もう二度と手放さない』と誓っただろうが……。「勝手を言ってるのは分かってる。だから、高遠。……頼む」 一拍、沈黙が落ちた。 そして、小さく息を吐く音が聞こえた。『早く終わらせて帰ってきてください。一つ貸しですよ』 希美が通話を切った。「……助かる」 零れた言葉が、ロードノイズに掻き消える。 アクセルを踏む足に力が|籠《こ》もる。 津久井浜駅前に着いた時、時刻は十時に迫っていた。 理玖は車を降りるなり、施錠を確かめることもせずに駆け出した。 コンビニに入り、店員に事情を話す。
Last Updated: 2026-10-26
Chapter: 第九十二話 理玖side 夜明けまで
 |理玖《りく》が津久井浜に着いた時には、午前二時を回っていた。 駅前の駐車場に車を停め、駅に駆けた。 人通りはなく、いくつかの街灯が点っているだけ。「|凜《りん》!」 駅舎に向かって叫んでも、返ってくるのは反響した自分の声だった。 理玖はスマートフォンで津久井浜駅周辺の地図を表示する。――コンビニ……。 駅からほど近いコンビニなら、何かを買っているかもしれない。 そう思い立ち、理玖は走り出した。 店内に客の姿はなく、アルバイトらしき店員が商品棚をぼんやりと眺めていた。「すいません。妻を探しているんだが」 スマートフォンを取り出したところで、凜の写真を持っていないことを思い出した。 服装や髪型、背格好。思いつく限りの特徴を伝えたが、店員は「見てないです」と首を振るだけだった。「他に、今営業している店はないですか?」 店員はわずかに考えて、「ないですね」と返す。「分かりました。ありがとうございます」 理玖はコンビニを飛び出し、海の方へ駆け出していった。――なんでこんな場所に。 そう問いかけるほど、嫌な想像が胸の中で渦を巻く。 そのたびに、菜央が凜から受け取ったというメッセージを思い出す。『治療費は絶対なんとかするから』――だったら、死ぬつもりじゃない。――そうだろ、凜。 細い路地を抜けると、堤防が見えてきた。「凜!」 深夜であることなんて考える余裕はなかった。 スマートフォンのライトを頼りに波打ち際へ寄る。 どれだけ目を|凝《こ》らして周囲を見渡しても、ただ暗闇が広がっている。 理玖は波打ち際に沿って歩き出した。 やがて足元が砂に変わった。だが、どれだけ歩いても人影は見えない。 革靴に湿った砂が入り込み、|擦《こす》れた|踵《かかと》が痛みだす。「凜……」 何度も名前を叫んだ喉が|枯《か
Last Updated: 2026-10-25
Chapter: 第九十一話 理玖side 知らなかった真実
 |希美《のぞみ》への通話を切った後、|菜央《なお》から着信が入っていたことに気付いた。 時刻を確認する。 菜央との通話を終えて凜のバイト先の店長と話している頃だった。 すぐに折り返す。 二回コール音が鳴り、菜央が出た。「何か分かったのか」『ちゃうわ!』 スピーカーから響いた菜央の怒号に、一瞬スマートフォンを取り落としそうになる。「……何を怒ってるんだ」『凜が出ていったのって、あのアカウントの投稿が関係してるんやろ』「……恐らく」『恐らく? あんた、うちが凜と最後に電話した時、あの子なんて言ったか分かってんのか!』「なんと言ったんだ……?」『理玖が何とかしてくれるって言ってるから大丈夫って、そう言ったんやで!?』 返す言葉が出なかった。『それで安心したうちが馬鹿やったわ』「……すまない」 沈黙が流れる。 やがて、嗚咽を堪えるような声が聞こえてきた。「……菜央、凜が行きそうな場所に心当たりがあれば教えてほしい」『あの子がどうやって、どんな思いで東京に来たか知ってる?』「堂島との結婚式を蹴って、逃げてきたって。菜央に手伝ってもらったとも聞いた」『……それだけか?』「ああ」『なんで堂島の婚約を受けたか、聞いてすらないんか?』「……ああ」 スピーカーの向こうで、菜央が奥歯を噛み締めるような音がした。『あんた、凜と結婚して、これまで何してたんや』「凜が生活に苦労していることを知った。だから、俺にできることはしてきた――」『だから過去なんてどうでもいいって!? なんであの子が堂島なんかの婚約受けたと思って……』 菜央の最後の言葉は、嗚咽に混じって消えた。
Last Updated: 2026-10-24
龍君の花嫁代わり

龍君の花嫁代わり

――千年の孤独が再び巡り逢いを呼ぶ。 北辺の霊峰・御影山の麓、禁域「龍ノ淵」には龍神が封じられている。 花嫁を捧げねば龍は怒り、この地は雪と災厄に沈む――。 蝦夷の血を引く青年・瑞礼は妹の代わりに贄となることを選んだ。 龍ノ淵へ身を投げた瞬間、彼を包んだのは氷より深く、焔より切ない光。 ――彼を待っていたのは、かつて己が愛した龍神・緋宮。 封印された龍と人として転生を重ねた青年。 愛と咎、祈りと断罪をめぐる三度の輪廻が時を越えて再び結ばれようとしていた。 飛鳥、平安、そして鎌倉。 幾千の雪を越え、瑞礼は祈る―― もう一度、あなたに巡り会えますように。 雪と炎の果てに交わる魂の物語。 ――宿命に抗う、龍と人の永遠の恋。
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Chapter: 117話 千年の桜(最終話)
|龍泉《りゅうせん》神社の境内は、しん、と静まり返っていた。 雪解けの水音だけが響く中、突如として上空から光の風が舞い降りた。 風圧に煽られ、積もっていた雪が桜の花びらのように舞い上がる。その中心に、二つの影が音もなく降り立った。「……あ……」 拝殿の掃除をしていた|瑞白《みしろ》が、手にした桶を取り落とした。 カラン、と乾いた音が響く。彼女は目を見開き、腰を抜かしたようにその場へ座り込む。 視線の先には、兄である瑞礼と、その腰を抱いて支える、人ならざる美貌の男――緋宮がいた。「兄、さま……?」 瑞白の声が震える。兄が無事だったことへの安堵よりも先に、その隣に立つ圧倒的な存在への畏怖が勝っていた。白衣をまとい、金紅の瞳を持つその男は、美しくも恐ろしく、人の世の者とは思えなかったのだろう。「瑞白、怖がらないで」 瑞礼が緋宮の腕から離れ、妹の元へ駆け寄った。「俺だ、瑞礼だ。……約束通り、戻ってきたよ」「兄さまっ!」 瑞白は兄の胸に飛び込み、その温かさを確かめるようにしがみついた。「よかった……本当によかった……! でも、あの方は……?」 瑞白が恐る恐る視線を向けると、緋宮はふっと表情を緩め、穏やかに言った。「……驚かせてすまぬ。俺は緋宮。お前の兄の……連れ合いだ」「つ、れあい……?」 瑞白が目を丸くする。 その時、社務所の奥から出てきた老神職が緋宮の姿を見るなり、はっと息を吞み、その場に深く平伏した。「……まさか、伝説の龍神様ご自身であらせられますか」 震える声に、緋宮は穏やかに頷いた。 その言葉に、瑞白は息を呑んだ。「りゅう、じん…&helli
Last Updated: 2026-02-28
Chapter: 116話 雪解けの春
 水の音がする。 ぽちゃん、ぽちゃんと、岩肌を伝う雫の音。 それはかつて、石室の|御井《みい》を想わせる絶望の響きだった。けれど今は、母の胎内にいるような安らぎを帯びて聞こえる。 気がつくと瑞礼は寝台の上に横たわっていた。 胸の傷口に、温かい手のひらが当てられている。そこから流れ込む熱流が、砕けた骨を繋ぎ、裂けた肉を塞ぎ、失われた血を補っていく。「……眠れ、瑞礼」 耳元で、愛しい声が囁いた。「傷など、俺が塞いでやる。目が覚めた時、痛みはすべて過去の雪解け水となって消えているだろう」 その声の主を確認しようとまぶたを持ち上げようとしたが、心地よい睡魔がそれを許さない。――ああ、暖かい。 芯まで凍りついていた身体が、春の日差しに晒された氷柱のように、溶かされていく。 瑞礼は抵抗をやめ、深く、長い眠りの底へと落ちていった。それは、この世に生を受けてから初めて味わう、本当の意味での安眠だった。* * * ふと、ひんやりとした感触で目が覚めた。 額に乗せられた濡れ布巾が、熱を持った頭を心地よく冷やしてくれている。 鼻をくすぐるのは、カビや湿気の臭いではなく、干したばかりの布団のような日向の匂い。 瑞礼はゆっくりと目を開けた。 見慣れた天井。緋宮と夜を過ごした、|龍ノ淵《りゅうのふち》の寝殿だ。 だが、かつてのような陰鬱な空気はない。部屋の隅々まで清浄な気が満ち、|几帳《きちょう》の向こうからは柔らかな水晶の光が差し込んでいる。「……お目覚めですか」 鈴のような声と共に、額の布巾が交換された。瑞礼が視線を向けると、そこには一人の侍女が控えていた。 この地に花嫁として訪れた日、寝殿を案内してくれた女。 だが、その姿は以前とは違っていた。 秀衡の屋敷で見た、あの泥にまみれた|悍《おぞ》ましい|傀儡《くぐつ》の面影はない。その身体は淡い光を帯び、どこか誇らしげで、そして嬉しそうに微笑んでいる。
Last Updated: 2026-02-27
Chapter: 115話 泥土の晩餐
 猛吹雪の中、|秀衡《ひでひら》は後退った。顔からは血の気が失せ、唇は恐怖で青ざめている。だが、その眼光だけはまだ死んでいなかった。 長年、権謀術数渦巻く乱世を生き抜いてきた男の執念が、恐怖をねじ伏せている気配。「侮るなよ……! 儂はこの地の主ぞ! 畜生ごときに屈してたまるか!」 秀衡は両手を地面に突き立てた。 指先からどす黒い気が大地へと注入される。「起きろ! この地の底に眠る無念どもよ! 貴様らの怨みを形にせよ!」 地面が音を立てて隆起し、汚泥が噴き出した。 それはただの土砂ではない。腐った肉と脂が混じり合い、無数の人の手、人の顔が浮かび上がった冒涜的な濁流だった。地脈を穢して行使する外法。この土地そのものを人質にとった、秀衡の切り札。 泥の波が、鎌首をもたげた大蛇のように緋宮へ襲いかかる。鼻が曲がるような死臭が、雪の冷気を汚染していく。 だが、緋宮は動かなかった。 避けることもしない。ただ、冷徹な金紅の瞳で、迫りくる泥を見下ろしている。「……汚らわしい」 緋宮が指先を軽く振るう。 |鎌鼬《かまいたち》のような風が走り、泥の大蛇を真っ二つに切り裂く――いや、違う。 泥が、空中で停止した。 襲いかかろうとした形のまま、瞬時に凍結したのだ。無数の怨念の手も、叫び声を上げる顔も、すべてが氷の彫像へと変わり果てる。「なっ……!?」「次はお前の首だ」 緋宮の瞳孔が縦に裂け、人の形を保ったまま、その影が巨大な龍の形へと歪む。 圧倒的な捕食者の気配。 緋宮の手のひらに、蒼白い冷気の槍が形成される。それを放てば、秀衡の体は魂ごと氷砕され、永遠に輪廻の輪から外されるだろう。「ひっ、ま、待て……!」 秀衡は腰を抜かし、這いずって逃げようとした。 その背が、屋敷の板塀にぶつかる。「やめろ……! 儂はこの奥州を治めて
Last Updated: 2026-02-26
Chapter: 114話 龍の逆鱗
「瑞礼……っ!」 緋宮の腕が、崩れ落ちる瑞礼の身体を抱き止めた。 その感触は夢ではない。確かな質量と、凍えるような冷気の中に混じる、焦げるような体温がそこにあった。「……ひぐう、さま……」 瑞礼は名を呼ぼうとしたが、喉の奥からごぼりと熱いものが溢れ、言葉を塞いだ。 視界が赤い霧に覆われていく。 自ら引き抜いた刃の傷口から、命がどくどくと流れ出しているのがわかる。左肩の刻印が放つ熱だけで、かろうじて魂を肉体に繋ぎ止めている状態だ。 指先ひとつ動かせない。 瑞礼は緋宮の胸に力なく頭を預けた。 耳元で、緋宮の心臓が早鐘を打っているのが聞こえる。それは恐怖の動悸ではない。千年の封印を内側から食い破り、噴出点を探して暴れ狂う、破壊神の脈動だった。「……しっかりしろ、瑞礼! お前はいつもっ……」 緋宮の声が震えている。 彼は瑞礼の胸の空洞を認めると、一瞬息を呑み、次いでその顔が能面のように凍りついた。 哀しみではない。それは、世界そのものを呪うような、絶対零度の憤怒。 緋宮がゆっくりと顔を上げる。 その金紅の瞳の先には、腰を抜かして後退る兵たちと、青ざめた顔で立ち尽くす|秀衡《ひでひら》の姿があった。「お、お前ら! あの二人を取り押さえよ! 龍神は手負いだ!」 秀衡が焦りを滲ませた声で叫ぶ。 だが、兵たちは誰一人として動けなかった。彼らの生存本能が警鐘を鳴らしているのだ。目の前にいるのは、手負いの獣などではない。決して触れてはならぬ天災そのものであると。「……貴様ら、もう許さん」 緋宮の声は低く、地獄の底から響く地鳴りのようだった。 ふっ、と周囲の音が消えた。風の音も、兵士の呼吸音も、すべてが凍りついたかのような完全なる静寂。 屋敷の庭の温度が一気に下がる。吐く息が白く凍り、瑞礼の流した血だまりが瞬時に赤黒い
Last Updated: 2026-02-25
Chapter: 113話 雪上の覚醒 - 第三世
 ――しゃらん。 胸元の小鈴が、外界の音ではなく、魂の深淵で鳴り響いた。  その清冽な音色は波紋となり、死へと沈みかけていた意識を強引に引き上げる。 刹那、雷に打たれたような衝撃が、止まったはずの心臓を内側から殴りつけた。  鼻孔を満たしていた泥と鉄の腐臭が吹き飛び、肺腑に流れ込んできたのは、針のように冷たく澄んだ雪の匂い。 戦場の熱狂も、叫びも、燃える森の記憶も、遠い夢のように霧散した。  代わりに戻ってきたのは、胸を焼く灼熱の激痛と、血管を駆け巡る奔流のような生命の熱さだ。 瑞礼は、ゆっくりと目を開いた。 視界にあるのは、どこまでも白い雪空。  そして、数歩先で鎖に繋がれたまま呆然と立ち尽くし、頬を濡らしている緋宮の顔。 己の胸には、未だ白刃が深々と突き刺さっている。  心臓を貫いた刃は、確実に生命の糸を断ち切ったはずだった。肉体という器は壊れ、本来ならば、今は冷たい骸となっているはずだった。 ――だが。  瑞礼の意識は、かつてないほどに研ぎ澄まされ、冴え渡っていた。 どくん、どくんっ。  心臓が、破壊された肉の檻を叩き直すかのように、力強く脈打ち始める。 かつての蝦夷の里。泥にまみれた戦い。  不器用な龍神との口づけ。そして、冷たい淵の底で交わした、魂を焦がすような最期の約束。『龍ノ淵で……待っていて』 瑞礼の瞳に、誓いの光が戻った。  それは死に行く者の虚ろな光ではない。悠久の時を彷徨い、泥と血の底から這い上がり、ついに己が半身を見出した、揺るぎない覚悟の|赫灼《かくしゃく》たる輝きだった。「……ぐ、ぅ……」  瑞礼の口から、血の泡と共に呻きが漏れた。――死んでなるものか。 こんなにも長い間、緋宮を待たせたのだ。あんなにも暗く冷たい水底で、狂うほどの孤独に耐えさせたのだ。  ここで死んでしまえば、あの約定はどうなる。緋宮の千年の献身が、すべて無駄になってしまう。「……ほう」
Last Updated: 2026-02-24
Chapter: 112話 千年の契約 - 第二世 完
 世界が、凍りついていく。 緋宮の口から吐き出される冷気そのものが、|龍ノ淵《りゅうのふち》の闇を切り裂いた。 それは慈悲なき断罪を思わせる白い光を放っていた。彼を中心に発生した冷気が物理法則を無視して爆発的に膨張し、崖上の朝廷軍までをも飲み込む。「ひっ、あ、あ……っ!?」「に、逃げろ! 退却だっ!」 逃げようと背を向けた兵士たちが、次々と氷像に変わる。悲鳴さえも凍結し、砕け散る。 崖の上で呪文を唱えていた陰陽師たちも、自らが展開した結界ごと凍りつき、玻璃細工のように崩れ落ちていった。 ――圧倒的な蹂躙。戦いですらない。神が、不敬な人間という種を間引きしているだけの、一方的な災害だった。「|虫螻《むしけら》どもが……滅びよ」 緋宮が冷徹に告げる。 その身体はすでに半ば龍へと変じていた。赤金の鱗が陽光を弾き、金紅の瞳がこの世のすべてを見下ろしている。 彼の腕の中には、事切れた瑞礼が抱かれている。その亡骸だけが、この凍てつく地獄で唯一、優しく守られていた。「我が半身を奪った報いだ。……この国ごと、氷の底に沈めてやる」 緋宮が片手を掲げる。 大気が悲鳴を上げた。上空に渦巻く猛吹雪が凝縮され、巨大な氷の塊――都市ひとつを粉砕できるほどの質量を持った隕石となって顕現する。 これを落とせば、胆沢の地は消滅する。いや、その余波は日ノ本全土を冬の時代へと閉ざすだろう。「待ってくれ……! 鎮まりたまえ、龍神よ!」 氷の嵐の中、ただ一人立っている男がいた。 |坂上田村麻呂《さかのうえのたむらまろ》だ。 彼は全身に氷柱をぶら下げ、弓を杖にして辛うじて立っていた。その顔には、初めて恐怖と後悔の色が浮かんでいた。「これ以上の殺戮は……瑞礼殿とて望んではおらぬはずだ!」 田村麻呂の必死の叫びが、暴風にかき消されかけながらも、緋宮の耳に届く。 緋宮は侮蔑
Last Updated: 2026-02-23
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